102.忌まわしき化け物
ロベリアとタローマティが繰り広げる戦いの激しさは教会を崩壊させた。
砕ける床。吹き飛ぶ壁。落ちる天井。瓦礫と化すそれらを意に介さず二者はぶつかり合いを続ける。
「―――しっ!!」
ロベリアによる地割れが起きるかのような踏み込みから放たれる蹴り。それは装着した金属繊維のレッグガードに致死毒を巡らせた凶悪な一撃。
「無駄ァッ!!」
それをタローマティは防御結界で防ぐ。下半身から顔を出す醜悪な3つの犬の頭部が呪詛の込められた吠え声を上げて結界を強化する。
強化結界はロベリアの攻撃を防ぎきるともう1つの効果を発揮する。
忌むべき“呪言”が結界に浮かび上がるとそれがロベリアの脚から這いずり回るように体へと殺到していく。
無数の呪言一つ一つに心を蝕み穢す呪いが込められておりそれが肉体に定着すると、激痛、幻覚、神経麻痺、呼吸不全などの症状を皮切りに心身を侵す。
「はっ!!」
ロベリアは接地した足を起点に覇気を伴う発勁を行使する。“浄化”の力を込めたそれによって纏わり付く呪言を1つ残らず掻き消した。彼女はその肉体を駆け巡った勁をそのまま突き出した脚へと再度流して爪先から放ち、結界ごとタローマティを後方へ吹き飛ばす。
「……っ……ちいっ!」
憎々しげな表情を浮かべたタローマティは吹き飛ばされながら12本の脚、その体毛を蠕動させる。擦れ合う体毛が不協和音を奏で聞く者を前後不覚に陥れる。悍ましい楽器と化した脚部から鳴り響くそれをロベリアは全身に赤紫の毒霧を纏って無効化しながら突き進む。
ロベリアは骨を鞭のように撓らせ翡翠の鱗を鋼鉄さえも容易く引き千切る硬さへと化した四肢を武器にタローマティを攻め立てる。槍のような貫き手や突き蹴り、刀剣を想わせる手刀や回し蹴り、鉄槌の如し拳打や踵落とし……全身の勁を余すこと無く伝えるこれらの攻撃は圧倒的破壊をもたらし受ける者の耐久を容赦無く削り、纏う赤紫の毒霧は触れる者を蝕み死へと至らしめる。
タローマティは異形の肉体と培った魔法を併せた術式を行使する。醜い犬は肉体を歪ませる呪詛を吠え、悍ましい脚部は精神を破壊する音を奏で、穢れた鮫を想わせる尾は生臭さを伴う瘴気を漂わせる。そんな醜悪さを煮詰めたような下半身からは想像出来ない美しさを持つ女型の上半身は油断無く敵であるロベリアへと向けられる。悪神の寵愛を授かりその力を漲らせる美しく醜悪な悪魔は鋭く相手を睨み付ける。
―――相手への殺意を込めに込めた激しい攻撃の応酬。
互いに無傷ではない。ロベリアは幾度かその身を掠った爪などによって薄く血を滲ませている。タローマティは防御が間に合わずに食らった打撃による痺れや鈍痛を感じている。
この世界の最上位強者に列せられる両者の戦いはまるで互いを喰い合う獣のような様相を呈し、しかしそれでもどちらが優勢なのかはどちらも自覚している。
ロベリアは一見血を流している所為で圧されているように思われるがその実、深いダメージを負っているのはタローマティの方である。極限まで威力を込めた打撃の一つ一つが直撃はせずとも確実にタローマティの心身を削っている。
「―――ちまちまちまちまと噛み付いてきて鬱陶しい! いい加減に無様を晒したらどうなの!? 本気で私に勝てるとでも思ってるの!?」
そんな現状に焦れたタローマティは苛立ちを深く顔に刻みながらがなり立てる。
「……キンキンと五月蠅いのは初めて会った時もだったわね。不愉快な声、耳に障るわ」
額から流れる血を腕で軽く拭いながらロベリアはそう吐き捨てる。それが余計にタローマティの神経を逆撫でする。
「黙れ!! 悪神様の深き愛を解さない愚かな人間めっ!!」
「……愚か? ……くすっ」
ロベリアは薄く笑い、構える。繊細な脱力を維持しつつも折れない芯が通ったその構えは見る者へ壮絶な修練と研鑽の跡を感じさせる。
「愚かなのはお前よタローマティ。その愚かさの代償を、私が、この手で、私自身の力で……支払わせてやる」
「…………」
タローマティは目を細め、じっとロベリアの顔を見る。その翡翠の瞳の輝きに強い既視感を覚えたのだ。
「……貴女まさか……あの村の生き残り? その目、ええ、見覚えがあるわ。人間種族ってよく子供を作って自身の形質を遺伝さていくから個々人の判別が難しいけど……その瞳と鱗、直系ね」
自分の素性を思い出したと言うタローマティへロベリアは意外そうな目を向ける。
「あら、覚えているの? お前のような真っ当な悪魔なんていちいち自分が踏み躙った物なんて数えていないじゃない?」
