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28.事態は混迷へ

 サクラは魔法陣の中央まで連れて来られた。


「…………」

「さあ、ここで話しを聞こうか」


 レグルスはサクラへ優しげに声を掛けながら部下へ目配せする。それを受けて部下が用意した物は……大きな杭。

 その杭は生贄の手足を刺し貫き魔法陣へと打ち付ける物。既に幾度か使われた形跡を残す悍ましい凶器、それ以外にもこの部屋へ部下達は生贄を責め苛む器具を次々に持ち込んでいく。

 儀式の準備が着々と進む事にレグルスはほくそ笑む。


「…よ……を……」

「ん?」


 そんな中で、レグルスはサクラが何かを呟いているのを耳で拾う。


「どうしたのかね? サク―――」


 何を言っているのか詳しく聞き取ろうとしたレグルス。

 その直後だった。


 サクラの自由になっていた方の掌がレグルスの胸に当てられた。


「主よ! 私に皆を救う力をッ!」


 悲鳴に近いサクラの叫びと共にその小さな掌から眩い白光が迸る。


「ほう?」


 光が自らを貫くように輝く光景をレグルスは見下ろす。それは彼にとって予想外の事態であり、無防備に受けてしまったのは単に油断からであった。そんなレグルスへサクラは渾身の()を放つ。


「邪悪を祓い給え―――【浄化(パージ)】ッ!!」


 室内が白光に包まれた。その光は邪悪を焼く聖なる光。

 この力の名を浄化。毒や病魔を祓い対人でも一定の効果を発揮する、献身者や聖女が目覚める事のある能力の一つである。 

 しかし浄化は普通の人には大した効果は無い。精々が目眩まし程度……だがそれは悪魔(デーモン)やそれに類する邪悪な者に対しては別。

 悪魔を信仰する者や悪神の加護を宿すような邪悪な存在に対しては絶大な効果を発揮する。



 ―――実はサクラはレグルスが考えていたよりもかなり早く時点で目を覚ましていた。

 気付けば縛られた状態で何処とも知らぬ場所に転がされていた我が身。だからサクラは現状を知る為にじっと耳を澄ませた。彼女の発達していた聴覚は隣室の会話を聞き取り……この部屋へ集められた自分を含む子供達が生贄にされる事を知った。


(何とか……何とかしないと……)


 恐怖に身を震わせ涙が溢れそうになったサクラ、しかし眠っている幼い子供達が何とかこの場を切り抜け命を繋ぐ方法を模索する。

 この場で全員を起こして逃げる? ……無理。サクラには全員が拘束された状態から自由にして迅速に行動する術など持っていない。

 犯人を説得して考え直してもらう? ……有り得ない。話し合いが通じる相手では無い。悪魔やそれに類する者に打算は在っても善性は無いのだから。

 このまま助けを待つ? ……それは愚かしい楽観。誰かが来てくれる保証など何処にも無い。今この瞬間からでも幼い命が散らされる可能性が有るのだ。


(私。私が……この子達を、守る……)


 サクラは考える。どうして自分がいち早く目覚めたのか、その理由を。

 この場では一番年長だから? それは考え難かった。何故ならこの場には年の近い者も、年下だが自分よりも身体的に成長した子も居たのだ。はっきり言ってサクラはか弱い。薬物の影響を考えるならそんな肉体的に強い者の方が早く目覚める筈。

 だがサクラはこうして誰よりも早く回復した。頭に霞み掛かった感覚も無ければだるさも無い。拘束されている以外に問題は皆無……これは異常だった。そんな異常をサクラは自覚してとある可能性を思い浮かべる。


 聖光教会の教えに在る神秘。邪を祓う奇蹟。


(浄化)


 部屋へ現れたレグルスがその名を出した事でサクラの考えは確信に変わる。無意識で発動した力。自覚した今ならば……意識的に発動する事が出来るのではと。 


(……する。発動させるの。皆を守るため……命を繋ぐために)


 サクラは決意と覚悟を持ってその瞬間に挑んだ。一度切りの機会、失敗は許されない。

 そんな自身を省みない少女の意志が浄化(パージ)を発動させた。魔法の類いなどこれまで一度として使った事が無く、ましてや浄化など噂や本に書かれた物でしか知らない。そんな彼女がこの土壇場で成功させた。


