127.晩餐会とよもやま
セーギはアネモネとの戦いに勝利した。だがその代償と言うべきか消耗は著しく歩くのがやっとの有様になってしまった。安静が必要だと判断したシータ達はアネモネに招かれ彼女が住む屋敷に向かう事となり、学園の寮で寝泊まりするナーダとサクラと別れたセーギ達一行はそのまま一夜をその屋敷で過ごす事となったのだが―――
◆◆◆
「さあご主人様。狭い家だがどうか寛いでくれ」
屋敷の門も庭も玄関広間も、そしてセーギ達が今居るこの食事に使う部屋も全てが広く豪華であった。
(……いやデカいだろ……)
セーギはアネモネの言葉に心の中で突っ込む。しかし彼女の様子からそれが謙遜や嘘では無い事が察せられるので本邸は一体どれだけ大きいのかと疑問に思う。
「有り合わせだが料理も用意させた。もし口に合わないなら遠慮無く言え。別のを作らせる」
ボレアス家が擁する一流の料理人が饗する晩餐は流石貴族と云った様相を呈していた。贅を尽くした垂涎の料理。とても有り合わせには見えない。
「……ねぇルミー。これ高級食材……」
「気にしたら駄目です」
倹約と節制を旨にしてきたシータは料理に使われる滅多にお目に掛かれない高級食材の数々に戦々恐々している。それを出自的に豪華な物に慣れているルミーが宥める。
「ネギオン鴨。大好物っす」
「貴女は物怖じしないわねー」
遠慮も抵抗も無く早速料理に手を付けて頬張るウスユキにロベリアは感心する……同時に恋愛では尻込みしてるくせに変な所で大胆だなとも思った。
「……それで?」
最後に。若干声に棘を含ませたディアンサスがアネモネに睨みを利かせて言葉を掛ける。
「何であんたはそいつの膝の上に座ってるわけ?」
「座りたかったからだが?」
アネモネはさも当然のように答えた。
……そう、アネモネは今セーギの膝の上に腰を下ろして枝垂れ掛かっているのである。その姿はまるで娼婦が客に媚びている様。
セーギも流石にこの状態はおかしいと思っていたので自らもアネモネに言う。
「いや本当に何で膝? 椅子の方が座りやすいだろ」
「嫌か? 俺がこうしてるのは嫌か?」
「……嫌では無いけど食べにくい、だろ?」
「なら俺が手ずから食べさせてやる。何を食べたいか言ってみろ」
「…………」
降りる気一切無し。
言葉と態度ではっきり示すアネモネは甲斐甲斐しく料理をよそうとセーギへ食べさせようとする。セーギの為に何かをしてあげるのが嬉しくて堪らない、そう云った様子で彼女は幸せそうに微笑む。……そんな分かり易いアネモネとは真逆にセーギは難しい表情を浮かべている。
セーギは現在非常に複雑な感情に襲われていた。
嬉しいか嬉しくないかで考えれば断然嬉しい。好意を抱く相手とこうして触れ合っているのはそれだけで幸せな気持ちになれる。しかも相手はその好意を真っ直ぐぶつけてくるのだ。恋人冥利に尽きると云うもの。
「…………」
だがそれもお互い2人きりであればに限定される。当然だがこの場に居るのはセーギとアネモネだけでは無い。
「わっ、この料理美味しいー!」
シータ達もまたこの場に居るのである。
「ルミーこれ美味しいわ!」
「シータちゃん……」
しかし仮にも恋人であるセーギが他の女とイチャついているのに関心が料理にしか向いていなさそうな態度のシータ。ルミーはそんな親友へ何とも言えない目を向ける。
マイペースなのか空気が読めていないのか。シータは普段では中々食べる機会の無い高級食材を用いた料理の数々を堪能する。……しかし彼女は別にセーギとアネモネに意識を向けていない訳でも無かった。
「それにしても」
シータはそう切り出すとルミーに機嫌良く伝える。
「2人が仲良くなってくれて本当に良かった」
「……私は少々置いて行かれている気がするのですが……」