「確かに私は真っ当な『信徒』。だからこそ悪神様の素晴らしさを説いてきた場所はしっかりと覚えているわ。あれはそう、今から12年前になるかしら? 『布教活動』のついでに顕界を維持する為に『供物』が必要になって、折角だからとっておきのお土産を提げて向かった“手脚無き長虫”と縁のある村。……貴女はその村長の娘ね」
全てを思い出したタローマティはロベリアがこうして自身と一騎打ちを臨んだこと、その理由に察しが付く。
「家族の仇。私への復讐。それが貴女の目的」
「ええ、そう。その通りよ。お前は今日、私という復讐者に殺されるの。理解出来た?」
「復讐は何も生まないと貴女は教わらなかったかしら?」
「……悪魔が似合わないことを口にするわね」
ロベリアは胡乱な者を見る目でタローマティを見る。そんな彼女の反応に気にした様子も無くタローマティは語り出す。聞いてもいない、聞く価値も無いようなことを。
「復讐なんて非生産的よ。奪われたから奪う? それは自分で新たな自分のような者を作る行為。今度は貴女が誰かに復讐される立場になるのよ? それは終わりなき渦を描く円のように積み重なっていき……やがてその重さが無関係な者達へも波及し害をもたらす。……代償……そう、ここまで辿り着くのに貴女はどれだけの代償を周囲へ強いてきたのかしら? 貴女の立ち居振る舞い、それは真っ当な者の物ではないわ。つまりそんな人生を歩んで来たのでしょう? いったいここに至るまでどれだけの無辜なる民が涙を流したのかしら? そんな貴女が望む復讐に正当性は在るのかしら? 本当に裁かれるべきは貴女自身ではないのかしら? わかるでしょう、貴女が真に考えるべきはそんな貴女が踏み躙ってきた彼らへの償いなの。貴女は彼らへ許しを請わなければいけないの。私のような敬虔な信徒への復讐だなんてそんな物にかかずらっている場合ではないわ。……懺悔。そう、懺悔をするのです。愛深き悪神様はきっとその懺悔を聞き届け貴女へ慈悲を賜るでしょう。その時に貴女はこの世を統べるべき偉大な存在である悪神様の素晴らしさを実感する。そうなれば―――」
言葉は通じるが話しは通じない。何を言っているのか理解に苦しむ。延々とそんなことを語り続けるタローマティ。
ロベリアは雑音程度の価値すら感じないそんな言葉の羅列を右から左へ流し。
「馬鹿ね。だから愚かだと言うのよ」
そして口の端から紫煙を立ち上らせながら一笑する。
「……何?」
「私の知り合い、友人が言っていたわ。……『好きなことだけしていたい』と」
ある日の会話。その時にセーギが口にした言葉。それがロベリアの心に深く残っている。
ロベリアの脚に力が込められる。
「それを聞いて私はね……私自身も、そうしようと思ったの。今まではお前を殺せれば自分の命が尽きてもいいと思っていたけど。思い直した」
空気が張り詰める。それはロベリアの体内で操られる勁の高まりに呼応するもの。
「お前が生きていると私は好きに生きられない。生きていけない。だから―――」
翡翠の蛇が輝く。
「―――一度死んだ私という少女の為に、ここで私に殺されろ」
視界から消えるほどの速さによる接近。その速度を重さに変えて、体内で練り上げた勁を振り上げ突き出した足先へ集中させる。
打ち出される破壊の蹴撃。直撃すれば無事には済まない。タローマティはこのまま戦いを続けても自身の勝ち目が薄いと感じ取り『奥の手』を切ることを決めた。
「―――私を守れオーズ!」
命令が響き、それは聞き届けられる。
「わかった」
防がれた。
「っ!?」
ロベリアの強力な攻撃は防がれた。タローマティは一切動かず無傷でやり過ごした。
それを成したのは2人の間に割って入った異国の『着物を身に纏う少年』であった。彼は腕を上げてその小さな手の平で完全に蹴りを受け止めていた。
「何者?」
「………」
突如姿を現わした少年へロベリアは警戒を露わにする。受け止められた脚を直ぐさま引き戻して後方へ下がり距離を取る。少年はロベリアの問い掛けには一切反応を見せずただ黙って立ち塞がる。……タローマティを守るように。
そんな少年の姿に満足げな様子を見せるタローマティは口を開く。
「さあ、オーズ! この私の言葉に耳を傾けずわけのわからないことをのたまう愚かな女を……そして何時の間にか何もしないまま終わりそうになってる戦争、その原因である謎の男や『影の聖女』である狐、それに付き従う目障りな者達も全員―――」
