1.誤解のようで誤解でもない。
青い甲冑のような生体装甲を全身に纏う身の丈2.5mの巨体。ただ立つだけで相対する者へ圧力を感じさせる威容は、その兜のような頭部に天を衝く金色に輝く双角を備えている。
そしてレンズのような銅色の目はその内部で十個の光源を精密に動かし、その1つ1つが対象の動きを髪の一本に至るまで正確に捕捉する。どれだけ対象が速く動こうが無意味。この“青い鬼”が持つ知覚領域は人外のそれ。
―――黒閃が駆ける。
常人では目で追うことすら不可能な速度の黒い影。それは時には撹乱や陽動を交えながら青い鬼の周囲を駆け巡る。その正体は……人間。
生身の生き物が耐えられる速度と挙動を逸脱した動きを行うのは一人の人間。だが生き物から逸脱しているこの存在を人間の括りに入れて良いのか疑問を抱く。云うなれば人外か。
青い鬼は異形の瞳で周囲を高速移動する人間を捕捉し続ける。相手が人外ならこの青い鬼も容姿に違わぬ人外。
黒い尾を引いて高速移動する人間はそれを痛感しており、隙を窺っていたが到底見付ける事は出来なかった。故に彼女は攻勢に出る、それが無理を押しての物だったとしても。
黒い長髪がたなびく。それが黒閃の正体。
艶めく長髪で尾を引きながら彼女は音さえ置き去りにして青鬼に迫りその手に握る長剣を振るう。
疾走ですら音を置き去りにする彼女が放つ剣撃は瞬く閃光の如く空気を斬り裂き青い鬼……『羅刹』の体を斬り裂こうと振り抜かれる。
だが結果は敢え無く防がれるに終わった。
「―――ッ! これも駄目なの……ッ!」
青い羅刹の手にはいつの間にか曲剣が握られていた。無手であったそこから突如として姿を現わした大型の曲剣。刀身にまるで月光を封じたかのような妖しい輝きを放つそれはただ其処に存在するだけで周囲へ重苦しい圧を掛ける。
畏るべき武装。それで彼女が放った剣撃は往なされたのだ。……だが青い羅刹はその凶器を防御のみに使い攻撃には使わなかった。
往なすまま、青い羅刹は静かに少女へ語り掛ける。
『少し落ち着いたらどうだ?』
「何をッ!」
少女が発する裂帛の気合いと共に再び衝突する剣と剣。その衝撃は爆風のように廃都を震わせる。
吹き抜ける青空の下、朽ち果てた古代都市の残骸が作る影の中で鍔迫り合う青鬼と少女。その後、弾かれるようにして距離を取った少女は真っ直ぐに剣を構えて立つ。
少女の姿が陽光の下に晒された。
白い聖職者のような装い。そこに白銀の甲冑を各部に纏った少女……少女とは云うが女といっても差し支えない姿をしている。
そんな少女の容姿は、息を呑むほどに美しい。
壊れ物のような幼子の愛らしさ。そこに全てを斬り裂く刃を想起させる怜悧な美を兼ね備えている。少女はその蒼穹よりも鮮やかに光る青い眼差しを向ける。
戦場に居るのは不釣り合いだと感じるほどの美貌……しかし、だからこそ戦意と殺気を漲らせるその姿は常人には決して真似出来ない覇気を纏わせている。
羅刹は自身の胸にも届かない少女を見下ろす。これは羅刹が巨体だからであり少女の背は低くない。160半ばである事を知れば女性としては上背の方だと理解出来る。
そんな彼女へ羅刹は幾度目かの対話を試みる。
『戦う意志は無い』
重く響く声。常人ならそれだけで身を竦ませ弱者は失神するかもしれない程の威厳を感じさせる声。だが少女はそれ自体に何か感じる様子は無い。それは彼女が弱者に含まれず、そして何よりも覚悟を決めた戦士である証。
「……ッ! それで私をッ! 惑わせると思ったら大間違いですッ! ―――“魔王”ッ!!」
少女は叫ぶように羅刹を魔王と呼んだ。
