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120.魔王の円舞“Waltz of a satan”

 ――――――〈円天世界ニルヴァーナ〉に『神』は実在する。


 それは例え、この世界が幸福に満ちていなくとも、悲劇や不幸が蔓延っていようとも、覆ることは無い事実。


 この世界を創造し、命を生み、育み、……そして世界が崩壊という名の終末に至らず存続しているのは全て『神』が存在したという何よりの証。偉大なる『神』がこの世界に襲来してきた『悪神』からその身を挺して世界を護り抜いたからに他ならない。

 だからこの世界には生命が満ち溢れている。


 一つ一つ進む道は違う。出会いも境遇も、同一な物は何一つ存在しない。

 その道程は不幸かもしれない。辛い思い出ばかりが胸に降り積もっているかもしれない。……しかし、これまで一度たりとも幸福を感じたことがない存在もまた、いない。


 そうして幸せや不幸を知る、知れる、と云うのは只それだけで生きとし生ける物全ての福音となる。


 ―――それを誰よりも()っているのは『神』の威光に近しい者達……ヴィーシャル教を信仰する聖職者や敬虔な信徒達。そして先天的・後天的に関係無く聖なる力に目覚め、常人より遙かに『神』の存在を知覚出来るように成った者……勇者や聖女達である。


 そんな彼等にとって『神』が“御隠れ”になっていることは周知の事実。

 それほどまでに神話に記された『悪神』との戦いは苛烈を極めたということであり、『神』はその偉大な魂を燃やし尽くしてしまった。


 だから彼等は今も待ち続けている。


 この世界でいつか、いつの日か再び神が降臨するその時を。


 終わりの見えぬ悪魔(デーモン)との戦いを幾星霜続けながら。数多の犠牲を世界に()いながら。『神』が身命を賭して遺したこの世界の命脈を絶やさぬようにと。……彼等はその日を待ち続けている――――――



 ……もし。もしも。神の再臨を待ち侘びる者達の前にその『神』が姿を顕わしたのなら、どうなってしまうのか?


「…………」


 彼はその者達へ目を向ける。

 突然明かされた我が身の秘密を聞かされた彼女達が自分へどんな言葉を掛けるのか、掛けてくれるのか、気になったからだ。

 彼本人に『神』などという自覚は一切無い。青天の霹靂。伝えられた言葉は今の彼にとってただの情報でしかない。


 だから彼は彼女達に求める。以前までと変わらぬ関係を。

 天使が言う通り『神』であったのだとしても、彼は彼女達と対等な関係を望んでいる。


 だって彼の意識は『神』ではないから。

 1人の人間だから。

 どれほど強大な力を持っていても、それを何の為に使い誰が為に使うかを考え決めたのは、他ならぬ彼自身なのだから。

 そんな道を進み、出会い、心を通わせた彼女達。

 そんな彼女達と同じ目線、同じ立場でこれからも歩んでいきたいと願うのは何も可笑しなことは無い。


 だから彼は願う。どうか彼女達との間に壁が出来ないようにと。

 心胆を凍えさせるような恐れを感じながら。



 だからだろう。彼女達の様子に驚かされたのは。



「ウォフ・マナフ様。具体的にはセーギ君と私達はどうすれば良いのですか? ……悪神が目覚めるなんて看過できない情報です」


 シータが眼差しに鋭さを帯びさせて言う。


「……“封印の儀”はディアちゃんと協力して問題無く完了させた筈です。他の要地で事故が起こった話しも聞き及んでいません。それなのにどうして?」


 ルミーが静謐さを纏って言う。


「知らないわよそんなの。悪魔(デーモン)の親玉が目覚めるなら燃やせばいいだけよ」


 ディアンサスが雄々しく言う。


「ディアンサスのそういう分かり易いの好きよ。戦って勝つ、それだけの話しね」


 ロベリアが不敵に笑い言う。


(……皆……)


 そんな彼女達の姿にセーギは安堵する。自分が感じていた恐怖はただの杞憂であったのだと。

 セーギはそれで勇気付けられ気を取り直すとウォフ・マナフへ向き直る。


「……聞いた手前こう言うのも何だけど……やっぱり俺が君達の父だなんて言われても実感が無い。心当たりなんて何も無いから」

『そうか』


 ウォフ・マナフの返事に気にしたような様子は無かった。想像通りだとでも言うように泰然自若といている―――いや、少しだけ視線をシータ達に向けるという意味深な行動を見せたが、その意味だけはセーギには理解出来なかった。―――そしてウォフ・マナフは話しを再開する。


