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8 打ち明け話

 やっぱり陽咲ひさきは失神していたらしい。結局電話口であわあわするしかなかった俺は、電話口の様子を祈るような気持ちで聞いていた。しばらくすると陽咲んちで雇われている家政婦さんがやってきて陽咲を起こし、何とか事なきを得た。


 家政婦さんはなだめるような口調で電話口に出た。


『お嬢様が大変失礼しました。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?』


時永ときながつむぐです」


『時永様、大変失礼なのですが今日はこれにてお電話を切らさせて頂きます。お嬢様には後ほどご連絡するようお伝え致しますので』


「分かりました。お大事にとお伝え下さい」


 ふう。電話を切ってホッと一息ついた。陽咲はとりあえず無事みたいだ。


 陽咲んちの家政婦さんはウチの親より年上っぽかった。陽咲はあまり家のことを話さないけど、家政婦さんの声音には仕事以上の情がこもっているような気がした。まるで娘を心配する母親のような。俺がこんな心境だからそんな風に思うのだろうか。


 こんなに人の心配をしたのは初めてだった。


 陽咲はあまり深刻に考えていなさそうだけど、男と電話したくらいで失神するなんて彼女の今後の人生がすごく心配だ。今はたまたま家の中だったからいいものの外で電話していたらどうなっていたことか。車や自転車にかれるかもしれないし、変な男に介抱されてしまうこともありうる。危険だ。


 美綾みあやが俺と陽咲の後をつけていたと言ってきた時はどうしてここまで幼なじみの心配をするのだろうと疑問しか湧かなかったが、今なら理解できる。知り合って日の浅い俺ですらここまで心配になるんだから、生まれた時からそばにいる美綾はなおさらだろう。


 今後も陽咲の彼氏役をしていくなら美綾の連絡先も聞いておいた方がいいのかもしれない。とはいえ、どうしたらスムーズにいくだろう。


 陽咲なら当然美綾の連絡先を知っているだろうから陽咲に訊くのが早そうだけど、仮にも彼氏が彼女の親友の連絡先を知りたがるっていうのは変な話だ。まあ陽咲はツムグラブなので俺の関心がどこにあろうが気にもせずアッサリ美綾の連絡先を教えてくれそうだけど、そうなれば美綾の方が変に勘ぐってきそうだ。ただでさえ美綾は男に不慣れと言っていた。


 どうしよう。やっぱり現状維持しかなさそうだ。それで大丈夫か?


