117.雨上がりの霓は美しく
―――屋根の一角に張られていた結界が解かれそこからシータとルミーが出てくる。シータは何時も通りの様子で先を歩き、逆にルミーは先程まであった自信が失われたような心細そうな面持ちでシータの後ろを着いて行く。
「あれ? ロベリアも上がってきたの?」
「こんばんはシータ」
セーギの隣に座るロベリアへシータは声を掛け、ロベリアの方は挨拶を返す。ルミーはそんな2人とは別にセーギへ近付き頭を下げる。
「……すみませんセーギ様。お待たせしました」
「……いや、そんな待ってないから大丈夫」
「…………」
「…………」
セーギとルミーの間に流れる空気はどこか固く気まずそうな物になっている。当事者であるセーギは原因を知りながらも打開策など思い付かず、結局は口を閉ざすことしか出来ていない。……告白を振った自分がこれ以上どんな言葉を掛ければ良いのかわからなかったからだ。
―――そうして幾何かの沈黙が流れた後……唐突にシータがルミーの背を押す。
「 ! 」
ルミーは息が詰まったような表情で振り返り、自身を押した……今もまだ手を触れたままにしているシータへ目を向ける。するとシータはとても優しげな眼差しでルミーを見詰める。
「…………」
言葉は無かった。だがルミーはそこに込められたシータの気持ちを知っている。自分を後押ししてくれている大切な友人の想いを、知っている。
ルミーは一つ大きく息を吐くと、意を決してセーギの眼前に立つ。背中にある温もりを感じながら。
先とは逆に、セーギが見上げルミーが見下ろす体勢になる。
「……セーギ様!」
声を張って名を呼ぶルミーにセーギは目を丸くする。声量に驚いたのではない。セーギはルミーの常にない必死な、余裕の無い様子に驚いたのだ。……そしてシータは驚かない。ロベリアも。ただ静かに全霊の想いを吐き出そうとする少女を見守る。
そしてルミーは手を振り上げ、風切り音がなるような勢いでセーギに指を突き付け、告げる。
それはセーギにとって予想外の言葉だった。
「―――私! 知ってるんですからね!? セーギ様が私のこと……っ! ……好きだってこと!」
顔を真っ赤にし、汗を滲ませ、突き出す指は震え、涙さえ浮かべる瞳は焦点がしっちゃかめっちゃか。そんな状態でルミーはそんな言葉を吐いた。
「……え?」
セーギは呆気に取られるしかなかった。それもそうである。ルミーが口にしたその言葉は自分の思いを告げる物というよりセーギの内心を告げる物だったからだ。そしてそのままルミーは言葉を続ける。
「もし! もしですよ!? もし私が他の男性とっ! ……な、仲良くっ……男女の仲になったら!? どうっ! 思いますか!?」
「なっ!?」
「どうします!? このままセーギ様が私の気持ちに応えてくれないなら、そうなるかもしれないんですよ!? 他の男性に手籠めにされるかもしれないんですよ!?」
「……な、な……な……」
セーギは目を白黒させる。それ程までに……ルミーの言葉は激しかった。
少女の息は絶え絶えで、手の震えは全身にまで及ぶ。
「私!! ……私!!」
……そして、そこまで言ってルミーは……遂に涙を流す。泣きながら少女は叫ぶ。
「わっ……わた、しっ! ……セーギ様が良いっ……セーギ様が良いよぉ……! 他の誰かなんかじゃなく! セーギ様がぁ……ぁぁ……!」
「――――――」
「……ぅう……ふっ……ぅえええええ……!」
泣きじゃくるルミー。セーギはそれを見上げ茫然とする。
目の前の彼女がこんな風にみっともなく泣き喚くとは思いもしなかった。これではただの子供……年端もいかない少女だ。
(―――ああ、そうだ。忘れていた)
セーギは薔薇色の瞳にその光景を映しながら思い出す。悪魔との戦いに身を置き、常に毅然とした振る舞いをし、周囲を優しく見守る。そんな彼女が本当はどんな人なのかを。
(彼女も……ルミーも……まだ子供なんだ。いくらここが過酷で早熟を強いるような世界であっても……ルミーはまだ16の子供なんだ)
前世では親の庇護にあって当然の歳。そんな歳でルミーは“聖女”……その中において頂点に位置する立場で戦い続けてきた。自分の身を切りながら、直走ってきた。
「……ルミー……」
そんなルミーが可哀想で憐れで、尊くて、……愛おしくて。だから触れようと手を伸ばそうとして―――躊躇う。