ロベリアを見て、そして半壊しながらも〈ゲルダ大平原〉の現状を映し出す魔法映像へと目を移したタローマティは次の命令を少年へと下す。
「―――殺してあげなさい!」
その命令を受けたオーズは体に刻まれた10の“誓約”の強制力に従い動き出す。
「……わかった。……ごめんなさい」
幼気な顔に何の感情も浮かべていないがしかし目の前の相手へ謝罪を口にしたオーズ。彼はそれでも腕を振りかぶる。
攻撃がくる。ロベリアはこの少年の正体は知らずとも決して油断して良い相手ではないことを直感で理解していた。だからこそ攻撃に備え―――
「―――がっ!?」
それが無意味であったことを全身に受けた衝撃によって知り、そしてその勢いのままに吹き飛ばされる。
流れる周囲の景色。森の緑が引き延ばされ、吹き飛ぶ自身の体は途中にある木を折り砕き、それでも勢いは減じず何本も木々を薙ぎ倒す。
そんな状況の中でロベリアは見た。自身を『殴った』物の正体……オーズと呼ばれる少年、その正体の一端を。
―――鱗を備えた巨大な獣の腕。
指1本でさえも人間1人の大きさを超える手、そして腕の長さは10mを優に超す。オーズは右肩から先をそんな小柄な体とは不釣り合いな、巌の如き荒々しい剛鱗と太く硬い鉄塊のような爪を備えた異形の腕へと変化させてロベリアを殴り抜いたのだ。
木々を薙ぎ倒して吹き飛んでいったロベリアの姿をオーズはただ静かに見送り、突き出した巨腕を引きその大きさに見合った重量を感じさせる地響きを立てて地面へと落ち着かせる。
開幕早々に強力な一撃を見舞った結果にタローマティは喝采する。
「素晴らしい! 流石よオーズ!」
「…………」
「でも、あれはどれだけ歪んでいようと憎き“聖女”に変わりない。あれで死んだりはしない。さあオーズ。しっかり追撃を掛けて息の根を止めてきなさい。予定とは違うけど私は戦場に仕掛けた“狂乱の宴”の呪いを今から発動させる。これで今の盤面を覆す。……悪神様の愛をあの地に広める為に」
「……わかった」
オーズは命令に従い一歩を踏み出す。それに伴い着物の下の体が蠢く。
右腕のみならず、左腕、胴体、脚……そして頭部と変化していく。
小柄だった輪郭が面影など見られないほど巨大になる。その姿に元の少年を連想出来る者は皆無であると断言出来るほどの変化。何時かの邪竜などよりも遙かに巨大な獣の王がその偉容を日の下に晒す。
『グルルルルルゥ……』
巨大な足が地面を踏むと深く沈む。巨大な拳を歩行の補助に使いながら腹の奥に響く地鳴りを立ててオーズは進む。周囲に自生する木々よりも遙かに高くなった視点から自分が進む先を見据える。
黒紫色の剛鱗に包まれた巨獣が、黄土色の角と牙を鋭く光らせ、燃えるような真っ赤な鬣をなびかせ、太い四肢を動かしながら唸りを上げる。全長50mは下らない巨体を揺らしてオーズは唸りとは別に声を発する。
『……お姉さんに恨みは無い。だから、せめて直ぐに楽に―――』
“誓約”により縛られたオーズに自由は無い。それでも不必要に相手を痛め付けたり苦しめたりする趣味は無い。そんな彼の僅かに発露できる慈悲に対して―――
「―――要らないわ。そんな気遣い」
『――――――』
破壊の道筋からではなく、脇の木々から矢のように飛び出してきたロベリア。
左眼には縦断する傷を負い瞼が閉じられ、防御に使った左腕は折れてあらぬ方向へ曲がり、その腕を越えて伝わった衝撃は胸骨を砕き、体のいたる箇所を血濡れにしたロベリア。満身創痍だと言える状態にありながらしかし彼女の目から戦意は欠片も減じていない。
翡翠色の瞳が巨獣を射貫く。
「私を―――舐めるな」
骨を撓らせ、筋肉を隆起させ、体内を巡る力の流れを操り、一足飛びで巨獣の頭部へ肉薄したロベリアは、その振り上げた足を叩き付ける。
『―――っ―――』
蹴りに込められた威力が炸裂した。凄まじい轟音を立てて巨獣の頭部が揺れる。
攻撃は一度で止まない。初撃の手応えから今の一撃がこの巨獣に有効ではあったが大したダメージを与えていないのを感じ取ったからだ。
恐るべき頑強さ。それを貫く為にロベリアは数多の打撃を放ち続ける。その一撃一撃が迷宮の壁や床をぶち抜き最下層まで辿り着いた破壊力
幾度となく衝撃が辺りに散り、重なるその波が空気を震わせる。
攻撃の余波。それだけで周囲の木々が突風に煽られたかのように撓む。
――ギリッ――っと歯軋りする音がその衝撃波の中で掻き消える。それはロベリアが発した物であり、それをした原因は目の前の巨獣である。
(これだけ、やっても……っ!)
