101.天使でも―――
◆◆◆
〈エリニア連邦国家〉の兵士達。その行く手に1人の男が現れる。顔を隠すマスクを付けローブをはためかせるその男はセーギであった。彼は兵士達へ制止を求めるように手を突き出す。
兵士の先頭集団は突然現れた彼へ不審そうな目を向けるがたった1人を相手に止まる兵など居はしない。部隊長などの指揮官の命令を受け進軍を続ける。そんな当然の結果を見たセーギは次の手に出る。
「―――!」
セーギから巨大な『威圧』が振りまかれる。
『 !? 』
それを受けた兵士達は異常をきたす。空気に重さが増し息苦しくなり、声を出そうにも喉の奥で詰まったように口から出ず、体の芯から来る震えは歩みを止め、目の前の威圧を振りまく絶対者に対して背を向けて逃げ出したいような恐怖を覚えさせられる。
そんな強制的に制止させられた兵の姿を見てセーギは満足げな様子を見せる。
「……うん、『威圧』の調整は上手くいったみたいだ」
以前のように暴発させて失神させなかった結果に安堵する。それに伴いセーギの肉体に及んでいた『黒の浸食』が引いていく。まるで人同士の衝突を防いだことと連動したかのような現象に彼は興味深そうな目を向ける……が、今は考察しても答えが出ない物に意識を割くわけにはいかず目の前の事に集中する。
「さて、この中でも問題無く行動出来る人は……居た」
威圧の調整。それによってセーギは行動可能な者を限定したのである。彼が求める人物は兵を指揮する立場の、能力の高い者であり、そんな相手に彼は用があったのだ。兵の中に目を向ければ数十人ほどは問題無く動くことが出来ている者が居るのが見て取れた。
「彼らはアザミさんとマリーに任せるとして、残りの人達には―――」
一歩、セーギは前に進む。
「―――少し、怖い目を見てもらおう」
存在感が膨れ上がる。威圧ではない、殺気とでも呼ぶべき物がセーギから立ち上る。それを受けた兵士達はセーギが一歩進むごとに一歩後退する。それにより個人の力で軍勢が圧されるという常識外の光景が出来上がる。……しかし超越者や逸脱者が存在するこの世界では現実に似たような事象が起こり得たことではある。
たった1人の武力で戦場がひっくり返るなど幾つも前例がある。セーギでなくともシータ達のような“聖天戦乙女”に列席される“聖女”や、それでなくとも“英雄”や“勇者”の称号を手にしたような強者であっても似たことは可能なのである。
―――だが、こうも狙い澄ましたかのような威圧の使い方は前例が無い。
セーギの放つ『調節した』威圧の中にあって自分の意志で行動可能な一部の兵。彼らは別に特級の戦士というわけではない。精々がレベル100越え、一部200越えの者が居る程度であり、そんなレベルではあるが通常の戦争なら少なくとも戦場の趨勢には多少なりとも関わる強者であることに間違いない。
そんな者達の相手をアザミに任せるのには相応の理由がある。
◆◆◆
兵の後方、その少し離れた位置にアザミがマリーと共に居てこの事態を目に映していた。
「強いのは十分に知っていんしたが……」
目の前で起きた光景にアザミは戦慄する。
『どうしたの?』
「いや」
別に兵士達が行動不能になったことだけに驚いたわけではない。これだけのことが起こっているのにも関わらず、逃避、失神、恐慌、自棄のような多様な症状が発生せずにある種の秩序が残っていることに驚いているのだ。今の状況はあまりにも静かすぎるのである。
(なんと繊細な恐怖の与えかた。威圧のみでこの場を掌握しおった。もしセーギ殿が本気で威圧を放てば心の弱い者ならそれだけで絶命しておるかもしれん)
アザミは自身とマリーを『擦り抜けていく』威圧に冷や汗を掻く。
(儂の“法眼”は他者の感情を見抜くことに特化した力。……じゃがセーギ殿の腹の底にあれ程の『恐怖』があったとは……)
自身が感じる恐怖も、他者に与える恐怖も、そこには絶対的な『経験』が必要となる。
恐怖とは積み重ねた経験が人に感じさせる感情の1つである。
怪我、病、喪失、後悔、生命の危機。人はこれらを避ける又は事前に受け取る覚悟を決める為に『恐怖』という感情を獲得した。故に人が他者に『恐怖』を与える時、その恐怖を強く感じさせられる想像が必要になる。経験の無い恐怖など虚ろでしかなく実が伴わないのだ。
