37.懸念と―――
大量の資料が置かれた部屋、ぱらりぱらりと紙を捲る音が静かに鳴る。
「……それで? あいつは何者なのよ」
「見た通り、じゃ駄目かしら?」
「見ておかしかったから聞いてんでしょ」
「ごもっとも」
資料の山に目を通していたのはディアンサスとロベリアの二人。これらの資料は全てセーギが襲撃した暴力団のアジトから回収した物である。中には魔法によって“封”が掛けられた物も存在しており、その解除の為にディアンサスが手を貸している。
「よくあんなのを信用する気になったわねロベリア」
「ふふ。そこは年の功かしらねぇ」
「年の功~? そんなのは最低でも100年は生きてから言いなさい」
「エルフの尺度を出されても困るわね……それに、それを言うなら15歳の貴女は子供も子供じゃない」
「良いのよ私は。大事なのは熱量よ。はい中身」
「ありがとう。でもその理屈なら私の年の功はかなり熱いわよぉー」
いとも容易く封を外して箱から中身の極秘資料を取り出したディアンサスはそれをロベリアに回す。そうして次々に封が開けられていく。
「……あんたの方が理解してるでしょ? あいつの危険性さ」
「……さあ、どうかしらね。何か事情があったんじゃないかしら?」
ロベリアは資料の頁を手繰る。滞り無く動く手。その問いが来る事を予想していたようで彼女の顔に動揺やそれに類する感情は浮かんでいない。故に返答の調子も普段と変わらない物であった。
その答えが不服だったディアンサスは表情を顰め、ロベリアから視線を外すとあらぬ方向へ目を向ける。そこに有るのは植物を生けた鉢や花壇そして壁のみ。特におかしな所は無いただの壁……しかしディアンサスが真に目を向けているのはその壁を越えた先。
その視線はセーギと言う青年が向かった方向であった。
「それで済ませられるような問題じゃあないでしょ、アレは」
「心配性ね、ディアンサスは。坊やは悪い子じゃないわよ?」
「悪い子じゃない? ……はっ」
ディアンサスは吐き捨てるように乾いた笑いを出す。ロベリアの語ったセーギへの印象を下らないとばかりに切るように。
「ロベリアも気付いてるんでしょ」
「……何を、かしら?」
「とぼけても無駄よ」
ディアンサスの手に有った封の掛かった箱。それが激しい炎に包まれて燃え上がる。
細かく爆ぜる燃焼音が鳴り、箱は黒い炭となって崩れ落ちる。そのまま炎は箱に収められていた重要書類さえ包み込む。
炎によって書類は箱と同じように消し炭に……とはならず、ディアンサスは指に挟んだそれをそのままロベリアへと突き出す。
「あのセーギとかいう奴……」
微笑みを浮かべたまま炎に包まれた書類を受け取るロベリア。そんな彼女にディアンサスは冷たく言い放つ。
「確実に一万以上殺してるわよ、人を」
「…………」
炎が消える。書類には焦げ跡一つ付いておらずロベリアの手にも勿論火傷など無い。
何の衝撃も受けていないロベリアにディアンサスは更に言葉を重ねる。
「人を殺す為の動きが自然過ぎ。日常的にやってなければあそこまで染み付かない」
「そうね」
受け取った書類に目を通し、自分で処理するか部下に処理させるか分別する。怖ろしい筈の事を聞いたのにロベリアには特に大きな反応は無い。普段通りにさえ見える。
「あんなのを引き入れて何かあったらどうする気?」
「問題無い。私はそう思った……自分の直感を信じたのよ」
猜疑感のある瞳を向けてくるディアンサスにロベリアは柔らかい笑みを返す。
「それに……本当は貴女だって同じでしょう?」
「……はぁ? 何が―――」
「セーギさんは悪人なんかじゃないって、そう思ってる」
「…………」
ディアンサスは目を鋭く細めた……だが続く言葉は出さなかった。出せなかったと言うべきか。そんな彼女へロベリアは穏やかな声音で語る。
「理由がどうあれ……虐げられている子が居れば介入、そして助けたその子に類が及ばないように暴力団と話し合いをしようとする、見ず知らずの子供達なのに。他人事だから見なかった聞かなかったことにしても良いのに……辛い目に遭っていると知っては断れないと私からの頼み事を引き受けた。そしていざ計画が実行に移されても……彼は結局誰一人殺すこと無く制圧を完璧にやり遂げた。殺した方が楽なのにねぇ」