『なら貴方様の名を呼ぶ時は、父やヴィシュヌ様でなく今の名を使わせて頂こう』

「ん。その方が俺としても有り難い」

『では改めて……セーギ・ラーマよ』


 ウォフ・マナフはマリーの姿でセーギを見詰める。


『どうであろう。この星を救う為にその力、貸して頂くことは出来まいか?』

「……わかった……って言いたいけど。その前に聞かせて欲しい」


 元よりセーギはこの世界を守りたいと思っている。だから力を貸すことに否は無い。―――だからこそセーギは解決しておかなくてはいけない問題を挙げる。


「どうして君達天使は……【不滅の聖霊】は悪魔(デーモン)に協力するようなことを? 悪魔(デーモン)と敵対していた神から生まれた筈の君達がどうして?」


 天使達が何故悪魔に与するのか。


『……そう難しい話しではない』


 ウォフ・マナフは言い難きことを口にするように、述べる。


『我らが父が悪神をその勢力共々一掃……相打ちという形で力尽きた父が消失した後、巧妙に余力を残し隠れていた悪神が隙に乗じて世界を支配しに掛かった。……悔しいが我ら天使達だけの力でそれを食い止めること敵わず、この星に生きる生命達と共闘して何とか封印にまで漕ぎ着けた』


 勇者、聖女、英雄。そう称される傑物達が天使と共に悪神の勢力と衝突。世界各地に要地を築き上げそれを楔として悪神を封じた。

 その戦いは聖書に描かれているだけでなく、人々の語り草によっても世界中に広まり知れ渡っている歴史的事実。


『……はっきり言おう。あれは我らの敗北だった』


 ウォフ・マナフはその歴史の裏側、真実を伝える。


『封印することしか出来なかった。滅ぼすことが出来なかった。それはつまり勝てなかったということ。事実我らはそうすることで悪神との決着を『先送り』しただけ。……しかもその為に悪魔(デーモン)と契約を結ばざるを得なくなった』


 その言にセーギは嶮しい表情を浮かべる。


「……悪魔(デーモン)と契約……だから君達は敵である悪魔(デーモン)と協力せざるを得ない立場に?」

『そうだ。強大な悪神の封印という目的を果たす為、払うことを強いられた代償。……受け入れるしかなかった呪い……それが我らが誓約(ゲッシュ)により架された悪魔(デーモン)との『相互不殺』と『協力』……そして……我らが長姉たるアフラ・マズダを悪神封印の最たる要、『依り代』とすることであった』


 アフラ・マズダ。

 シータ達が戦った光を司る【不滅の聖霊】が1柱。

 その者が依り代となることで悪神の封印は完成している。―――封印完成の為に悪魔(デーモン)に与するという代償(リスク)を背負って。


『『相互不殺』は文字通り我らと悪魔(デーモン)共が相争い殺し合うことが出来なくなり。『協力』は悪魔(デーモン)が相応の代価を用立てた時に限り、我らに対して強制力のある命令を下せるという物。代価……例えば―――強大な悪魔を都市一つに閉じ込め自由を奪い取ること。他には強大な悪魔の代名詞たる【醜穢なる邪霊(ダエーワ)】のこの世界への進攻を制限すること。更には同胞(はらから)たる悪魔(デーモン)の命を数千、数万と刈り取り我らへ捧げること―――それらが実際に過去我らへ支払われた代価の例である』

「…………」


 天使がこの世界に味方し、しかし時に敵対する。そして悪魔がこの世界へ残虐の限りを尽くし、しかし何処か攻勢にぬるさを見せていた理由。

 支離滅裂、奇々怪々、複雑多岐たる両者の行動。それは悪神封印から端を発した『契約』を主軸に置いた関係だったから。


『その封印、契約……両方に『依り代』となったアフラ・マズダが深く関わっている。封じた悪神と一心同体……否、二心同体となることで悪神と一蓮托生となってな』


 悪神の魂は今、アフラ・マズダの体の中に存在する。……それ即ち悪神が封印されてから永きに渡る間、アフラ・マズダは常に悪神の精神と囁きに晒されていたということ。常人なら1日も経たず気が触れ精神を蝕まれ、悪神の手に堕ち、囁きに身を任せ封印を解いてしまうであろう生き地獄のような状態。それに抗することが可能だったのはアフラ・マズダの精神力が極めて強靱だったから。