(お人好し然とした彼がいったいどんな過去を歩めば、あれ程の恐怖を心の中に積み上げられたのか……)
アザミが見たセーギという男の人柄、そして今この場で行使している恐怖を与える威圧。
(……それらがどうにも繋がらぬ。余りにセーギ殿の人物像と掛け離れておる。……もう一つの姿、魔王である姿と関係が? ……いや有り得ん。姿形がどう変わろうと心は1つ。その手にどんな武器を握ろうが振るう者の本質が変わることが無いように、例え魔王の姿になったとしても儂の目には変わらぬお人好しに映る筈)
セーギという男の異質さ。強さとは違う、彼の心が抱えた鉛のように重く汚泥のようにこびり付いた『何か』。
(何事も無ければ良いが……)
思考に耽りながらもアザミは既に行動に移っていた。
「……まあ今更よな。事ここに至れば後は信じて行動するのみ。ではマリー、その『運』に頼らせてもらいんす。先ずはあの男でありんすか」
『うん』
アザミは部分的な変化で3本に戻した尻尾でマリーをしっかりと抱えながら行動不能に陥っている兵士達の間を潜り抜ける。そうして近付いたのはこの中で無事であった強者……隊長や指揮官を担う者である。
「おはようさん」
「なっ、何だお前!? 奴隷は後方で待機だと……っ!?」
アザミは自分を奴隷兵だと勘違いしている目の前の兵士の顔面を左手で鷲掴みにしてそれ以上の言葉を封じ、そして右手の人差し指を立てる。
「……儂は儂等を人扱いせん相手を同じ人とは見なさぬ。……ただ、まあ、命だけは勘弁してやろう」
「……っ……っ!?」
立てられた指、その先に伸びた鋭い爪が妖しく光る。
「“妖術”の神髄は生け贄を用いた“呪い”よ。……お前達のような異端の“所有者”にはぴったりだと思わんか」
――ぐじゅぅ――そう嫌な音を上げながらアザミの指が兵士の左眼を貫く。……だがそこから出血や眼球の 硝子体漏出が発生することはない。何故ならそれは物理的な貫通ではなかったからだ。
「――――――!!?」
「ああ、暴れるでない手元が狂うではないか。本当に潰れたわけではないから心配いらん。……しかし、この先一生この目は使い物にはならんかもしれんがな」
アザミは妖術的に相手の眼球の機能を殺す。これをもって『生け贄』とし術式を発動する。
「【誓約殺し・指切り】」
「がぁっ!?」
術式を食らった兵は脳の奥に激しい電撃を受けたように体を跳ねさせる。アザミの突き込んでいた指が引き抜かれ、無傷の眼球が露わになる。
突然謎の術を食らった兵は片目を押さえながらアザミから距離を取る。
「な、なにをっ……俺に何をしたっ!?」
「……ふふ、別に。……ちょっとした悪戯でありんす」
「クソがっ!」
剣を抜いた兵がアザミへ斬り掛かる。
「おっと」
それをひらりと身を翻して避け、そしてそのまま空中へと躍り出る。
アザミはまるで宙に足場が存在するかのように空へ立つ。
「残念、お主にもう用はありんせん。わっちは次に行かせてもらいんす」
「待てっ!? クソ、クソっ!? お前等しっかりしろ! どうして戦わん!? なら奴隷共で―――っ!? な、何故だ!? どうなってる!? どうして奴隷との繋がりが―――」
「おさらばえ」
威圧により動けない部下の代わりに“誓約”で縛った奴隷を使おうとしたがその時に初めて命令が通じない、繋がりが絶たれていることに気付いた。実際には完全に途切れているわけではなく一時的に封印されているだけであるが、本人にはそんな判断など付かない。
アザミはそうして混乱している兵にはもう見向きもせずに、動ける兵……その中でもマリーが指し示す者へと接近して同様の処置を施していく。
―――この戦場におけるアザミとマリーの役割は奴隷兵として連行されている獣人達を一時的に自由にすることにある。
こうして混乱に乗じ妖術を行使して『追加の命令』が下される前に“誓約”を機能不全にする。そうすれば一番直近で下されていた命令、『自分達に追従しろ』という行動以外は取らなくても良くなり戦いに巻き込まずに済むのである。