 正に無垢な乙女が見せた奇蹟。


「―――虎視眈々と狙っていたわけだ」

「きゃ……ッ!?」


 だが現実は甘くなかった。

 サクラは胸倉を掴まれ吊り上げられる。浄化を真面(まとも)に喰らった筈のレグルス…………だがしかし彼は何の痛痒も感じていない余裕の笑みを浮かべ持ち上げたサクラを見上げる。


「意表を突くのは良かったが……如何せん練度と魂の位階に差がありすぎるな。お前は精々40あるかどうか。それに集束が甘いな。浄化の力が外に散りすぎ……付け焼き刃……あれが初めてだな?」

「ぐぁ……あ……ああ……ッ」


 レグルスによって捻り上げられた衣服と自重によってサクラの喉が圧迫され呼吸がままならなくなる。浮いた足をばたつかせ両腕も使って抗うが……レグルスに対してその抵抗は非力過ぎた。ただ自分が苦しむだけの結果に終わる。

 窒息して藻掻くサクラにレグルスは愉快そうな顔を、目に邪悪な輝きを灯して嗤う。


「まあ効いてないわけではない。浄化の光……少しばかり痛かったぞッ!」

「―――ッ!?」


 サクラの小さな体が怪力によって勢いよく振り回され―――床に叩き付けられた。


「……か……ッ……アッ!?」


 幼い肉体には余りにも苛烈な衝撃。床と拳に挟まれたサクラの体はまるで全身が砕けたような痛みに襲われ息が一瞬詰まる。少女は苦悶の声を嘔吐(えず)いて痙攣する。

 レグルスはそんな憐れなサクラを抑え付けたまま冷たい眼差しで見下ろす。その瞳には矮小な存在に抵抗された怒り……そしてそれ以外に賞賛の色も含まれていた。


「ただの世間知らずかと思えば……中々にどうして肝の据わった娘だ」

「……げぁ……えぅ……」

「例え不意打ちでも俺を倒せるなどと思っていなかった筈……時間稼ぎが狙いだったか?」


 レグルスは冷静にサクラの思惑を見通した。

 生贄に選ばれた自分(サクラ)以外の子がどうなるのか知らない。それでも無事に解放されるとは露程も思っていなかった。だからサクラは少しでも悲惨な結末を先延ばしにする為全力の抵抗を決行した。


 サクラは身悶えしながら光すら映さない瞳でレグルスを見上げる。

 焦点の合わない虚な少女の瞳が男達を見据えた。


「……わ、わたしが……」

「ん?」


 サクラの顔は青褪め体はこれから自分の身に降り掛かる恐怖に怯え震える。歯の根も合っておらず舌も覚束ない。叩き付けられた際の衝撃と苦痛が全身を縛り付けるように苛む。


「……助け、ないと……皆を……」


 それでもサクラは逃げない。

 現実から目を逸らさない。

 力が無く、この状況を打開する術が無く、自身の無力さだけが突き付けられる……そんな今から彼女は逃げない。

 少女の心には共に暮らしてきた皆の姿がある。寝息や気配で皆が居るのは把握していた。それ以外にも……大勢の子供が居たのも、彼女は確りと知っている。


「わた、し、が」


 虚ろなれど、その目に宿る意志は揺るぎない。

 ただ救う為に。

 今動ける自分が皆を守るのだと。少女は戦う。


「……素晴らしい」


 誰の称賛か。他でもないレグルスが口にしたそれはこの状況にそぐわない物。他者を貶め甚振り辱める事を喜びとする男から出たとは思えない心からの称賛。

 レグルスはサクラから手を放すと立ち上がり、脂汗や反吐で汚れながらも意志を折らない少女へ拍手を贈る。


「お前のような……」


 レグルスは満面の笑みを浮かべる。それはもしサクラの目が見えていれば―――怖気が止まらないような邪悪な笑みだと分かっただろう。


「サクラ君のような、真に清らかな乙女ならば……深淵に潜む悪魔すら喚び出せるだろう。いや実に喜ばしい」


 レグルスは拍手を止め、部下から杭を受け取る。儀式を執り行う為に。


「その心が絶望に塗り潰され、流れる血と命が我らを悪魔と転生させる贄となる」


 レグルスが杭を掲げる。少女を苦痛と絶望に沈めて殺す為に。


「…………」


 サクラは虚ろな目でただ見上げる、黒しか見えない景色を。万策尽きた……だが諦めるには悔しかった。悲しかった。このまま自分が死ねば次に犠牲になるのは他の幼気な子供達だ。しかしサクラのそんな思いとは裏腹に体は動かない。


