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9 友情と恋の間に

 誘拐事件なんて自分の身に起こることはない。当事者には失礼かもしれないが正直ドラマやニュースの中だけの話だと思ってた。この世でそういう事件は何度も起きてきたんだと頭では理解できるが、現実味がない。


 最近付き合いの濃い陽咲ひさきの口からそういうことを語られても実感が持てなかった。


 だからといって彼女の話を疑ったりはしない。そんなタチの悪いウソをつく子じゃないと知ってる。陽咲の声は無理に明るさを保っていた。悲しみを隠そうとしているのが分かる。


 忘れてほしい。陽咲はそう言ったけど、そんな話を忘れるなんて無理だ。それこそ頭を強打して記憶が吹っ飛ばない限りは。


 何か声をかけてあげたい。ふさわしい言葉もいくつか頭に浮かんだ。でもどれも間違っている気がして長い間黙り込んでしまった。沈黙する俺につられたのか陽咲もしばらく黙ったままだった。


 五分。十分。いや、もっと? 無言の通話時間が続いた先、陽咲はポツリと言った。


『誘拐と聞いて悪い想像をしてますか?』


「それはまあ、うん……」


 そんなことしか言えなかった。もっと気の利いた言葉を返せたらよかったんだけど、こういう場合に投げ返す適切な言葉を俺は知らない。


『そうですよね。つむぐ君の反応は至極当然のことです。はい』


「こわい思いしたんだよね」


 この後どんな会話に発展していくんだろう?


 そんな不安の中で大きな安心感も覚えていた。陽咲と言葉を交わせたおかげだ。その気持ちは陽咲も同じだったらしく、いつもの穏やかで柔らかな声で彼女は言葉を継いだ。


『そう思いますよね。でも、誘拐されている最中、私自身は全然こわくなかったんですよ。むしろ楽しかったんです。こんなお話、にわかには信じてもらえないかもしれませんが……』


 陽咲が普段通りに戻ったおかげで、ようやく俺はいつもの自分を取り戻すことができた。


「信じる信じない以前に楽しい誘拐って何!」


 ついいつものようにツッコミを入れてしまった。思っていたほど深刻な話ではないのだろうか。


『私を誘拐したのは河南かなんさんという女性でした。母の親友だった方です』


「なるほど。面識があった上に警戒する必要もなかったわけだ」


『はい。河南さんはアクセサリー工房を営んでおり自らも制作に携わっていたことから、自作アクセサリーを私の母が経営するアパレルショップに置いていたりしたんです。その関係で河南さんと母は公私共に交流が深く、河南さんは私にも大変良くしてくれました』


 河南さんのことを語る陽咲は嬉しそうだった。


「好きだったんだね、河南さんのこと」


『はい。大好きでした。こんなこと紡君にしか言えませんが、河南さんのことは今でも大好きなんです。もう二度と会うことは叶いませんが、それでも……』


 陽咲の声が切なく曇る。


 母親の親友で仕事もプライベートも親密だった女性となれば陽咲の立場上疑うなんて無理だし、事件後も好きな気持ちを捨てられないというつらさがよく伝わってきた。好きの種類は違うけど俺にもその気持ちは分かる。


 でも、だからってどうしてその件で美綾みあやが責任を感じてるのかは疑問だ。今のところ美綾はこの誘拐事件に何の関係もないように見える。


 俺の疑問を感じ取ったのか、ベストなタイミングで陽咲は続きの話を語った。


『お金と引き換えに私は無事家に帰されましたが、それ以来両親は私の行動を制限するようになり、美綾は剣道を始めました。河南さんに誘拐された日、私はもともと美綾と遊んでいたんです』


 小1の頃、学校が午前授業で終わる日、陽咲と美綾はよく近所の緑地公園で遊んでいた。事件の日もそうだった。


 しばらくすると二人は空腹を感じたが昼ご飯はすませたし夕食まではまだ時間があったので軽く何か食べようという話になり、美綾が自宅までおやつを取りに戻ることになった。その間数分、陽咲は公園で一人になる。


 見通しが良く人通りも多い公園だが、その日はあまり人気がなく陽咲はずっと一人だった。ブランコをこぎながら美綾を待っていると、一人の女性が声をかけてきた。


「陽咲ちゃん、久しぶり!」


「河南さん!」


 声をかけてきたのは河南道子みちこ。河南さんは当時28歳の美しくて優しい独身の女性だった。河南さんと陽咲の母親は高校時代からの付き合いでとても仲が良く、お互いの家をたびたび行き来するほど交流も活発だった。


