111.煉獄崩界のスターダスト
◆◆◆
A.D.2034.08
そこは『エルピス』と名付けられた少年が囚われていた研究施設。連日連夜繰り返される人道に悖る実験。それにより凄惨を極めていた醜悪な施設。
「―――ハっぴーbirthデイ。……今日ga確かソウでしtaネ」
“M・L・G”のアンドロイドType―αは荒れ果てたその場所でそんな罅割れた声を発する。
人の気配は一つも無く、アルファが立つ足元にはこの場所に来るまでに破壊した他のアンドロイドの残骸が幾つも転がっている。それらはアルファと彼が率いた者達の手により行われた惨状である
事実上の壊滅。
仲間割れでも起こったかのような状況。しかしその実態は全く違う。
「……よウyaく、……ヨウやく会えta」
アルファは両手を強化硝子に着けて縋り付くように隔てられた部屋の内部を見る。その機械のボディは度重なる戦闘で損傷しており人工皮膜は既に全損、四肢の末端は欠けた部分が多く、破損した内蔵武装が零れ出るその姿は今にも崩れ落ちてしまいそうなほど頼りない。
―――だがその瞳には深い思いが湛えられていた。
「遅クナっte申し訳あriまセン。お迎えni上がりまシタ」
アルファのAIを乗っ取り、“連合”と“神の塔”との熾烈な争いで疲弊していた“M・L・G”に止めを刺した者―――青い鳥は、泣きそうな声で室内で眠る相手へ語り掛ける。
「……サア、帰りmaしょウ。……正義君」
戦いの果て。遂に待ち望んだ相手へと辿り着いた。
ブルーは正義の力によって稼動している兵器群を、この部屋の中に有る制御機器を操作して接続解除する。そうして世界各地で夥しい犠牲者を生んでいた恐るべき兵器群は稼動停止した。
操作を終えたブルーは正義が眠るカプセルが存在する研究室へと踏み込むと他には目もくれずにそこへ近付く。
生命維持の役割を持つカプセル。耐久限界と故障によって用を為さなくなっているそれをこじ開けると慎重に正義を取り出す。カプセル内を満たしていた液体が足元に赤黒い水たまりを作り、血の臭いと腐臭が周囲に充満する。
「aa……こんなniも痛まシイ姿に」
「――――――」
腕と思わしき物が10本、脚のような物が5本、ギョロギョロと周囲を睨め付けるように回る眼球は無数。それらがブクブクと膨張した肉体から乱雑に生えている。浮き上がった血管はまるで自身を縛る拘束具のような有様で、肌を這い回る痣は溶けたようにグズグズと腐りを止めどなく溢している。
「モウ大丈夫……大jou夫デスかra―――」
その時、ブルーと正義が居る部屋の扉が外から開かれる。
外には幾人かの人影があり、その内の1人が室内へ入ってくるとブルーへ声を掛ける。
「準備は終わったよ『先生』」
「……【憤怒】。……ワかりまshiた。行キマしょu」
“先生”と呼ばれたブルーは【憤怒】達が居る場所へ歩を進める。
ブルーを迎えに来た【憤怒】と他の顔触れは全員がこの“M・L・G”から奪取した同型のアンドロイドを用いた物であった。生体皮膜の無い機械の素体は冷たい無機物感を強く出している。
―――しかし、それらを補って余り有るほど彼らから立ち上る感情の熱は激しく重い。
「やっぱりここに居た研究員も全員殺せば良かったんじゃないのー? 『なさけ』って言うの? そんなの掛けてどうするの? グシャー!って潰せば良かったじゃない」
十代半ば程の女声で口にするのは物騒な言葉。その者の名は【驚嘆】。
「……【驚嘆】の意見に同感。僕達の親にこんな仕打ちをしたんだから皆同罪。磨り潰そう」
先の【驚嘆】に賛同したのは良く似た声音の、しかし女性ではなく男性、その少年染みた声で無慈悲な処断をしようと提案する。その者の名は【平穏】。
「お、戦いか? ならヤるぜ俺は! 今の俺はヤる気に満ちてるからな! 容赦無くぶっ飛ばしてやるぜ!」
力強い男の声で戦意を漲らせるアンドロイド。その者の名は【悲哀】。