 陽咲との電話を終えて一時間ほど考えあぐねていたら、知らない電話番号からスマホに電話がかかってきた。


「はい」


『アンタ陽咲に何したの?』


 しょっぱなからケンカ越しなその物言い。名乗られなくても相手が美綾だと分かった。


 何てことだ。向こうから電話が来るなんて。しかもこのタイミング。驚きと安心が同時に胸を占めた。


「電話中に倒れたこと聞いた?」


『さっき陽咲からメールがきたの』


 第一声よりさらに圧を込めて美綾は言った。


『アンタいったい何したの?』


「何もしてないって。話してただけ」


『本当? 信じられないんだけど……』


 声の感じだけで嫌悪感に満ちた美綾の顔が想像できた。


「なんかやっぱり俺に対するイメージねじ曲がってない!?」


『ううん。真っ当な評価を下してるつもりだけど』


「どこがだよっ!」


 もう、神経反射のレベルで突っ込むことしかできない。それが俺なりの精一杯の反発。ああ、情けない……。


 でも、陽咲のことをそこまで気にかけてくれる子が身近にいることは普通にホッとした。ただただ安心する。


 と、そんなことを美綾に言ってもまた突っぱねられそうな気がしたので、本題を口にした。


「美綾から電話もらえてよかった。こっちから連絡したいなと思ってたとこだったから。俺の連絡先、陽咲に聞いた?」


『そうだけど。って、別にアタシはアンタに特別な感情があって直接電話したわけじゃないから。勘違いしないでよねっ』


 美綾は平常運転だ。はじめは困ったけどこういう感じが美綾らしさなのかもしれない。良くも悪くも男に媚びない。


「分かってるよ。陽咲の代わりに連絡くれたんだろ?」


『分かってるならいい』


 怒ったように美綾は言う。


『家政婦さんから今日の電話は禁止されたんだって。それでアタシが代わりにアンタに陽咲の無事を報告するよう頼まれた』


「陽咲は大丈夫なの? 倒れた時すごい音したから」


『大丈夫。メール打てる元気はあるから。それに万が一のために陽咲んちには至る所に衝撃緩和材が施してあるから大ケガはしないはず』


 陽咲の失神癖を両親も家政婦さんも承知してるってことか。家中に対策がしてあるなんて、陽咲の失神は持病と言ってもいいレベルだ。


 とりあえず無事なことが分かってよかった。


 安心する俺とは違い、美綾はまだこの状況に納得してなかった。


『陽咲のメールには、アンタの声聞いてたら興奮値がマックス振り切ったって書いてあったけど、どうしたら陽咲にそんなメールを打たせる事態になるわけ? 意味分からないんだけど』


「それはこっちも訊きたいよ。美綾も言ってたけど、ずっと女子校だったから男子に慣れてないだけじゃない? 陽咲もさ」


 陽咲もリアル男子は苦手だと言ってた。俺とは話しやすいらしいけど百パーセント慣れたかっていうと微妙だし。まあ、だからって俺に陽咲を失神させるほどの魅力があるとは思えないけど。


『まあ、それは否定しないけどさ……』


 美綾のくぐもった声を聞いて、ふと疑問が湧いた。どうして美綾は白女を選んだのだろう? 陽咲と違い、初対面から男の俺にも緊張感なく話しかけてきた美綾なら共学校へ行ってもよさそうだから。


「美綾はどうして白女を選んだの?」


 好奇心で訊いてみた。


 学力レベルだけで考えるなら他にいくらでも共学の高校はある。なのになぜあえて白女を選んだのか。陽咲は親に言われてそうしたと言ってた。外見や口調はともかく美綾もお嬢様みたいだし、少なからず親の干渉があったのではと思った。


 息をのむような気配の後、美綾はワントーン低い声で言った。


『アンタには関係ないだろ』


 もともと俺にはつっけんどんな言動だったが、それまでにはないほど冷ややかな美綾の口調に俺はけっこう動揺した。地雷を踏んでしまったのかもしれない。


 美綾には散々なじられたけど、アンタには関係ないという彼女の言葉は今まで言われたどんな悪口より衝撃があった。単なるノリで話していたことなのにそこまで突き放される理由も分からない。


『そうだよな。ごめん、変なこと訊いて』


「……別に。謝らなくていいけど」


 何となく気まずくなって、だけどそれを知られるのもよくない気がして、俺はできるだけそれまでの穏やかな口調を保って電話を終わらせることにした。


「わざわざ電話ありがと。美綾の連絡先登録しておくから。これからも陽咲に何かあった時はよろしくな」


 そこは当然「分かった」と気持ちのいい返事が返ってくると予想していた。それなのに美綾の返答はそっけないものだった。


『どうしてもって時はいいけど、陽咲を助けるのはアンタの役目だ。アタシばかりアテにするなよ。じゃあな』


「それはそのつもりだけど、今日みたいなこともあるし……」


 言い終わらないうちに電話は切られてしまった。どうしたっていうんだ。もしもの時に連携する、その提案はまずかったのか?


 どうにもスッキリしない気持ちで通話終了のボタンをタップすると、一通のメールが来ていた。


「陽咲…!」


 思わず声を上げてしまった。受信時間を見ると美綾と電話している最中に来たメールだと分かった。美綾に連絡した後すぐ、陽咲は俺にもメールを送ってくれていたんだ。


《先ほどは大変失礼しました。家政婦さんから今日の電話は一切禁止されてしまったのでメールしました。当然ですよね、あんなことがあったのですから。

 紡君、私に呆れていませんか? もちろん呆れていますよね。せっかくダブルデートのイベントを控えているというのに私は彼女役失格です。しっかりしなくてはいけませんね。》


 文面のすみずみから自責の念が漂っている。


《大丈夫。彼氏はそういうのを受け止めるのも仕事なの。陽咲はそのままでいいから。》


 そう返事をした。こうでも言わないと陽咲はいつまでもクヨクヨしそうだし、俺はそこまで陽咲に呆れていないからそれはちゃんと伝えたかった。


《甘いメールをありがとうございます。私達は偽物の恋人同士。分かっていますが、紡君の言葉のひとつひとつが嬉しいです。ふつつか者ですがこれからもよろしくお願いしますね。》


