29.闇を斬り裂く
噴水の如く黒穴から溢れ出す小鬼の悪魔の群れ。それに対してレグルスは火傷から立ち直ったばかりの部下を呼び出し手勢を増やす事で対応していく。
「な、何なんだこの悪魔は……!?」
「疑問は後にしろッ! 宝珠!! 宝珠だけは何としても回収しろ!!」
応戦するレグルス達。部下は少しばかりナーダに劣るとは云え十分強く、更には容赦の欠片も無いレグルスの戦い振りは流石悪魔への転生を望んでいただけはある。
―――魔法陣を取り返す、例えそれが無理でも一番手間と素材を注ぎ込んだ宝珠だけは回収する。それが今のレグルスの目的だった。
本来ならこの魔法陣は『最上位の悪魔』と交信し、贄の質と量に応じた悪魔の力を術者へと融合させて転生させる。
それなのに魔法陣が吐き出したのは意思疎通も出来ないような最低位、それ以下のモンスター。最上位の悪魔と交信は無く、そもそも生贄も未だ捧げられていない状況でのこの事態。
レグルスは度重なる儀式への妨害に対して収まりきらない憤怒を露わに小鬼の悪魔を斬り殺していく。
転生を願う程に希う悪魔と云う存在であれど、人間と鼠の違い程も在るこれらを殺す事に一切の躊躇いは無い。
「何が起こったというのだっ!?」
小鬼と云う弱いモンスターでも悪魔化すれば話しは別。通常よりも“悪神”の加護によって強化されしぶとく厄介な存在となっている。
ナーダは息を整え気力を僅かだが回復した事により動けるようになった。そうして彼は直ぐにサクラと子供達の方へと向かう。サクラや子供達を拘束していたレグルスの部下達は呼ばれた時に彼女を突き飛ばして加勢に行った後でこの場にはもう居ない。
「サクラ!」
「ナーダっ」
サクラが空へと伸ばした小さな手をナーダが包むように掴む。
少女は血の臭いを嗅ぎ取る。その臭いは濃く漂い、ナーダが負った傷は放置していては危険な物であると知る。
「怪我―――」
「そんなことより直ぐに逃げるぞ! よくわからねえが今が好機だ!」
だがナーダは自らの負傷など後回しだと言動で示し逃走を優先させようとする。
ずっと……この場に現れてからナーダはずっと捨て身の行動をしている。サクラや子供達を助ける為であれば自分の命が失われても構わないとでも言うかのように。
「……ッ……“その身に癒やしを”……」
サクラは否定する。ナーダの犠牲を。
その想いが少女に応える。
サクラは本能が後押しする不思議な感覚のまま……力在る言葉を唱えた。
「【治癒】」
「……は?」
繋いだ手を通じて“光”が届く。温かく優しい光。
サクラから流れ込んだ光を受けたナーダは腹部の傷や疲労による心身の負担がふっと楽になった事に困惑した。完治……はしていないがそれでも格段に良くなった体調。
素養が無く当然習得も不可能だった筈の“神聖魔法”を唐突に使用したサクラをナーダは呆然と見る。そして使った当の本人であるサクラ自身も困ったように苦笑を浮かべる。
「……何か……使えるようになっちゃった?」
「…………」
ナーダは少しだけ考え―――
「まあいい! とにかく逃げるぞ!」
取り敢えず神聖魔法を使えるようになった理由は後回しにした。
いつから使えるようになったのか? 今朝までそんな素振りが無かっただろう? ……そんな事は今考えるべきでは無い。大事なのはサクラが今多少の傷は癒やせて、自分が再び戦えるようになった事だ。
「おらガキ共いつまで泣いてやがる! 逃げるんだよ!!」
「ぴぃ!?」「ふぇえええ!!」「ごわいよぉおお!!」「あ、ナーダだ」「角出てるよー」「ちょっとお姉ちゃんにも逃げるように言われてたでしょ!? 早く!」「足が痛いよー!」「我慢しなさいっ男の子でしょ!」
ナーダはパニックになっている子供達を怒鳴り付けて誘導を始める。一部のしっかりした少年少女はいち早く状況を理解しナーダを助けるように他の小さな子供達を誘導する。
「皆っ、大丈夫だから! ナーダが空けてくれた場所から早く!」
「ああクソっ!? そこの余裕のあるガキはさっさと他のガキ引っ張って行け!!」
慌ただしく子供達が避難を始める。手が回らず後回しになっていた手の拘束をナーダは順次斬って解いていく。
「ぎゃっ!」
「!?」
男の悲鳴が聞こえてナーダは振り返る。そこにはレグルスの部下、その中の一人が腕を切り裂かれて血を流し膝を着く姿が有った。