屈託無く現状を受け入れているシータにルミーは戸惑いを吐露する。彼女は暗にシータは今日会ったばかりで段階を幾つも飛び越えたように親しげにしているアネモネに思う所は無いのかと聞いているのだが。
「え? 恋人になったんだから仲良くしてるのは普通じゃないの?」
「…………」
しかしシータは全く気にしていなかった。
「でも凄いねアネモネさんって。私はまだあそこまでするのちょっと恥ずかしい」
「……そうでしたね。シータちゃんってそんな子でした」
人付き合いが苦手だったシータに適切な距離感を理解しろと云うのが土台困難だった。ただセーギとアネモネが無事に恋人関係になって仲良くしている状況を喜んでいるだけ。
能天気。頭光属性。
それとシータが普段以上にリラックスしている様子なのは仮にも刃物であるナイフを握っている事も理由の一つである。
ルミーはシータに相談しても仕方が無いと割と酷い結論を頭の中で付けていると、そんな彼女へロベリアが苦笑を浮かべながら話し掛けてきた。
「……でもまあ、不思議よね。あの子、セーギさんと面識なんて無かっただろうにあれだけベッタリして」
ロベリアはそう言ったが、言葉にしなかった部分も有る。……ロベリアはアネモネの振る舞いから恋慕とは別に『依存』とも云える物を感じていた。
(麻薬、賭け事、色事。色々と嵌まり込んだ人は見てきたけど……それに近い執着ね)
これが無ければ生きられない。死んだ方がマシ。そんな執着。それは裏社会を生きてきたロベリアだから、似たような者を何十人と見てきた彼女だからこそ感じたのかもしれない。現に他の者はそこまで具体的な感覚を覚えていない。
「はい、あーん」
「あぐれっしぶ!?」
アネモネの手によりズドンと音が出そうな勢いでフォークに刺した肉を口に突っ込まれるセーギ。よく訓練された特別な者でなければ無事で済まない行為に「うわぁ……」と引いた声を漏らしたのはディアンサスである。彼女はその後もベタベタしている2人(主にアネモネ)に対して初めの時から一環して険しい視線を向けている。
ディアンサスは親の仇とでも言うように口にした肉をギリギリと噛み締める。誰が見ても分かるぐらいの不機嫌さ、点火した爆弾並み。そんな彼女をルミーとディアンサスは横目で見ながら心の中で「分かり易い」と思う。
「……私もこの勢いで行くっすか? ……いや、もう少し様子見……でも出遅れて……」
そして一人鳥肉を骨ごと囓りながらブツブツと呟くウスユキ。
いまいちセーギに対して踏み込めずにいるウスユキは自身の現状に対して不安感を煽られていた。具体的には後から出てきた女に先を越されて流石に焦り始めたとも言う。いの一番に食事に手を付けたかと思えば変に繊細である。
「の、飲み物のお代わりは如何ですか?」
こんな混沌とした空間で御世話を熟すキオネは緊張でガチガチになっている。耳は普段以上にぺたりと張り付き尻尾は内側にくるりと巻いている。いかにも憐れさを誘う姿……しかしそんな状態でも給仕を熟せるのは数年間の実務経験が為せる技か。
そんな緊張しながらも努めて務めているキオネが一番戦慄している光景は……恥も外聞も無く男に甘えた姿を見せる主だったりする。
取り繕わず言葉にすれば「誰ですかこの人? 知らない人ですね」、みたいな感じになるのでキオネ本人的には質の悪い幻覚でも見ている気分だ。
「キオネ。注げ」
「畏まりました」
アネモネがキオネの見慣れた表情、澄まし顔で指示を出してくる。研ぎ澄まされた、だが一抹の気怠さが混じる表情。これがいつものアネモネお嬢様……そんな風に思っていても次にアネモネがセーギに顔を向ければ熱に浮かされた表情に様変わりしてしまう。
「飲み物はどうするご主人様? 飲ませてやるぞ」
「流石に自分で飲むよ」
「何なら口うつ―――」