 無力だ。どうしようもなく。


 サクラの目尻から涙がこぼれ、つたう。無慈悲な現実を前に泣くサクラはその時、一人の少年を思い出す。

 ここに居らず、血の繋がりもない他人……だが大切な家族である少年の姿を。


「ナーダ」


 何故その名を呼んだのか。助けて欲しかったのか、それとも逃げて生きて欲しいと願ったのか。それはサクラ自身だけが知る所。

 杭が振り下ろされ、少女は自らを貫くであろう痛みを想像しキツく目を瞑る―――


 しかしそれが少女に突き立たれる事は無かった。

 杭が振り下ろされる直前、部屋の扉が吹き飛んできたのだ。


「ッ!? 何だっ!」


 レグルスに向かって飛んでくる扉。それを彼は振り下ろしている最中だった杭を用いて弾き落とす。ぶつかり、割れる杭、砕ける扉。そして―――


「『縛れ』ッ!!」


 刃のように鋭い声が響く。それと同時にレグルスを含めた幹部達全員に対して黒い縄が跳び掛かった。

 幹部達は突然の事態に反応が遅れて黒い縄に縛られてしまう。まるで生きているかのように動く黒い縄は彼等の手足を縛り付けると床に転がす……だがレグルスだけは自分に向かってくる黒い縄を掴み取ると荒々しく引き千切って無力化した。


 黒い縄の欠片が視界にちらつく中でレグルスは襲撃者を探すが、見付からない。


「これは……ッ!」


 だがレグルスは先程の声に覚えが有った。そしてこの隠密能力……重宝し期待もしていた優秀()()()手駒。

 使い捨ての駒。その中で抜きん出て優秀だった鬼人(ヤクシー)の少年。

 目を掛けていた、だが途中で失望し今回の生贄に必要な魂の一つとして利用するつもりだった……それでも特別に便宜を図っていたのはレグルスなりの贔屓だったのか。


 闇に潜み、黒縄で縛し、炎刃にて命を刈る。そんな悪魔と成るよう育てた筈の忌み子。


「ガガナーダか!!」


 レグルスは獰猛な笑みと共に襲撃者の名を口に出した―――その直後である。


 レグルスが引き千切り捨てた黒い縄の欠片が……空中で一気に燃え上がった。


「ぬう……ッ!?」


 燃焼が閃光を発する。視界を焼くような火の光がレグルスの視力を一時的に奪う。彼が視界が飛ぶ前に見た襲撃者の姿は予想した通り……黒い角を額に生やした少年であった。


 そうしてレグルスから生まれた僅かな隙を付き、ナーダは己が目的を果たす。


「サクラッ!!」

「……あ……ナー、ダ……?」


 男の足下を潜り抜けて横たわるサクラを抱き上げるナーダ。そして力強く床を蹴ると疾走して部屋から飛び出す。その際に置き土産と言わんばかりに部屋の中へ油を染み込ませていた黒縄の全てに火を灯した。


「貴様……ッ!?」


 魔法陣は多少の火では消えないような物で描かれている。しかしそれでも長時間高熱で炙られれば床が焦げ付き崩れてしまい結果的に魔法陣が無効化される(おそれ)がある。レグルスは動けず火に巻かれている部下に変わって消火に意識を割かなければならなくなった。




 ナーダは廊下を出て迷う事無く隣の部屋へ向かい、その扉を蹴破る。

 そこは子供達が集められていた、サクラが最初に居た部屋であった。


「ガキを連れて逃げろっ!!」

「きゃっ!?」


 ナーダは少し乱暴な手つきでサクラを床に降ろすと立たせる。口元を覆うマスクを剥ぎ取ったナーダの顔に余裕は無い。


「俺が時間を稼ぐ!! その間に全員連れて逃げろ!!」

「え、え?」

「良いか!! お前がやるんだ!!」


 有無を言わせない命令のような言葉。それをサクラへ言うなりナーダは短剣構えて走り出し子供達の中を縫うように駆け巡る。ナーダが通り過ぎる子供達の足から縄が焼き斬られていく。手の拘束は無視、とにかく一秒でも早く子供達が動ける事を最優先にナーダは刃を振るう。