ここまで想われて嬉しくないわけがない。……だがそれと彼女を受け入れられることとは話しが別。セーギがルミーの告白を断った言葉は紛れもない真実であり、そうして自分の言葉で目の前の少女を傷付け悲しませる結果になるのは想定していた。
だから手を伸ばし、触れ合い、慰めるわけにはいかない。胸が張り裂けそうな悲痛が心を満たそうと、それをするわけにはいかない。
(俺にはもう……ルミーを幸せにする資格なんて……)
セーギは苦痛を堪えるように表情を顰め、微かに上げてしまった手を再び下ろそうとする。
―――その時であった。
「ロベリア、後ろはよろしく」
「……はいはい、任されたわ」
シータが声を上げ、ロベリアが了承する。そしてシータは行動に移る。
「えいっ」
「はぇ? ―――きゃっ!?」
シータの行動、それは突進だった。ルミーの背に手を当てたまま自分ごと押し出すように前へと突っ込む。
押されて前へつんのめるルミーとそれをしたシータ。彼女達が突っ込んだ前方とはつまり―――
「は? ……っ!」
セーギの居る場所だった。
避ける……そんな選択肢はセーギは無い。例え相手が転んだ程度では掠り傷一つ付かない超人の類いであろうと、セーギは支え受け止める為に手を伸ばす。それはもう彼の性根に染み付いた反射とてでも言うべき行動であった。
「どーん」
「わぷっ」
「うお!?」
「はいキャーッチ」
シータが駄目押しで突っ込み、ルミーは顔から飛び込むようにセーギの胸で受け止められ、セーギはルミーを受け止めた後に更に飛び込むように来たシータによって後ろ側へ仰け反り、最後にセーギの傍に居たロベリアがそんな彼らを包み込むように大きく腕を広げて受け止めた。
―――気付けばセーギは3人の女性に囲まれるという状態になっていた。
「……は? え? ……これ、いったい……」
セーギは先ず自分の胸に顔を埋めるように密着するルミーを見下ろし、次にそんなルミー越しに自分へ身を寄せるように顔を近づけているシータを見て、最後にそんな自分達を背後から抱き留めるロベリアを見た。
どうしてこんな状況になったのか全く理解出来ない。セーギは今朝方のように複数の温もりに包まれた状態で混乱する。
そんなセーギの混乱を斬り裂くようにシータの声が響く。
「駄目でしょセーギ君!」
それは叱責だった。それを受けたセーギは口をあんぐりと開き驚愕を露わにする。そんな彼へシータは畳み掛ける。
「駄目! 本当に駄目! 駄目の駄目の駄目駄目! 駄目の一等賞! 何やってるのセーギ君!」
「いやシータが何言ってんの!?」
突如として白熱しだしたシータへ心の底から困惑の声をぶつけるセーギ。
「そんなのセーギ君が一番わかってるでしょ!?」
「……っ! ……だっ……だから何を……!」
セーギは心臓を刺されたような鈍い痛みを感じた。だがそれを振り払うように疑問を吐き出そうとするが、それをシータは許さない、続く言葉でセーギに自覚させる。
「自分の気持ちに嘘吐かないでよ! 本当はどうしたいのか言ってよ! まともな言葉で誤魔化さないでよ!」
私怒ってますから! と言わんばかりに目を吊り上げてシータはセーギに言い募り……そしてスッと、凪いだように穏やかな、儚げな表情へと変わる。
「……もっと貴方の我儘を、聞かせてよ。貴方の口から、直接」
「――――――」
セーギはシータを見詰め、次に自身の胸元に居る少女へ視線を落とす。すると丁度顔を上げた彼女と視線がぶつかり合う。
「……セーギ、様……」
泣き腫らした顔。それはセーギがさせた顔。その事実が彼の胸に鋭い痛みとなって突き刺さる。そんなセーギの耳元でロベリアが背を支えながら静かに囁く。
「セーギさん……貴方は、どうしたいの? ルクミニーに、どうなってほしい?」
抽象的な、しかしこの場においてはこれ以上無い問い掛け。それを投げ掛けられたセーギは考える……いや、考えるまでもない。
彼女にそんな顔をしてほしくない。もっと笑っていて欲しい。幸せになってほしい。……幸せに、したい。
「…………」
心臓に刃を差し込まれ、……それが開かれた気がした。曝け出された気がした。
答えなど常に単純。人の心が絡まり一見複雑になっているだけ。本質はいつだって手を伸ばせば簡単に届く所に在る。
「…………」
セーギは何か言おうとして……しかし、今度は何かを言う前にルミーの肩を抱く。
「 ! 」