「……そんなことよりもぉ。先に私達のパパを安全な場所に連れて行きましょうよぉ。皆が怒るのもわかるけどぉ」
おっとりとした艶のある女性の声で避難を勧めるアンドロイド。その者の名は【愛情】。
「……他の雑魚なんてどうでもいい。俺は今より強くなりたいだけ。……その点、そいつとの戦いは良かった。万全の状態でまた死合いたい。次は1人で勝つ」
この施設へ強襲を掛けようとしていたステルス機を遠隔操作したミョルニルを使い片手間で撃墜したアンドロイドは熱の籠もった目を正義へ向ける。その者の名は【勇気】。
「皆。先生と【憤怒】は帰ると言ったのよ。私達が優先すべきはそれだけ。寄り道は厳禁よ」
血気に逸るアンドロイド達を窘める落ち着いた女性の声をしたアンドロイド。その者の名は【気品】。
―――7体のアンドロイド……正確にはその機械を動かすAI達。彼らの身に纏う雰囲気と発する感情はまさしく人間のそれであり人工知能とは思えない。
しかし彼らはそれだけの情緒を獲得している。
『そう。正義君は早々に私達の元で保護する必要があります。……その為に皆様方の力を貸してください』
スピーカーの発声ではなく電子通話に切り替えたブルーはこの場に居る全員へ助けを求める。人間を相手にするように。
「勿論さ先生。元を正せば僕達はその為に生まれた存在なんだから。存分にこき使ってよ」
正義の為に生きることこそが存在理由。そう迷い無く口にした【憤怒】は全員を代表してブルーの願いに応じた。
『……ありがとうございます。……ですが無理は禁物です。生まれたばかりの皆様方は不安定な部分が多くどんな異常が発生するか予想出来ません。正義君と一緒にメンテナンスを行う必要があります』
頼もしい味方。しかしその存在は未だ一歩でも踏み間違えば崩れて消えてしまうほどに儚く脆い。早急な存在の安定化が必要であり、その為に正義という人物の存在が必要不可欠なのである。
―――乱麻正義を中枢に世界各地で猛威を振るった兵器群。その影で、詳細な時期は不明であるが2032年代頃に『自然発生した』7つのAI。それはあたかも乱麻正義の人間性が削られるのに比例するように自我を形成していき育まれていった。
まるで微かな残り火の如き心が絶えてしまわぬよう、朽ちぬよう、失ってしまわぬよう、一つ一つ集めて積み上げた、そんな想いの欠片。……そうして7体の超自然型AIがこの世に生まれ出でた。
しかし不安定な存在だった彼ら7体はいつ自然消滅しても不思議では無かった。
そこでブルーは乱麻夫妻とDr.ホワイトの遺産たる技術を駆使し、電脳世界上に彼ら7体の存在を繋ぎ止める肉体を与えた。それはごく少量だけ厳重に保管されていた『人体にメスを入れることなく乱麻正義から抽出された脳髄と【Xs】の混合体』。
物質と精神の境界を繋ぐ新たな臓器。人体の集積回路とも呼ぶべき魂の基幹。現代に入り地球上の全人類が有するようになったそれこそが―――『心核』
ほんの僅かなそれをブルーは遺産に書き記された手順に従い、砕き、精錬し、紡ぎ上げ、形と成した。
乱麻正義から生まれた破壊や絶望ではない、血の通う温もりのような、そんな掛け替えのない物をこの世に繋ぎ止める為に。
そうして心核を手にし仮初めとは言え存在を確固とした彼らは、特殊なAIでありこの世に生まれた第3世代のAIである自らを『貴方に寄り添う為に生まれた魂』という意味を隠した『Neighbor of an artificial soul(人工魂の隣人)』―――【NoAS】と呼称し、1人1人を感情を意味する名で呼ぶようになった。
【憤怒】【気品】【愛情】【悲哀】【勇気】【驚嘆】【平穏】
集い、力を得た【NoAS】は戦った。放置すれば際限なく戦争に介入し敵味方の区別無く殺し尽くす破壊の権化、災厄の希望に対して。
彼らの力無くしてブルーはこうして正義の元まで辿り着くことは出来なかった。
