24.魔人の誤算と云う名のやらかし。そして邂逅するは暁
悪魔は深淵の底で戯れる。潜みながら、虎視眈々と、悪辣なる思考で、この世界に絶望と怨嗟を満たす為に動く。
「―――アフラ様。いい加減にしてくれませんか?」
「ひーまーなーのーじゃー。つまらーん!」
人の気配が絶えて久しい廃都。つい数日前までは邪竜が支配していた忌むべき地。
その地に立つ2人の人影。
一人は幼い容姿、120㎝程しかない背に白い肌と白いミディアムロングの髪。そんな十歳にも満たないであろう少女は豪奢な黒いドレスを身に纏いながらも地べたに直接体を横たえてゴロゴロと転がっている。
それを冷めた目で見るもう一人の女。成人と幼子の差違は有れど少女とよく似た容姿をした女である。180㎝は超えていそうな長身に肉感的な肢体を持ち、ドレスでも着れば似合いそうな物であるが……彼女は何故か執事服に袖を通している。
姉妹と言われても自然な程に似通った二人はしかし、少なくとも執事姿の女側には少女に対する明確な上位者への対応が見て取れる。その振る舞いが2人の関係を奇妙な物にしていた。
「竜は既に殺されていたようですし、無駄足でしたね」
「折角喧嘩しようと思っておったのに~~!」
「では殺した者を探しますか?」
「む~~……」
先程まで地面を転がっていた少女……アフラは器用に跳ね起き―――バサリと音を立てて翼が広がった。
少女の背中には一対の美しき白翼が生えていた。そして地面に伏せっていたと云うのにその体には一切の汚れが付着していない。淡い光が全身を包み込み不浄を弾いていた。
その姿まるで天使……であるが―――
「ま、いっかの」
先程までむくれていたアフラであったがしかし何事も無かった様子でケロッと宣う。
「よしっ。なら邪竜筆頭の方に喧嘩売るか! な? な?」
目をキラキラさせて執事姿の女へ尋ねるアフラ……その瞳は異形であった。
普通なら白い筈の眼球の強膜部分。しかしアフラのそれは黒く染まっており黄金の虹彩がより不気味な異彩を放っている。更には額の中心からは漆黒の角が生え、側頭部から純白に輝く羊のような巻き角が一対生えている。
天使と呼ぶには禍々しく。悪魔と呼ぶには神々しい。
少女らしい愛らしい仕草をしつつ老獪な空気を併せ持つアフラはそんな相反する性質を内包して笑みを見せる。そんな彼女に執事姿の女は「ふぅ」と小さく溜息を吐いて答える。
「止めてください。我らは彼らと不可侵を結んでいます。今回のことも紙一重で違反になり得るのですよ?」
「ブー! いやじゃ! あんなクソみそといつまでも付き合っておったら気分が悪くて仕方ないわ!」
「それはスプンタも同感です」
「じゃろ!」
執事姿の女、スプンタから共感を得られてアフラは表情を明るくする。
「ですがその代償に我らは生き場所を失います」
「……あぁああああッ!!」
花やいでいたのも束の間、頭を抱えて呻くように叫ぶアフラ。それを相変わらず冷めた目で見るスプンタ。
子供の駄々。アフラはそのような感じで頭をぶんぶんと振り回し……唐突に止まる。
「 ? 」
急に大人しくなったアフラを訝しげに見るスプンタ。その直後であった。
「あっ!! あああっはっはっははははは!! 良いことを思い付いた!」
アフラは高らかに笑い出した。
「……今度は何ですか?」
「目が怖いぞ? ……まあ聞くが良い。ワシが思い付いたのは―――“異世界召喚”だ!」
「……は?」
呆気に取られたスプンタを放って置いてアフラはどんどん昂っていく。
「ワシの超絶凄い力を使って異世界から“魔王”を呼ぶのだ!」
「おい馬鹿―――こほん。失敬……何を考えているのですかこの馬鹿?」
「何故言い直した!? しかも言い直した意味が無い!?」
「どーでも良いので早く内容を教えてくださーい」