―――だがしかし、こうして対象の眼球1つ生け贄に行使する妖術であってもその効果時間は精々1日程度である。それだけ“誓約”の拘束力は高く、そして解除が難しいのである。
「マリーのお陰で作業が捗るでありんすね」
『そう? ボク、役に立ってる?』
「それはもう、比類無く」
『んっ。じゃあもっと頑張る』
マリーの“奇縁”と“天運の秤”が数ある人物の中から正確に“誓約”で縛られた獣人達の“所有者”を探し当てる。
――――――
奇縁:数奇な巡り合わせ。それを運命と呼ぶか偶然と呼ぶかは己次第。
天運の秤:縁のある者、その者を秤へ掛けて運命を引き寄せる。その者が持つ存在の重さにより引き寄せる運命が変化する。
――――――
2つの能力。セーギと出会ったことで目覚めたこの力、マリー自身の意志で自由行使不可能な能力ではあるがそれでもこの能力が直感を凌駕する結果をもたらす。
奴隷兵の“所有者”になっている者は兵の中でも上の立場が多い、つまり能力が高い者である確率が高い。よって事前にセーギの威圧によって『選別』したことによりマリーが該当する人物を発見する精度が格段に上昇している。
「折角好き勝手動ける立場になってるでござりんす。きちんと役目を果たさなくては“王”に合わせる顔がないでありんす」
アザミは〈エリニア〉側の兵から〈フョルニル〉側の戦士達に目を向ける。
―――そこでは4人の戦士が暴れ回り獣人の戦士達を薙ぎ倒していた。
「……あれはまあ、ちとやり過ぎではござりんしょうが」
相手の片目から永遠に光を奪いながらそんなことを言うアザミ。もしもウスユキがこれを聞いていたら『どっちもどっちっす』と言っていたであろう。
◆◆◆
リンドウの振り回すシミターが血飛沫を散らす。しなやかな足腰によって戦士達の間を高速で跳び跳ねながら彼女は次々に目の前の相手を切り裂いていく。戦士達は怒号を上げながらリンドウを捉えようと追い縋る。
「早いっ!?」「こっちに来たぞっ!!」「誰か手伝って! 囲むのっ! “首斬兎”と言えど囲んでしまえば―――」
体格差と人数を利用してくる戦士達。そんな彼らを相手にリンドウはしかし、捕まること無く立ち回り続ける。
「あはっ! そんなんじゃ私は止められませんよ! 素っ首叩き落とされたいんですかぁ!? ほらほらほらほらっ! あっははははははははは!」
赤い体毛に包まれた手を返り血で更に深い赤色に染めながらリンドウは嗤う。
―――相手のその体から頭をごろりと斬り落としたい衝動に駆られながら、それでも渋々我慢して他の箇所を浅くだけ斬り付ける。見た目は派手に血が舞っているが重傷を負った者はいない。
リンドウはそうして戦場で刃を踊らせ続ける。
――――――
「距離を取って戦え! あいつを近づけさせるなっ!」
その指示に応じるように数人の戦士が槍などのリーチの長い武器を用いて、迫り来る『敵』を迎え撃つ構えを取る。幾本の刃が進路を塞ぐように突き出される。
「……それじゃあ全然、足りないよ。そんなんじゃ―――」
しかし敵……キンレンは止まらない。疾走しながら手甲で包んだ拳鍔付きの拳を引き絞る。込められた力に比例して手甲の下で彼女の腕の筋肉が張り詰める。そして張り詰められた力が―――
「お腹いっぱいにならない」
―――解放される。打ち出される鉄拳の雨がまるで壁のように戦士達へ迫り、襲う。
槍の穂先を弾き、剣を吹き飛ばし、その身を潜り込ませる。そうして直近まで来ればキンレンの間合い。彼女はそのまま手近な者へその両の拳を叩き込む。鉄拳の連撃を受けた戦士は打ちのめされると倒れ、キンレンはそんな者を踏み越えながら次の相手へと拳をねじ込んでいく。その過程で自分の体に刃が触れて傷付き血を流しても彼女は気にも留めない。
「ふふ、あはは。……もっと、もっと私を恐がらせてよ」
「がはっ」「きゃっ!?」「っ! この狂った鼬め!」「“狂餓鼬”と正面から戦うな! 背後から行きなさい!」
キンレンはその拳を打ち出しながら前へ、ただ前へと進む。彼女に退くという選択肢は無い。恐れ知らずの獣はただ前進するのみ。
――――――
大型鉄槌が唸り上げて振り抜かれる。それが構えられた戦士の盾にぶつかると大きく歪ませ破壊する。その破壊はそれだけで留まらず持ち主の腕の骨を折り砕く。
