23.神に祈る少女。剣を握る少女
まだ太陽も昇らぬ早朝、朝靄に青褪めた礼拝堂の中でナーダは使い慣れた装備を着込んでいく。
「…………」
誰も目覚めていない時間を見計らっての行動。ナーダはそのまま静かに門戸を押し開けようとし―――背後から奥の部屋に続く扉が開く音を耳にし、立ち止まる。
「……ナーダ?」
か細い声、しかし礼拝堂の中をよく通るその声の出所は……扉の向こうから現れたサクラの物だった。
ナーダは顔を顰める。しかし直ぐに眉間に寄った皺を緩めると振り返ってサクラを見る。そんな彼の様子など知らず少女は穏やかに声を掛ける。
「出掛けるの? まだとっても早い時間よ?」
「……そうだよ」
「じゃあお見送りする―――あっ」
ナーダの元へ歩み寄ろうとしたサクラ……そんな彼女の足が劣化した床の隙間に引っ掛かり躓く。少女の体が無防備に固い石の床に打ち付けられ―――
「ッ!」
「きゃっ」
「……危ねえな」
そんな少女の危機をナーダが救う。そう短くなかった筈の距離を一瞬で詰めたナーダはサクラの体を正面から肩を掴むように抱き留めていた。
助けられたサクラは微笑んでナーダの胸に手を置く。
「ありがとうナーダ」
「お前は鈍臭えんだから、もっとゆっくり動けよ」
「まあナーダったら、悪い子ね。私は鈍臭くないわ」
ナーダは今さっき躓いたばかりでそんな事を宣うサクラの肩を押す。
「うっせぇ。ああ、もう……呼べよ。そうしたら俺の方が行くから」
「ふふ、嬉しい。やっぱりナーダは良い子ね」
「……ちっ」
ナーダは舌打ちをしながらも優しい動作でサクラをしっかり立たせる。
そうして向き合って立つようになったナーダとサクラ。ナーダは近くに立て掛けていた箒をサクラの手に押し付けるようにして持たせる。
「ほらっ……積み重ねが大事なんだろ」
「あら、ありがとう」
サクラは大事そうに箒を胸に抱くように持ち―――そして、表情を暗くする。
「……ごめんね」
少女の謝罪にナーダは僅かに視線を逸らしつつも返す。
「何がだよ」
「だって……」
サクラは瞳を彷徨わせ痛みを堪えるように声を出す。
「だって私達……ナーダにばっかり仕事を押し付けてる」
「お前が気にすることじゃ無いだろ」
突き放すようなナーダの言葉にしかし、サクラは傷付きはしなかった。
ただ……悲しい。
「ナーダ」
「…………」
手を伸ばす。サクラの伸ばしてきた手をナーダは黙って受け入れる。
小さな手指がナーダの顔に触れる。褐色の肌をした頬に触れ、顎、口元、鼻筋、そして……さらけだされている額の角にも指先を動かす。
慈しむように。
「ナーダも日に日に大人になっていくわね。初めて会った時よりもぐっと大きくなった」
「……サクラもな」
「…………」
撫でていた手が止まる。そうしてサクラは俯いて考え込み……そして顔を上げる。
「ねえナーダ……やっぱり私も―――」
何かを言おうとしたサクラ。
だがその言葉が続きを形にする事は無かった。
「俺はもう行く」
「あ……」
サクラの手、ナーダは自身の顔に触れるその手を優しく下ろす。
「サクラはいつも通り家のことをやってろよ」
ナーダはそう言うとサクラから離れ、背を向ける。
「朝飯は昨日の残りがあるから、ガキ共が目え覚ましたら上の方の奴にでも温めてもらえ。お前と小せえのは火の側には近寄るなよ」
「うん……」
「じゃあな」
歩き出すナーダ。
此方へ来てくれた時は一瞬だった筈の距離が、遠く遠く長く―――
「……ぁ……」
サクラは咄嗟にナーダの背を追いそうになるが……しかしそれが行動に移る事は無く、代わりに少女は笑顔を向ける。
「いってらっしゃいナーダ……気を付けてね」
「……バーカ。気を付けるのはお前の方だろ」
門戸が開かれナーダの姿は朝靄へと混じるように外へと出る。
扉が閉ざされ。
礼拝堂に静寂が戻る。
「…………」
礼拝堂の中ただ一人取り残されたサクラ。彼女は箒で床を突きながらナーダの倍以上の時間を掛けて門戸まで辿り着く。
小さな手が扉に触れる。笑顔は無い。ただただ悲哀を面に浮かべ俯く。
「ナーダ……」
縋り付くような切ない声。返ってくる訳が無い呼び掛け。少年は戻っては来ない。
ナーダはサクラや他の子供達の食い扶持を稼ぐ為……共に暮らす家族の居場所を守る為に出て行ったのだ。
サクラや子供達の代わりに、手を汚させない為に、大人達に従って。
それがサクラには苦しかった。胸が痛かった。
「主よ、どうかナーダを……私の大切な家族を救ってください」
信ずる神に祈る声。しかしその声に耳を傾ける者は居ない。
少女の声は空虚さが隔てる礼拝堂の高い天井へと溶けるように広がり、消えていった。
