20.仕事のお願いと鬼子の帰る場所
ロベリアに案内されセーギとマリーはとある大衆向けの食堂で……猛烈な勢いで食事を掻っ食らっていた。
「はぐはぐっ、ガツガツガツ……!」『キュッキュッ!』
「……よく食べるわね~」
両者の食べっぷりに煙管を燻らせていたロベリアは若干呆れた顔になっていた。
軽く3人前は平らげ更におかわりまでするセーギ。その足下、テーブルの下で根菜と葉菜を持った皿に頭から突っ込みモグモグと頬張っているマリー。
ありふれた食堂……そう呼ぶには都市の中心部から外れた些か寂れた場所に居を構える店。そんなひっそりと営業していた店でセーギとマリーの姿が目立たない筈もなく、店内で食事を摂る他の客の視線はおのずと彼等に集中していた。
奇異の目。それがセーギとマリーに向けられていた物だが……店内に居る人々はロベリアにだけ彼等に向ける物とは違う類いの視線を向けていた。
そんな視線を気にした風も無くロベリアはセーギに話し掛ける。
「……こんなのじゃなくても謝礼は別できちんと用意するわよ?」
「むぐむぐ……んっ……これで良いです」
謝礼。ロベリアの口から出た言葉にセーギは頬張っていた物を飲み込むとお断りする……しかしロベリアは意地の悪い笑みを浮かべて言葉を返す。
「まあ断られても用意するのだけれど~」
「えー……じゃあ何で聞いたんですか?」
「だって食事一回で坊やと縁が切れちゃうなんて勿体無いじゃない?」
ロベリアが言う謝礼とは、彼女が路地裏でセーギに対して申し出た仕事の謝礼の事である。
しかしセーギが当初要求した謝礼は食事であった。暴力団の頭に対して要求するには細やか過ぎる報酬。呆気に取られたロベリアだがそれを直ぐに承諾……しかしその裏で別途金銭も部下に用意させていた。
「じゃあ、これは少ないけど前金よ」
「へ?」
そうして部下から受け取ったそれをロベリアはテーブルの上へドンっと置く。
一目で分かる。テーブルに置かれたその袋の中には大金が詰まっていると。袋の内側でガチャガチャと鳴る硬質で重い音は間違いなく比重の高い硬貨のそれ。しかもヤクザ者が用意したそれがケチられている筈も無く……
「聖銀貨や緋金貨は普段使いしづらいから金貨で統一させてもらったわ。ちょっと重いけど……坊やだったら平気でしょう?」
その言葉通り、セーギが手元に引き寄せた袋の口から除く硬貨は金色の輝きを放つ物で埋め尽くされていた。気前が良い、そう言えばそれまでだが一括で躊躇も無くそれを渡せるのは思い切りが良すぎる。そんなロベリアの剛毅な行いにセーギは目を白黒させた。
「……持ち逃げされるとは思わない?」
「あら冗談がお上手」
この世界で初めての大金を前にセーギは自分がこれを貰うだけ貰って行方を眩ます危険をロベリアに伝えるが、彼女はそれを一笑に付す。
「坊やは優しいから……さっきの依頼も私の誠意も、無碍には出来ないでしょう?」
管に残る紫煙がセーギとロベリアの間で揺らめく。目を細めて笑みを作る彼女にセーギは首を横に振って口を開く。
「……それでも、そこまで信用される理由がわからな―――」
「強いから」
セーギの抱いた疑問、それをロベリアは一言で斬って捨てると言葉を続ける。
「坊やみたいな子がこれまで何処に潜んでいたのかは知らないけれど……あんな気持ちは初めてだったのよ?」
右手に掴む煙管を指で弾いたロベリアはペンでも回すように手で弄ぶ。ヒュンヒュンと風切りを音を立てて煙管が高速で回転する。
「『勝てない』……一目見てそう思ったのは坊やが初めて」
風切り音が止む。
煙管が消えていた。
「―――私、これでも強いのよ? そこらの“悪神の使徒”なら嬲り殺してあげるわ」
煙管の金属製の吸い口。それがセーギの眼球の間近に突き付けられていた。
右手から左手へ一瞬で移った煙管。嗜好品から凶器へ変貌したそれが少しでも前へと突き出されれば眼球を貫き潰す。
