26.鬼子は刃を振るう
鬼人の中でも異形である黒色の角を持って産まれたガガナーダ。実の両親の顔も知らず、物心が付いた頃には既に『忌み子』と周囲から呼ばれるのが当たり前の環境に居た。
繰り返される暴力、生ゴミ同然の食事、戯れに浴びせられる毒薬。 悪魔相手には何をしても良いという悪魔によって大事なものを奪われてきた人々に根差す心理。それはガガナーダに容赦無く嫌悪と憎悪をぶつけてきた。
愛など欠片も無い虐げられるだけの生活。
鬼子は世界を憎んだ。自らにこのような仕打ちをする世界など滅茶苦茶になってしまえば良いと、滅んでしまえと考えていた。
―――だが結果的に、その憎悪が彼の心を飲み込むことはなかった。
帰る場所を見付けたから。
(……あいつも、兄ちゃんも……本当に馬鹿だ……)
少女の声が脳裏を過ぎる。
『ナーダ』
名を呼び、温かい笑顔で迎えてくれる少女。彼女はともすればナーダよりも不憫な身の上だった。ナーダは最初その少女と関わろうとしなかった。直に他の者と同じような態度になるだろうと思っていたから―――だが、少女は違った。
『初めまして。私、サクラって言うの。宜しくね』
『見て見てナーダ。大っきなお芋が採れたの』
『皆のお世話? 全然辛くないわ。だって皆とっても良い子だもの』
『今日も糧に恵まれたことを主に感謝しましょう、ナーダ』
『えっと……怪我の治療は……あう、ごめんなさい下手で』
『ナーダ。駄目ならいいんだけど……角に触れてみても良いかな?』
『ありがとうナーダ』
『ナーダは優しいね』
『―――おかえりなさい。ナーダ』
サクラは周りの事など気にせず、少年自身に手を伸ばした。
直接触れ、言葉を交わし、そして相手を思いやる温かい笑顔で……心を通わせた。
その時から少女は少年にとって光となった。
(馬鹿だ馬鹿だッ―――)
彼は決めた。あの光を失わない為ならどれ程自分が汚れようと構わないと。そして少年は影に身を沈める。
己の憎悪ではない。他者の憎悪を浴びて彼は黒くなる。
(俺が一番……馬鹿野郎だッ!!)
―――とある建物……貧民街によく有る誰が住んでいるかすら判然としない家屋。窓や扉は完全に閉めきり暗幕を掛けられた室内は朝になって数時間が経とうと云うのに不気味なぐらい薄暗い。
そんな薄闇の中から発せられる複数の人の気配。少年が一人に大人が幾人。
大人達その全員が手足を縛られ猿轡を嵌めて床に転がされ、唯一自由の身である少年は大人達の内の一人の側へ屈み込んでいた。
「……ふぅ……」
黒いマスクで覆われた少年の口元から溜息が漏れる。覗く赤い瞳と黒い角が灯る炎で照らされて妖しく輝く。薄闇の中でたった一つの光源、それが薄闇をより濃くする。
少年……ナーダは赤く燃え上がる短剣を振る。
「ギャひぃいいいッイイイッ!?」
振り抜かれた短剣が男の胸を斬り裂く。出血は無い。刃に帯びる炎熱が傷口を焼いて焦がしたから。
男が身をよじらせ痛みから逃げようとするが無駄。他の者達とは違い猿轡は外されているが手足を束縛する黒い縄のような物は鬱血する程強く縛り付け自由を許さない。
藻掻き苦しんだ男は血走った目をナーダへ向ける。
「っぅぅう……! ……て、手前ぇえッ!? こんなことをしてただで済むと―――」
「うるせえ」
ナーダが振り下ろした短剣が男の太股に突き立てられた。
「ガぁああああああッッ!?」
血と肉が焦げて不快な臭いの煙を上げる。鋒部分のみ食い込んだ程度だがそれでも与えられる痛みは想像を絶するのか、男は口の端からから泡を吹いて悶え苦しむ。
「俺が聞いてないことを垂れ流すんじゃねえよ、あ? わかったか?」
「ひぃっ、ひぃ……ッ」
燃えるような目で男を睨み付けるナーダ。男……赤獅子の構成員でありこの拘束された者達のリーダでもあった男は自分の半分も生きていないような子供に完全に気圧される。
少年が発する圧力は尋常では無く、男にはまるで見上げるような巨体の肉食獣を前にしたかのように錯覚させる。