「ナーダも一緒に……ッ」

「無理に決まってんだろっ!!」


 怒鳴り声、軽い火傷は負う程度の熱さと痛みで子供が驚き目を覚ましていく。


「俺じゃあ時間稼ぎにしかならねえんだよっ!」


 ナーダは短剣にありったけの力を込める。刀身の炎が更に火勢を強め……刃が真っ赤に染まる。


「“火刃”ッ! うらァアアアアアアッ!!」


 部屋の壁、屋外に面している壁に対してナーダは火刃を振るって切り刻む。木も煉瓦も土も関係無く燃やして斬り崩していく。


「―――ゼアアアアアっ!!!」


 斬り刻まれ脆くなった壁に最後は蹴りを浴びせて破り抜く。そうして破壊された壁は人一人が十分立って通れる穴が空けられる事となった。

 逃走経路は確保した。後は目覚めた子供達を外へ連れ出して安全な場所まで走るだけ―――


 丁度その時であった。

 隣室から声が響く。


『ガガナーダァァアアアアアッ!!』


 部屋同士を隔てる壁、それが破壊される。

 部屋の壁が鋭利な物で斬り裂かれた事によりブロック状に崩壊した。その崩れ落ちる音と共に土埃を舞わせる向こう側から現れる男―――


「遅刻とは良い度胸だガガナーダッ!!」


 鬣をなびかせながら両手に一振りずつ携えた片手半剣をギラつかせながらナーダ達の居る部屋へ踏み込んできたレグルス。その顔には明確な怒りの感情が……そして何処か喜んでいるようにも見える表情を浮かべていた。


「シッ!」

「ふんっ!」


 ナーダはレグルスに一息で跳び掛かり頭部へ斬り掛かる、だがそれをレグルスは左手の剣だけで軽々と防ぐ。激しく燃えるナーダの短剣。その炎を隔ててレグルスは少年を睨む。


「魂を回収する時には居なかったと聞いてまさかとは思っていたが……何処で道草を食っていた?」

「……くッ!」

「今更死ににでも来たかっ!」


 レグルスの腕が筋肉の膨張で一回り近く大きくなる。それによって発揮された剛力によってナーダの小さな体が押し返される。空中へと弾かれたナーダは身を捻って体勢を整えると着地する。


「……くそ」


 そしてナーダはいつ斬られていたのか分からない腹部の傷を手で押さえる。衣服にじわりと赤が滲み広がっていく。


「ナーダっ!?」

「うるせぇっ! さっさと逃げろっ!!」


 傷を負ったナーダへサクラが悲鳴に似た声を上げる。それに彼は怒鳴りつけて逃走を促す。目を覚ましていた子供達は突然の事態に付いて行けずに目を白黒させ、次には極度の緊張状態に恐怖を覚えて泣き出していく。


 ナーダの目の前に立つレグルスが凄絶な笑みを見せる。


「逃げられる訳がないだろう? お前達は一人残らず悪魔の贄と……玩具になるのだ」

「知るかイカレ野郎っ!! 血が欲しいなら自分の血でもブチ撒けてろっ!!」


 斬られた傷は浅く短時間なら戦闘による激しい動きをしても支障は無い。それを確認したナーダは“忍び足”と“隠密”で相手を撹乱しながら“捕縛”の力を宿した縄で牽制、“火刃”を込めた短剣で果敢に攻める。


「流石だな……やはりお前は強いぞナーダ!」


 レグルスはナーダの攻撃を全ていなす。傍目から見れば余裕そうに見えるがレグルスに油断は無い。先程一瞬の隙を付かれたように油断から手痛い一撃を食らう可能性は十分以上に在る。怒りつつもレグルスは冷静に状況を見極めて戦況を有利に進めていく。

 対するナーダは“逃げ足”でレグルスからの攻撃を紙一重で回避して九死に一生を拾い続ける。そして歯噛みする。


(クソっ! ジリ貧だっ!)