「まさかそのアフラ・マズダに何かあった? 封印の依り代を維持出来なくなるような何かが?」


 そんな危機に陥っているのなら放っておくことは出来ない。今直ぐにでも助けに向かう必要がある。セーギは急かされるようにウォフ・マナフへ詰め寄る。


 顔も知らない筈の天使の身が心配で堪らない。……そんな先程ウォフ・マナフがセーギ自身に伝えた『神を宿している』という話しを裏付けるような情動を今は受け入れて、セーギは自分が取るべき行動を求める。


『否』


 だがウォフ・マナフはセーギの焦燥を押し留める。


『アフラ・マズダは壮健なり』

「……元気……なのか?」

『つい先日花嫁達との戦闘によって傷を負いはしたが大事無し。掠り傷同然。今は血肉を分けし眷属たるスプンタ・マンユの看護の元、頭の足りぬ顔面に間抜け面を引っ提げながら寝床で惰眠と菓子を貪っている』

「……そ、そうか」


 アフラ・マズダという天使が元気そうなのはわかった。……あとついでにアフラ・マズダが他の天使達にどう扱われているかの一端も。これは別に知らなくてもよかったとセーギは思った。彼にも天使という神聖な存在に抱くイメージが崩れそうになる。


 ウォフ・マナフはそんな気の抜けそうな情報を開示した後とは思えぬような、重苦しくすらある厳格な言霊によって続きを口にする。


『……壮健なのが問題でもある』


 事態は急を要する。


『……原因も方法も不明。知り得ているのは現状のみ』


 焦燥。先行きの見えぬ不安。その、原因。


『……いなくなった。消えたのだ』


 擦り切れ、削れていく音。

 這いずり寄ってくる……絶望の音。

 月の天使が齎した情報が意味するところ、それは―――


『アフラ・マズダの身の内から……依り代たる我らが愚姉アフラ・マズダから―――悪神が忽然と消え去ったのだ』


 ―――この世界に誰も予測しえぬ災禍が降り掛かる、という報せであった。



 ◆◆◆



 ――――――

 ―――――

 ――――

 ―――



 〈円天世界ニルヴァーナ〉とは次元を隔てて存在する世界。醜悪な怪物が跋扈する悪魔(デーモン)の楽園……〈魔界〉。

 無数に存在する〈魔界〉の一つ。とある悪魔(デーモン)が頂点に立ち支配する〈魔界〉。

 強大な悪魔(デーモン)が陽の昇らぬ黒天を見上げ言葉を漏らす。


「神が……見えなくなった……しかし……」


 瘴気に満ちた風が吹き荒ぶ、血の染みた赤土の荒野にただ独り。城無き玉座に座り込む悪魔(デーモン)は仰ぎ見る黒天へ手を伸ばす。人の頭を容易く握り潰せる大きな手その指の隙間から翳し見る。

 自らの神……悪神(アンラ・マンユ)の星が存在した位置をじっと見詰める。どれだけ視線を向けようとそこから消えてしまった物が再び姿を顕わすことはない。


「……感じる。今もこの身に神の寵愛が満ちているのを。……我らが神は滅びた訳ではない。……何処か違う場所で生きている」


 身の丈4mを越える巨躯を誇る、巌を削り出したような重厚な筋肉の鎧をその身に備えた―――鬼。

 頭部にまるで王冠の如く生えた5本の角。鬣のように生える灰色の髪の間を掻き分け天を衝くように突き出している漆黒に染まる悪魔の角。そして肌は青と赤銅が入り交じる体皮をしており、その上からまるで漆黒の角から悍ましい色が滲み出したかのように全身を重苦しく染め上げている。


「……想定より早き。だが……機、熟せり……か」


 鬼の悪魔(デーモン)は骨を組み上げて作られた……大量の無辜の命を踏み躙り冒涜した椅子から立ち上がる。

 身に纏う袈裟が血生臭い風ではためき、その肉体に刻まれた数え切れない古傷を黒天の下に晒す。首から下げた巨大な数珠……人の頭蓋骨を莫大な力によって人工的に金剛石へと変質させたそれを無数に繋ぎ作られたそれが揺れ、透き通る金属質な音が響き渡る。