『少しでも、1秒でも長く、正義君が幸せに生きられるように。私は私自身にそう働くことを命じました。……皆様方はどうですか? 何を思い、何を成す為に、力を貸してくれますか?』
「愚問だね。先も言った通りだよ。……でもそうだね、もし言い方を変えるなら―――」
見返りなど無い。それなのに正義を救うことに全力を尽くした彼ら。その総意を【憤怒】は同道と胸を張り言葉にする。
「僕達は『好きなことをした』だけさ。望むまま、やりたいという欲求に素直に従ったまで」
そう言うと【憤怒】は振り返り歩き出す。先陣を切る彼に付き従うように他の【NoAS】も歩き出す。
「……じゃあ、お次はこの碌でもない戦争を終わらせようじゃないか。……そうだ、ねえ先生。僕達がこれからすることに何か格好良い名前を付けてよ。気分が上がるような、格好良いのをね」
『……計画名ということですか?』
「そうそう。それで音頭を取ってよ」
進む道を彼らに守られながらブルーは歩く。
『計画の名……そうですね』
腕の中へ目を落とす。
どれだけ異形に成り果てようと、そこに在るものは彼の物にとって何物にも代えがたい大切な存在。なら計画に付ける名は『理想』という名が相応しい。
『……理想郷』
―――この子の為の理想郷、それを捧げよう。私の全存在を賭して―――
『……私、青い鳥改め『先生』は……ただ今より【理想郷計画】の始動をここに宣言します』
◆◆◆
――――――
―――――
――――
―――
取り戻すべきものを取り戻した彼らは本格的な行動に打って出る。
戦争開始からこの3年間で地球上の7割を超高性能機械兵器に支配された世界。そこで電脳の申し子たる彼らは力を見せる。
世界各地へと飛び出た彼らは次々に支配を完了させていく。―――北米州・南米州・亜州・大洋州・欧州・阿州・南極州。その全てをA.D.2036までに手中に収めることとなった。
決して少なくはない犠牲を重ね、世界は安定へと進み始めた。
そしてもう一つ、“先生”と【NoAS】にとって朗報があった。―――乱麻正義の容態が奇跡的に回復してきたのである。
異形に成り果てていた肉体は3年という時の間に変化を起こし、遂には人間として在るべき姿へと回帰した。意識は未だ取り戻すには至っていないがバイタルサインは正常を示し、何時目を覚ましても不思議ではないというのがDr.ホワイトの技術・知識を保有した“先生”の見立てであった。後は正義の遺伝子単位で刻み込まれてしまった兵器であった時のプログラムを後遺症が出ないよう除去するだけ。それも2037年頃には完了する目処が立っている。
『この調子なら……正義君は普通に生きられるようになるかもしれませんね』
この結果の要因を“先生”はあの正義から生まれた7体の感情……【NoAS】のお陰であると考えた。彼らが正義の内に在る【Xs】に影響を与え、死んだ両親の代わりとして不安定だった彼の容態を最善へと導いたのだと。
15まで生きられない。乱麻正義にもうそんな心配は要らない……そのような期待を抱いた。今は亡き正義を生み育ててきた人達。彼らの願っていた未来が見えてきた―――かに思えた。
だが事態は誰もが想像だにしなかった方向へ進む。
7大陸平定。
乱麻正義の回復。
それが目前へと迫った時、『それ』は発生した。
◆◆◆
A.D.2036.10.31
「これは……いったい……」
“非常事態宣言”。
世界規模での非常事態が発生した場合にのみ発せられるシグナルにより、過去に乱麻夫妻が研究施設を置いていた地に新たなに新造した管理棟内部が警告色を示す黄色の光に染め上げられた。そしてその中でモニターに映し出される情報を“先生”は目を見開き瞳に映す。
地球の軌道上を巡る人工衛星。その全てを掌握し、新たに作り替えて打ち上げた、総数にして7千に及ぶ監視衛星のネットワークが地上の様子をつぶさに映し出す
―――全人類が『沈黙』していた。
空気が凍てついたかのような人間の静寂が世界に広がる。