 腕力も素早さも技術も、その全てがレグルスの方が圧倒的に上位。

 初めからナーダに勝ち目は存在しない。


「どうしたナーダ!? 口数が減ったなっ!」

「ぐっ!」

「ほらほら動きが鈍いぞッ!!」

「ぎっ!?」


 レグルスが剣の柄頭でナーダの腹を殴る。それを受けてナーダは後方へ強く弾き飛ばされた……だが彼は直ぐに受け身を取って体を起こす。


「づぅぅぅ……ふぅうううッ! ……ッ!」


 傷の上から殴られた激痛に顔を顰めながらも鋭い視線を向けて短剣を構える。腹部の赤い染みが更に広がっていく。



「お前がやること、全てが無駄……諦めろ」


 そう告げられてもナーダは退かない。燃えるような赤い目でレグルスを射貫く。

 どれだけ無謀であろうと退く気は無い。全てはこの場に居る子供達を生きて逃がす為―――


「きゃっ!」

「っ!?」


 ―――少女の悲鳴。ナーダはそこへ目を向ける。


 ナーダが斬り開いた壁の穴。その外側に立つ男……レグルスの配下の一人である男。その者が穴から屋内へ押し入りサクラを取り抑えていた。

 首を絞められるように手を掛けられ捕らわれたサクラ。そこから更に配下がもう一人現れると所持したナイフの刃を近くの子供へ突き付ける。


「――――――」


 逃げ場を失い、子供達は再び捕らわれ、ナーダに打つ手が無くなってしまった。レグルスはそんな憐れな少年に笑みと剣を向ける。


「さあ終わりだナーダ」

「クソッ……たれッ!」


 歯を食いしばって睨め上げるナーダ。そんな彼へレグルスはすっと笑みを消し、低く落ち着いた声音で言う。


「もし……ここで頭を下げるなら、お前の命だけは助けてやろう」

「は?」


 先程まで命の獲り合いをしていた者とは考えられない言葉にナーダは訝しむ。


「俺と共に悪魔に成れ、ナーダ。お前にはその資格が在る……どうだ? こんな所でつまらない死に方をするより―――」

「いらねえよボケが!! ふざけんじゃねえッ!!」

「……そうか」


 レグルスは本当に、少し、残念そうに目を伏せると……刃を振り上げる。


「残念だ」


 レグルスにとって最大級の譲歩であり、期待。故に意に沿わぬなら……儀式の邪魔でしかない。ナーダの事は気に入っていた……あくまで都合の良い道具としてだが。


「死ね―――」


 そんな日用使いする匙程度の執着をゴミ箱に捨てるように、白刃が振り下ろされる。それが振り抜かれればナーダの細い首など容易く刎ね飛ばすであろう。

 ナーダは迫り来る白刃に対し最後の抵抗とばかりに短剣を構える。

 サクラの声にならない悲鳴が上がる。


 そうして一つの命が終わりを迎えようとした―――その時だった。




『ゲエアアアアアアアアッ!!』


 ―――突如として悪魔(デーモン)が顕れた。


「なあっ!?」「何が!?」「儀式はまだ……ッ!?」

「これは……」


 レグルスが破壊した壁、そこから黒い角と肌をした小鬼(ゴブリン)が殺到してきた。魔法陣は『黒い穴』と化し、そこから悪魔が噴き出すように這い出てくる。


 異常事態。これは赤獅子のレグルスが行使しようとした儀式とは全く違う。


「なん、だと……云うのだッッ!!?」


 更に悪魔達は通常考えられない異常行動を始める。


『ギィイ!!』『ギャババ!!』『アガガガ!!』


 小鬼が小鬼へ噛み付く。牙を立てて皮膚を裂いて肉を食い千切る―――それは殺害を目的とした行為では無く……食らう事を目的とした物。

 黒い穴から這い出た悪魔は共食いの宴を始める。真っ先に狙うのは足を縺れさせ転倒した同胞であり()()。転げた仲間に向かって小鬼の群れ飛び掛かり貪り食う光景は見る者へ吐き気を催した



 悪魔として考えても狂っていると言える様子に唖然としていたナーダ達やレグルス達……だが彼等にとっても他人事では無く―――小鬼の悪魔は牙を剥いて向かって来た。


 この悪魔に敵も味方も無い。あるのは己と己以外。


 ―――彼等には知る由も無い。

 この異常事態が城の上空に生まれた『大穴』と呼応して発生した事を。

 悪魔転生に用いる筈の魔法陣が“攻勢物体出現(M・O・Bスポーン)地点”へと作り替えられた事を。


 この場に居る全ての命在る者へと、怪物(モンスター)の群れが襲い掛かってきた。

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