どれだけ頑丈であろうとこれだけ強力な打撃を叩き込めば、肉を潰し、骨を砕き、打ち倒せていたのがこれまでの普通であった。
目の前の巨獣はそんな普通を真っ向から崩してくる。
『……凄いね、お姉さん。〈NSO〉でもここまで強いプレイヤーはいなかった』
動く。今までされるがままだった巨獣が動き出す。幾度と自身の頭部に打撃を受けながらも巨獣はその目をロベリアへ向ける。
『でも、所詮1人。後衛・遊撃・補助。何もかも足りない……対多数を前提にデザインされた魔王である僕には前衛1人じゃ届かないよ』
一度の戦闘で数十人規模のプレイヤー達と相対してきた巨獣。その中には熟練者も圧倒的な技能を所持する者達も居た。……しかしそんな者達もこの魔王と戦う時は徒党を組んだ。
理由は単純。1人で戦うにはこの巨獣はあまりに、重く、硬く、そして……強い。
トッププレイヤー達ですら数の暴力で挑むことを余儀無くされた存在。その猛威がたった1人へ牙を剥く。
『陸崩の魔王へ1人で相対することになったその不幸。……同情するよ、お姉さん』
「――――――」
神話に於いて最たる獣とは『竜』と呼称された。翼が無くともその偉容は紛れもなく竜だった。
これと比較すれば土砂崩れさえまるで小川のせせらぎだろう。
そんな圧力をもって巨獣の豪腕―――対策無しにはプレイヤーでさえ一撃でその命を全損させる竜の如き獣の拳がロベリアへ振るわれた。
◆◆◆
その存在が出現したことにこの国境の戦場で最初に気付いたのはセーギだった。
「―――……あれは、ベヒーモス? ……まさか……オーズ?」
平原から遠く、……しかしそれでも山々の中では一番この平原に近い位置に存在する山。そこに出現した木々の高さを遙かに超える巨大なる偉容ははっきりとその目に映った。
セーギの心の揺れが威圧を弱めた。それによって正気を取り戻す兵士達。先程までの大勢の人々が居るにも関わらず異様な静けさが満ちていたが、この場にあって当然の喧噪が戻ってくる。
「……あ、……ああ……ああああぁ……」
―――しかしセーギはそれに意識を向けることが出来ない。
目を見開き、そして顔色は青ざめている。頭の奥では内側から砕き割られるような頭痛が発生し、体は血管に鉛でも流れているかのように重く、呼吸は地面の下にでも生き埋めにしたかのように苦しい。
普通に歩くことさえ難しい体の異常に見舞われながら、セーギは肉体よりももっと自身を乱す物へと意識を向ける。
震える。
セーギの心が震える。『9つ』に分け、『7つ』を移し、それぞれが1つを宿して培い、……そして親とも呼ぶべき彼を守ってきた心。それが震える。
〈エリニア〉の兵士、〈フョルニル〉の戦士、それぞれの中に居る目の良い者達が山で起きていた異変に遂に気付く。巨大な怪物の出現に喧噪が大きくなっていく中でセーギだけは声もろくに出せずに茫然とする。
――――――
名:オーズ・ベヒーモス
種族:【地王獣】
性別:雄
年齢:8
レベル:【1300】
スキル:【轟撃地砕の魔王】、【偉大なる獣の王】、【悠久の大地】、【誓約】
称号:【異界の魔王】、【人造聖霊】、【陸崩の魔王】【末弟】、【草枕】
――――――
怪物は腕を振り上げる。近くに居る者へ振り抜く為に。そして拳は放たれ―――怪物もその存在に気付く。
『―――ぁ』
遠くに居るセーギの姿をその獣の瞳に映す。
一瞬の交錯。互いに互いを知る者の邂逅。……しかし事態は止まらない。
怪物の豪腕が唸りを上げ、大気を引き裂き、大地を震わせながら『何か』を殴り飛ばしたのをセーギは見た。
真っ直ぐ、真っ直ぐに飛んでくる。空間を食い破る雷のような速度で『何か』が飛んでくる。
飛んできたそれが何なのか、『誰』なのかを知ったセーギは走る。頭痛によって周囲の音が掻き消され、自分の呼吸や鼓動さえ遠くに置き去りにされる中でセーギは走る。
背後から感じる、兵士や戦士達から滲み出てくる“狂乱”の気配さえ意識の外にし、セーギは飛んでくる『彼女』を受け止められる位置へ駆け付ける。
手を伸ばし、飛んできた彼女を受け止める。しかしそこには膨大な威力の残滓が在る。そのままこの場で堪えれば激しい衝撃の炸裂により受け止めた者が潰れる。