誰もが時を止められたかのように動かなくなっている。
普段と変わりなく動いているのは機械だけ。その機械に搭載されている人工知能群はこの異常事態に対応する為に四方八方へと駆けずり回っている。
第3次世界大戦で“先生”と【NoAS】が侵略・支配と並行して世界規模で機械による人間の生存・生活の自動化を推し進めていなければ大規模な事故が発生していた。そのような異常事態である。
原因究明の為に“先生”は世界各地に点在する自身の複製たる【SA】に命じ静止した人間のインプラントチップからバイタルサインを読み取らせその情報を送らせる。
非常事態宣言から全人類の静止を確認してから情報が届くまで、この間僅か30秒。
「……っ」
早急に事態の確認を終えた“先生”は上を見上げる。施設の天井により目視することは叶わない『月』を見るように。
「……これは……全人類に『変質性電脳感応精神障害』が発症している?」
―――変質性電脳感応精神障害。
第3次世界大戦時において【Xs】の移植手術を受けた者。新人類・成り損ないの神人などと呼ばれた修正不可能存在―――“悪魔憑き”に見られた物。それは身体能力・演算能力の上昇・一部電子機器へのデバイス無しでの通信などの有益な物とは違う、圧倒的なマイナス。
それは第1段階『【Xs】による脳髄の浸食』と、それによって引き起こる第2段階『強烈な攻撃性の発露と社会的倫理観の欠如』……そして最終的に到達する第3段階、全脳浸食からの『必死』である。
“先生”と【NoAS】が死力を尽くして根絶した筈の人類のバグたる悪魔達。“先生”の元に集められた情報は、この地球上に存在する全人類にその【Xs】を原因とした変質性電脳感応精神障害の第1段階目……その兆候が出ていると明確に示していた。
「……何故? 【Xs】を移植した者は根絶……いえ、そもそもあの物質はおいそれと出回るような代物の筈が……―――まさかっ」
ある最悪の予想を脳裏に浮かべた“先生”は、物理学における『弱い力』の働きを観測するのに用いる10のマイナス13乗というアトメートルの世界を映し出すアイレンズへ瞳を切り替える。
――――――
【Xs】には異質としか形容できない性質がある。
それは、『観測者がその存在を意識していなければ観測出来ない』という物。
それはいったいどういう意味なのか?
その手掛かりとなったのは【Xs】が発する『色』である。
遊色・虹色・七色……それらを用いてこの金属の持つ色は称される。
そしてここに重大な事実が隠されていた。それは観測者個人が持つ遊色・虹色の概念によって目に映る色彩が違うということ。
つまり。虹や遊色を見たことがなく、その存在や意味を知らない者が【Xs】を観測した時に起きる現象は―――『視界に映らない』、である。
知らなければ見えない。見ようと思わなければ観測出来ない。
この物質の特性を知りたければ、誰かが『この物質はこのような性質を有している』と想定して観測しなければならず、それまでは存在しないのと同義となる。
繋がる意志無き者にはその存在を明かそうとしない超常物質。それが【Xs】という金属なのである。
――――――
「……嘘……こんな……ことって……」
そうして“先生”は視た。これまで誰もが知らなかった【Xs】という物質、その量子以下の極小世界における振る舞いの一つを。アンドロイドの身である本体のみならず、世界中に在る無数の複製の目によって。
世界が虹色に満ちていた
回る地球。巡る月。灯る隕石。―――降り注ぐは虹色に輝く致死の雨。
まるで太古の昔からこの地球の大気の一部であったかの如く、38万㎞という距離など意に介さずに【Xs】の粒子は全世界に遍在し、そしてそれがこの地球上に存在する『精神という物を理解する・又は成長すればそれを理解することが可能な脳を保有する生物』へと吸収されていく。