 母親を通して河南道子と仲良くしていた陽咲は、彼女に声をかけられ喜んだ。


「今日もお母様に会いに?」


「ええ。でもまだお仕事が終わらないみたいだから陽咲ちゃんと待っていたいと思って。一緒に遊びましょう」


 陽咲の母親は洋服のデザイナーをしており、自作ブランドの人気も上々。自分の店を何店舗か持てるほどに成長した。外へも行くけれど職種柄家で仕事をする時間が長い人だった。


「ごめんなさい、河南さん。美綾が戻ってきたらおやつを食べることになっていて……。その後は河原の公園へ行く予定だから今日は遊べないんです」


 せっかくの誘いを断るのが心苦しく陽咲はうつむいた。美綾のことも好きだがそれとは別の親愛を河南さんに抱いていた陽咲は、河南さんの誘いを断らなければならないことを寂しく思った。


「それなら大丈夫よ。ここへ来る途中美綾ちゃんに会ったんだけど、彼女はこの後ご両親の用事に付き合うことになったらしく陽咲ちゃんとは遊べなくなってしまったそうなの。それも陽咲ちゃんに伝えるよう言われてね」


「そうなんですか?」


「そうよ。だから心配ないわ。そうだ。私の工房へ来る?」


 河南さんは親から受け継いだアクセサリー工房で働いていた。陽咲も母親と共に何度かその工房に行ったことがあるので、この誘いを不思議には思わなかった。実際、以前からこうして一人で河南さんの工房へ行くことはよくあった。


 陽咲は知らなかったが、それは河南さんの計画した誘拐事件のはじまりだった。美綾が遊べなくなったというのは河南さんの作り話。陽咲を連れ去るために語られたウソだった。


 工房に連れてこられた陽咲は結局そこで三日間を過ごすことになった。工房とはいえかなり大きな建物なので、作業場とは別に広い寝室や浴室、ダイニングキッチンがあったので家と変わらない過ごし方をすることができた。


 夕方には家に帰るつもりだった陽咲は泊まることになった時に多少戸惑ったが、工房の玄関の鍵が壊れてしまったと話す河南さんの話を信じた。業者が来たらすぐに鍵を直してもらうと説明され素直にその時を待った。


『誘拐と言うと物騒に感じますが、あの三日間、私はとても楽しかったんです。普段は母の言いつけで、河南さんに迷惑をかけないため工房に長居することは禁じられていたのですがその日はそういう制限もなく気がすむまでアクセサリー作りをさせてもらえました。鍵が壊れたのは仕方ないことですし、何より河南さんはとても親切にして下さいました。衣食住に困ることもなかったし河南さんは私好みのアクセサリーを加工してくれたりもして』


 当時、陽咲は両親の意向でいくつかの習い事をしていたがどれも好きでやっていたことではなかった。ゆえに家では退屈を感じることも多かったが、美綾と遊んでいる時と河南さんの工房にいる時は心から楽しむことができた。


 仕事の忙しい両親より河南さんと接することが多かった陽咲。口には出さなかったが、陽咲は河南さんのことをもう一人の母親のように感じていた。


 陽咲が工房で楽しく過ごしている間、河南さんは時折別室に閉じこもり陽咲の両親に電話をした。身代金の要求をするためだ。警察に通報したら娘の命はないと思え。そんな定型的な脅し文句と共に。


『結局、その件は警察に届けませんでした。父は被害届を出したかったようですが母が泣いてそれを止めたんです。私は無事に帰ってきたし、何より親友を犯罪者にしたくない。母はそう主張したんです』


 河南さんがそんな事件を起こした理由はこうだった。


 河南さんは工房の経営が傾いていたことをキッカケに陽咲の母親からお金を借りようとした。しかしそれを断られたので陽咲を誘拐して身代金をもらうことを思いついた。事件後、河南さんは何度も陽咲に謝り、陽咲の両親から奪った身代金を手に行方をくらませたそうだ。工房もたたんだのでその場所は今空き地になっている。


 それから河南さんは陽咲の前に現れることはなかったし、陽咲の母親とも関わりを持たなくなった。


 陽咲の周辺は変わってしまった。


 両親は自分達の友人知人を陽咲に一切近付けなくなり、陽咲の行動制限をし門限を決めた。美綾は自分のせいで陽咲が誘拐されたと思いつめ剣道を始めた。13歳で初段、14歳で二段の有段者になった美綾は、ボディーガードとして常に陽咲のそばにいた。