「―――っ!」
セーギは自分の体を緩衝材代わりに衝撃を通す。そして飛んできた勢いに身を任せ受け止めた者と共に力の流れに乗って飛ぶ。
幾分か緩和された速度。しかしそれでも発射された弾丸の如き速度でセーギ達は飛ぶ。
セーギは回転し、その身を草原に打ち付けながら衝撃を散らしていく。腕の中に抱いた者に一切の被害がいかぬように余分な威力は体の中で殺す。草原を抉り大地を砕く轟音を立てながらも飛んでいくセーギ達は徐々に減速していく。
「……ぐぅううっ!」
瞳を赤黒く染め、食い縛る歯の間から呼気を漏らし、セーギは地に足を着ける。靴底で草原を滑り……遂に止まる。そしてその腕に大事に抱えた者へ顔を向ける。
「っうぅ。……ロベリアさんっ!」
夥しい血を流し、その美しい翡翠色を真っ赤に染め、一目で重症とわかる傷を負ったロベリアだった。
「……せ……ーぎ、さん? ……わた……し……は……」
セーギの呼び掛けに反応し掠れながらも声を発する。セーギに何かを伝えようとしたが、しかし開けていた片目も閉じられ意識を手放した。
異変に気付き、そして吹き飛んでいったセーギとロベリアの元へ仲間が遅れて駆け寄ってくる。いち早く2人の元へ馳せ参じたのは人獣化したままのウスユキだった。
『お兄さん! 山のあれはいったい……ロベリア様っ!?』
ウスユキはセーギの腕の中で満身創痍となっているロベリアを見て目を剥き毛を逆立てる。
ロベリアの強さを知っているからこそウスユキには今の彼女の状態が信じられなかったのだ。
「……ロベリアさんを……頼む」
『え? ちょ、ちょっと待ってください!? お兄さんも変です!? 凄い体調悪そうです!?』
国宝とも言える武装を文字通り脱ぎ捨ててウスユキは傷だらけのロベリアを受け取る。そして足元が覚束ない歩みで彼方に見える怪物へと向かっていくセーギの背に慌てた声を掛ける。
遅れてマリーを連れたアザミ、そして戦士との戦いで少なくない傷を負った、リンドウ、キンレン、ストレリチアの3人が到着する。
「ロベリア!? くそっ、何が起こっておる!」
何時もの廓詞を捨てアザミはウスユキの傍へ駆け寄る。彼女に続くようにリンドウ達も駆け寄る。
『セーギ!』
「……マリー?」
セーギは足元へ来ていたマリーへ視線を落とす。見上げてくるその目にははっきりと不安の色が表れていた。それは決してロベリアの容態や周囲の兵士や戦士達に発生した異常だけではない。その不安はセーギにも強く向けられている。
『セーギ、行っちゃ駄目っ。行ったらきっと大変なことになるっ』
「……ごめん、マリー……それでも……俺は」
言い様の無い不安を抱えたマリーの制止を振り切るようにセーギは歩く。
震える心に突き動かされ、セーギはただ真っ直ぐに山から此方へ進んでくる“陸崩の魔王”に向かって脚を動かす。
「行かなくちゃ……いけない。……そんな、気がするんだ」
『……セーギ』
マリーの歩みを止めるように翳されたセーギの手。そこには先程までは引いていた筈の『黒』が再び広がりを見せ、それは服の上からでは確認出来ないが全身に及ぼうとしている。
ベヒーモスへと近付けば近付くほど、変化が大きく、早くなっていく。
圧倒的巨体を誇るベヒーモス。その進みは相応に早くて既に山を下り同じ地平に足を着けている。
首元から血管が這うように上ってきた黒が目の周囲にまで届く。それに伴いセーギの目、その白い強膜の部位が真っ黒に染まり瞳が深い赤色へと変ずる。
頭痛はより酷く悪化し、心臓は胸を突き破りそうなほどに強く脈打つ。
『……こんな時に……出会うなんて』
―――声が聞こえる。まだ遠く離れている筈のオーズの声がセーギに届く。しかし周囲の者達にその声は聞こえていない。
その声は空気を震わせる物ではなくセーギの心に直接響いてきている物だった。
『会いたかった。……でも、会いたくなかった』
出会えた歓喜。出会ってしまった悲痛。それらがない交ぜになった感情が伝わる。
『正義。……今の僕には錠が掛かってない。……君の記憶を封印する為の大事な錠が』
(……記憶を……封印?)