小鬼に不覚を取ったのか? ……いや、違う。それはゴブリンよりも一回り以上大きなモンスターによって負わされた傷であった。
「ホブゴブリン!?」
ゴブリンの上位種、ホブゴブリンと呼ばれるモンスターが悪魔化した存在がいつの間にか群れの中に混じっていた。
ナーダは焦る。小鬼の悪魔だけであればレグルス達で殲滅出来ると考えていた。しかしホブゴブリンまで出現した事でその考えは甘かったと知る。
(あの穴……もしかして時間が経てばもっとヤバいもんが―――)
最悪の想定であり高い確率で実現しうる未来。それに思い当たったナーダは顔を顰め、魔法陣を取り戻す為に戦っていたレグルス達も同様に思い至ったのか苦み走った表情をする。
もし元から強力な個体が悪魔化すれば手に負えなくなる。脆弱な幼子達など道端の草花を踏み躙るよりも簡単に殺されてしまうだろう。一刻も早くこの場から退避する必要が在る。
「ちっ、ガキ共の避難を早く―――っ!」
避難誘導をするナーダ……彼はそれを突如切り上げると短剣を構えて飛び出す。
レグルス達の猛攻を掻い潜ってきた一部のゴブリンが子供達の方へと流れ出してきたのだ。ナーダはその間へ滑り込むように飛び出し、ゴブリンを斬り裂いて燃やす。
『ギエエッ!?』
「ぐっ……多すぎる!?」
ゴブリンは一体だけではない。
次々に悪魔はやってくる。
ナーダは襲い来るゴブリンを斬って燃やして捌きながらそう遠くない内に限界が来る事を悟る。
悪魔は手強い。油断が即死に繋がる一対一でも苦戦するような手合い、それでも表面上は優勢にあしらえているのは単に……この悪魔共の知能が異様に低く同士討ちまでしてるから。
人の世に危害を加える悪魔と云うのは知能が人並み以上であるのが普通である。悪神も上位の悪魔も、仲間にするのであれば塵芥な弱者よりも強者を引き入れる方が余程効率的なのだ。つまり小鬼を群れ単位で悪魔化させるなど割に合わないのだ。
そんな定説を覆して大量に湧き出してくる弱い悪魔共。しかも悪辣さと残虐性を如何無く発揮させる為の知性も持たない獣同然かそれ以下な行動パターン。
ナーダはそんな穴から現れたらしくない悪魔を不審に思いながらも自分が戦う分には助かると考え短剣を振る。
「―――【浄化】!」
ナーダの背後からサクラの声が響き、そして光が放たれる。ナーダは又もや「は?」となり後ろを見ようとして……注意を逸らすのは危険と判断し振り返るのを止めた。
眼前の、近い位置に居た悪魔共が光を浴びる。
『ギィアッ!?』
サクラの放った光に触れた悪魔共がまるで火に炙られたように煙を上げて肌を爛れさせる。
“浄化”による聖なる光が悪魔を焼く。その光景を見たナーダは背を向けたままサクラに言う。
「お、お、お前っ……やるなやるって言えよ!? びっくりするだろ!?」
「ぇええっ!? ご、ごめんなさい!?」
サクラの浄化によって悪魔の勢いが弱まった。それでナーダの負担が減って助かったには助かったが……戦闘中に突然不測の事態が引き起こされたのは頂けない。注意が散漫になれば危機に繋がる怖れが高いのである。ナーダは正当な文句をサクラに浴びせ戦いのあれやこれやを知らない彼女は素直に謝った。
「でも助かった!」
「良かった!」
怒りながら礼を言うナーダと反省しながら安堵するサクラ。そんな二人の前では浄化の光で怯んだ悪魔が後ろから来た別の悪魔共に引き倒されて食われていく。そうしてナーダ達の前に再び無傷の悪魔が迫ってくる。
ナーダの応戦やサクラの浄化は確かに有効ではあるが……時間稼ぎが関の山。燃える短剣が悪魔を斬り裂き浄化の光が悪魔を灼くがいくらそれを繰り返そうとも、悪魔共の進行は一切緩まない。
無限に溢れ出すと錯覚してしまいそうな程出現する悪魔。それに対してナーダ達の体力は有限。悪魔の数は共食いの影響で劇的に増加する事は無いが……減る事は無い。徐々にその数を増やしていく。
子供達の避難はもう直ぐ終わる、だがそれはナーダとサクラの体力が底を着くのと引き換えになるだろう。それが意味する所は逃げる子供達を守る者が居なくなると云う事。
この状況の行き着く先は―――全滅である。
「サクラもっ……逃げろ! 後は俺一人で、いけるっ!」