 昔のように子供だけで遊びに行くということが、陽咲はできなくなってしまった。そして美綾も陽咲を守る使命感を持ち続けて今に至る。


 アンタには関係ないだろ。


 美綾の言葉が脳裏をよぎった。美綾もずっと苦しんでいたんだ。陽咲が電車通学をしたいと言っていたように、美綾も本当は別の高校に行きたいと思ったことがあるのかもしれない。


 陽咲が今回のダブルデートに美綾を同行させるのを止めたのも美綾に負担をかけたくなかったから。


『悪いのは河南さんだと美綾は言いますが悪いのは私です。あの時河南さんについていかず美綾を待っていたら、今日この日まで美綾の行動を縛りつけることはなかったんです。私はいまだに美綾の自由を奪ってしまっているのだから……』


 これまでどんなことにもひるまなかった陽咲が、電話の向こうで沈んだ声を震わせていた。泣きそうになるのを必死に我慢している風に感じる。


 そうだよな。自分のせいで大切な親友に重荷を背負わせていると考えたらつらい。悲しみに満ちた陽咲の語り口が胸にしみた。


「きっと誰も悪くない」


 考える前に俺はそう口にしていた。


 一般論を駆使して客観的に見たら河南さんが悪いということになるんだろう。でも、そんなこととても思えなかった。実際河南さんは陽咲に謝った。お金に困っていたとはいえ、親友の娘を誘拐することに罪悪感がないわけない。誘拐中、陽咲を工房で自由に遊ばせたのも普段退屈そうな陽咲を見ていた河南さんなりの罪ほろぼしであり気配りだったのかもしれない。


 河南さんも、陽咲を守ろうとした陽咲の両親も、美綾も、陽咲も、誰も悪くない。きっと色んなことがタイミング悪く重なってしまっただけ。


「だって、陽咲は河南さんを好きだった。その気持ちは間違ってない。陽咲は悪くない。自分を責めないでよ」


『ありがとうございます。そんな風に言ってくれて……。でも、私は現に美綾を縛りつけています。事件後私は自ら護身術の教室へ通ったのですが、初日に先生から『不向きだ。やめろ』と言われてしまいました。両親の反対を振り切ってそうしたのに、先生に返す言葉も見つけられませんでした。情けないです……』


「その日のうちに!? ひどいな教室の先生も……。それを何とかするのが先生の仕事なのに」


『ショックでした。ここまで運動神経がないなんて……。それを証拠に五段階評価で体育の成績は万年1なんです……』


 東高の通信簿も五段階評価で、俺にも苦手教科はあるけどさすがに1は取ったことない。


『ツムグと語るための体力なら無尽蔵に湧いてくるのに親友のために湧く気力はこの程度のものなのかと歯がゆい思いでいっぱいです……』


「陽咲のツムグ愛はすごいもんね」


 言ってて切なくなるのはなぜ? 答えはもう自分の中にあった。


『私が護身術を会得できたら美綾の負担は減らせるのですが……。どこの教室へ行っても適正ゼロを理由に初日で退室を命じられてしまうんです。どうにかして筋力や戦闘力を培えないものでしょうか』


「陽咲には陽咲のやれることがあるんだから。それに、美綾に負担かけてるって陽咲は言うけど、美綾の気持ちは直接本人に訊いてみないと分からないんじゃない?」


『その通りかもしれません。これまでも何度か美綾に訊いてみようと思ったこともあります。でも訊く勇気がなくここまできてしまいました。美綾を失うのはこわいんです。もし美綾に嫌われていると分かったら、私は何を支えにして生きていけばいいのか分からなくなりそうで……。ワガママの極みなのですが……』