「むー……そこはかとなく雑……だが良かろう! 寛大なるワシは丁寧に教えてやる!」
そう言うなりアフラは自身の手首を指先で撫でるように爪で斬り裂いた。
ぱっと鮮血の花が咲く。しかし流れる血は赤では無く……黒。
邪悪に見えるその黒血はしかし……地に落ちる短い時間の間で幾度も白色に染まる。浄化でもされたかのような純白。
黒と白が不規則に移り変わり、星が瞬くような輝きが生まれる。
「我らは腹立たしいことにクソ以下の悪魔と戦えん」
「そうですね」
「その契約が原因で我らは胸糞が悪いことに定期的に人間に危害を加えんといかん」
「正直面倒ですね」
「だからこそワシは以前から考えていた!」
アフラは両腕を広げて踊るように跳ね歩く。血が舞う。重くも軽くもなる不可思議な黒白の鮮血が花弁のように揺蕩いながら少女を追い掛け、地に落ちる。
一滴一滴不規則に滴下されている筈の血液はしかし―――廃都の大地に確かな陣を描いていく。その光景を眺めながらスプンタは半目でアフラに問い掛ける。
「さっき思い付いたって言いましたよね?」
「人間に害を与えるのが絶対であるならば……いっそのこと悪魔も巻き込むような存在を召喚すれば良いのだ!」
「…………」
無視されたスプンタ。しかもアフラから聞かされた企てに頭を抱えたい気持ちになる。その美しい顔に頭痛を堪えるような皺が刻まれる。
「……一応聞きますが……何故そこで異世界という発想に?」
「愚問よ!」
アフラは皮膚を裂いた方の腕を頭上高く振り上げる。その勢いで高く高く飛び散る黒白の血、それがまるで最後の仕上げだと言わんばかりにアフラが描いた円陣の中央に降り落ちる。
「この世界と無関係な異世界の者であれば……それも“魔王”という世界の敵として然るべき存在であれば、人間や悪魔の垣根無く危害を振り撒くだろうと云う考えだ!」
「……それは……仮にその魔王が想定通り人のみならず悪魔にも危害を加えたとして、契約違反にならないのですか?」
「所詮封印された悪神の掛けた呪いの契約よ! ●●●の穴よりガバガバだからこそ抜け道はある! 穴だけに!」
「……ふんっ!」
スプンタの蹴りがアフラの頭を無慈悲に打ち抜く。
「あぴゃっ!!? ―――お、おおおっ、お前!? 人の頭をいきなり蹴るとは何事か!?」
蹴られた頭を押さえてアフラは抗議しスプンタはそれを冷めた目で見る。この短い時間で冷めすぎて視線で水を凍らせられるかもしれない。
「おや失礼……汚い言葉を垂れ流していたので尻穴かと思いました」
「お前それお尻だったら蹴って良いことになるぞ!? それに汚いに関してはお前も大概だぞ!?」
そんな下らないやり取りの間にも―――アフラの血による魔法陣が輝きを放ち、その陣に込められた効果を発動しようとしていた。
スプンタは心底嫌そうに魔法陣を見る。
「異世界召喚は……まあ1億歩譲って良いでしょう。ですが―――おい馬鹿。この魔法陣はいったいどんな条件を付けた代物ですか?」
「だから口悪ぅ……しかし気になるか? なら教えてしんぜよう!」
光る魔法陣を背にアフラは大きく手を広げて空を見上げる。
「ワシが付けた条件は―――この廃都にある“強き者の血”と縁のある存在を喚ぶこと! この地で竜は死んだ……ならこの場所にはその竜の血が染み込んでいるはず。よって魔法陣は生物として最高位の格を有する竜と縁のある異界の魔王を引き寄せる物になっておるのだ!」
「…………」
アフラの説明に納得はしてないがそれでも頷く事で理解は示すスプンタ。
「竜ならどんな世界でも良い感じに強いからな! あのクソみそ共に対して嫌がらせするには打って付けよ!」
「へー……でも何か変じゃないですか?」
だがスプンタは違和感を覚えそれを指摘する。それを受けてアフラは「何がだ?」と首を傾げて彼女の気付いた事を聞き、それにスプンタは魔法陣を指差し答える。