 五分もしないうちにそんな返信がきた。俺こそふつつか者の彼氏ですがよろしくと返した。そこでメールの往来は終わりかと思ったら、さらにメールが来た。


《紡君、もうひとつお伝えしておかなければならないことがあります。美綾に紡君のメールアドレスと電話番号を教えてしまいました。個人情報保護法を無視して勝手なことをして申し訳ありませんでした。》


 陽咲らしい律儀さに笑いがこぼれる。まあ、たしかに個人情報だだ漏れだけど美綾なら別に害はないだろうから気にしてない。


《実は先ほど倒れてしまったことについてメールで美綾に相談しました。自分の未熟さが情けなくなりいてもたってもいられなくなったからです。すると美綾は熱心に私を励ましてくれ、そして、今日のようなことがあった時のために紡君の連絡先を教えてほしいと言いました。》


 あれ、そうだったのか? 美綾から聞いた話と違う。


 美綾は陽咲に頼まれて俺に電話したと言ってたけど、本当は美綾の方から陽咲に俺の連絡先を訊いたんだ。


 陽咲はウソをつけない性格だ。だとしたら美綾がウソをついたことになる。でもどうしてそんなウソを?


 気にはなったが細かいところまで探ろうとは思わなかった。俺には色々やらなきゃならないことがある。今後のことで頭がいっぱいだった。



 週明け、学校が終わるなり結音ゆいとの絡みを適当にかわして俺は第一高校に向かった。陽咲のトラウマの原因となったヒロト君に会うために。


 第一高校までは徒歩で三十分はかかる。ウチの高校と同じくらいの終業時間だとしたら早足で歩いてもヒロト君が帰宅するタイミングに間に合わないかもしれない。部活か何かやっていればいいけどヒロト君はそういうのに関心がなさそうな感じだった。勝手なイメージだけど。


 急がないとヒロト君に会えないかもしれない。早足と走りを交互に繰り返して何とか第一高校に到着した。


 校門前に着くとさすがに下校時間から少し時間が経っていて、第一高校のグラウンドには部活に励むジャージ姿の生徒がぞろぞろ出てきていた。帰宅部の学生もまばらに校門から出てくる。


 五分ほど待っても、あの日陽咲をナンパしていたヒロト君とその連れらしき男子は出てこなかった。よく考えたらヒロト君の通学手段が徒歩か電車か自転車かも分からない。自転車だったらすでに学校を後にした後かもしれない。


 ついさっき、陽咲からここへ来た俺の様子を心配するメールが届いたけど返信する余裕がなかった。見落とさないよう、第一高校の校門から出てくる生徒達の顔をじっと観察する。


 全体的に鋭い目つきの男子が多い高校だ。女子も派手めな人が多い。他校生の俺を見てテンション高く騒ぐ女子集団もいた。男女共学なのはウチの高校と同じだしそういう部分では近い雰囲気を感じる。


 第一高校の制服を着た男女のグループを見て、ふと切ない気持ちになった。陽咲がもし共学へ行っていたら陽咲と俺は出会うことがなかったのかもしれないと思ったから。もし陽咲に出会わなかったらこうして何の縁もない第一高校に足を運ぶこともなかった。そう考えると、ここにこうしていることがすごく誇らしくなってくる。