「陽咲にとって美綾は大事な存在だもんね。そんな友達そうそう見つからない。ワガママにもなるよ」


『紡君は私のこんな身勝手さを理解してくれるのですか?』


「するよ」


 この子を守りたい。心からそう思った。


 今さら気付いた。気付いてしまった。俺は陽咲のことが好きだったんだ。それは初めて会ったあの日から。


 会うたび、声を聞くたび、どんどん惹かれていく。認めたらまた天音あまねの時のように終わりを迎えてしまう気がしてこわかった。だから必死に男友達のフリをした。


 きっと俺以外の人はみんな俺の気持ちに気付いてた。結音ゆいともヒロト君も美綾も。気付いてないのは陽咲だけ。


「そのつらさ、半分俺が持つよ。だからもう悩まないで」


『え……?』


「美綾じゃない。これからは俺が陽咲を守る」


 俺はツムグになれないし二次元キャラみたいに完璧な男じゃないけど、どの恋愛アプリの男キャラより陽咲を好きだ。それだけは胸を張って言える。


 恋愛経験なんてほとんどないようなものだし、陽咲のことも全部は知らない。この先戸惑うこともあるだろう。でも、もう逃げない。


『ありがとうございます。でも、それはいくら何でも荷が重すぎるんじゃないでしょうか?』


 やっぱり陽咲は遠慮する。その遠慮が寂しいと思うほど陽咲のことを考えるように、いつしか俺はなってた。


 陽咲が好きだ。穏やかに笑うところも、ツムグの話に熱中するところも、ボケっぱなしの会話も、遠慮がちで一生懸命なところも。


 だけど、この気持ちは秘密。


 陽咲にはツムグがいる。それでいい。俺が勝手に陽咲を守りたいだけだ。


『紡君の優しさはとても嬉しいです。ですが、彼氏のフリをしてもらうだけで私は満足ですからそれ以上のことをお願いするのは心苦しいですっ』


「本当にー? 自分で言うのも何だけど守ってくれる彼氏の方が今後何かと便利だと思うけど」


 わざと意地悪な口調で俺は言った。


「たしかに美綾は強いかもしれないけど彼女も女の子だし危険な目に遭わすのはどうかと思うなー」


『そっ、それはその通りなんですが、でも、だからって紡君が危険な目に遭っていい理由にはなりませんっ。もし万が一紡君に何かあったら私はっ』


「大丈夫だよ。陽咲」


 この時初めて、俺は人に能力のことを話したいと思った。


「美綾みたく強くはないけど、俺には人の心の声を聞く能力があるんだ」


『……! そのお話は本当だったんですね!?』


「ごめんね。諸事情により今までは極秘にしてたけど、やっぱり陽咲にだけは打ち明けておきたくて」


『聞きたいです興味深々ですっ! どのようにしてそういった力を獲得したんですか? 私もほしいです!』


 電話を越してきそうなほどの荒い鼻息で陽咲は話を促した。


「獲得方法は不明だから伝授はできない。悪いけど」


『そうなんですね……。いえっ、決してガッカリなどしていませんからね!?』


 フルでガッカリしてるだろ。声で分かる。ツッコミだしたら話がどんどん逸れてしまいそうなのでグッと我慢した。そして頬が緩んでしまうほど気持ちが晴れやかだった。


 今まではこの力のことを自分の汚点みたいに思ってたのに、今は不思議と誇らしく思えた。陽咲が受け止めてくれたから。否定せずに聞いてくれるから。


「この能力は女の子相手に発動されるんだ。強い想いであればあるほどダイレクトに聞こえてくる。物理的距離が離れると働かない力だけど、陽咲に何かあった時は俺に向けて助けを呼んでほしい。もしかしたら届くかもしれないから」


『そんな貴重な能力を私なんかに使ってもいいのでしょうかっ!?』


「有事の際に使わないでいつ使うの。覗き聞きばっかするのもうヤだし。今なら彼氏役のオプションサービスってことで、陽咲は特別」


『そんなっ、いいんですか! 嬉しいですっ! 超能力はやはり実在するんですね!』


 この能力を超能力というのかどうかは分からないけど、陽咲がそう思うならそういうことにしよう。


 何より、憂いを忘れ笑ってくれる。さっきまで泣く寸前だった陽咲の気持ちが明るくなっていくのが分かり嬉しかった。


 俺が能力のことを告白してようやく、陽咲の疑問は解消したようだった。


『無理に追及する気はなかったのですが、ようやく納得できました。彼氏のフリをお願いした時、私がツムグの名前を言う前に紡君が彼の名前を言い当てたのはそういうことだったんですね』


「謝ったからって許されることじゃないかもしれないけど、あの時はごめんね。勝手に心の中覗くようなことして……」


『いいえ。紡君が的確に私の心情を察してくれたことで救われることはたくさんありました。ヒロト君のお友達に声をかけられた時もそうですし、それ以外にも……』


 そう話す陽咲の声は普段以上にあたたかかった。今まで交わした言葉から、彼女は能力を持つ俺の葛藤を察したみたいだ。


『悩みの種類は違っても、紡君も私と同じように長い間色々なものを抱えてきたんですね。だから私達は出会い通じ合うことができたのかもしれません。私は紡君の存在にずいぶん支えられています。彼氏のフリをしてくれたのが紡君で本当によかった……』