彼女の瞳は羅刹の“能力情報”を看破している。
『…………』
魔王は悩ましげに首を振る。そして視線を少女の背後へ向ける。
開けた場所。滅びる前の都では広場として在ったのだろうそこは……惨憺たる有様であった。
そこには2万人近い人が泡を吹き白目を剥いて倒れていた。筋肉が弛緩したのか糞尿を漏らしている者も少なくない。無残な状態だ。
『……これは誤解だ』
「戯れ言を……ッ!」
『…………』
ぐうの音も出なかった。
彼らが失神しているのは誤解でも何でも無くこの羅刹の所為なのだから。
―――少女が振るう刃が縦横無尽に羅刹を襲う。
その一撃一撃が恐ろしいことに魔王の急所を適確に狙い、増し続ける剣速は尋常では無い。斬鉄すら容易い剣撃。人外としか云えない攻撃を人の身で彼女は放つ。
当たれば危険。そんな刃を青鬼は確実に防ぐ。その動きは流れるようで、そこからこの羅刹には確かな骨子……武術の心得を見る者へ感じさせた。
達人の枠にすら収まらない絶技を自然体で繰り出す羅刹。それは己の身を守るだけに留まらず……少女さえも傷付けないように振るわれていた。
『もう止めにしよう』
「―――ッ!! ……良いでしょう。なら私の全力で一矢報いるのみ」
余裕のある魔王の様子を不幸にも彼女は自分を虚仮にしているからだと考えてしまう。―――彼に他意は無かったというのに。
『……どうしてそうなる』
少女は弾かれるように跳び退り距離を取る。羅刹と少女の間に、互いにどれだけ手を伸ばしても届く事の無い距離が空く。
少女は両手で剣の柄を握ると刃の鋒を魔王に向ける。同時に彼女の纏う剣気が激しさを増して周辺一帯の空気を重くする。
そして彼女が起こした変化はそれだけで留まらない。
刃が光を放つ。それは陽の光の反射では無く、彼女がその身に宿すの聖なる力を剣に込めた事によって起きた現象。太陽の如き輝き。
刃の輝きに照らされる覚悟を決めた瞳。絶対の意志を宿す瞳。例えここで死ぬとしても己が信ずる道を貫き通す覚悟を持った瞳だった。
「……“剣聖”、シータ・トゥイーディア……参ります」
美しき剣聖、シータ・トゥイーディアは手に持つ睡蓮の意匠が刻まれた聖剣『パドマー』に大地を揺るがす膨大な力を込める。
魔力と氣力による武器と肉体の強化、そして浄化の力がシータと聖剣に満ちていく。
単体で国を堕とす邪龍、それすら断頭する極限の一刀。それが魔王へと向けられる。
「ッ!!」
光。
光の如くシータは駆ける。それはこれまでで最速であり究極。
『……話し合いとは、難しいな』
迎え撃つ魔王の心に在るのは戸惑いだけ。彼の心には最初からシータを害する気など欠片も存在しなかった。これはただ少し擦れ違った、釦の掛け違いで陥ってしまった状況。
(……痛くなければいいけど)
魔王……その正体である17になったばかりの青年も覚悟を決める。そして同時に思う。どうしてこんな事になってしまったのかと。
つい十数分前まで魔法など存在しない『現代』で生きていた人間である自分が何故『本物の魔王』になってしまったのか……そして何故、甦ったのかを。
セーギは短く近い過去を振り返る。普通の……そう云うにはあまりにも悲惨だった頃の境遇を振り返る。そんな彼の目には身に纏う光りをまるで天翔る翼や咲き誇る華のように背負って駆け抜けるシータの姿が。
「―――【救世の光|オフル・マズド】」
力在る言葉。世界に告げられた『神域』に届く一撃……その閃光がセーギの胸へと直撃する。聖剣と羅刹の間で光が迸り、廃都を呑み込んで行く。
魔王と少女を含む全てが聖なる光で包まれた―――