ルミーは息を呑む、他でもないセーギ自身の意志によって抱かれたことに。ルミーはその事実に小柄な身を強張らせる。
「……ルミー」
「……は、ぃ……」
名を呼ばれ応える。その時のセーギの表情は泣きそうな、見方を変えれば情け無さそう表情であったが……ルミーは自分の鼓動が早く打つのを止められなかった。
2人の距離は近い。
……それは物理的な距離ではないもっと別の。セーギが建前ではない本心を口にしようと決めたが故の……心の距離。だから彼は伝える。
「好きだ」
「―――っ」
「……言われた通りだ。……俺は君が好きだ。本当に。心の底から」
「……ぁぁ……」
セーギはルミーへの好意を伝えた。胸の内に秘めようと決めていたそれを。……もう想いを通じ合わせた人が居る前で。
碌でもない。既に好きな人が居るのに別の相手へ好意を伝えるなど。いくらその当人から促された言葉とはいえセーギは我ながら何と浅ましいのかと思う。
―――しかし心は先とは比べ物にならないほど軽い。
「……ごめん。そんな風に泣かせたくなかった。傷付けたくなかった」
セーギは片腕でルミーを抱いたまま、空いた手で彼女の涙をそっと拭う。その涙にこもる熱はまさにルミーが抱えた熱情その物に感じられた。
「誰かなんて俺も考えたくない、俺が、俺の手で……君を幸せにしたい。……好きだ、ルミー」
「―――セーギ様ぁああっ」
セーギの本心。紛れもない彼自身の言葉を耳にしてルミーは感極まり、自分から腕を回してセーギの体に強く抱き付く。それをセーギは受け入れる。
「……ぅえええ……ひっぐ……私も! ぁあ……したって……お慕いしてますぅあああああ……!」
「うん。ありがとう。……本当に、ありがとう」
セーギはルミーを抱き締め慈しむようにその頭を優しく撫でる。そうする彼の表情は何処か憑き物が落ちたような穏やかな物になっていた。
「……よかった」
そう誰かが呟く、心の底から安堵したように。
セーギはそう呟いた目の前の人物へ目を向ける。そして少し困ったように眉根を寄せてその相手へ言葉を掛ける。
「……それで? ……そろそろシータがどういう考えでこんなことをしたのか聞きたいんだけど?」
自分の好きな相手に、他の相手へ告白させるなんてことを。その問い掛けにシータは複雑そうな表情を浮かべて頬を掻く。
「んー……。別にね、私だって思うところが無いわけじゃないよ? セーギ君が私だけを好きでいてくれるって言ってくれた時嬉しかったし。……でもね、それで好きな人が泣くのは嫌。……ううん……それはちょっと違うかな? ……ああ、そうだ」
そうして次にシータが浮かべた表情は……やはり笑顔だった。
「自分の好きな人達皆が幸せなら、それって最高に幸せだと思うの」
セーギはその翳りの無い太陽のような笑顔を見て苦笑する。
「……その意見には同意するけど……それとこれとは話しが別な気がするんだけどな」
「あら、別に良いじゃないセーギさん」
ロベリアはセーギの肩を支えながら横から顔を出す。
「『皆で幸せになる』、大いに結構じゃない。セーギさんならそれぐらいの甲斐性、余裕で在ると思うけど?」
「ロベリアさんまで……だからってこんな一夫多妻婚みたいな……俺間違ってる? 俺がおかしいのか?」
そこまで周りから言われ続けるとセーギは自分の価値観が間違っているような気分になる。……それでも違和感が拭いきれないが。
「まあ他にも理由は在るんだけどね」
セーギの内心を見透かすようにシータはそう言った。
「……他の理由?」
「うん。『セーギ君に私達が必要』な理由」
「皆のことが……必要?」
セーギはそれが何のことかわからず首を傾げる。
「……もしかして……」
その呟きはロベリアが発したもの。セーギよりも先に何かに気が付いた彼女はそれを指摘する。
「それってたった今ルクミニーの容姿に変化があったのと関係が在るのかしら?」
「は?」
ロベリアが指差すそこへセーギも視線を向ける。
「 ? 」
注目されていることに気付いたルミーは顔を上げ、その意味がわからず先程のセーギのように首を傾げる。
そうするとルミーの前髪が揺れその間から彼女の左眼が垣間見える。涙で潤み、少しばかり充血した眼。……しかし見るべきところはそこではない。それはもっと大きな変化だった。
―――ルミーの左眼が光を浴びて『虹色』に輝いていた。