アネモネが何かを言い切る前にセーギは素早く飲み物が注がれたカップを手に取ると呷るように飲む。それにアネモネは「あぁ……」と残念そうな声を漏らす。
「ご主人様は意地悪だ」
「……意地悪って……」
セーギはまるで頭痛でも誤魔化すように目頭を指で揉む。キオネがそろそろ本気で目の前の主が良く似た別人なのではと思い始めているのが表情で分かる。それを見なかった事にしてセーギは「……それより気になってたんだが」と前置きをし、ずっと引っ掛かっていた事柄をアネモネに尋ねる。
「……そもそも何で『ご主人様』?」
セーギが気になった事、それは自分への呼称だった。
「ああ、そんな事か」
何故ご主人様呼びなのか。大した事では無い、そんな様子でアネモネは答える。
「どうやら俺は自分が認めた強い男に全てを捧げたかったらしい」
「…………」
何気無く言った答えにしてはかなり重い内容に、セーギは一瞬何を言われたのか直ぐには理解出来なかった。だがアネモネは構わず続ける。
「具体的に言うと……今まで使う機会が無く将来的にも使う気がしなかったこの雌肉をご主人様の思い通りに好き勝手扱って欲しいと云う欲求が―――」
「ストップストォオオーップ!!?」
セーギは堪らずアネモネの語りへ待ったを掛けた。
「それ以上は色々とマズい……ッ!!」
「何故だ? 紛れもない俺の本心だぞ? それに今日初めて理解出来たのだが……女と云う物は少しぐらい乱暴に愛される方が興奮する……と、キオネも言っていた」
「ぎぃいいゃぁあアアアアッ!? どうして私に飛び火させるんですかッ!?」
流れ弾が飛んできて直撃したような顔でキオネはアネモネに向かって悲鳴を上げる。女同士だからこそ赤裸々に語ってしまった話題をこんな風に大勢が居る場所で曝露されたのだからこの慌てようも致し方なし。だから淑女にあるまじき悲鳴でも全員聞かなかった事にするぐらいの配慮が有った。
セーギは妙な流れになってきた状況に居心地の悪さを覚えてきたが……彼がその流れを変える前に乗っかってきた者が居た。
「でも私はその気持ち、少しわかります」
ルミーが突然アネモネの言葉に同調してきたのだ。
「ル、ルミー?」
シータは友人の性癖を突如として聞く事になってしまい驚く。少しばかり夢見がちなのは知っていたが流石にこんな嗜好を抱えていたとは知らなかった。
「ちょっと強引に迫ってくれる方が嬉しい……と、私は思ってます」
話しながらルミーの視線は真っ直ぐセーギに向けられている。ほぼ直接伝えているのと変わらない言葉。つまりおねだりである。シータは親友が見せた大胆な言動に当人よりも照れて顔を赤くしている。
そして心情を伝えられたセーギは表情を硬くしながらも誠実に答える。
「……善処します」
「楽しみにしていますね」
恋愛経験値0の男セーギ。恋人の求めに応じてこれから頑張る事を決めた。それにルミーはとても嬉しそうな笑顔を見せた。
しかしルミーのそんなはにかんだ笑顔も親友の発言で吹き消される。
「……でも乱暴にされたらやり返したくならない?」
「シータちゃんは何を言ってるんですか?」
話題が明後日の方向に投げられた気分になった。
「や、だって攻められたら「こなくそ!」って反撃したくなるし……」
「恋愛の話しですよね?」
顔を紅潮させながら何を言っているのかこの親友は、とルミーは思う。
「自分ばっかり愛されたら負けた気がする」
「何と戦ってるんですか……」
頭武闘派。恋愛の話しをしているのは確かだが微妙にズレているシータの感性にルミーは呆気に取られたような声を出す。……だがそんなシータに予想外の援軍が現れる。
「わかる。乱暴な態度で来たら舐められてる気がしてムカつく」
「ディアちゃん!?」
ディアンサスはシータ側だった。
「対等じゃない恋人関係なんて不健全よ、不健全」