「…………」
背筋が冷えるような状況に……しかしセーギは小揺るぎもせず。
本気で潰されると思っていないのか、ただの脅しだと信じているのか、それとも……ロベリア程度であればどうとでも出来ると考えているからこそ動かないのか。それを周囲の者達が判断する事は出来ない。
当事者間でのみ、交わる視線から相手の意が汲み取れる。
「……どうも私、知らないうちに思い上がってたようね」
流れるような動作で彼女は煙管を胸の谷間に戻す。流石にその光景は目の保養……毒であったセーギは顔を背ける。健全な青少年なのだ一応。
「私が坊やを信用する理由……これは直感ね」
「……ちょ、直感?」
「ふふ、そうよ。女の感。坊やの強さもそうだけど―――」
女性の胸の谷間を見て照れているセーギにロベリアは悪戯っぽい笑みを浮かべると、彼女はテーブルの下で自分を見上げてくる相手に視線を合わせた。
「聖獣……この子が懐いているなら悪い子の筈がないでしょ?」
『……キュッ』
「可愛い。ふふふ」
毛玉のように体を膨らませているマリー。それはマリーなりに肉体言語でセーギは信用できる人物であると伝えようとしたが故の行動。そんな姿をロベリアは微笑ましそうに見やる。
「さて」
ロベリアが席を立つ。そうして彼女は再び胸の谷間へ指を差し入れるとそこから紙片をするりと抜き出しセーギへ差し出した。
「使わなくても良いけど……ここに書いてある宿ならその子連れでも安心して泊まれると思うわ」
「え? は、はい」
紙片を受け取るのを若干躊躇ったセーギ、だが顔を赤くしながらもそれを受け取る。初心な反応。それをロベリアはニマニマと笑って堪能すると、次に彼女は膝を曲げて屈みマリーの頭を撫でる。
「ここは“翡翠蛇”が裏に付いてるお店だから代金は気にしないでゆっくりしてちょうだい」
「……ありがとうございます」
「あら、坊やにはこれから沢山働いてもらうのよ? この程度は当然よ」
立ち上がりセーギに背を向けるロベリア。そんな彼女へ店中の視線が集まる。
畏怖。人々がロベリアに向ける視線にはそれが含まれ……だがそれ以上に、その目には彼女を頼もしそう見る色が多かった。
そんな視線を一身に受けてロベリアは「ああ」と今思い出した風にセーギに伝える。
「あと、坊やが門の外でノしちゃった馬鹿はこっちで処理しといたわ。……まあ活きの良い、鼠の餌といったところね」
「……殺したんですか?」
流石にやり過ぎではと考えたセーギは真意を問うように聞き返す。それに彼女は影のある笑みを浮かべる。
「あら、ふふふ……比喩よ、た・だ・の。それに坊やがあんなのを心配する必要なんて無いじゃない?」
歩き出すロベリア。
「じゃあね坊や。頼りにしてるわよ」
それを最後にロベリアは美しい歩みで店から出ていった。
ロベリアが立ち去るのを見送ったセーギは手に持った紙片に目を落とす。
「……何か良い匂いが……」
『キュー』
「ごほんっ……ああ、悪い人じゃない……かな?」
本物のギャングに出会った経験など有る訳が無いセーギにロベリアの人柄を見抜く事は出来ない。
外道では無いかもしれない。そう感じたからこそセーギはロベリアが持ち掛けてきた仕事を引き受けたのだ。
セーギは紙片を畳みポケットへ入れる。
「……ギャングの隠れ家、その壊滅ねぇ……」
『キュ』
ロベリアがセーギに教えた幾つかの違法孤児院。その全てが彼女が率いる“翡翠蛇”以外のギャングが裏で手を引いている物だった。
ロベリアは他二つのギャングを潰してこの孤児院に居る子供達を全員保護するとセーギに伝えた。何の罪も無い虐げられている子供達を救う……そこに込められたロベリアの感情に嘘が無いと感じたからこそセーギはこの仕事を受けたのだ。
(もしかしたらこの中のどれかにあの子も居るのかな?)