「時、来たれり。我が神よ。今こそ貴方様が為に奮わせる。……拙僧の力を」


 【醜穢なる邪霊(ダエーワ)】の頂点にして最古の悪魔(デーモン)

 自身を仲介することであまりに巨大すぎる悪神の力を適切な量へと絞り、他の存在へ受け渡し、その力でもって生まれ変わらせる―――通常の生命を悪魔(デーモン)へ転生させる権能を持つ最悪。最も多くの生命を嬲り虐げ殺し、世界に絶望の種を振り撒いた災厄。


 この世界で初めて主神に背き、世界を裏切った邪悪。


「神よ。今このアカ・マナフが迎えに馳せ参じよう」


 最も古き鬼の悪魔(デーモン)

 羅刹鬼(ラークシャサ)筆頭。


 ―――『“悪しき思考”のアカ・マナフ』―――



 ――――――

 名:【アカ・マナフ】

 種族:【羅刹始祖鬼カルマシャラークシャサ

 性別:―――

 年齢:―――

 レベル:【1002】

 能力:【業魔鬼蝕天(死に至れ全て)】、【六道淘汰・天元蹂躙(滅べ世界よ)】、【神威降誕・悪鬼羅刹(神の御心のまま)】、【悪神の恩寵(愛を受けよ)】、【天蝕領域(ラスアルグル)

 称号:【醜穢なる邪霊(ダエーワ)】、背神者、悪魔の始祖、悪神の代行者、超越者

 ――――――



 ―――……この日、最悪にして災厄の絶望が歩みを始めた。

 悪神が封印された日から幾星霜。力を溜めて雌伏していた悪魔(デーモン)が、〈円天世界ニルヴァーナ〉へと進撃を開始した。



 ◆◆◆



 ―――帝国領のとある僻地。開拓も十分に進んでいない自然が人の手を追い払うように埋め尽くす土地。獰猛な野生動物や危険なモンスターが跋扈する地。


 そんな場所を一組の男女がまるで散歩でもするように談笑しながら進んでいた。


「いやー、しかし。……これは見事に迷子じゃない?」


 金髪金眼の涼しげな若い男。瞳の瞳孔が地獄で燃え盛る炎のように赫く輝く、尋常ならぬ気配を放つ青年を困ったように……だがそこまで深刻さは感じられない気安さでそう言う。


「空から見渡しても身に覚えの無い場所でしたね。GM(先生)と連絡が付けれたら違ったのでしょうが……他の手段を探しましょう」


 銀髪銀眼の理知的な若い女。瞳の瞳孔が地獄を氷結させる凍土のように碧く輝く、只ならぬ気配を放つ乙女は冷静に事態を見極めるべく対処を重ねる。


 性差が有れど、2人に共通するのは共に美しい外見をしているということ。身震いするような……そう作られたような整った美貌。

 そんな2人の内、男の方があっけらかんと言い放つ。


「まあ問題無いさ」

「……どうして?」

「そんなの決まってる」


 男は女に笑いかける。


「どんな状況だろうと僕と君が揃っている時点で……障害など有って無きに等しい。そうだろう? ―――イナンナ」


 大胆不敵な笑みを見せる男に、女……イナンナは花が咲くような笑みを返す。


「その通りですね、あなた。流石です」

「ははっ。当然さ。この僕サタナエルは天才だからね」


 男……サタナエルとイナンナは危険地帯をまるで意に介さず進んでいく。


 血が飛び散る。

 大地が抉れる。

 肉が弾ける。

 木々が薙ぎ倒される。


 ―――2人は背後に無数の屍を作り上げながら進んでいく。襲い来る魔獣を物言わぬ肉塊へと変えていく。その技は常人に視認することが不可能な速さで繰り広げられ、瞬く間に殺戮が彼等の背後を彩る。

 描かれる地獄絵図。

 それでも笑い合う2人にとって、ここはただの陽気な散歩道。


 何者にも彼等の進み道は阻めない。例え悪魔でも。


「―――ところで僕のこいつを見てくれイナンナ。どう思う?」

「すごく……ダサいです……」


 サタナエルは自身の額に生えた『漆黒の角』を指差してイナンナに尋ねたが返ってきた答えは無情な物だった。聞いた本人であるサタナエルもそれは同感であるらしくうんうんと頷く。