極僅かな時間での関わりしかなく、人となりを知るには短い……だがそれで十分だった。
ロベリアは手に持った書類をテーブルに投げ出すと代わりに煙管を取り出して咥え、フゥーっと一服して紫煙を吐き出しディアンサスに微笑みを向ける。
そして言うのだ。ディアンサスへ。この攻撃的な……身内と決めた者に対してはとことん甘くなり外へは攻撃や威圧に繋がってしまう、そんな優しい優しい心配性の友人へ、ロベリアは言うのだ。
「それに何よりも……マリーちゃんが懐いている」
「…………」
「聖獣は気難しい生き物。それは私よりも貴女の方がよーく知っているでしょ?」
聖獣。原初の闇から発生した加護である“言霊”の影響を強く受ける聖獣は、その力によって他者の心を感じ取る事が出来る。つまり聖獣には上っ面の言葉や態度など無意味であり、真に重要視するのは相手の正直な思い……真心を感じてから接触するかどうか判断を下す。それが死後“精霊”へと至れる程の上位聖獣なら尚の事。
黙って聞いていたディアンサスは苦み走った顔で、だがロベリアの問いに応える。
「……わかってるわよ、そんなこと……でも―――」
納得は出来ない。
振り上げられる手。それがテーブルに叩き付けられる。それをしたディアンサスの周囲で火が弾ける。張り詰めた感情が火の粉となって湧き上がっている。
「だからこそっ! 余計に気持ち悪いっつってんのよッ!!」
振り上げられたディアンサスの手が強かにテーブルを叩く。それに伴い彼女の周囲で火の粉が弾けるように舞い上がる。
熱気による上昇気流によってはためく暁色の髪が、まるで炎と同調するように燃え上がるディアンサスの感情を物語る。
「お人好し!? 笑わせんな!! あんな虐殺者がそんな可愛い物であってたまるもんですか! 善も悪も関係無い……あれだけの数を殺している人間の感性がまともな確証が何処に有んのよ!? それなのに聖獣は心を開いているッ! 普通なら近寄るなんて絶対にしない筈の相手にッ!」
炎の乙女は猛る。
「何より以上なのはあいつの力ッ!! 異界の魔王だか何だか知らないけど……あいつも本気ではやってたんでしょうよ本気では……でも全力じゃなかった!! 私達は全力を出してたのに!!」
「…………」
ロベリアは眼前で燃え上がる激情を見詰めながら手元の煙管を揺らす。
「……新しく目覚めた“勇者”だって私は考えたけど? 坊やが勇者ならあの強さの理由にはなるでしょ」
ロベリアはディアンサスの憤りをまるで煙のように流す。。
「今まで私達以下の張りぼてみたいな頓痴気しか居なかったのに急に湧いて出る訳無いでしょう!!」
「それを言うならあのアバドンって悪魔も急に出てきた存在ね」
「それもおかしいのよ!! どうしてあいつは誰も知らない悪魔なんて知ってる!? 何で悪神の使徒よりも……【醜穢なる邪霊】級の悪魔がこれまで無名だった!?」
「…………」
ロベリアは煙管を吸い、紫煙を吐き出す。輪状の煙がゆっくりと天井に向かって昇り、そして散って消えていく。
「……“地獄の尖兵”……そう言ってたわね。つまりあれより厄介な悪魔……いえ“魔王”かしら? 門は壊れた……でもそれとは無関係にそんな強大な存在が出現する可能性が有るのよね」
「……ちっ! あいつが呼び込んだじゃないんでしょうね? どっちも突然現れた存在よ」
「それは無いでしょ」
ロベリアは収納魔法が掛けられている箱から果実水とグラスを取り出すと自身とディアンサスの分を注いで渡す。
「私も貴女も……セーギさんが邪悪であるなんて思っていない。だから急場でも一緒に戦えたのでしょ?」
「……それも気持ち悪さに拍車を掛けてんのよ」
「まあチグハグよねぇー。坊やの在り方と人柄」
ひったくるようにジュースを受け取ったディアンサスはそれを一気に飲み干す。ロベリアは少し、ほんの少しだけ、愉快そうに笑う。
「それで、どうかしら?」
「……何がよ」
「坊やのことは見極められた?」
からかうように尋ねてくるロベリアにディアンサスは鋭い目を向ける。
「……私はあんた達みたいにあいつを受け入れる気は無いわ」