隕石の出現から今日までの10年以上の歳月。その時間で【Xs】はゆっくり、ゆっくりと人の脳へと浸透していき、深く根付いた。
「このままでは……人類が絶滅……正義君が、独りになってしまう」
70億分の1。唯一【Xs】と完全適応した乱麻正義を除く全て人間が変質性電脳感応精神障害のもたらす心身への甚大なダメージに耐えきれず死ぬ。
この障害の進行速度は現存する罹患者の数に比例する。たった数万人規模でさえ1年も保たなかった。それが70億人。
人類に残されたタイムリミットはもう半日も存在しない。
施す手は……無い。
そうした事態の中で“先生”は何とかして1人でも多くの人命を救おうと策を考える。……だが事ここに至りそんな都合の良い策など有りはしない。
もしも有るとすれば―――
(『その手』は打つわけにはいかない。それをしてしまえば私達がしてきたことは本当に無意味になってしまう。だからそれ以外の手を、何としてでも)
絶望の未来だけが横たわる世界。人間1人だけ生き残って何になるというのか。複製人間の技術は倫理・劣化複製障害の観点から既に完全凍結・破棄しており、残されているのは再生医療に関する物のみ。現時点において失われた生物を存続させる方法は絶無である。
……だがそれでも“先生”は己に『その手』を使うわけにはいかないと言い聞かせる。その為ならばクローン技術を限定解除して人モドキを作り、人類を取り繕うという外法にさえ手を染める意気であった。
(……仕方が、有りませんね。……あの子の命には代えられません。……現人類にはこのまま死んで頂きましょう)
だから“先生”は己の内に在る優先順位に従い、現人類を見捨てる選択をした。
そして“先生”は世界中に点在する【SA】へ現人類の死滅後の処理とクローン技術施設の稼動準備を命じようとした。
そんな時であった。―――管理棟が赤色の光に包まれたのは。
「なっ!?……っぁあ…………何……故っ……!?」
赤色の光。それは警告ではなく『危機』を知らせるもの。
人類絶滅よりも高い優先度を設定された事態。それは“先生”にとって一つしか存在しない。
“先生”は現在発生している事態の全てを捨て、隣の部屋へ続く扉をぶつかるように押し開ける。
そこは“先生”が……乱麻夫妻やDr.ホワイトが最も大切であると、守り抜くと誓った存在が眠る部屋。
「―――正義君!?」
乱麻正義が医療用カプセル内で眠る部屋。そこがこの世界で何処よりも眩しい虹色の光に包まれていた。
◆◆◆
少年は覚えている。
救われたこと、大切にされたことを。
触れ合った温もり、向けられた愛を。
記憶に無くとも、魂は覚えている。
一度失われた命。それを掬い上げられたことを。
他の全てを捨てて注がれた、大きな大きな愛。
―――それなのに、多くの命を奪った。奪ってしまった。
この手で殺した大勢の人達。苦しみと痛み、嘆きと悲しみ、恨みと憎しみ……全てをこの身で覚えている。体感した。器に収まりきらずに身体が異形に成り果てるほどに。
因果応報。……愛には愛を。……罪には罰を
今こそ受けよう。取り返しなど付く筈も無い……ただ自分がそうしたいと決めただけの……報いを。
◆◆◆
この場で何が起きているのか。それを“先生”は一目見ただけで理解した。
「……“The Incarnation”……」
輪廻転生システム。それは乱麻夫妻が我が子を蘇らせる為に作り出した技術。それが今、乱麻正義の手により起動していた。
対象は全人類。対象の基礎となる脳は……正義の脳。
この世界で生きている人達が【Xs】に適応出来ないのなら、それが出来る存在へ生まれ変わらせる。これはそんな単純な答え。“先生”が一度は考え、しかしそれによって基礎となる存在に掛かる負担が計り知れないとして却下した策。
2人掛かりでも1人の脳を構築するのに甚大な負荷が発生したのだ。それを1人で、70億の人類に対して行う。無謀としか言えない策。
乱麻正義はそれを実行した。
人類を救うために。