「っ!? ぐぅう……」
「邪ぁ魔~っと」
「うげぇっ!?」
ストレリチアはもう片手に握る大型鉄槌で腕を折った戦士を叩き飛ばす。人間砲弾と化した戦士は幾人の戦士を巻き込み、或いは助けようとした者と諸共に飛んでいく。
「ん~、取り敢えず死ななければ良いわよね~」
「“血河獣”とまともにかち合うなっ!」「何とか隙を突けっ!」「力のある奴をもっと呼んでこい!?」
通常なら両手で扱う重武器を軽々と片手にそれぞれ掴んで振り回すストレリチア。彼女が繰り出す攻撃は受けた者の肉を潰し骨を砕く。そうして体の何処かをひしゃげさせた者はそのまま砲弾代わりに吹き飛ばされる。遠くから牽制してくる相手には腰に下げた片手用鉄槌を投げナイフの如く投げ飛ばして相手にめり込ませる。
破壊の権化となったストレリチアが力強く地面を踏み締めながら近寄る者全てを叩き潰していく。
――――――
獣人の戦士は精強無比。それがこれだけ数を揃えれば脅威となる。リンドウ、キンレン、ストレリチアがこうして圧倒しているのも勢いに任せた一時的な物で時間が経てば相手に対応されその内数の暴力で押し潰されることになる。
それでも直ぐに趨勢が傾かないのは突出した彼女の存在があるからである。
それはまさに目を奪われるという表現に合致する光景。
誰もが彼女の一挙手一投足に注目し視線を外せない。
大地に着く足、回るように動く脚、しなやかに力を伝える腰から腹部、捻りを加えられた上体へと流れた力が鞭のように撓る腕に行き着き、そして手に持つ大刀の刃が斬光を曳く。
舞い踊る。
水に濡れた白銀の狐が戦場で舞い踊る。
彼女、ウスユキが聖女として列席された際に与えられた称号は“月狐聖舞”。
舞うように美しく戦うことを讃えて付けられた名である。
「―――さあ、どうしました? その程度で〈エリニア〉を蹂躙しようなどと愚かなことを考えたの?」
「くっ」
舞と喩えられる流麗な動きからは想像出来ない重さの乗った刃が縦横無尽にひるがえりセルブスに襲い掛かる。彼はそれを自身の獲物である大剣を用いてぎりぎりの所でしのぎ食らい付く。周囲の戦士がセルブスに助太刀しようと何度も飛び込んできているが、その全てをウスユキはセルブスへの攻勢を一切緩めず片手間で打ち倒していく。
そんな光景を見させられては嫌でも理解させられる。
(手加減っ……仮にも上位戦士である俺をこうも……あの時から少しも差が縮まらない。……むしろ差が広がっていくばかり……っ)
たた倒すだけならば、ウスユキは他の者を倒すぐらいの些細な時間でセルブスをねじ伏せることが可能である。それをしないのは彼女にセルブスを倒すという以外に目的があるからだ。
「セルブス。貴方に恨みはありませんが……私達の目的の為に利用されてください」
「ちっ! “金色夜叉”共々小賢しいことを弄する家系だな!」
「迦楼羅天狗、その親狐が小賢しかったもので」
「雄に生まれたのに雌に化けて子を産んだとかいうお前達の始祖のことか! 全くわけがわからん生き物だ!」
「……くす」
ウスユキの微笑みと共に片手で握る大刀“召雷樹”が一際強く振り下ろされる。
「がっ!?」
セルブスは何とか頭上に大剣を掲げ両腕はおろか全身に有りっ丈の力を漲らせて大刀を防いだが、その余りの威力に膝を着きそのまま足元を地面にめり込ませる。
大刀に力を込めながらウスユキは片手で印を結ぶ。能力“仙術”を用いたとある術式が周囲に展開される。
「……今なら天狐がどんな気持ちで嫁いだのか、真に理解出来る気がします。それだけその出会いは劇的だったのでしょう」
ウスユキが如何に長身だとは言えセルブスの方が背も体格も遙かに勝っている。それなのに現実は大刀を片手で振る彼女に対してセルブスは完全に力負けしている。
そのまま押し潰される。そう思った周囲の戦士達はセルブスを助け出そうと一気呵成にウスユキへ襲い掛かる。
「……狙いは悪くありませんが、功夫が足りません」
鎧袖一触。
ウスユキは大刀を手放すと刹那の間に打撃で自身の周囲に居る戦士達を弾き飛ばした。
「―――ああ、逃げないでください」
「 !? 」