「あら残念。相変わらず固いわね」
「あの聖女達は根がお人好し過ぎるのよ。それに……寧ろ私はロベリアがあんな奴を簡単に信用してるのが理解出来ないわ」
空になったグラスがテーブルに置かれる。気持ちを発散して多少落ち着きを取り戻したディアンサスは、しかしそれでもセーギへの不信感を払拭しきれない様子でロベリアを見る。
そう、ディアンサスが何よりも疑問に思っていた事。
「何にでも疑いの目を向けてきたあんたが、私なんかよりよっぽど……頑なだったあんたが……どうしてよ」
「…………」
ディアンサスが攻撃的であると言うならば、ロベリアの他者への対応は“拒絶”であると言えた。裏社会で生きてきた彼女が本当の意味で誰かを信用するなど稀だった。
不敵で余裕を見せる振る舞いの裏で、ロベリアは独り毒牙を研ぐ生き方をしてきた。
「……自分でも不思議なのよ」
ロベリアは席を立つとディアンサスの隣まで移動する。
「素性の知れない相手なんて一番信用出来なかったのに。それでも私はセーギさんを信用しても良いと思ったのよ」
ロベリアの瞳には僅かだが迷いの色が見える。しかし浮かべる表情は柔らかで、話す声は目の前の少女を諭すように穏やかだった。
ディアンサスはそんな複雑な感情を抱える友人に……これ以上の文句は無意味であると悟った。
「……はっ。スラムで鎬を削ってた女傑とは思えないお言葉ですこと。お人好しはあんたにとっては食い物でしょ? あんた自身がお人好しになるなんてね」
「本当にねぇー」
生意気な事を言う暁色の少女の頭をロベリアは髪を梳くように撫でる。
「……何よ」
「坊やを素性が知れないなんて言うけど、私達だって何でも話してる訳じゃ無い……彼にとっては素性の知らない女よ」
「……そんなの」
「だから坊やにだって隠し事の一つや二つ、有って当たり前。」
種族も容姿も大きく違う2人。だがお互いの間には気安さが……確かな絆が存在している。
「そうねぇ……とりあえずディアンサスは坊やじゃなくて坊やを信頼しているマリーちゃんを信じてあげれば良いんじゃないかしら」
「…………」
それは妥協のような案。それでもロベリアはディアンサスならひとまず納得してくれると信じていた。
「ようやく出会えた手掛かりでしょ? マリーちゃんは。それに……そんなの関係無く普通に可愛がってもいたみたいだけど」
「……はぁー……」
ディアンサスは溜息を吐くと自分の頭を撫でるロベリアの手を押し退け、そして半目になるとじとっとした視線を向ける。
「ロベリアとマリーちゃんに免じて……少しだけあいつを信用してみるわ」
「……ふふ。貴女は何年経っても可愛いわねー」
何時までも自分を幼い頃のままに見てくるロベリアにディアンサスは眉を顰める。
「子供扱いされるほど小さくないんだけど?」
「おっぱいは慎ましいじゃない」
ディアンサスはロベリアに指摘された胸を撫でる。そこはとてもなだらかである。山も丘も無い。傾斜と言っても怪しいサイズである。
「森人は誰だってこんなもんよ。寧ろあんたの方が蛇のくせに凹凸があり過ぎるのよ」
「戦う時は邪魔だけど、交渉事をする時は便利よ?」
ロベリアは腕組みしてその上に乗った胸を揺らす。それを見てディアンサスは肩を竦める。
「交渉って……あんたなら殴って蹴った方が早いでしょ?」
「やーよ、貴女じゃないんだから。私はそんな野蛮人みたいなことはしないわ」
「は? 喧嘩? 喧嘩売ってるなら買うわよ」
「気のせい気のせい」
ロベリアは再び手を伸ばしてディアンサスの頭を撫でる。今度はやんちゃ坊主にでもするように雑に、うりうりと。
頭をわしゃわしゃされるディアンサス。初めは黙って俯いていたが……沸点を超えたらしく「しゃーっ!!」とまるで猫のように鳴いてロベリアの手を叩き落とす。
他愛の無いやり取り……無駄話も交え、ロベリアとディアンサスはこれからの事を話し合っていった。
―――そんな時であった。
ロベリアの部下によって二人の下へとある“情報”が届けられたのは。
ロベリアはその情報を受け取り確認するとそれを他の部下達にも通達させるように指示を出し、そして至急セーギにも伝える為にアジトから飛び出したのであった。