◆◆◆
「―――襲撃者、ですか?」
「そうだ」
鎧を外し白い修道服姿になったシータ。彼女は聖光教会に存在する一室に招かれ重要な話しをしていた。話題はこの都市で度々起きているとある事件の事。2人きりの話し合い、テーブルを挟みソファに座って向かい合う両者の目には強い光が宿っている。
シータと対面する男は老境に差し掛かった男であり、同時にこの都市に居を構える教会の司教を務める者でもある。白いジャケット型の祭服を纏ったその男はテーブルのポッドからカップへ茶を注ぐ。コポコポと鳴る水音と共に立ち上る湯気は茶葉の香りを含んで室内を満たす。
茶の注がれたカップの一つを男はシータへと渡す。礼を言って受け取った彼女は一口飲んで温まった息を吐きながら尋ねる。
「それが教会とどういった? 私が知る所では数年前に東区でそれ関連の未解決事件があった以外で目立った物は―――」
疑問。教会の務めは多岐にわたるが……だからと云って彼等は何でも屋では無い。基本的に街中で起きた事件は当事者同士か衛兵が解決する物。聖職者が出張る事は稀である。故に襲撃者という存在が彼らと関わることは少ない。
10年近く聖光教会で聖女として務めるシータはそれを理解しているからこそ当然の疑問を抱き……だからこそ、この話しが教会と深く関係する可能性に思い至る。
聖光教会最高戦力であるシータに直接伝える意味を。
「―――まさか……その襲撃者が悪魔であると?」
シータの発言に司教は首肯する。
「まだ推測の域を出ない。だが偶然現場に居合わせた祓魔騎士からの報告ではそれらしき姿を見たとある」
「まさか……でも有り得ない話しでも、ない?」
シータは少しの間考え込み……カップをソーサーへ置く。
「被害状況は?」
「うむ。手口を調べた者によれば最初は西の端、そして最近になって東の貴族街にまで被害の手が伸びている」
西区の端。それは貧民街が存在する場所、ギャングが幅を利かせる暗黒街。最近は抗争の果てにとある暴力団によって一極化が進んでいる。一強になる弊害で脅威は増してはいるが……治安自体は以前よりも良化傾向にある。
司教は教会が独自に調査した資料をテーブルに並べる。それを手に取ったシータは事件の日付と分布
へ目を通す。確かにそこに書かれていた情報は司教が言うように最近になるにつれて西区にまで襲撃事件が発生していた。
司教は茶に口を付け、そして一息吐く。
「事件現場と併せて被害者を調べ共通点を出してもらった。そこで出たのは……彼らがとある裏の組織と繋がりがあったことだ」
「それは?」
「首に共通の刺青を彫った集団……“翡翠蛇”」
その名はシータにとってもよく知る物である。だがそれはあくまで……付随物として。
本当に知っているのはその集団を纏める頭。
「首領が確か……あのロベリア・シールパルナでしたね」
「……あれも厄介な手合いだ」
司教はカップの中の茶に目を落とす。半分ほど残ったそこには苦々しげな表情を浮かべる自分の顔が映っていた。
司教の気持ちを察したのかシータは自らの首に下げたネックレス……円形の台座に刻まれた聖印を小さく掲げて祈りの所作を行う。
「なら私が行くのが良いですね。彼女から話しを聞くには他の人では難しいでしょう」
「すまないな。昨日の今日で」
「問題ありません。自分でも不思議なほど活力に満ちています」
魔王との戦闘で全力を放った筈のシータ。本来なら後遺症で数日は満足に動けない筈だったのだが……3日も経たぬ間に全快した。それは友人であり同じ聖女であるルミーも同様。
この異常な回復力に対してシータは外的要因、あの魔王が関係しているのではないかと考えたが……しかし幾ら考えた所で確証は出ない。もし答えを知りたいのならもう一度あの魔王と邂逅する必要がある。
シータはそんなこの時点では答えの出ない疑問を思考の隅に置いて目の前の話しに集中する。
「……それに襲撃者、それ自体もエクソシストでは荷が重いと考える理由があるのですよね?」
「ああ」
祓魔騎士は悪魔を討伐する為に聖なる力を持つ者が集められ特殊な訓練を施された教会直属の戦闘集団の一つ。表立って力を示す聖騎士と遜色ない実力を有する戦力である。そんな彼らが取り逃がす……姿を見るに留まったたのが曲者である。司教はその理由を答える。
「その襲撃者は強く巧みであったらしい……しかし決して勝てない相手ではなかったようだ。刃を交えたのは一瞬だったが倒すだけなら一人でも十分であったようだ」
「……それなのに逃げられた……つまり」
「ああ。位階以上に高い能力を持った手合い、特異な力を宿している可能性が高い」