「それ……反応を示しているの、竜の血じゃないですよね?」
「は?」
魔法陣の触媒となった血の主である存在の意匠が浮かび上がる。アフラの目論見通りであったなら竜を模した意匠が現れる筈だった……だが結果は違う。
彼女達は知らなかった。この地では竜などよりもっともっと恐ろしい存在の血が流れていたという事を―――。
光と共に浮かび上がる……『鬼』。
魔法陣が朝日よりも強く輝く。それは廃都を包み込む程に広がり、その後ゆっくりと収まっていく。そうして最後は何事も無かったかのように魔法陣から光が失われた。
「…………」
光が消え、魔法陣さえも消えた地面を2人で見下ろす。
「……おい馬鹿」
「はい」
「他にどんな条件を付けました?」
アフラはスプンタの質問……尋問に変わったそれを、愛想笑いを浮かべて答える。
「あはは~……実は一体じゃ寂しいと思って……時間差はあるが最大10体の魔王が召喚されるようにしちゃった―――のじゃ☆」
「……この場所から?」
「わかんない♡」
「時間差って具体的には?」
「天に任せるのじゃ♪」
2人の間に寒々しい空気が流れる。
「「…………」」
スプンタはとっても優しげな笑顔を見せる。それは異形なれど見る者を魅了する表情であり、それを見たアフラも釣られて笑顔を返す。
「アフラ様」
「はーい」
「帰ってたら皆で苛めて差し上げます」
「ごめんなさぁあああああい!!?」
――――――
【悪神】誕生以前、この〈円天世界ニルヴァーナ〉には主神が司る森羅万象とは別に……世界の影とも呼ぶべき存在が居た。
彼等は魔でも人でも無い存在として自らを“魔人”と呼ぶ。
―――この日、とある魔人の手により世界へ未曾有の種が撒かれた。それは誘われるように因果へと収束する。
激動の時代、その渦中へと。
◆◆◆
日が昇ってそれなりの時間が経ち、往来には活気が満ちようとしていた。それは貧民街も例外では無い。そこに住む彼等も日々の糧を得る為に思い思いに行動している。
そんな貧民街を2人の人物がフードを目深に被り顔を隠して歩く。
薄汚れた、年季が入った古めかしフード付きのローブ―――そういう風に見えるよう加工され、更に認識阻害と云う他者から見た容姿や印象を誤魔化す魔法が込められている。
そのような貴重な魔道具を慣れた様子で着こなす2人組み。彼女達は歩きながら世間話でもするような調子で言葉を交わす。
「シータちゃん。そういえば件の襲撃者が『悪魔』であるとされたのはどのような理由からですか?」
「祓魔騎士の報告ではその対象は額に“黒い角”が生えていたらしいの」
「その対象とお話は出来なかったのですか?」
「お話し……既に人が襲われた後だったから武力で捕らえようとしたみたい」
小柄な方が上背の有る方へ言う。本来なら澄んだ美しい声をしている筈のそれさえも他者の耳には全く異なる認識になる。
しかし話し掛けられた側である女……シータにはその声は慣れ親しんだ友人の声として聞こえている。つまりルミーの声として認識していた。逆もまた然り。
これは別に共通の魔道具を着ている等といった理由では無く、彼女達の能力がこの程度の認識阻害では障害にならないだけである。
「そうですか……それで相手に逃げられたと」
「被害が出てしまっているから穏便に、という訳にはいかないのよ」
シータとルミーの目線は互いの顔か歩く先ぐらいにしか動いていないが、その研ぎ澄まされた感覚によって広範囲へ警戒の網を張っている。
「不幸中の幸い、人死にが出ていないのが救いかな」
「……それって」
「殺さないようにはしてるみたい。やってることは暗殺者みたいなのに……2・3年の範囲で似たような手口の襲撃事件を見たら殺害された事例も有るけどここ最近ではほぼほぼゼロ。複数犯の可能性も有るから一概には言えないけどもし同一犯だったら何かしら心境に変化が起きた……って言うのが司教様や調査した人達の見解かな」