武器を手放した隙を突いてセルブスは脱出しようとしたが、気が付けば既に大刀の柄に手を掛けたウスユキが更なる圧力を彼へと掛ける。まさに片手間と呼ぶに相応しい光景。どれだけ足掻こうと覆らない力の差がそこには表れていた。
「貴方にはこのまま私に為す術無く負けるという大事な役割があるのです。獣人は良くも悪くも素直ですから効果覿面でしょうね」
「がっ……ぎっ! ……こ、この戦いが……我ら獣人の、威信が掛かった物と……知っての行いか!? 武王!!」
「勿論」
〈エリニア連邦国家〉内部で起きている獣人に対しての扱い。その獣人種全体を下に見た扱いに憤りこうして戦士達が戦いに赴いてきたのだ。この戦いでの結果によっては〈獣人国家フョルニル〉からさらに多くの、今回集まった人数など比較にならない大勢の戦士が集結し、〈エリニア〉へ攻め込む流れになっていた。それだけ|獣人〈セルリアン〉全体での内に秘めた怒りは無視出来ない物となっていたのだ。
セルブスへ掛かる圧力が高まりさらに深く足元を地面に沈ませる。全身の筋肉を隆起させて耐える彼へウスユキは淡々と語り掛ける。
「セルブス、貴方には今ここで教えましょう。先程私達2人の会話が外に漏れないように“仙術”を行使しました。他の戦士達には内緒ですよ?」
「っ!?」
「―――……私も獣人の端くれです。〈エリニア〉のやり方には、ええ、思う所など幾らでもあります。仕返してやりたい気持ちは痛いほどわかります。……でも、だからと言って誰も彼も殺して蹂躙しようとは思っていません。これでも私、ヴィージャル教の信徒なので。だから最初はマーガレットが伝えてきた話しに乗り、戦争の隙を突いて〈エリニア〉の上層部を一掃して我ら教会の手中にでも収めるつもりでした。それが一番最短な道筋だと考えていたからです」
ウスユキは大刀を退く。セルブスはあの圧死されそうな状況から急に解放され困惑する。
「な、なら何故そうしない? 今の話しが本当なら聖光教会も〈エリニア〉を放置する気も存続させる気も無いのだろう? なら俺達と協力し、共にあの国を」
「はーい静聴する」
「がっ!?」
セルブスは額に弾いた指の一撃……デコピンを食らう。まるで金槌で殴られたような衝撃に額を抑え、そんな彼にウスユキは言い聞かせるように言葉を掛ける。
「理解していますか? 今回の戦いは始めから仕組まれた物だということを。考えはしませんでしたか? 幾ら初戦……探り合いを目的とした戦いだからと言ってどの“王”も参戦していないことを。疑問を抱きませんでしたか? 上等な戦士をある程度揃えたと言ってもそれを率いる上位の戦士が貴方を含めても少数しかいないことに」
「……そ、それは……」
この戦いを率いることは北の王に託されたセルブスの役割であり、ウスユキの発言をそれは自分を信頼してのことだと言って切り捨てることは容易い。―――しかしそれをするには心当たりがあり過ぎる。今回の戦いはそれだけ異質なのだ。
「だからと言って私は貴方達を愚かだとは言いません。それを言えばこれまで同胞の身に起きた悲劇や苦痛までも踏み躙ることになりますから。……貴方達が大義を持ってこの戦いに臨むことはどのみち必要なことだったのです。溜まりに溜まった憤り、それを無軌道にばらまかず明確な道筋に乗せる為の戦いが」
「……つまり俺は体の良い先導者だったというわけか?」
「そうです。……“王”達も気付いてはいたのです。この戦いの裏に潜む物を。〈エリニア〉の陰に隠れ、歪んだ“誓約”を軸に絶望と怨嗟を深めようとする悪辣な悪魔の影を」
青み掛かった白銀の髪がざわめく。ウスユキの肉体が体毛に包まれながら輪郭を変化させる。
『故に“王”達は私や御婆様にある『頼み事』をしました』
獣人ならぬ人獣となったウスユキは狐のごとき顔で言葉を紡ぐ。
『―――祖国の裏切り者となって貴方達を阻む―――……どうです? これなら貴方達の大義は否定されません。現に同胞を害し不義理を働いているのは離反した私達なのですから』
全身に国宝たる5つの“霊獣武装”を顕現させる。
これらは奪い去ったのではない。託されたのだ。