突如として気を失わされ、気が付けば全員が拘束されてこの家屋に叩き込まれていた。だからこの男は現状を正確に理解出来ていなかった。この少年が容易く自分達の命を刈り取れる強者であると。だから初めは強気で居られたが……それも恐怖と苦痛であっさりとへし折られた。
恐怖で体を震わせている男からナーダは短剣を引き抜く。「ぎゃッ」と短い悲鳴が上がったがナーダは意に介さず炎を消す。
僅かな光源だが灯に変わりない。光に慣れていた男の視界がそれが消えた事によって完全な闇に包まれる。次に男が感じたのは強い力で肩を掴まれ体を引き起こされた揺れと……先程まで炎を帯びていたとは思えない程に冷たい刃が首元へ添えられた感覚。
ナーダの力を持ってすれば少し刃を引くだけで男の頸を斬り裂ける。
「じゃあお前から質問に答えてもらおうか」
「お、俺が口を割ると!?」
死神の鎌が首に掛けられたような恐怖。しかし男はなけなしの抵抗を振り絞ろうとし―――
「別に。お前が割らなくても……あれだけ代わりが居る」
「ッ!?」
背筋が凍るような目を向けられ言葉を詰まらせる。ナーダが顎で示したのは床に転がる男の仲間達。
代わりが居る。それはつまり……
「喋らねえなら、要らないな」
「ひ……ッ」
刃が動く。皮膚が裂け血が滲む。軽く動かしただけで傷は浅い。痛みも焼き斬られた箇所と比べれば微々たる物……だが少しでも深く刃を食い込ませれば簡単に命に届いてしまう急所を傷付けられ男はこれまで以上の恐怖を覚え狼狽える。
「正直に答えたら長生き出来るぜ、おっさん」
手慣れた。人を生かす殺すも幾度となく繰り返してきたと理解出来る澱みの無い動き。
「……さあ答えろ―――」
燃えるような赤い目と、暗闇の中であっても不気味な程存在感を発する黒い角。
男の目にはナーダが人間に見えなかった。
「サクラを……孤児院のガキ共を何処にやった?」
少年の形をした悪魔が、そこに居た。
◆◆◆
ナーダの凶行。彼がそれを行う理由を語るには現在より時間を少し遡る事となる。
―――それはナーダが孤児院を出て少しした頃。
額に青いバンダナを巻いて角を隠したナーダは赤獅子のアジトへ向かっていた。サクラとの会話で少しばかり遅れたが……
(しつけも大したことねえし……ま、良いか。急がなくても)
遅刻を咎められても精々数発殴られる程度。そう考え問題無しと判断したナーダは自分のペースで歩く。
赤獅子からナーダが現在割り振られている仕事は単純な物である。
他の暴力団の評判を下げる工作……それは狙い定めた敵方のギャングに扮装させた破落戸を使って悪事をさせるという物。その手伝いに主に選出されるのがナーダを含む身寄りの無い子供達であった。
人前で子供達にこれ見よがしに不当な扱いを強い、時には暴力まで振るう。それだけでも悪評には十分だが実益も得る為に盗みや詐欺もさせ、もし捕まれば赤獅子以外の名を出して責任をなすり付ける。そんな子供達の扱いの中でも最たる物は―――人身売買であった。
赤獅子、そして巨腕にとって子供達は完全に道具。自分達の懐を温めるだけの物。まさに下衆の所業。
ナーダは自身が住む孤児院に対しても同様に振られていた仕事を一身に引き受けた。自分以外の子供達……サクラに類が及ばないように。赤獅子の首領はナーダの事を多少は買ってくれていた。だからこそ彼一人の手で良いと特別な待遇を与えられていた。
暗い淵へと沈むように手を汚していくナーダ。
敵対組織。そこを直接襲うのではなく間接的に関わりのある場所や施設、時には邸宅へと押し入り狂刃を振るった。その工作は翡翠蛇に対しても行われ、急速に勢力を拡大させた弊害により地盤が固め切れていなかった翡翠蛇には想定以上の効果を得られた。
成果の詳細がナーダに伝えられる事は無かったが……それでもこんな真似を続ければ流れる血が増える事は肌で感じていた。
赤獅子は何時頃からか“血と憎悪”を求めるようになった。それはきっとナーダが産まれるよりも以前から。