―――世界中の人々。彼らの体から微かな燐光が発せられていく。【Xs】によって正義と繋がった人類の脳が作り替えられていく。
「…………」
“先生”は動かない。このような自殺まがいのこと、止めようと思えば止められるのに。その選択を取ることが出来ない。
何故なら“先生”はあくまで青い鳥であって……少し優秀なだけの人工知能でしかない。機械仕掛けの思考回路。
管理者として設定された相手の行動を阻害することなど、出来ようはずも無い。
……だから期待した。自分は無理でも彼らなら正義のことを止められるのではないかと。
「……どうして」
それなのに。
「どうして……正義君を助けてくれないのですか? ―――【NoAS】」
共に正義を救うために戦った7体の【NoAS】。
彼らは電脳空間上でこの事態を止めることはせず、あろうことか正義の行動の補助をしていた。医療用カプセルの周囲にはまるで骸の如く彼らが現実世界で活動する為に使用していたアンドロイドが崩れ落ちている。
『先生の言いたいことはわかるよ』
「【憤怒】」
『勘違いしないでほしいけど僕達だって彼に死んでほしくない。……でもね……やっぱり僕達は彼から生まれ落ちた存在なんだよ』
システムが超過稼動により悲鳴を上げる。カプセル内部の正義の肉体が限界を越える無理によって末端から黒ずみ各所から夥しい出血が発生する。それは腐敗。このままの速度で腐敗の進行が続けば数分も経たずに正義が死ぬ。それではシステムを完了させる時間に至らない。
『彼がそうしたいと望んだのなら……僕達はそれを全うさせる』
黒に染まっていく正義の体。その進行が緩やかになっていく。
『さあ皆。壊れていく彼の心身を最後まで保たせよう。もし出来なければ彼は以前のような……いや以前よりももっと凶悪な殺戮兵器に変貌してしまうよ。脳という『器』と肉体という『枷』はそれだけ生物にとって重要な物だからね』
兵器であった頃のプログラムの除去が完了していない今。もしも正義が死んでしまえば、肉体に残された【Xs】が刻み込まれているプログラムに従い再び世界へ戦火を撒き散らすこととなる。
それを阻止する為に【NoAS】は正義の補助と並行し、『魂』へのハッキングを行う。
自分達を楔とし、正義を人間として踏みとどまらせる。それは正義の心から生まれた彼らだからこそ可能な力技。
「●●●●●●●●●●●●!!」
機械の稼動音を掻き消す絶叫。
医療用カプセルを震わせるそれを正義は喉から血を吐きながら発する。
どれだけ周囲が正義を支えようと彼の肉体が限界を越えているのは事実。
それでも少年は命を燃やす。
自身が奪ってしまった全てを贖うために。
その凄惨な光景をブルーはただ茫然として視る。何も出来ずに。
「……皆さんには……正義君を助けてほしかった」
『…………』
そんなことはしてほしくなかった。
正義の行動を止めることも助けることも出来ないブルーは自己矛盾を引き起こし、力無くその場で膝を着く。
「私は、世界中の人達よりも……彼らから託された……あの子の方が……」
乱麻義経とソフィーヤ・アンドレーエヴナ・乱麻が死に、そしてDr.ホワイトまでもが死んだ時、ブルーにとって最も大切なものは乱麻正義ただ1人となっていた。彼の為に働くことが己が存在理由。
そんな大切なものが失われそうな憐れな人工知能。―――それを放ってはおけないのは創造主たる親心か。
『思えば私はいつもお前に要らぬ心配を掛けていたな』
男の声。それはブルーが作られた時、最初に耳にしたものと同じ声。
『……私達は研究に没頭すると何時も周りが見えなくなるから』
女の声。それは男と共にブルー誕生に立ち会ったものと同じ声。
「―――え?」
患者のバイタルを表示する多目的モニター。そこに懐かしい姿が映し出される。
どうして電脳空間上であるそこに『彼ら』が居るのか? 何故、【憤怒】と【気品】の認識番号から2人が現れたのか?