普通の森人族とは違う外見的特徴を持って生まれたディアンサスはその境遇を力技で撥ね除けた経験を持つ。故にこの負けん気加減はそう不思議では無い。
それにエルフは一夫一妻。その倫理観がディアンサスの根底に根付きハーレムを否定する要因にもなっている。
「私はどちらでもなく甘やかしたい派かしら」
そして出てくる新たな派閥……ロベリアであった。ニヤニヤしながら言っている辺りこの状況を面白がっているのは明白。だが言っている事に嘘は無く、実際に勝負を終えて帰ってきたセーギを労うように褒めて甘やかしたりしていたのが彼女である。
「ウスユキはどうなの?」
「ぅえ!? わ、私っすか!?」
ある種の曝露会の様相を呈してきた晩餐。ロベリアはそこにウスユキも巻き込んでいく。自身の立ち位置に思い悩んでいたウスユキはこの突然の追究に慌てる。
「私は普通っす普通! 自分より強くてあとは優しかったらそれ以上望む事なんて……無いっす!」
「ふふ。そう」
普通が良いと言うウスユキ。だが言っている本人が普通とは程遠い性質を備えている事実にロベリアは可笑しさを感じたが、態々それを指摘するのも意地が悪いと思ったので言わないでおいた。
「……あ、でもお兄さんに色んな職種の服を着てみて欲しい気も……」
「…………」
前言撤回。ウスユキも変な性癖を持っていた。まさかの着せ替え趣味を嗜好に持っていたとは旧知の間柄だったロベリアでも知らず笑顔が固まる。
引き籠もりだった期間に様々な創作物に触れたウスユキはセーギの前世に通ずるオタク趣味を芽生えさせてしまっていたのだ。
「この修道服も悪くないっすけど、メイドさんが着てる服も見てたら閃きが……むむむ、主と使用人の恋……もどかしい関係……使える」
「何をブツブツ言ってるの」
「……はっ」
目が据わってきたウスユキに声を掛けて正気に戻らせたロベリアは「はぁ」と溜息を吐く。
「妄想も程々にね」
「も、妄想じゃないやい。創作の種っすー」
流石にばつが悪っかたのかウスユキは目を泳がせてロベリアが切り上げさせたのに身を任せた。
そしてウスユキは角髪にする為に使っている髪留めから布飾りをスルリと引き抜くと、そこへ今し方思い付いたばかりの“創作の種”を書き留める。指先の爪から滴るのは言霊を応用した影魔法のインク。それで布飾りの内側に走り書きし終えると元のように髪留めに巻き付けた。
「……ウスユキさんって物書きだったりする?」
「っ!」
セーギはウスユキがしていた事を眺めてそんな事を尋ねた。それにウスユキは肩を跳ねさせて驚き、しどろもどろになりながらも答える。
「……あ、あぁー……趣味みたいな物っす。こう、文をつらつら……思い掛けず流行っちゃいましたけど」
「え? 流行った?」
「……本にしてもらって売られてるんす」
「どんな話し?」
「そ、それはちょっと内緒で……」
秘密にしているらしい。セーギはそれを理解するとそれ以上詳しく聞く事は止めた。この落ち着きの無さも深く追求される事を嫌がって事だろうと判断した。
(文武両道……武芸者ってやつか。ウスユキさんって多才なんだな。……でもそれを言いだしたら皆も戦闘以外にも秀でてるよな)
セーギは改めて周囲の者達は常人には届かない領域に居る超越者なのだと知る。
「……? どうした。俺の顔に何か付いているのか?」
「いや」
この膝の上に座る少女もそんな者達の一人。アネモネの顔を感慨深く見詰めていたセーギは彼女からの疑問に首を横に振り、自然と自身の心情を吐露する。
「君も。皆も。凄いなって、綺麗なだけじゃなくて」
「なんだ急に。恥ずかしい奴だな」
「……そっちの方が恥ずかしいことしてんだけど?」
嘘偽り無い本心だったのにあんまりなアネモネの返答にセーギは堪らず言い返した。流石に膝の上に座ってくる人に言われたくなかった。