「とってつけた感がヤバいよね」

「引っ張ったら取れませんかね?」

「いやー流石に無理じゃ……って痛たたたたたたたたッ!!? ぅおおおおいッ!!? 急に力技で解決しようとするのは良くないよッ!!?」


 イナンナによって額の角を乱暴に引っ張られたサタナエルは大慌てでその魔の手から抜け出す。


「知的じゃない。その手段は全くもって知的じゃない」

「すみません。頭脳労働は不得手で」

「外見詐欺過ぎるねホント。“気品”は何処に捨ててきた」

「気品は見た目全振りです。あなたこそ私や兄弟達がどれだけ巫山戯ても怒らないじゃないですか。“憤怒”って何でしたっけ?」


 2人はしばし見つめ合い……


「ハハハハハ!」「フフフフフ」


 腹の底から可笑しいとでも言うように笑った。


「ハー……やれやれ。……ちなみにこの角。なんとビックリ……『悪神』なんて大層な存在が―――『僕の中に封じられている証』みたいだよ。さっきから、こいつ直接脳内にって感じでうるさい」


 そしてそんなことをサタナエルは何気なく言う。


「まあ大変です。大変―――面白そう」


 それに対してイナンナは愉快そうに微笑む。


「『これ』の親玉らしいね」

「ちょっと手強かったですよね。何回か死にました。初見殺しのモンスターみたいな行動(ムーブ)がいやらしかったです」

「親が親なら子も子だね」


 サタナエルが左手にぶら下げた生首……鼠と少女が醜悪に入り混じった悪魔(デーモン)の頭部を指して言うと、イナンナが戦闘時の感想を述べる。


「名前は何て言ったかな?」

「確か……ダエー(なにがし)のドゥルなんちゃら……だったかと」

「わー、うろ覚え」

「あなたは欠片も覚えてすらいないじゃないですか」

「ははっ。違いない」


 サタナエルは悪魔(デーモン)の頭部を掲げる。

 次の瞬間、頭部の内側から『光』が溢れる。その光はまるで炎のように頭部を呑み込むと、そのまま泡のように霧散する。光が消え去った後には、悪魔の頭部はこの世に欠片も存在していなかった。


 ―――『“不浄”のドゥルジ』

 狂鬼乱鼠(クレイジーラット)の名を持つ悪魔(デーモン)。この世界で最古の悪魔(デーモン)たるアカ・マナフに次ぐ古参の大悪魔であり【醜穢なる邪霊(ダエーワ)】が1体。他生物を生きたまま呪蝕人鼠(カースドラットマン)に作り変える悍ましき能力と、作り替えたそれを眷属として意のままに操る力を持つ。そして体毛のように体に生える触手からは瘴気を伴う幻惑性の毒を撒き散らす。


 アカ・マナフと共に無数の悲劇と絶望を齎した脅威の存在―――その筈であった。


「話が通じない相手ってホント面倒だよね。この世界のエネミーは僕の感性に合わないよ」

「そうですね。可愛くありません。遊園地のマスコットには到底成り得ないでしょう」

「……いや、そういう意味じゃなくて思想の方ね?」


 彼等は遭遇し、討ち滅ぼした悪魔(デーモン)という存在を心の底から侮蔑する。記憶するに値しないと判断したほど気持ちを害されたのだ。


「この世界のエネミーは大物感が足りない。様式美をまるで理解していない。戦い合う両者の信念と信念のぶつかり合いこそドラマティックだというのに。まったくもって嘆かわしい」


 サタナエルは『悪神を見下して』笑う。


「大変だねこの世界も。心底同情するよ。こんな面倒な存在に狙われてるだなんて」


 イナンナは口元を抑えてほくそ笑む。


「観客がいない戦いほどつまらない物はありませんからね。世界の滅亡を企てるなんてナンセンスです」

「わかってるじゃないかイナンナ」

「当然です。だってあなたの妻なのですから」

「そうだね。愛してるよ」

「私も愛してます」


 日差しが2人を照らす。


「おや? ……どうやらもうすぐ森を抜けられそうだね」


 木々の密度が明確に減っているのを感じ、2人はより一層笑みを深める。


「さて、イナンナ」

「はい何でしょう」

「僕達はどうやら異世界転移という物に()ったらしい。肉体を持たない人工知能(AI)である僕達が異世界転移だなんてとても興味深くはあるが……考察は後回しにしよう。本題は別。僕は考えた……当面の目標という物を立てようってね」