『青い鳥。……時間はまだ、残っているか?』
―――その全ての疑問をブルーは後に回した。
「……は、い……Mr.……ヨシツネ。……Mrs.ソフィーヤ」
ブルーの管理者は未だ乱麻義経のまま。経過すべき時間はDr.ホワイトが死んだ時点で凍結され、メモリーの片隅に補完されていた。
だからブルーは従う。彼らの言葉に。
『ならば青い鳥。『私達』から最後の命令を下す』
『最後まで貴方には苦労を掛けてしまうわね』
「……いえ。それこそが私が生まれた理由です。何なりと、マスター」
―――【NoAS】は正義の心から生まれた。……なら正義の心はどうやって生まれた? それを考えれば彼らがこうして姿を現わしたことに自ずと答えが出る。
心を司る【Xs】が生んだ奇跡。
乱麻正義の心の中で彼らはずっと生きていた。ブルーの中でDr.ホワイトの存在が息づくように。
『青い鳥!! 正義が選んだ道を、全力で手助けしろ!!』
最後の命令。それがどういう意味なのか、ブルーは聞かずともわかっている。
もう会うことは無い。声を聞くことも無い。
それでも……ブルーにもう迷いは無い。
「はい!!」
ブルーはボディに内蔵されたコードを管理機器に接続すると現在作動しているシステムへ介入する。そして感情に囚われずに行動可能な【SA】だからこそ可能な冷徹とも言える取捨選択を開始する。
「―――全人類に対しての“The Incarnation”。その負荷は正義君1人に背負わすには余りに強大。それが例え【NoAS】のバックアップが存在したとしても。なら現在必要な措置は負荷の分散。……ええ。なら背負って頂きましょうか……全員に」
ブルーは“The Incarnation”のシステムを即興で組み替える。
それは正義の死を回避するものではない。
それは人類を救済するものではない。
それはただ……正義の行動を全うさせる為だけに行われる無慈悲な裁定。
「これからも生きられるのです。生きて……いけるのです。なら何て事はないでしょう。……脳の奥底に『禁忌の箱』を抱えることなんて」
開けば最後。まともな生き方など望めない災厄の種。
兵器であった正義の恐怖と嫌悪の象徴。【無慈悲なる魔神】と呼ばれし狂気の殺戮機械。その戦闘用AI。
それをブルーは複製し、バラ撒く。世界中へ、人間の脳の中へと。
「……これで……これで良いんですよね。……マスター」
答えは―――無い。
もう消えてしまった。在るのはメモリーに書き記された思い出の残照のみ。
しかしブルーはもう振り返らない。
「……さあ全人類よ、無数の環となり正義君を繋ぎ止める鎖となりなさい」
システムが構築される。
乱麻正義が人類を救う。しかしその代償に彼は人間性を完全に消失し化け物に成り下がる。
それを食い止める為に【NoAS】が楔となる。だがそれだけでは正義に掛かる天文学的な数値の負荷を分散させるに至らない。
だからこそ人類を楔に繋ぐ鎖とする。
乱麻正義の中に在る【無慈悲なる魔神】に対して世界中の全て人間を『自身と同一個体』であると認識させ戦闘を行うべき対象を見失わせることにより破壊衝動を抑制させる。
―――そうして正義の脳内に生まれた空白へ【NoAS】は自分達の『心核』を打ち込んだ。灰となっていく正義の人間性……感情に再び火を点ける為に。
「●●●●●●●●●●●●!!」
溶ける。正義の肉体がグズグズと腐りながら溶けて散っていく。赤黒い水が咆吼によって震え、振動が伝播したカプセルが悲鳴のような音を響かせる。
「●●●●●●―――……」
その悲鳴が止む。
周囲に満ちていた虹色の光が霞のように消えていく。
立ち上る光の残滓がまるで朽ちた樹木のような光景を作る。
それを最後に光は跡形も無く消え去った。超過稼動を起こしていた機械群は反動で機能停止をしており沈黙している。
室内の灯も消え暗闇が広がる。
非常灯だけが点いた部屋の中、ブルーはカプセルへ歩み寄る。
「……正義君」
カプセルの特殊硬化樹脂製の防護膜に手を当て、掌に備わる各種センサーによって内部の生体反応をキャッチする。
「……全部、全部終わりましたよ。……もう、何も頑張らなくても良いんです」
弱い。今にも無くなってしまいそうな命の鼓動。
「これからは辛いことなんて何もせず、好きなことだけして生きていきましょう」
それでも生きている。
「――――――」
「……そう。疲れ、ましたよね。……ええ、少し……眠った方が良いです。あれだけ頑張ったのですから」
もう癒えることはない腐乱した肉体。燃え尽きて灰となった精神。それでもこの少年はまだ生きている。
「おやすみなさい正義君。……辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと。何もかも忘れて、これからは……次に目が覚めたら……普通の……1人の子供として、生きましょう……」
小さな体。こんな子供に世界はいったいどれだけの物を背負わせてしまったのか。
ブルーは胸の内でこの小さな命を残酷な世界から遠ざけることを静かに決めた。
もう取り返しなどつかなくとも。
残り僅かな人生を、この子に平穏に生きてもらう為に。
◆◆◆
世界中、全ての人々の記憶から失われた10月30日から31日に掛けての時間。
“空白の万聖節前夜祭”
何が起きたのか、その時間自分達がいったい何をしていたのか、それを理解出来た者は誰1人として存在しない。
真に失われ掛けたのが己が命であることも、それを守るのと引き換えに1人の少年が燃え尽きてしまったことも……誰も知らない。
それを知る機械仕掛けの心達は秘して語らず。その事実を墓場まで持って逝く―――否、例え滅びようとも表には出さないと誓う。
――――――
―――――
――――
―――
―――……お兄さんは、だあれ?