そこでルミーがセーギに教える。
「セーギ様、アネモネ様は照れているんですよ」
「え?」
「ッ!!」
アネモネの顔をじっと見るセーギ。さっきまでなら見詰め返してきただろうアネモネだが、ふいっと顔を逸らして有らぬ方を向いた。その横顔は僅かに紅潮している。
「…………」
「な、何だっ。言いたいことが有るなら言え……ッ!」
「いや可愛いなーって」
小柄さと相俟ってより子供染みて見える。セーギはほんわかした気分になったのでアネモネの頭をよしよしと撫でる。
「子供扱いは止めろォ!」
「可愛い可愛い」
「くっ」
可愛がってくるセーギに堪らずアネモネは膝の上から退散する。そして指を突き付けて言い放つ。
「恋人! もっと恋人らしい扱いを所望する!」
「らしい扱いって……例えば?」
子供をあやすような扱いは不本意だったアネモネ。彼女の要望にセーギは如何すれば良いのか例を尋ねる。
「抱擁」
「うん」
極めて近い事はついさっきまでしていた。セーギは頷いて続きを促す。
「接吻」
「……成る程」
接吻。口付け。キス。それも恋人同士ならしていて自然な行為。しかし未経験であるセーギは若干気恥ずかしさを感じながら頷く。そして内心この流れで続くと次かその次辺りで性交でも来そうだなと予想するが―――
「束縛」
「……ん?」
聞き間違いかと思った。
「監禁」
「…………」
まだ。まだそうと決まった訳では無い……セーギは自分に言い聞かせる。
「調教……」
「誰がするかそんなことッ!?」
駄目だった。誤魔化すのは不可能だった。セーギは目を剥き怒鳴ってアネモネの要望を中断させる。
「何処に大切な恋人を調教して喜ぶ奴が居るってんだ!?」
「此処に居るだろうがッ!!」
「ええ!?」
アネモネに胸倉を掴み上げられるセーギ。逆切れ気味に掴み掛かられた事でセーギは先程以上に驚愕する。
「貴様も男なら「身も心も俺色に染めてやる」ぐらい言えッ!!」
「理不尽じゃない!? これ俺怒られてるの理不尽じゃない!?」
訳が分からなくて恐怖すら感じる。調教するのを強要してくるとかセーギにとっては意味不明過ぎた。……そんなアネモネの振る舞いにセーギはスケベの化身みたいな友人を思い出した。
「それに! さっきから気になってたけど明け透け過ぎ! もうちょっとこう……何とかなんない!?」
セーギは聞いている自分の方が恥ずかしくなってくるアネモネの言動をどうにか抑えようと説得を試みるが……上手い言葉が思い付かず勢い任せになる。それだけセーギも余裕が無い証明でもあった。
「……明け透けだと?」
だがアネモネは止まった。セーギが言った「明け透け」と云う言葉に反応しての事だった。セーギはどうして彼女がそれに反応して止まったのか分からず困惑する。
「正義貴様、俺が何故こうも素直に気持ちを伝えているか……わからないのか?」
「え……?」
「そもそも―――」
本気で意味が分からないセーギは首を傾げる。アネモネはそんなセーギの胸倉から手を離すと隣の椅子に座り、そうして自覚が薄いらしい事実を伝えてやる。
「俺達に心情が筒抜けになっている事、知らないのか? だから俺は自分だけが一方的に知るのは悪いと思い貴様に気持ちを伝えていたのだが……」
心情筒抜け。
「…………」
セーギはアネモネをじっと見て、その後にシータ達へ視線をやる。するとセーギと繋がりが出来ているシータ、ルミー、ロベリアの3人は気まずそうに目を逸らすか苦笑を浮かべた。
そして彼女達の反応を見たセーギは今まで失念していた事実を思い出す。
「フッ……」
現状を正しく認識したセーギはニヒルに笑うと―――
(……ぁあああああああッッ!? 忘れてたぁああああああッッ!? あばばばばばばばばばばばあばばばばッッ!!?)