セーギは色々とお世話になった赤みがかった黒髪の少年の顔を思い浮かべ、席を立つ。
「とりあえず入り用になる物を買わないと」
『キュー』
「これもいつまでも裸で持ち歩くわけにはいかないしな」
セーギはマリーに見せるように白銀の大角を軽く振る。
そうしてセーギとマリーは、ナーダとロベリアが勧めてくれた施設を利用する為に店から出た。
◆◆◆
寂れた道を進む少年ナーダ。
鬼人の血を引き、雷雨が激しく振る日に捨てられていた赤子。人々が忌み嫌う黒い角を持って生まれた子。故に彼は孤独だった。
―――だが今は、一人ではない。
「…………」
規模の大きい都市だからこそ存在する、様々な理由で正道を生きられなくなった日陰者達が集まる区画……貧民街。ナーダはそんな碌でなしの吹き溜まりを進む。
慣れた足取りで進むナーダ。そうして進んだ先で……彼の目にとある建物が映る。
廃教会。
ナーダが産まれる前から打ち捨てられた古びた建物。辛うじて廃墟にはなっていないその廃教会こそが彼の目的地であり、ナーダがこの歳まで住んできた生家でもある。
ナーダは土壌と日当たりが悪く萎びた野菜しか育たない庭を抜け、外壁の塗装が老朽化で剥げ落ちてしまった礼拝堂の前まで来る。そうして彼は扉を押し開き―――
「……ナーダ?」
「おう」
ナーダが礼拝堂に入るとそこには彼と同年代の少女が一人、箒を持って掃き掃除をしていた。彼女は出入り口で立つナーダへ柔やかな表情を向けて出迎える。
「お帰りなさい。今日は怪我してない? 大丈夫?」
少女の焦茶色をした髪が肩辺りで揺れる。白い肌はあまり外に出ないから。身に付けた衣服は擦り切れた物を継ぎ接ぎした物であるが、元は白い修道服であった事が見て取れる。
襤褸の修道服を纏った少女。見窄らしい筈のそれだが、しかし不思議と彼女の周りの空気が澄んでいるように感じられる。清貧さと云うべきか、そんな雰囲気を持った愛らしい少女にナーダは返事をする。
「怪我なんてしてねえよ……て言うかまた掃除してんのかよサクラ」
「掃除は日々の積み重ねが大事なのよ?」
少女、サクラは箒を動かしてそう言う。そんな彼女にナーダは礼拝堂の中を見渡して口を開く。
「こんなボロい教会……ちょっとやそっと掃除したぐらいじゃ変わんねえだろ」
「まあナーダったら、悪い子」
「あ、こらこっち来んな。俺が行くから待ってろ」
ナーダの物言いに歩み寄ろうとしてくるサクラ。ナーダはそれを制止して自分から近付いていく。
「……んー?」
サクラはナーダの様子が何時もと少しだけ違う事に気付く。不思議そうな顔でまじまじと顔を向けてくるサクラにナーダは眉を顰める。
「んだよ」
「もしかしてナーダ、良いことでもあった?」
「……はぁ? 何言ってんだよ」
ナーダの元へサクラが近付いてくる。手に持った箒で進む先を払いながら、掃除で掃くのとは違う動作で。ナーダの方からも歩み寄っていた事もあって二人が近くまで辿り着くのは直ぐだった。
手を伸ばせば触れ合える距離でサクラはナーダに笑顔で話し掛ける。
「だってナーダ、何時もより機嫌が良いもの。きっと良いことがあったんだわ」
「それで……どうしてお前の方が嬉しそうなんだよ」
「それはナーダに良いことあったからよ」
「……意味わかんねえ」
「ナーダも教会の教えを勉強しましょうよ。そうすればわかるわ」
「パス。前に何回も本を読んだけど俺にはさっぱりだ」
「今と昔では感じ方が変わるものよ?」
ナーダは肩を竦めてからサクラに向かって手を伸ばし、箒を持つ小さな手を優しく握る。
「……これからガキ共の料理作らないといけねえだろ。お前も野菜洗ったりを手伝えよ」
「あら、ふふふ。やっぱり……今日のナーダは何時もより優しいわ」
「……うっせぇ」
廃教会。ここではナーダとサクラ以外に数人の子供達が住んでいる。
―――ここは国や教会から正規の認可を受けていない所謂違法の孤児院であり……彼らのような子供達は今日も変わらぬ日々を過ごす。
「皮むきも出来るようになってきたの。次は千切りだって出来るようになるかも」
「……切るのは俺がやる。お前はパンでも捏ねてろ下手くそ」
「あらナーダったら、やっぱり悪い子」
サクラの手を引いたナーダが奥に続く扉を開く、その前に……向こう側から開かれた扉から幼い子供達がわっと飛び出してきた。
「あ~~! ガガ君お帰りーーっ!」「おっせぇー! お腹空いたー!」「ぱん生地できてるよ褒めてー」「いちゃいちゃしてるー」「おんな顔なのにー」
「あー! うるせえっ!! 飯抜きにするぞガキ共!!」
ナーダとサクラよりも尚幼い子供達。わらわらと自分に集ってきたそんな彼等を追い払うようにナーダは手を振る。そうして彼は「女顔って言った奴! 手前ぇは絶対に飯抜く!」と声を荒げてズンズンと奥へと進む。
子供同士のじゃれ合い。長閑にも思えるやり取りをしつつナーダ達は進む先に有る台所へ向かう。彼に手を引かれて歩くサクラもその賑やかさに頬を緩める。
サクラの近くに来た小さな女の子。その子がサクラの手を握ったのを横目に見たナーダは歩調をその子に合わせて歩く。
元気良くさきさき歩く女の子に引っ張られるサクラは楽しそうに微笑み、ナーダはサクラの足取りを注意しつつ手を繋いで歩く。
「……躓くなよ」
「あら心配してくれるの?」
「鈍臭いからなお前は」
「まあナーダったら」
遠慮の無いやり取り。血の繋がりは無くとも、その姿は確かに家族だった。
―――たとえ、此処が飢えや苦痛と隣り合わせの世界だったとしても……彼等は今日も小さく細やかな幸福を感じて生きていく。
本当の自由を夢見て、彼等は生きる。