『……ごめんなさい。辛いよね? 苦しいよね? ……あんな記憶、もう二度と思い出さない方が良かったのに。人同士の戦争、そして僕と会ったこと……それが正義の記憶をこじ開けようとしてる。……錠である『倫理制限』が外れてなければ、正義にそんな辛い思いはさせなくて済んだのに』
セーギの身に起きている異変。
その原因は、この人間同士の戦争に介入したこと、オーズと出会ったこと、その2つだと言う。……しかしセーギには腑に落ちないことがある。
(俺の記憶と、皆の倫理制限に……何の関係が……)
倫理制限はあくまでゲームの中の物だった筈。それを掛けられていたAIである友人達と自分に何の関係があるのかわからない。
『それは―――』
―――そこでオーズの言葉が途切れる。
雄叫びが聞こえる。
1人2人のではない。大勢の……そう、この戦場に居る兵士や戦士達全てを併せた群れの雄叫びが轟く。その声から感じるのは理性を塗り潰すような『狂気』。
〈ゲルダ大平原〉、その〈アレークトー〉側国境付近。セーギ達の介入がなければ戦場と化していたその地にタローマティが仕掛けていた呪術“狂乱の宴”。それは発動すればその地に立つ者へ精神汚染……狂化を施す。仕掛けたタローマティの狙いはそれによって正気を失った人間達の凄惨な争いを起こさせることであった。狂気に呑まれた人間が引き起こす残酷は悪神への最大の供物となるからだ。
“狂乱の宴”が発動された。
兵士達の目には獣人達が、踏み躙り、虐げ、隷属させる物にしか見えなくなる。
戦士達の目には普人達が、蹂躙し、簒奪し、復讐を果たす物にしか見えなくなる。
―――それが限界だった。
「……ァ……」
戦争の狂気を一身に感じ取ったセーギは……思い出す。
―――コロセ―――
「……ァア……」
自分が取り返しの付かない大罪を背負っていることに。
―――スベテ コロセ―――
「……ァアア……」
前世においても、今生においても、比類無き『大罪人』であることに。
―――センジョウ ニ イル テキ ハ ミナゴロシ ニ シロ―――
……否。
そもそも前世で『乱麻正義』という人間は記録上『生後間もなく死亡』している。つまり2024年から2041年まで生きていた乱麻正義という人物は存在しない。
彼は人であって、人ではない存在。人間の肉の中に押し込められた物。
閉ざされていた記憶が、押し寄せる。
――――――
研究室が見える。そこには複数の白衣を纏う研究者が。
観察されているのは6歳程になる少年。深い眠りに付く彼の体には無数の機械が繋げられ、生体反応や脳波に始まり様々な物が科学者達に記録されている。
機械に備えられた光学機や集音器を通して少年は周囲の情報を無意識下に保存する。それに気付いている科学者は1人も居なかったがそれで彼らにとって不利益が発生することはなかった。
――実験は成功だ――記憶を改竄しました――この性能なら――早速戦場へ投入して――既存の兵器の概念を超越――苦労して手に入れた甲斐があった――
そして少年の意識は閉じられ―――地獄のような戦場へ投入される。機械の体にその少年の電脳量子体を宿して。
人が搭乗していないが故に通常では考えられない機動が可能になり、人と遜色の無い柔軟性さを持つが故に特異な性能を得るに至った兵器。
戦車。戦闘機。戦艦。潜水艦。要塞。形は違えどその全てに宿り、その既存の兵器群のシステムを凌駕する戦果を少年は上げた。
少年の存在がこれまであった全ての兵器を過去の物とした。
時代遅れの兵器で少年に勝てるわけがなかったのだ。何故なら少年は人間ではないのだから。
少年は元々『死亡後間も無く冷凍保存されていた赤子の肉体にAIを搭載させた物』であり―――言ってしまえば機械人形とさして変わりの無い存在だったのだから。
自律機械が兵器を動かす。これはそういうことなのだから。
――殺した、殺せたぞ――戦果は――推定ですが――素晴らしい――これなら勝てる――“これ”は我々の希望になる――計画を進めよう――浄化計画を――今よりこのプロジェクトを便宜的に仮称・希望の星と呼称する――
修羅と呼べる戦場に身を堕とし、少年は悪鬼の如く『敵』を殺して殺して殺し尽くす。
血と死体が埋め尽くす世界で少年は腐臭を放つ。
心が黒く穢れ、容れ物である肉体が腐っていく。
とある男女から受け継いだ全てが腐り落ち、醜い醜い化け物へと成り果てた。
悪鬼の足元にある死体の山。それはこれまで奪ってきた人の命。
百は少なすぎる。千でも少ない。それは十万でも足りず百万ではきかない。
屍山血河を築きし化け物は数千万もの死の上で呵う。
その哄笑は心が割れる音だった。
――――――
―――殺戮の大罪を背負いし人成らざる存在はなんと呼ぶべきか?