「嘘よ! だって……怖い気配が減って、ないもの!」
「うるっせえ! 後ろの、ガキと並んで、さっさと出て行け!!」
「駄目! ナーダとっ……一緒に居る!」
ナーダは歯軋りする。今のサクラは異様に強情になっている。素直に言う事を聞いてくれない。子供達が逃げ切る為には誰か戦える者が付いて行く必要が在る……誰かが殿となって悪魔を食い止める事で。
「ッッ!!」
歯を食いしばる音が小さく鳴る。
ナーダは自分が犠牲になって子供達とサクラが逃げる時間を稼ぐ気でいた。ここでサクラが抜ければ確実に死ぬ。それでも皆が助かるのであれば自分の命ぐらい安いと考えていた。
(……いや、どのみち……)
そんなナーダの脳裏を過ぎる想像。最悪な未来。
結局ナーダがどれだけ踏み止まり悪魔を引き付けて時間を稼ごうと、逃げ足の遅い子供達は遠からず追い付かれ……誰かが食い殺される。
絶対的に手が足りていない。強さが足りない。
弱い。守りたい者を守るだけの力が無い。
「――――――」
死の予感。断崖へ自ら身を投げるようにナーダとサクラは戦う。
少しでも遠くへ。子供達が一歩でも遠くへ逃げられるように。
願わくば自分以外の全員が救われますようにと。
「……ッ!?」
そんな二人の願いを嘲笑うように―――絶望が鎌首をもたげる。
『ブゴォオオオオオオオッッ!!』
悪魔の咆吼。血走った赤い目を剥いて豚鬼が吼える。
この場から子供達が立ち去ったのと入れ替わるようにして大穴から這い出てきた新手。小鬼やホブゴブリンなどよりも遙かに上位の怪物。
刻一刻と悪化する事態は遂に……必死に支えていた彼等の手を押し潰す程にまで肥大した。
豚鬼の悪魔が現れた直後、鳴り響く破砕音。
それは溢れた悪魔がレグルスが空けた穴以外の壁を力任せに破壊してぶち抜いた音であり……悪魔が外部へと進出した事を意味した。
「クソッ!?」
「……ぁあ……そんな……」
再度言う。子供達の足で悪魔から逃げ切るなど不可能。
守ってくれる者は居ない。
ナーダとサクラの顔から血の気が引いて青褪める。
『ヴォオオオオオオオッ!!』
足下が崩れ落ちていくような感覚……それでもナーダとサクラは踏み止まる。
この場へ来るまでに既に体力を消耗していたナーダ。力に目覚めたばかりのサクラ。
二人はとうに限界を超えている、だが退かない。守りたいものを守る為に戦う。
「がっ!?」
「っ!?」
―――それも限界がくる。
ナーダは豚鬼の一撃を受け止めきれずに短剣を弾かれて殴り倒される。力を使い切ってしまったサクラが糸の切れた人形のように頽れる。
限界を超えてしまった。一度倒れてしまえば……もう起き上がれない。
ナーダの炎が消える。サクラの光が消える。
「……サ、ク……ラ……」
「ナァ……ダ」
悪魔が迫ってくる。それに抗う術はもう無い。指先と目を動かすのが精一杯な二人は傍で倒れる互いの姿を見て、感じる。
ナーダが最後に見るのはサクラの姿であり、サクラが感じるのは手に触れるナーダの温もり。
伸ばした手が触れ合う距離。その手を握り返す力すら無く、ただ肌を通して伝わる温もりだけを確かめるように手を重ねる。
守り切れず、救えなかった。無情な現実に二人は悲痛な表情を浮かべる。
悪魔が希望を奪い尽くしていく。
黒が溢れ出す。悍ましい唸りを上げ、同族で牙と爪を突き立てあい、肉を引き裂く咀嚼音を立てながら、黒い悪魔共が迫り来る。
ここには地獄しかない。
尊ぶべき命が失われてしまう。自分よりも大切な人を守ろうと死力を尽くしていた2つの命が奪われる。
末路とはいとも簡単に眼前へと現れる。そこが運命の終端だと無慈悲に押し付けられる。それはこの憐れな子供達も例外で無く、残酷に摘み取られようとした。
―――だがその運命は変わる。死を待つしかなかったナーダとサクラの運命がこの時、変わる。
光。
左右の壁を貫き破壊して差し込む二つの閃光。その太陽の如き輝きは悪魔共を照らし―――打ち砕いた。あれ程までに絶望的であった悪魔が、滅んでいく。
神聖なる光。それは壁を壊して踏み込んできた二人の手によって発せられた力の奔流。
黒髪で薔薇色の瞳をした青年と、同じく黒髪をした長髪で紺碧の瞳をした少女。光を纏いこの場へと踏み込んだ二人は剣を振るう。
絶望を断つ、希望の光を宿した刃を。