「俺もだよ。陽咲が彼氏のフリ頼んでくれてよかった」


 好きだよと、心の中でささやいた。


 陽咲の思うような男でありたい。だけど同時に俺自身をさらけ出したい。


「ねえ、今後の計画なんだけどさ」


 彼氏彼女のフリをしていくことについて、こんな提案をしてみた。


「いつ誰に見られても付き合ってることを信じてもらえるように、普段の会話もそれっぽい演出をした方がいいかもね。バージョンアップっていうか」


『バージョンアップですか。とはいえ、本当に付き合っているような会話とはどのようなものなのでしょうか? ツムグとの会話は一字一句記憶していますがツムグとの関係を紡君に持ち込むのははばかられますし……。難しいですね』


「そんな深く考えなくても。たとえば、ほら、『会いたい』とか『もっと一緒にいたい』とか……」


 演技のフリして本音が出た。サラッと言うつもりだったのにけっこう感情がこもってしまったので焦った。引かれたらどうしよ……。さすがにまずかったかな。


 電話していたら陽咲に会いたくなってきた。そんな気持ちをもてあます。


『つ、紡君、そんなっ、ダイタンすぎますっ!』


 きっとまた顔を真っ赤にしてアタフタしてるんだろう。陽咲の声には照れと恥ずかしさがたくさん含まれている。


「陽咲も言ってみて?」


『あの、そんなっ、でもっ!』


「ん?」


『あっ、会いたいでつ!』


 噛んだ!!


「あははっ! ごめんごめん。遊びすぎた」


『もう! ひどいですよ紡君っ!』


「でも、倒れなくなったのは進歩だね」


 前の陽咲だったら100%失神していた。俺にそう言われ陽咲もハッとした。


『それもそうですね! もちろん今でも紡君の声や言葉にドキドキして脈拍がものすごいことになっているんですが、不思議と耐えられるんです』


「まあ、陽咲には本命がいるしね」


 ツムグの存在を口に出して意識することで俺は気持ちを抑えた。人より冷静な方だと自分では思うけど、陽咲への気持ちを自覚してしまった以上どうなるか分からない。天音のこともちゃんと好きだったけど、陽咲への気持ちは天音の時より大きい気がした。


 恋をしたら人は変わると結音は言った。今さらその言葉に実感が出てくる。普段チャラチャラしてて軽薄なヤツだけど、結音は俺なんかよりずっと恋のことを分かってる。ちょっと尊敬した。調子に乗りそうだから本人には絶対言わないけど。


「次会えるのは結音達とのダブルデートの時だね。楽しみにしてる。家まで迎えに行くから」


『ありがとうございます。私も楽しみにしています。当日は軽装で臨みますね』


「それがいいよ。また連絡するから」


 電話を切るのが名残惜しかった。


 陽咲と話しているとあっという間に時間が過ぎる。スマホを見ると2時間も話していたと知り驚いた。どうりで空が暗くなっているはずだ。ここへ来た時はまだ夕焼け空だったのに。


 夕食が遅くなると我が家の姉妹達にブーブー言われそうだ。急いで帰ろう。冷蔵庫に豚肉とキャベツがあったし今夜はホイコーローでも作るとするか。

 

 駅へ向かう途中、美綾に電話した。向こうも俺の番号を消さずに登録したままにしておいてくれたらしい。とはいえ好意的な出方ではなかった。予想はしてたけど開口一番ケンカ腰。こっちはまだ一言も話してないんだが。


『アンタさ、用もないのに彼女の親友に電話するってどういうつもり? ケダモノなりにフラグ立てしてんの? ケンカ売ってんの? 別にいいけど負けないよ』


「電話で売るケンカがどこにあるっ。って、なんで俺そういうイメージなの。どうにかならない? いやいや、言い合ってる場合じゃない。真面目に頼みたいことがあるんだ」


『は!? 何でアタシがアンタのお願い聞かなきゃいけないわけ? そこまで義理ないんだけど』


「そう言われると思った。陽咲のためになることって言ってもダメ?」


『陽咲のため? ふーん……。電話の目的は不埒ふらちな内容ではなさそうだな』


 美綾はしゅるしゅるとその勢いを緩め、おとなしく話を聞いてくれる気になった。不埒うんぬんは聞き捨てならないが今はスルーしとこう。


『そういうことなら聞いてやらなくもない。三十字以内で話せ』


「現代文のテスト用紙か! って、ツッコんでる場合じゃないな。陽咲を守るために力を貸してほしい。美綾が適任なんだ」


 陽咲をダシにするつもりは毛頭ないけど、俺はそんな切り口で美綾にあることをお願いした。強くなるために。


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