 今日はもうヒロト君に会えないかもしれない。二十分が経過した頃、待つことに疲れうつむこうとしたら、視界の隅に男子生徒の靴を履いたつま先が見えた。


 反射的にバッと顔を上げると、待ち望んだヒロト君がそこにいた。そばに友達はいない。今日はヒロト君一人みたいだ。


 俺の視線に気付きヒロト君もこっちを凝視した。何見てんだよと言いたげな苛立った目つきの後、俺の顔を思い出したようで目を見開いた。


「アンタ、この前の……」


 ヒロト君も俺をアンタと呼んだ。美綾と同じか。


「紡だよ、名前。ヒロト君に用があって待ってた」


 そう告げるとヒロト君は怪訝な顔をした。そんな顔をされると少し気が滅入る。でもそんなことは言ってられない。これは陽咲のためだ。


 用件が用件。ヒロト君に話を聞いてもらえるよう、なるべく穏やかな口調を意識した。


「陽咲から伝言があるんだ。少し話せる?」


「別にいいけど」


 拒否されると思ったのに案外素直な返事をもらえたので嬉しくなる。


「少し聞いたよ。陽咲とヒロト君のこと。幼稚園の頃同じクラスだったって」


「……アイツは俺を嫌ってる。知ってるよ。アンタわざわざンなこと伝えに来たの?」


 皮肉るように言うヒロト君の表情には悲しみと寂しさが見て取れた。陽咲が反省しているように、ヒロト君も幼稚園時代の自分の行いを後悔しているのかもしれない。


「違うよ。部外者の俺がこんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、陽咲は幼稚園の時のことをヒロト君に謝りたいって言ってた」


「は? なんでアイツが謝るの? 悪いのはどう考えても俺だよ……。そのくらい分かってる」


「うん。それを陽咲にそのまま伝えてあげてほしい」


 俺は自分のスマホをヒロト君に渡した。画面には陽咲の電話番号が表示してあり、通話ボタンをタップすればすぐ彼女に電話できる。


 そういうことをこわがらずサッサと実行しそうな外見とは裏腹に、ヒロト君はおずおずとスマホに手を伸ばす。


「今さら俺の話なんて聞いてくれるのかよ。あれから何年も経ってんのに」


 恐怖心をごまかすためか、ヒロト君は口を尖らせ俺のスマホを睨んだ。


「何年経っても忘れられない。そのくらい大事な気持ちだったんじゃないの?」


 俺はヒロト君にそう言った。ヒロト君は驚いたように俺を見てそっと通話ボタンを押した。ピアスを開けた彼の耳は、不安からか緊張からか少しだけ赤くなる。


 ヒロト君に会えたら電話させると、陽咲にはあらかじめ伝えてある。二人が仲良くできるよう、ヒロト君の電話姿を見守った。これが、二人を仲直りさせるために考えた作戦だ。直接話すのはこわくても電話越しならお互いに話しやすいはずだと俺は考えた。


 緊張に満ちた面持ちのヒロト君を見ていたら手に汗がにじんできた。かけてすぐ陽咲は電話に出たらしい。ヒロト君の声はあからさまにこわばった。


「俺だけど。だから俺だよ、俺!」


 オレオレ詐欺か!


 風の音や車の走行音に埋もれ陽咲の声までは聞こえないけど、彼女の動揺っぷりが目に浮かぶ。


「ヒロトだよ」


 やっと名乗り、ヒロト君は言った。


「紡ってヤツが来て電話貸してもらった。幼稚園の時は色々悪かったよ。ああ、うん。別に。お前は悪くないだろ」


 陽咲もヒロト君もがんばれ! 心の中でエールを送った。陽咲が失神しないことを付け加えて願った。


 ヒロト君の声しか聞けないのでどんな会話をしているのかは分からないけど想像はつく。二人は仲直りできたようだ。これで陽咲の憂いも晴れたのかと思うとホッとした。


「あと、この前も連れが悪かったな。こわい思いさせただろ」


 ヒロト君はこの前一緒にいた友達が陽咲をナンパしたことも合わせて謝った。それを聞いてナンパは偶然だったんだと俺は初めて知った。ヒロト君が積極的に声をかけたわけじゃなく、ヒロト君の友達が陽咲に目をつけた。真相はそういうこと。陽咲にもそれが伝わったらしく、ヒロト君はやっと安堵の表情を浮かべた。


「だからお前は何も悪くねぇって。ああ。うん」


 会話の終わり際、ヒロト君はサラッと告げた。


「もう会うこともないだろうから言っとくわ。昔、お前のこと好きだった。あ? 違ぇよ。財産目当てで女好きになる園児がいるかよ!」


 妙に見覚えのあるツッコミシーンを前に、俺はけっこう動揺していた。ヒロト君がかつて陽咲を好きだったことは承知の上だったけど、まさかここで告白までするとは思わなかった。