「……それは悪魔らしくありませんね」
「やっぱりそう思うわよね。あとね……どうやら子供かもしれないみたいなの。背や体型からの判断らしいけど」
「…………」
2人はフードの下に隠された顔に悲痛な色を浮かべる。特に暗い表情をしているのはルミーである。
「子供を利用して悪事の片棒を担がせる。なんて罪深い……」
「許されることでは無いわ」
「……どうして……どうして全ての人々に、救いの手は届かないのでしょうか……」
「…………」
シータはその問いに明確な答えは返せない。現実は黒墨が紙面へと綴る物語のような都合の良い夢想には成り得ない。
聖剣パドマーを収めた鞘がシータの手により強く握り締められる。
「それでも……だとしても。少しでも多くの人々を救う為に、聖光教会がある」
「……そう……ですね」
「そしてこれだけははっきり言える。ルミーのお陰で救われた子は大勢居るといこと。貴女の今までの働きは何一つ間違っていない」
ルミーは自らの稼ぎの殆どを恵まれない子供達を救う孤児院や彼等を対象にした教育機関、そして医療施設の運営費や規模拡大に注ぎ込んでいる。シータはそれをよく知っていた。一番の親友として隣で見てきたのだ。
「それは……それはシータちゃんも同じじゃないですか」
「私は剣を振るのが性分。そこまで気が付かない。ルミーが居たから……貴女が前に立って行動してくれたから私でも手伝えたのよ」
共に行動する事が多いシータとルミーは稼ぎの大部分を寄付に回し常に金欠気味と言って良い。その対策に任地では相部屋に泊まったり自炊で食費を浮かせたりと……聖女と呼ばれ教会から特別待遇を受けている者とは思えない程に質素な生活をしている。だからと云って初めから用意されていた物を断ったり儀礼的に不可欠な行為で渋る事は無い。可能な範囲で最大限出資しているのだ。
そして同時に、シータやルミーは個人のみならず聖光教会等の大きな後ろ盾が在ったとしても救えない人が大勢居るこの世界の過酷さも理解している。
「ルミーは正しい。だから私のこともこれまで以上に頼って。ね?」
「シータちゃん……」
「友達なのよ。遠慮なんていらないわ」
「……うん……ありがとう」
2人は歩く。終わり無き道……しかしその先に確かに在る筈の救済を目指して。
彼女達は運命に選ばれ、勝ち取った選ばれし者。繊細で美しい容姿とは裏腹に強固で頑なな想いと信念、そして願いと不屈の魂を宿している。
強き魂は眩い輝きを放ち。
導かれ引かれ合う。
縁が繋がる。
―――だからこそ、この出会いは必然である。
「ねえ、あんた達……聖女でしょ?」
声を掛けられたシータとルミーはその瞳に射貫くような光を湛えて振り向く。
シータは聖剣をいつでも抜刀出来るようにし、ルミーは魔法の媒体たる聖杖に手を掛ける。 彼女達が戦闘態勢に入ったのは声を掛けた相手がそれ程までに“威圧”を振りまいていたからに他ならない。
2人の視線の先でその油断ならない相手は挑むように睨み返す。
「この街の聖女なら知ってるでしょ? ……聖獣が何処に居るか」
朝焼けさえ焦がす鮮烈な暁色の髪が揺れる。息を吞むような美貌に強気な表情を貼り付けて、金色の瞳が火を灯したように輝く。
「もし隠し立てするなら……」
火炎。
少女が纏う衣服が炎へと転じる。それはまるで炎のドレスのようで、彼女の心象を具現化したかの如く荒々しく燃え上がる。
大自然を焼き尽くす火災を連想させる少女はしかし、相反するような冷徹さと静寂を持って火炎の鋒を2人へ突き付ける。
「燃やすわよ?」
森人の特徴たる長く尖った耳が髪の間から覗く。
―――〈城塞都市クルルス〉。その貧民街の真っ只中……この世界に於いて頂点に近い領域に立つ特別な聖女である3人が邂逅する事となった。