「―――ァアアAaaaaaaaaaaaaaaaaaaah!!!!!」
枷を失ったセーギ。それにより彼を構成する“勇者”と“魔王”が歪に混ざり合う。『2つに分割されていた心』が1つに繋がる。
2つのステータスが異常により狂う。全ての情報が塗り潰され、一部を残し解読不能になる。
「●●●●●●●●●●●●●●●●●●!!!!」
破壊の波動が周囲へと撒き散らされる。どんな自然災害よりも凄まじきその波動による衝撃は付近に在る全てを吹き飛ばす。
狂気に呑まれた兵士や戦士はもちろん、セーギの尋常ならざる様子を察知し追って来ていたマリーやウスユキ達さえ波動で弾き飛ばす。
風景さえ歪む破壊の波動の中、その中心で立つセーギに決定的な変化が訪れる。
体表が漆黒に染まり肉体が二回り以上巨大化する。魔王ラーヴァナさえ越える5m近い巨体その背中から18本に及ぶ異形の腕が生え、そのまま這うような体勢になって体を支える。
黒く塗り潰された体に、頭部にある2つの目以外に大量の眼球が出現し開眼する。
真っ赤な口が裂けるように開かれ、その喉の奥からは絶叫さえ生温い咆吼が轟く。
額からは黒を突き破るように黄金の角が乱れ生える。
『……ごめん……ごめんなさい。正義』
変わり果てゆくセーギをオーズは悲しみを湛えた目で見詰める。
『責任は、取るから。……君をこれ以上……不幸にしない為に』
オーズは自身に掛けられた“誓約”に身を委ねる。所有者に命じられた内容は『邪魔者の殺害』。それをオーズは利用する。命令に従うことで実力以上の力を発揮する為に。
今だけはこの己を縛り付ける呪いがオーズに力を与える。
『……正義、君を止めよう。……たとえ―――』
オーズは忌まわしき化け物と成り果てたセーギへ歩み寄って行く。
魔王と化け物が相対する。
『―――たとえ……一緒に死ぬことになっても』
――――――
●:【災厄の希望】
●族:【unknown】
●●:【unknown】
年●:【unknown】
●●●:【unknown】
ス●ル:【【黒き破壊は全てを滅す】】
●●:【unknown】
――――――
「●●●●●●●●●●●●●●●●●●!!!!」
化け物が吠え、異形の多腕で地面を掴み、そして駆ける。
地を多脚で這い回る蟲のような機動で化け物は荒れた草原を駆ける。腕の1本1本が草原を叩く度に凄まじい衝撃で辺りが揺れる。
恐るべき速力でもって化け物は瞬く間にオーズへ接近を果たす。化け物には相手の途轍もない大きさなど意に介することではない。近付いた勢いのまま右側の10の拳を振り上げる。
それを迎え撃つ為にベヒーモスも巨大な右拳を持ち上げ……打ち抜く。
化け物が人間と比べいくら大きくともベヒーモスの方が圧倒的に巨大である。故にその拳に込められた単純な破壊力ではベヒーモスに軍配が上がる。
このままぶつかり合えば化け物は押し負け拳は砕ける。
「●●●」
―――だから化け物は真っ向勝負を避けた。
迫り来るベヒーモスの拳。それに対して自身の拳を解いて手の平を向けるとそれで受け止める。普通ならこれでも腕は衝撃に耐えかねて破壊されるが、……だが化け物はそれを完全に回避した。
風に舞う木の葉のような流れる動きで怪物は拳に身を任せる。
拳から手首、手首から上腕……重さがゼロになったと錯覚する霞のような動きでベヒーモスの拳を掻い潜った化け物がその腕を駆け上がる。
戦闘機械は冷静に彼我の戦力差を計算。そこから導き出される結果から最善手を取る。四肢とは別に出力機の役割を果たす18の腕が完全なる制御の元で機動、――1発当たり数十の弾頭を備えた超多弾頭ミサイル、その1発1発の誘導演算を行っていた経験のある――化け物は音速機で針の穴に糸を通すことが可能な精密さで目標攻略を実行する。