無為な血が流れないそんな結末を導く為に。戦いを臨む彼らに対しての絶対に越えられない壁として立ち塞がる為に。
『貴方達の怒りと恨み……私達が受け止めましょう。納得など出来ないでしょうが、力尽くでねじ伏せられればそうも言えないでしょう?』
ウスユキは白銀の闘氣を立ち上らせる。
さっきまでの手を抜いた状態でさえ圧倒的だったウスユキ。しかし武装と闘氣を纏い完全な姿と成った彼女はそれよりも次元を異にする。
セルブスは目の前の相手が放つ覇気に汗を流しながら、我知らず震える声を発する。
「……祖国と教会。その2つから使命を託され、何故お前は今の立場を選ぶ? 少なくとも教会の話しに乗っていればここに居る戦士達や祖国に居る他の怒りを抱く者達に恨まれることもなかった筈……」
『そうですね。私だって1人の人間ですからそんな目を向けられれば、悲しい気持ちにはなります』
「なら」
『直前で考えを変えたのは……あの2人に会ったからです』
ウスユキが視線を投げ掛けたのは〈アレークトー〉側……威圧により兵士全体を牽制しているセーギだった。
『片や憧れの、ああ成りたいと願っていた強い女性。そしてもう1人は……そう、言葉にするなら―――』
白銀が輝きを増す。
『一目惚れ、ですかね』
「――――――」
ウスユキのその言葉に唖然とするセルブス。そんな彼を気にも留めず、ウスユキは熱に浮かされたように言葉を続ける。
『こんな偽りを被った自分に好きな人が出来るのかずっと疑問でしたが……彼と出会い、刃を交え、そして言葉を交わしたら……堪らなくなりました。“仙術”で女体に変化しないと『無い』筈なのに、この姿でもお腹の奥が疼くんです。……ああ、あの人の子が欲しいと』
「…………」
狂気染みたその発言に返す言葉が見つからない。しかしウスユキは至って正気なのだ。ただ彼女は―――
『……私が今の立場……祖国の話しに乗ったのはその方が彼らの役に立てると判断したからです。つまり正確には私は教会にも祖国にも付いていません。言うなれば私は『お兄さん』に付いたんです。お兄さんの為に戦うことを選択したんです』
―――自身の想いのまま、獣の如き素直さで行動したにすぎない。
『貴方達戦士にとって崇めるべき強き王が祖国に居る4人のことなら……私にとっての身を捧げたいと思った王は彼1人だけです。そしてこんな気持ちを抱いてから貴方達の怒りや恨みを受け止めることが怖くなくなりました。……だから差し上げることにしたんです、あの〈エリニア〉という国をお兄さんに』
大刀“召雷樹”の刃が天高く突き上げられる。元の姿に戻ったことで先よりも背が低くなったにも関わらず、その刃はより高く、まるで空へ届きそうな印象を与える。
『〈エリニア連邦国家〉はこの日をもって消えます。明日より生まれるは新たなる国。私はその新たな国が真の意味で獣人と良き隣人となれる国と成れるようお兄さん達と尽力するつもりです。その為に―――』
思いの丈を見せ付けたウスユキは刃を掲げたままセルブスを見詰める。周囲へと張られていた“仙術”による結界が解け、彼女の言葉が戦士達へと届く。
『―――圧倒的力の前に平伏し、戦争が如何に無意味であるかを心に刻め』
振り下ろされる刃。それが地面に叩き付けられる。
「―――っ!!?」
凄まじい衝撃波が発生し、それが周囲の戦士諸共セルブスを強かに打ち付け吹き飛ばした。
◆◆◆
―――光で満ちた世界。アフラとスプンタの手により顕現した【天外領域】。
そこでアフラは不敵な笑みを浮かべ、翼を使い天高い位置で3人の聖女を睥睨する。
「どうじゃ? やりにくかろう。これが真の【天外領域】、ワシとスプンタが支配する世界での戦い方じゃ」
「…………」
隣で同じように浮かぶスプンタは呆れたような目をアフラへ向けている。
「楽しんでくれているか? ワシ自らがこの光の世界で創造した難攻不落・脱出不能の迷宮を」
アフラが言うように、現在シータ、ルミー、ディアンサスの3人は迷宮を攻略している。……いや、攻略させられている。
光の迷宮はこの広大な【天外領域】に見合った、果てしなく巨大で複雑な構造をしており、その内部に囚われた3人はその突破に苦戦を強いられている。
外から見た迷宮の外観は光で作られた城塞。