碌でもない理由があったのは想像に難くない。それなのに付き合うなど馬鹿げている。だがそれを分かっていながらもナーダは反抗を選ぶ事は出来なかった。
守るべき家族が居たから。
いくらナーダが年齢に似合わず強くとも、その手で救えるものの数は限られる。自分が暮らす孤児院と家族だけ。
なら他の場所は? 他の子供達は? ……少年一人では救える筈も無く。助けを求める事など以ての外。これまでどれだけナーダが声を上げても他人が彼に手を差し伸べてくれた事など無かったのだから。
だからナーダはこれからも体の良い道具として使われる。遣い潰しても問題の無い都合の良い道具として。いつの日か家族皆で逃げられるぐらい自分が強くなるその日まで、ナーダは“忌み子”として生きていく事を決めていた。
――――――
「何だ? ……静かすぎる……」
貧民街の中でも更に人気の薄い場所。そこに赤獅子のアジトが有る。仕事を受ける為にそこへ赴いたナーダであったが―――いつもと様子が違う事に気付いた。
「…………」
異様な空気に包まれているアジト。呼吸する肺が重くなったような感覚、暑くもないのに気色の悪い汗が滲む。
本能が逃げろと警鐘を鳴らす。
「……なんだってんだよ」
だがしかし、ナーダに戻るという選択肢は無い。ここで背を向けて帰れば罰を受けるのは自分一人だけでは無くなる。それは容認出来ない。
硬く無機質なドアノブに手を掛け立て付けの悪くなった扉を引く。
軋む音と共に、扉が暗い口を開ける。
「――――――」
それを目にしたナーダは時間が凍り付いた感覚に襲われた。
「……は……ッ」
極度の緊張で締め付けられる喉から空気が漏れ、そこで初めて目に映る光景が脳で処理されていく……しかし理解が進むにつれて混乱は増していく。
ナーダが扉の向こう側に見た光景、それは―――
「何なんだよ……これッ!?」
人。
人、人、人、人、人人人人人人人人人人人人―――
足の踏み場にも困る程に、アジトの中には大勢の倒れ伏す人間で溢れていた。
「……お、おい……―――ッ!」
ナーダは一番近く居た相手に触れ……その冷たさに反射的に手を引いた。触れた時間は僅か。しかしそれだけで理解した。
冷たい。脈が無い。息も無い。
仕事柄ナーダは死体を見慣れている。時には自分が手を下す事も―――それでもこの光景は異様だった。
「……全員……死んでる、のか?」
玄関、廊下、部屋の中……その全てに息を失った人間が転がっていた。
アジト内だけで数十人以上。一所にこれだけ死体を詰め込んでいるのは異常に過ぎる。それに……死体の状態が綺麗すぎる事が不気味さをより掻き立てる。
まるで眠っているだけのように見える者達。息も鼓動も無いのに。
「……くそっ」
ここで何が起きたのか調べる為ナーダは一人、死の臭いが充満する建物を散策していく。
死体を踏む事に抵抗は有る……しかし警戒しながら進むとあっては死体を踏まずに行く事は難しい。ナーダは出来る限り人は踏まないように、だが咄嗟の行動に移るのが難しい体勢になってしまう時に於いては諦めて他者の肉体に足を乗せる。小さな体を足蹴にした事で吐き気が込み上げる。
一つ扉を開けては中を見て、次へと進む。違う部屋、通路、階段……同じだった。何処も彼処も眠るように死んだ人の群ればかり。
「はっ、はっ、はっ……」
自分の荒い呼吸が煩わしい。能力によって自分以外には聞こえなくなっている筈なのにナーダは自らの呼吸も止めたくなってくる。
そんな息苦しさの中、遂にナーダはアジト最奥に有る首領の私室へと辿り着く。
「……ふぅぅー……」
ここまでナーダはとある事実から目を背け見ないようにしていた。それでも目に入ってしまう。
物言わぬ骸……その中に多く紛れ込んだ見知った顔の子供達。
これまでの道程でナーダは自分と同じ境遇の子供達が、彼の知る限りに於いて全員居た事を確認してしまっていた。年齢も性別も関係無い。一人残らず綺麗過ぎる骸を晒す。
(……俺も……死ぬのか?)