頭を抱えて羞恥に悶えた。
……恋人に内心がダダ漏れになっている。失念するには大きすぎる状態であるが、それを知った日にもっと大きな問題や事実を伝えられた事で衝撃が上塗りされてしまっていた。その所為で……お陰とも云えるがセーギは自然体で過ごせていた。
自然のまま、心の中で、恋人達に対してデレデレしていた事が発覚……し続けていた事を自覚してしまったのだった。
「……おれはもう……だめかもしれない……」
「俺と戦った時よりダメージ食らってるぞ?」
一気に憔悴したような顔でテーブルに突っ伏すセーギと不満そうな顔のアネモネ。
シータ達はセーギの内心が伝わってくるのを楽しみ喜んでいたので下手に慰める事も出来なかった。好きな相手が心から自分を愛してくれているのが通じるのだからある種の麻薬である。
セーギを中心に微妙な空気が生まれた。
「……大丈夫こいつら?」
ディアンサスは呆れたようにそう呟いたのだった。
―――学園祭まで残り10日となる夜の一幕であった。
◆◆◆
深夜。誰も居なくなった武闘場。
至る所が砕けてボロボロになった石舞台。無人となっている筈のそこに……悪魔は居た。
『タルウィもタローマティも死んだ……ドゥルジも。今代の勇者や聖女はバケモノ揃いだなぁ。……クックック』
深紅の燕尾服を着た白髪の美丈夫。側頭部からは悪魔の証でもある漆黒の角が生えて後方へ伸びている。
『弱い弱い我輩は容易く屠られてしまうだろう。あぁ怖ろしい怖ろしい』
端整な美貌。しかしそこに浮かぶ笑みは悪辣。
『だが』
悪魔、強大なる力を秘めた大悪魔は自信に満ちた様子で瓦礫が転がる舞台に立つ。演者の如く中央に立つその者は【醜穢なる邪霊】が1体。
セーギとアネモネの戦い。人知れずその中心に立ってほくそ笑みながら観察していた者。
『それも正面からヤればの話し。……彼奴らがどれだけバケモノであろうと関係無い。我輩こそ真の“不死身”。彼奴らの戦いの渦中に身を置いてもこの身に傷一つ付かず』
他者の命を啜って永きを生きる。
過去、多くの勇者や聖女がこれを討伐しようと挑んだが全て失敗に終わる。ただ無辜の民の命だけが無惨に積み重なっていった。
呼ばれし名は複数。
虚影なる者。
渇命の獣。
そして種族と特性を表わす……“邪悪夢”。
『なん人にもこの身滅ぼすことあたわず。……クックック』
―――この悪魔の名を『渇きのザリチュ』。現存する【醜穢なる邪霊】の中で三番目に古く、そして最弱。
ザリチュは己がか弱い存在であると理解している。故に表舞台に決して立たない。
『定命の者は老い衰える。最盛の時に戦うのは愚の骨頂……いずれ衰弱するのを待てば良いだけ』
息を潜めて姑息に生きる。悪魔らしく悪辣に。
そうしてザリチュは18人の勇者と48人の聖女をその手に掛けた。弱り果て抵抗する力も碌に無い彼等を一方的に嬲って殺した。
『この学園の生徒の命を味わうとしようか。我輩に手も足も出せず悔しがる彼奴らの顔を眺めながらなぁ……クックック……クアーッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!』
哄笑するザリチュ。しかしその下卑た嘲笑いは誰の耳にも届かない。
この悪魔は現実に存在しない。ゆめまぼろし。泡沫よりもなお刹那に揺蕩う虚なる者。
仮にセーギが万全でこのザリチュと同等以上の悪魔『熱のタルウィ』を一撃で葬った【根源に還せ、梵天の光よ】をこの瞬間に放ったとしても……滅ぼせない。
今のザリチュは物質や力能に寄らず存在している“夢の中の住人”。肉体を持たない思念体。
この世界に人が視る夢が在る限り、ザリチュは何処にでも居て何処にも居ない。不完全な生命だからこそ不滅。
『例え全ての悪魔が滅びようと我輩だけは永遠に生き続ける。……見ていてください悪神様。我輩が貴方様に強く正しき者が無様に這いつくばり死ぬ暗黒の時代を捧げましょうぞ』
夢幻の永遠を生きる悪魔は祈る。醜穢なる祈りを捧げる。
夜を舞う蝶が、学園に毒を撒く。