「それは良い考えです」

「だろ? 行動する上で目標とはとても大事だからね。迷わなくて済む」

「私達は絶賛迷子中ですが」

「…………」


 …………。


「……ピュー♪ ピュー♪」


 サタナエルは口笛で誤魔化した。


「らー♪ らー♪」


 イナンナはリズムにのって歌う。


「イエイイエイ♪……って音楽してる場合じゃないっ。話しが逸れた。……えー……おっほん……ちょっと周りがうるさいし静かにさせようか」


 サタナエルは額に生える角を指先で弾く。

 周囲にキンッっと甲高い音が鳴り響き―――音に乗るように『光の飛沫』が放たれ、それが空間を揺さぶる。輝くその光景は美しかったが、その振動を浴びた生物は背筋を駆け上がる寒気……圧倒的な恐怖を覚えることとなった。


 ……それ以降、森の中に満ちていた獣やモンスターの気配が静まりかえった。あれだけ襲撃を繰り返し、返り討ちによって惨状が出来上がろうと、構わず他の存在が襲いに掛かっていたのに。全て沈黙した。

 この結果にサタナエルは満足そうにすると表情を引き締める。


「ん。静かになった。……それでは。ここに宣言する」


 静寂に満ちる森。スポットライトのように差し込む陽光に照らされながらサタナエルは高らかに宣言する。獣やモンスターはおろか……悪神の声さえもねじ伏せて。


「―――『日蝕の魔王(サタン)』たる僕はこの世界に覇を布く。―――世界征服である」


 異界の魔王が宣言する。世界征服をすると。


「では私こと『月蝕の魔王(ルシファー)』はそれに力添えしましょう」


 伴侶たるもう1人の異界の魔王もそれに従う。


「ああ……楽しみだ」

「ええ。そうですね」


 2人は笑う。鏡写しのように笑顔を浮かべる。性別も容姿も違うのに、その表情から受ける印象はひどく似通っていた。


「夢のようだ。……『彼』と再会することが叶うなんて」

「私達は転移……なら『転生』が在っても不思議はない」

「感じる」

「この世界に来てから、ずっと」

「ははっ」

「ふふふ」


 世界征服を目標にすると言った。しかしそれはあくまで当面の目標。彼等の真の目的とは……真に望む物ではない。


「さあ。心ゆくまで遊ぼうか」

「辿り着けなかった遊戯(ゲーム)の続きを」

「この盤上(ニルヴァーナ)で、〈NSO〉では至れなかった真の結末を」


 笑う。笑う。笑う。

 その笑み。まさに魔王の如く。



「世界を賭けて僕達と勝負だ、ラーヴァナ……いや―――正義(セーギ)



 ―――この日、帝国のとある地で。世界に波乱をもたらす新たな激流、その誕生の産声が密かに上がった。




「―――というわけであなた。私、旗を作りました。私達の勢力を示す大事な旗です」

「突然だね。しかも仕事が早い。それでモノは?」

「ここに」

「…………」


 白地の旗に達筆で大きく書かれている4つの文字。それを見てサタナエルは押し黙る。


「どうです。彼の有名な武将が掲げた旗にあやかって作った旗です。自信作」


 イナンナはムフーっと鼻息を荒く満面のドヤ顔で旗を掲げる。そこには平仮名で、それはそれは大きく書かれていた。


 “せかいふは”


「……なにこれ」

「せかいふは。つまり『世界布覇』。世界に覇を布く……私達にピッタリです。天下布武的な格好良さです」


 字や意味は立派である。……だがしかし―――


「なぜ平仮名にしたし……」

「 ? 可愛いじゃないですか」

「…………」


 サタナエルはその端整な顔に優しい笑みを貼り付け、通算3桁に届いてしまった思いを心の中で呟いた。―――イナンナに名付けのセンスを期待するのはやめよう―――と。


「あ、イメージキャラクターも描き足しましょうか。せかいふは君です」

「うん、絶対止めてね。……ってぅおおおおい!!? だからヤめろって!!? その筆をハ! ナ! セ!」


 ――――――

 ―――――

 ――――

 ―――


 ―――世界が終わるまで、あと半年―――

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