「心配すんな。お前はいい女だ。この先財産目当てのつまんない男に引っかかるなよ。ま、この人がそばにいるなら大丈夫か」


 ヒロト君は一瞬こっちに目をやった。


「じゃあな」


 ふてぶてしい口調ながらもそこには陽咲への優しさがあった。電話を終えスマホを返してくるヒロト君を見て俺は胸が痛くなるのを感じた。


「ありがとな。わざわざこんなとこまで来てくれて」


「いいよ。俺がそうしたかっただけだから」


「変なヤツだな。彼氏でもないのにここまでするアンタも」


 俺は陽咲とセットで変わり者扱いされている。まあ間違ってはいないかもしれない。俺が陽咲の仮の彼氏ってことをヒロト君は知らないんだし。それに俺自身、今の自分が不思議だ。少し前の自分とは明らかに違うなと思う。


 陽咲と話せて長年のわだかまりがスッキリしたのか、ヒロト君は晴れ晴れした顔をしていた。そんなヒロト君を見ていたら、しまい込んでおくはずだった疑問が無意識のうちに口から飛び出していた。


「陽咲には彼氏がいるし告白まですると思わなかった。今でも陽咲のこと好きなの?」


 初対面の時では考えられないほどヒロト君は素直で屈託ない笑みを見せた。


「なんだそれ。今は彼女いるよ。陽咲にはケジメとして言っただけ。無意味に意地悪してたって思われたままは嫌だったから」


 ヒロト君には彼女がいる。そう聞いて俺はおおげさなくらいホッとしていた。


「何年経ってると思ってんの? アンタも言ってたじゃん、陽咲には彼氏いるって。でもま、話せてよかった。ありがとな」


 ヒロト君は俺を見てその目に同情の色を浮かべた。


「でもさ、報われない片想いってきつくない?」


「え? あ、もしかして俺のこと言ってる?」


 思いもしない方向に話が飛んでドキッとした。


「こっちは助かったし文句言う気はないけどさ。アンタ陽咲のこと好きなんだろ?」


「え、なんでそうなるの?」


 間抜けな反応になってしまう。ヒロト君がどうしてそんなことを言ってくるのか分からなかった。


「俺の連れが陽咲をナンパしてた時助けに入ってきただろ。その時からそんな気はしてた。どうでもいいヤツのためにあそこまでしないだろ普通」


「や、あれは何ていうか……」


 陽咲の心の声が普通じゃなかったから、とはとても言えなかった。


「ま、外野が口出すことじゃないか。じゃあな」


 ヒロト君は片手をあげて帰宅方面に歩いていった。徒歩通学らしい。ヒロト君の姿が目先の曲がり角に消えるのを何となく見送った後、俺も元来た道を歩き始めた。


 報われない片想いってきつくない?


 ヒロト君の言葉は、かつての彼の経験から出たものなんだろうか? やけに頭に残る。



 ヒロト君に会った後はすぐ家に帰るつもりだったのに駅に向かう気にはなれず、この前美綾と行った遊歩道に向かった。やけに気分が浮かれていた。足取りも軽い。


 ヒロト君が告白した時は焦ったけど結果的によかった。陽咲も幼稚園時代のヒロト君に対する疑問が解消されただろうし、何より男嫌いになるキッカケとなった相手と和解できたのは陽咲にとって大きな進歩。これで少しはリアル男子への悪いイメージも崩れるかもしれない。


 歩きながらスマホを見ると陽咲からメールが来ていた。ヒロト君と電話した後に送ってきたもので、メールにはヒロト君と仲直りができて嬉しいと書かれている。


 遊歩道に着いてすぐ陽咲に電話をした。メールでもよかったんだけど今は声を聞きたかった。


「おめでとう、陽咲。よかったね」


『紡君のおかげです。ヒロト君と話せて本当によかったです!』


 陽咲の声はいつも以上に穏やかで明るかった。


「よかった。陽咲に喜んでもらえて嬉しい」


『色々ご迷惑をおかけしてしまい恐縮ですが、ヒロト君のことを紡君にお任せして本当によかったです。ヒロト君の言葉であの頃のことを聞けました。私には想像外のことばかりでしたがためになりました』


「好きって言われてたね」


『そっ、それは』


 陽咲は動揺していた。


『ヒロト君の発言には驚かされてばかりでした。好きな相手に意地悪をするなんて、今まで私の好きになった男性陣にはない要素でしたから……』


「ツムグも優しいもんね」


 今まで陽咲が教えてくれたツムグ談義の内容を思い出す。


『はい。ツムグはたしかに優しいです。初恋の人も曲がったことが嫌いな正義感溢れる方でしたから意地悪とは無縁でしたし。最近になって、現実の恋愛を勧めてきた美綾の気持ちが分かるようになってきました』