『―――がっ!?』
ベヒーモスは苦痛の声を上げる。それは負傷によるもの。
化け物が腕を這った軌道上にはまるで氷菓を匙で掬い取ったような、抉れた傷がまるで道のように刻まれていた。
頑強な鱗も強靱な筋肉も意味を成さない。化け物はその全ての腕に備えた月光を宿す『三日月の爪』によりベヒーモスの肉体を引き裂いた。
『……くっ』
振動が発生する。ベヒーモスがその身を震わせたのだ。
それはただの振動ではない。
その証明にベヒーモスの足から地面に伝わった振動は大地を揺らす。
地震が起きる。
柔な建築物など一瞬の抵抗も許さず崩壊させる揺れが周囲へ広がっていく。草原は縦横関係無く激しく揺れ、場所によっては地割れなども発生する。
狂乱に陥り、目の前の敵へと躍り掛かろうとしていた大多数の兵士や戦士達が立つことが出来なくなり膝や手を付く。この中で無事なのは最上位の強者であるウスユキや、彼女ほどではないが辛うじて堪えているアザミやリンドウ達、そして一部の強い兵士や戦士ぐらいである。
それだけの力能。その凄まじい力の影響はベヒーモスの身に近ければ近いほど、つまり接触している対象に最も強く発揮される。
能力【轟撃地砕の魔王】による大地の力を破壊に転ずる恐るべき能力。ゲーム内なら設定だけで終わる能力であるが、現実であるこの世界ではまさに世界を揺るがす破壊の権化となる。
凄まじい崩壊の振動は無論、ベヒーモスの体表を這う化け物にも伝う。
―――しかし化け物は意に介さない。そのままベヒーモスの体表を削りながら頭部へと駆け上がってくる。むしろ削る深さがより大きくなってさえいる。
それは化け物が自身に伝わる振動を全て受け流し、その破壊の力能を攻撃へ転じたからである。
一歩でも肉体操作を誤れば己の内で破壊が荒れ狂い四肢が弾け飛ぶ暴挙。……しかし化け物は事も何気にそれを実行する。
全ては計算通り。何の問題も無い。
化け物は無傷のままベヒーモスの頭部へと到達する。
―――何の感情も見せない化け物の容貌がベヒーモスを正面から捉える。
「●●●」
『っ!? これならっ!』
ベヒーモスはその大きな口を開け『王獣の咆吼』を放つ。地震の力を収束し指向性を持って放つ、山さえ跡形も無く振動崩壊させ消し飛ばす破壊の咆吼。
それに対し化け物は―――
「●●●●●●●●●●●●●●●!!!」
―――漆黒―――
至近距離まで辿り着いた後、化け物は跳び上がってベヒーモスの腕から空中へ身を躍らせ、その口から迫り来るブレスを越える極大の咆吼を放った。
『――――――』
どんな力も無に帰す、圧倒的な漆黒。それは王獣の咆吼を打ち消し―――そのままベヒーモスの左腕を左肩ごと『消滅』させた。本当なら胸部を消し飛ばされていた一撃。しかし王獣の咆吼によって僅かながら軌道がずれたことがベヒーモスの命を拾う。
上側へと曲がるように軌道がずれた漆黒はそのまま天へと昇り、雲を貫き空を割る。
その一撃は天高くで炸裂する。
波動。
炸裂した破壊の波動が天より降り注ぐ。
全てを押し潰すかのような波動が戦場となっている国境へ襲い来る。
それにより何とか立っていた者達も遂には膝を着き、大多数の兵士や戦士達は完全にねじ伏せられる。地震による地割れで脆くなっていた大地が砕かれ引き裂かれる。
人も大地も関係無く、その力は無慈悲に降り注ぐ。
「●●●●●●●●●●●●●●●!!!」
腕を失った痛みに喘ぐベヒーモスはその波動に身を震わせながら戦慄する。その圧倒的な『黒』に。
『……こんな……あの時よりも…………これが……この世界での、無慈悲なる魔神……』
忌まわしき化け物は吠える。
「●●●●●●●●●●●●●!!!」
……そこにセーギだった面影は存在しなかった。