現場に居た複数の祓魔騎士。彼らの魂の位階は250前後有り集団での戦闘を徹底的に鍛え上げたその連携は格上の悪魔さえ追い込み仕留め得る。
そんな祓魔騎士から“襲撃者”は逃げ果せた。
「彼等の手に余るのであれば、私の領分ですね。この目で見極めましょう」
「頼む。剣聖シータよ」
「この役目、必ず果たしてみせます」
「うむ。であれば更に話しを詰めていこうか」
「お願いします」
「そうだな、先ずは最近怪しい動きをしている暴力団“赤獅子”の―――」
――――――
そうして事務的な話しが終わり、緊張状態にあった部屋の空気が緩んでいく。
シータは折角注いでくれた茶が温かい内に頂く。口に含めば素晴らしい香りと上品な口当たりが広がりいつもは怜悧な目もこの時ばかりは穏やかになる。
そんな少女らしいシータの表情を見て、司教は苦笑しつつとある人物の名を出す。
「ウールミラーとは最近どうだ?」
「う……っ」
シータはまるで茶が喉にでも詰まったかのように表情を歪めた。その様子に司教は困ったように溜息を吐く。
「はぁ……やはりか。今回の件が終われば休暇を取れるように手を回しておく。久し振りに会いに行けばどうだ?」
その言葉にシータは気まずそうに頭を下げる。
「……あ、ありがとうございます」
「私の責任もあろうが……お前のその表向きは人当たりが良さそうなのに実は人見知りな所はどうにかならんか?」
「ひ、人見知りとは失礼なっ。子供では無いのですから……それに親しくしている友達もちゃんと居ます!」
「聖女ルクミニー以外では?」
「え!? ……ん……あ。その……ぅ、うー……」
「はぁ~……」
「な、何ですかその溜息は!?」
顔を真っ赤にして司教に詰め寄るシータ。
「嫁の貰い手に苦労するな、本当に」
「良いじゃないですか別に! 私は聖女としていずれ勇者の誰かと結ばれるのが決まってるんですから!」
「でもなぁ。人見知りでしかもお前……『自分よりも強い男』だったか? そうじゃないと絶対に同衾しないと言っておるじゃあないか」
「それは次代に繋げる強き子を儲ける為に必要なことです!」
「……歴代最強の剣聖が何を言いおる……」
司教は渋い顔をして遠い目をする。過去に現れた勇者の位階は平均で500。そして記録に残っている中でも最大が550だった事を考えれば彼の気持ちも多少は理解出来よう。そもそもシータは位階が200の時点で位階400の悪魔と戦いこれを単身で仕留めた実績がある。そんな事が在って「シータ様こそが本当の勇者様なのでは?」と云った風聞すら市井で流れる始末。彼女の強さはそれだけ規格外に位置づけられているのである。
司教はそんな聖女を前にもう一つ在った懸念を口にする。
「どうせお前はルクミニーの相手にも口出しするつもりだろう?」
「当たり前じゃないですか。私の友人ですよ」
真顔。シータは真顔で言ってのけた。
「……はぁ~……」
「だから何ですかその溜息は」
司教は何だか面倒臭くなった。
「何処かに娘と釣り合う勇者は居らんもんか」
「……ちなみに勇者は今の所」
「3人。どれもお主はおろかルクミニーにも釣り合わん。良かったな」
「ど、どういう意味ですか?」
「最低でもお主達が20歳になるまで時間がある」
シータは頬を引き攣らせる。
「へ、へぇー? ……私では20歳まで相手を見つけられない、そう言いたいんですね? お父様は」
司教は紅茶の残りをカップに注ぐ。
―――司教、改めジャナカ・トゥイーディア。義理の娘が2人居る御年58歳、灰色の髪と歩んで来た時代を思わせる皺が深みと渋さを感じさせる男である。
「いや、見つけるなんて無理だろ。常識的に」
「!?」
シータは義父のそんなあんまりと言えばあんまりな言い様に吠える。
「い、言いましたね!? 絶対に素敵な相手を見つけてみせるからっ!」
「……人見知りが? 見つける? ……はっ」
「笑った!? 笑ったでしょ今!?」
「知って居るか? ウールミラーの方は既に気になる男が居るらしいぞ」
「―――は?」
衝撃を受けるシータ。
ジャナカは時間が経って少し冷めてしまったがそれでも味わい深い茶を口に含み、口角を上げる。
「しかも既に一緒に食事にも行ったようだ。まあ友人達も含めての食事会だったらしいが」
「なっ、な、な……」
「妹に先を越されたの」
「――――――」
言葉を失うシータ。ジャナカは「やれやれ」と首を横に振ってソファーへと体を預けるのであった。
――――――
その後、司教の部屋から出て来たシータを見掛けた者は彼女が若干肩を落としてい姿を目にしたそうな……