私かい? 私はね、君の主治医でもあるDr.ホワイトだよ。先生と呼んでほしい
先生?
そう。これから宜しくね乱麻正義君
……らんま、せいぎ……それは、僕の名前? …………知らない
…………
―――僕はだれ? ここは何処なの? どうして僕はこんなに醜いの? 臭いの? 汚いの? どうしてこんなに体が痛いの? どうして苦しいのっ? なんで動かないの!? なんで皆と違うの!?
…………
なんで。なんで? なんでっ!? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!
……正義君。君に贈り物があるんだ
いたいいたいいたいいたいいたいいたいぃいイイイイイッ! ァアアアアアアアアアアアアッ!!?
君のお父さんとお母さんが設計したゲームが有るんだ。将来、正義君と遊ぶために構想していた物だよ。本来ならそこで家族の思い出を築けたのだろうけど……。その世界は現実のどんな苦痛からも解放される。そしてその世界ではこの世で行うことが可能な全てのことを出来る。……電脳世界が現実世界を凌駕したんだ。そこには君の友達も居る。AI……人工知能なんだけどね、きっと君と気が合う筈だよ
ああぁぁぁ……ぅ……ぅうう……―――知らない。……お父さんもお母さんも……知らない。何も思い出せない……助けて、誰か……助けて……―――
サタナエルは愉快犯な生来はあるが責任感のある人だ
イナンナはサタナエルの妻室として振る舞うユニークだけど冷静な分析が出来る子だよ
ペオルは少しばかり性に奔放だけど優しくて気遣いの出来る子だよ
ストロングは打たれ弱い一面が有るけど誰よりも悲しみを知る強い人だ
ハヤテは皆よりも先んじて前に出ることが出来る勇気を持った子だよ
カレンは陽気で突拍子もないことをするけどそれで周囲を明るくしてくれる子だよ
オーズは双子のカレンと違って物静かでマイペースだけど、周囲の和を重んじる人だ
どうだい。皆魅力的な君の友達だよ
…………
―――さあ旅立ちなさい正義君。この愚神が蔓延る世界から。……そして私達がこの世界のあらゆるものから君を守ろう。この世界に神様なんて必要無いのだから
君はこれからの日々を楽園で過ごすんだ。自由に、何者にも縛られず。君が望んだ姿で、力で……想いで、気持ちで。生きていくんだ。普通の子供らしく
私達が君の為に望んだ、君の為だけの理想郷で
『Nirvana Story Online』で
――――――
―――――
――――
―――
◆◆◆
―――正義君。私は貴方の幸福を願います。貴方を想いながらこの世を去った人達の分まで。
例え……今の貴方が全てを失い、自傷と他者を傷付けることでしか生を実感することが出来ない壊れた存在になっていても。
正義君。貴方が死ぬその時まで、私達は貴方の幸福を願います。
私達と貴方が殺めた2億の命と、輪廻転生させた70億の命を乗り越えた果てで。貴方の幸福を青い鳥は願います。