「ふぅーっはっはっはっはっはっは!!」
迷宮の壁を空かし見るようにして3人の姿を見下ろすアフラはついに高笑いまで始める。
「うっさい」
「ひぎぃっ!?」
そんなアフラへスプンタの手刀が脳天へ叩き落とされる。ゴンッという鈍い音が周囲へ響いた。
「ぐぅううおぉおおお……」
アフラは空中で頭を抱え蹲るという器用なことをして呻き声を上げる。そして痛みが引いてくると下手人……冷めた目を向けてくるスプンタへ抗議の言葉を浴びせる。
「……な、何をするんじゃ!? いきなりワシの頭を叩くなど! 今よりも背が縮んだらどうしてくれる!?」
そんなアフラの言葉にスプンタは何処吹く風。溜息まで吐く始末。
「な、何じゃ? 何か言いたいことでもあるのかっ? 文句なら聞くぞっ?」
「……では僭越ながら」
スプンタはその視線をアフラから光の迷宮……その中に居るシータ達へ向けながら文句を言い始める。
「……直接戦闘で一方的にやられたからってあんな迷宮を創って閉じ込めるなんて大人げない。恥ずかしくないんですか?」
「うっ」
初日。これでもかと偉そうな口上を述べた癖に、いざ戦い始めると全く相手にならなかった。
シータに斬り刻まれて何度も体をバラバラにされ、ルミーに攻撃を全て防がれて攻め手を失い、ディアンサスに此方が放つ光を炎で貫かれる。
そんな戦いが四半日も経った辺りで先に音を上げたのはアフラだった。彼女は咄嗟に領域内に迷宮を創造してシータ達を取り込んだのだ。―――歯に衣着せない言い方をすれば逃げたのである。
「聖女達を閉じ込めて直ぐに『あ、やっちゃった』みたいな顔をしてましたが、かと言って閉じ込めた直後に解放するなんてそんな格好悪い真似が出来なくてオロオロと狼狽え」
「うぐぅ」
そこからは突然迷宮に閉じ込めれ攻略を余儀なくされた彼女達をただ眺める日々。
「観戦するだけは退屈だからと即席で見窄らしかった迷宮の外観を弄りだし、こんな無駄に精巧で意味の無い手の込んだ城みたいに作り上げ」
「うぐぐぅ」
「そして最後にあの口上」
ついさっき迷宮の外観を完成させて満足したアフラは得意気にあんな口上をしていたのだ。
「真の【天外領域】? これが私達の戦い方? 楽しんでくれているか? ……もう一度言いますよ、恥ずかしくないんですか? 私なら恥ずかしすぎて真面目に立ち向かってきた彼女達に顔向け出来ませんよ。でもアフラ様めちゃくちゃ良い笑顔で笑ってましたよね? 高笑いまで……いやあ、私には無理です本当。あんな私に出来ないようなことをさらっとこなしてしまうアフラ様本当に凄いです。凄い恥ずかしいです。恥ずかしさ一等賞です。流石。流石です。流石としか言いようがありませんよアフラ様」
「も、もうそれぐらいで」
「暇つぶしを兼ねた遊び? 勝てたらここから解放してやる? 女子会としゃれこもう? あんな良い空気吸った台詞、どのような気持ちで吐いてたんでしょうね。蓋を開けてみればこれですよ。ねえ今どんな気持ちなんですか? 逆に良いようにされた挙げ句にこうして狡い手使って高みの見物決め込んでる気持ちって? 私には到底考えつきませんよ。他の皆様にも聞いて欲しいぐらいです。これはもう末期までの語り草ですね」
「ぬおおおおおおっ!?」
言葉の刃に耐えきれなくなったアフラはドバッと涙を溢れさせて顔を両手で覆う。
「そこまで言うことないじゃろう!? ワシの精神は繊細な飴細工の如しなんじゃぞ!? 木っ端微塵じゃ!? ワシの心は木っ端微塵じゃ!?」
「大丈夫です。砕けようが溶けようが飴の味は変わりません」
「飴の話しなどしとらん!?」
「自分で下手な喩えを出したんじゃないですか。何ですか飴って? いい年して女の子アピールですか? 御自身が人間で言う御老人何人分の年齢か御存知です? 何桁です? 三桁? 四桁? もしかして五桁? まだまだ年齢の桁が欲しいですかこの卑しん坊。あ、坊ですよ坊。子供扱いです。やったねこれでアフラ様も女の子です余裕で数千歳越えの。……あれ? この飴、化石になってません? もしかして干物かな? ……価値ある年代物……いえ骨董品系少女ですね。食べられない使い道がない。ぴったり―――あ、飾るぐらいは出来ましたね。私が責任を持って晒し……飾っといてあげます」