「そうなの!? 美綾の恋愛論だけはあんなに理解できないって言ってたのに」


『そうでしたね。でもその認識は間違っていたのかもしれません。紡君が彼氏のフリをしてくれるようになってから、私の物の見方は偏りがあったのではないかと思い始めたんです。今回ヒロト君の気持ちを聞いたことも大きかったですが』


 ナンパから助けてもらったこと。一緒に電車に乗り陽咲の手作り弁当を食べたこと。普段は行かない場所へ行ったり月を見ながら電話で話したこと。そういう経験が貴重だったと陽咲は言った。


『今回のこともそうです。紡君と出会う前だったら、私はヒロト君に謝りたいと口にすることすらできなかったでしょう。それに、男性のいるダブルデートに臨もうという気力も湧かなかったと思います。紡君の存在が私を強くしてくれるんです』


「陽咲……」


『だからありがとうなんです』


 そんなことを女子から言ってもらえる日が来るなんて思わなかった。陽咲の言葉には裏がない。まっさらな彼女の気持ちが渇いた心を潤してくれるようで、なのにドキドキもして、変な感覚だった。


「これで結音達と思い切り遊べそうだね」


『はい!』


 今日の昼休み、結音から聞いたダブルデートのプランを陽咲に話した。学校からわりと近い場所に食堂付きのアスレチックパークがあり、まだ涼しいこの時期はカップルの来場者も多いとか。最近少し太ったとかで、チエちゃんが運動とデートを兼ねてそこへ行きたいと主張したそうだ。


「陽咲そういうの大丈夫? けっこう体動かすと思うけど」


『もちろんです。美綾ほどの身体能力はないですがイベントのためならどこへでも行きますよ』


「無理はしないようにね。メインは結音達に任せて俺らはまったり動けばいいから」


 美綾はアスレチックも楽々こなしそうだ。陽咲はどちらかというとインドアなイメージ。


「ダブルデートだから無理かもしれないけど美綾も誘えばよかったな。でもそれはまた別の機会でもいっか」


 陽咲と美綾、俺の三人で遊ぶこともあるかもしれない。二人の仲の良さからそんな予想をしたのだが陽咲は浮かない声になった。


『そのことなのですが、今回のダブルデートに美綾を誘おうか迷っていたんです』


 そういえば、結音からダブルデートの誘いがあったと話した時、陽咲は何か言いたげにしていた。あの時、美綾を誘おうと言いたかったんだ。


「美綾がいいなら誘ってもいいよ。結音には俺から言っとくし」


『いえ、大丈夫です。さすがにそこまで美綾に迷惑はかけられませんからっ……』


 強い語気で陽咲は言った。


『今回は紡君と結音君の彼女さんもいらっしゃいますし、きっと大丈夫です。昔のようなことにはなりません、きっと……』


「昔のことって……?」


『いえ、これは、その……』


 何でもないとごまかそうとしたもののやっぱりごまかせない。そんなもどかしさが陽咲の声から読み取れた。


 覚悟を決めたように、陽咲は口を開いた。


『小学一年生の時に私は誘拐されました。犯人は身代金目的で私を連れ去ったのです。以来、美綾は剣道を始めました。私を守るために』


 俺は絶句した。


『美綾が私と同じ高校へ進んだのも、下校や遠出の際私に同行してくれるのも、私がそんな目にあったからなんです』


 どう言葉を返したらいいのか分からなかった。ツムグの話をしているのと同じ人物とは思えないほど陽咲の声音は沈んでいて、普段の明るさや天然ぽさはそういう過去を隠すためのものだったのかと思ってしまった。


 家から近い女子校に進学させられたのも、放課後友達と寄り道をさせてもらえない理由も、親の過干渉も、全て合点がいった。


 陽咲を縛り付けているのはヒロト君へのわだかまりだけではなかった。誘拐事件が今でも陽咲の言動を縛っているのだと知った。


『すみません。こんな話をするなんてどうかしていました。気にせず忘れてくださいね』


 陽咲は笑いを含んでそう言った。無理しているその様子から、するつもりのなかった打ち明け話だったのだと察した。俺はいつもみたいにうまく言葉が出てこなかった。


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