何が原因でここに居る全員が死んだのか知らないナーダは汚泥のような不安と恐怖に足が絡め取られた気分に陥る。それでも彼の足がこうして先へ進むのはこれだけの人間を死に追いやった原因をこの目で確認するまで退けないと云う強迫観念にも似た意志によるもの。
死に絶えた子供達の姿が……孤児院に居る家族の姿と重なるのだ。
「……よし」
ここまで辿り着いたナーダは意を決して最後の部屋へ踏み込み―――
「……ああ……?」
何も無かった。
死体も何も、この部屋には存在しなかった。普通な筈のその光景がナーダにはこれまで以上に不自然に感じ不安になる。
「何でここだけ……」
戸惑いながらも中へ入る。
潜入の経験は豊富にある。その能力を活かしてナーダは直ぐにこの異常事態の原因である手掛かりを発見した。それはボスが使う机の鍵付き引出しに仕舞われていた物。手早く解錠して中身を取り出したナーダはその資料に目を通す。
「……悪魔を……召喚? それに……転生?」
古びた資料。そこに書かれた身の毛がよだつ契約と儀式。
―――ナーダは知らなかった……いや、ボスに近しい一部の幹部を除いて誰も知らなかったが正確か。
赤獅子のボスは悪魔へ生まれ変わろうと画策していたのだ。
ナーダは資料の詳細へと目を通す。
『―――悪魔へと転生するには多くの魂、そして恐怖と憎悪を揃える必要がある。それらを用いる事で上位悪魔を召喚……そして願う。悪魔の力、邪悪なる力をこの身に。
そして“生贄”として最も重要なのが―――』
ナーダは資料を投げ捨て窓を突き破ると外へ飛び出す。
「くそっ!!?」
周囲の目など気にならない。ナーダは秘めていた全力をさらけ出して駆ける。向かうは孤児院……自分が住んでいた孤児院。
資料に記載されていた生贄の素養。それは有りがちで……だが目にした少年にとって嘘であって欲しい事実。
だが現実は無情で。
資料の中に生贄として相応しい子供が住む孤児院の名が連ねており―――その中には当然のようにナーダの孤児院の名が存在した。
「サクラァあああああああああッ!!!」
生け贄に必要な物。それは―――信心深く清らかな心を持った者。
幼く、穢れを知らず、純粋である。それが生贄として適する。赤子でも代用が可能であるが……望ましいのは物心が付いても清らかな精神を維持している事。
聖なる力が強い無垢なる命、そして血。
――――――
ナーダが戻った時には既に孤児院はもぬけの空になっていた。
誰も居なかった。ただの誰一人も。
―――少年は鬼の貌になった。
◆◆◆
貧民街に存在する赤獅子の息が掛かった孤児院や施設を中心に調べ回ったナーダ。彼はその最中で見付けた子供を運んでいた怪しい集団を発見、これを全滅させて捕らえたのであった。
ナーダは憤怒の炎を瞳に灯して牙を剥く。
「さあ答えろ……自分の命が惜しいなら」
「ぎぃいっ!? 答える!? 答えるから!?」
肩を掴む指が男の肉に食い込み骨を軋ませる。ナーダの魂の位階は140に近く十分に強者と呼べる領域……だが実力で比較すれば普人の超人の領域と遜色が無い。鬼人と云う種族が少年を強者たらしめている。
これまでは赤獅子に管理されていた鬼の力、それが一線を越えた事により彼等へ牙を剥いたのだ。
意に沿わなければ殺す。憤怒は炎の如く猛りながらもナーダの殺意は氷よりも冷たく昏かった。男は今から言葉を誤れば死んでしまうと確信し知る限りの情報を曝露する。
「お、俺がガキを連れて行ったのは―――」
――――――
「―――ほ、ほら話したろ? だから助け……っ」
「そうだな……用済みだ」
短剣が振り上げられる。
「まっ、待っ―――ッ!?」
男の制止も虚しく……刃が振り抜かれた。
力を失った男の体が崩れ落ち、床へ頭を打ち付ける音が響いた。ナーダはもう男に目を向ける事も無く他の床へ転がる者達へも同じように短剣を強かに打ち付けていく。峰打ちで強烈に打ち据えられた者達は昏倒して簡単には目覚めなくなった。
知りたかった情報を手に入れたナーダは建物から飛び出す。扉が開け放たれたままだが気にしない。むしろ誰かがこの惨状を発見してくれれば後始末の手間が省ける。別にこのまま発見されず野垂れ死んでも構わないとすらナーダは思った。
そうして男達から完全に興味を失ったナーダは目指すべき場所に向かって力を振り絞る。
「―――サクラ、皆ッ!」
ナーダは疾く走る―――悪魔の儀式が始まろうとしている悍ましき場所へと。
名:ガガナーダ
種族:鬼人
性別:男
年齢:12
レベル:138
スキル:隠密、捕縛、忍び足、逃げ足、火刃、耐毒
称号:忌み子