「うえええええええええええんっ!? お主ワシが元気になってから苛めがキツいぞぉおおおおおおおおお!?」
心を滅多打ちにされたアフラの慟哭が【天外領域】内部に轟く。
色々と言ってすっきりしたのか満足げな表情を浮かべるスプンタ。彼女は泣き叫ぶアフラのことを視界から外して蚊帳の外になっていた聖女達へ目を向ける。
そこで見えた光景に感嘆の声を上げる。
「―――ほう。見てください骨董ひ、アフラ様」
「びぃいいいいいいいん!? …………ふぉ?」
スプンタに促されたアフラは彼女同様に聖女達が居る迷宮へ目を向ける。そしてそこで起きている出来事に戦慄く。
「う、嘘じゃろ? まさか……」
「壊されそうですね」
スプンタの言う通り、そこには激しく揺れながら罅が入っていく光の城の姿、今にも崩壊を始めそうなアフラ珠玉の逸品の姿があった。
「と、咄嗟に創った物じゃが手を抜いた覚えはないぞ!? この場所で力の底上げを受けて創造されたワシの迷宮が壊れると言うのか!?」
「……難攻不落・脱出不能。なら出るには壊すしかない。とても単純な解答を導き出したようですね」
―――斬光さえも置き去りにする速度で幾千幾万の剣閃が駆け巡り、傷付かぬ筈の迷宮を削っていく。
―――結界を数多の物質が混じる土のように迷宮と同調させ、じわじわと侵すように組成を剥離させる。
―――迷宮に込められた脱出不能の理、それをを焼き尽くす炎が迷宮を燃え上がらせる。
揺れが加速度的に大きくなる。罅は亀裂となって広がっていく。既に端の方から欠けた迷宮の一部が光の粒子となって消えていっている。
「…………」
その光景を見たアフラはさっきまでの取り乱しようが嘘だったかのように静謐な面持ちになる。そして開いた口から出た言葉も冷静その物、観察結果を報告する学者のそれのような声だった。
「……能力の過剰発動ではない。淀みや無駄が見られない。……なら進化した? 自力で? 【神域】に?」
“名”には力が宿る。
能力には時折常識では考えられない力を発揮する物が現れる。それは他とは隔絶した力を持ち単一で複数の能力を宿す。
通常の名付けとは法則を異にし、神話存在の名を冠したそれらの能力を総称して人はこう呼んだ。
神の領域に踏み込んだ力。【神域】と。
―――迷宮が、崩壊する―――
「ははっ」
砕け散る迷宮を眺めながらアフラは笑う。それは実に……穏やかな笑顔だった。
「……まさか、あの方の覚醒の前に……聖女達の覚醒を見ることになるとはな」
砕かれた迷宮、そこから3人の聖女が飛び出す。
それぞれが眩い輝きを放ちこれまでにない力能を迸らせながら、宙に居るアフラとスプンタ目掛けて一直線に駆けてくる。
「よっっっっくも舐めた真似してくれたわねこの呆けぇえええええっ!!!」
ドレスのみならずその肉体の大部分さえも炎と化し背中の炎翼から『紅蓮の火焔』を噴くディアンサス。概念さえ灼く炎を纏った彼女はこれまでとは比較にならない速度で飛翔する。
「罷り通らせて頂きます!」
輝く大地の守護結界で己を囲い包んだルミーはその状態で放たれた矢のように高速で飛び、その『攻勢結界』に触れる迷宮の残骸を取り込み消滅させながら迫る。
「これ以上私達の邪魔をするなら―――」
この光で構成された【天外領域】内部でなお一際強く輝く光。それが移動の過程さえ視認出来ない速度でアフラとスプンタの目の前に出現する。
「―――天使でも斬り捨る」
光と共に出現したシータ。彼女の背を中心にまるで開花した花のように幾百の『光刃』が展開される。光刃は回転しながらその切っ先を目の前の天使へと定める。
邂逅した当初とは明らかに違う聖女達の力と姿。それをアフラは黒と赤で彩られた目で映し、静かな声を発する。
「……ならワシを斬り捨て進むが良い。神域に至りし『花嫁』達よ」
―――アフラの誰にも聞き取れない、魂で繋がるスプンタにしか伝わらない呟きを最後に、光、地、火、その三種の力の奔流が炸裂した。
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