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4 アクシデント

 制服で電車に乗ると約束していた土曜の午後、学校を出るなり久しぶりに猛ダッシュをした。体育の授業でもここまで頑張らないのに、なぜこうも必死に走っているのか。


 それは、陽咲ひさきと決めた約束の時間に三十分以上も遅刻しているからだ。


 彼氏のフリとはいえ、初めての待ち合わせで遅刻なんて最低だ!


 基本、土曜日の授業は午前中で終わる。本当なら余裕を持って学校を出れるはずだったが、絶賛恋にかまけ中の結音ゆいとの代わりに掃除当番をやらなきゃならなくなったせいでこんなことになっている。


 どうやら結音、彼女のチエちゃんと昨夜電話でささいなケンカをしたらしく、朝から落ち着きがなかった。落ち着きがないのはいつものことだけど、今日は輪をかけてひどかった。学校が終わったらすぐに彼女に会いに行く勢いだった。そこへ運悪く通りかかってしまった。


「頼む! 今日の掃除当番代わってくれよ、つむぐ


 当然断った。


「無理。今日約束あるから」


「それって陽咲ちゃん?」


 うなずいた。


 今朝教室で顔を合わせた時に、結音には陽咲とのことを軽く話しておいた。一応結音は彼女との出会いをもたらしてくれた人物だし。もちろん陽咲が二次元男子に惚れていることは話してない。……だが、結果、それが足元をすくわれる一因となってしまった。


 そそくさと教室を出ようとする俺の腕を、結音はいやらしく引っ張った。


「やっとお前の青春がやってきた。澄ました顔してるけど嬉しいよな? これ、誰のおかげだっけ?」


「別にそういうんじゃないって。俺の存在は単なるナンパよけ。フリだって言っただろ?」


「さあ、どうかな。そんなこと言ってお前いつもより楽しそうだしさ。しかも陽咲ちゃんの方からそんな頼み事してきたなんてさ、案外イケるかもよ?」


「ないない」


 結音は事の詳細を知らないからそういうことを言ってくるんだろう。まあ、詳しく説明する気もないけど。


「こうやって言い合ってるうちに時間はどんどん過ぎてくぜ? 陽咲ちゃんを待たせたくないだろ?」


「お前が言うなっ」


「親友を助けると思ってさ、な? 代わってくれよ、掃除当番っ」


「親友はそういう脅し方しないと思うけど。っていうか俺達親友だっけ?」


「真顔で言われると傷つくわ! って、アホなこと言ってる場合じゃないっ。ホント早く行かないとマズイんだって。チエ、今朝からLINEも電話も無視だし……」


「それは本気でマズそうだな」


「だろ!? このピンチ、緊急回避の必要がある」


 理不尽な気がしたけど、こうしている間に無駄に時間が過ぎていくのはたしかだ。


「今回だけだからな?」


「ありがとう! お前は心の友だっ」


「ったく。早くチエちゃんに会いに行けば」


「マジ感謝! 愛してるぜ紡っ」


 仕方なく結音の掃除当番を引き受けることにした。さっさと終わらせて駅に行こう。


《ごめん、約束に遅れそう。急ぐから》


 掃除をする前、陽咲にそうメールしたら、


《かまいません。紡君が来るまで待っていますね。》


 穏やかな返事が来たが、それでも待たせるのは嫌だった。陽咲の場合は色んな意味で心配だ。今時小学生でも分かっていそうなことを知らなさそうだし、一人で待ってる間にナンパされているかもしれないし。


 と、思ったらやっぱりされてた! 


「うわー、超お嬢様校じゃーん。これから俺らと遊ばない〜?」


 いかにもチャラそうな男子高生三人に囲まれ陽咲は真っ赤な顔でアワアワしていた。しかもその様子は人気ひとけの多い昼間の駅でけっこうな注目を浴びていた。


 さっそく彼氏役の出番だな。


「彼女、俺のなんで」


 思いつく簡単なセリフで陽咲の前に立ち、彼女を背中に隠した。男子高生達はあからさまにガッカリし、


「マジか〜! 彼氏いたの? しかもけっこうイケメンだし! 白女って清純系しかいないと思ってたのに」


 情けなく肩を落とし退散していった。


 陽咲はアンタ達が思う以上に清純だよ。そんなことを心の中で言い返し、背後の彼女に振り向いた。


「ごめんね、俺が遅れたせいでヤな思いさせた」


「いっ、いえ、嫌な思いなど全然っ。むしろ……。ああ……」


 言うなり陽咲は軽くふらついた。とっさに彼女の腕を取り倒れるのを防ぐ。彼女の目の下にはクマができていた。


「体調大丈夫? 貧血とか?」


「はい。その通りです。紡君の助け方が素敵過ぎて興奮値がマックス切りそうなんです……。はぁ、はぁ……」


「貧血っていうか息切れしてる!? 俺、そこまで生体反応に異常与えることした!?」


「紡君、言ってくれましたよね。『彼女、俺のなんで』と」


「偉そうだった? さすがに上からだったよね。とっさにあのセリフしか浮かばなくて。その、別に深い意味は……」


 って、なんでダラダラ言い訳してるんだっ。別にいいじゃないか、彼氏のフリ頼まれてるんだし、うん!


「分かっています。大丈夫ですよ。紡君は役目を果たしてくれました。ただ、その、やはり声が素敵ですから、あの時からアドレナリンが出っぱなしで……。今にも鼻から血液が出てきそうな……」


 ヤバい! これはベーコンポテトパイ現象の二の舞じゃないか!? 陽咲の顔は紅潮しっぱなしだ。色白の彼女の顔は目の下のクマも目立たせてしまう。


「電車はたくさん出てるからどのタイミングでも乗れるし、少し休む? そこにカフェあるし」


「いえ、大丈夫です。万が一の流血に備えティッシュは常時持ち歩いていますし、この時間を最良のものにするべくトレーニングはしてきましたから!」


 常に鼻血の心配するくらい興奮頻度高いの!? 流血そのものより精神面が心配だ(って、ツッコミ出したらキリがない!)。


「トレーニングって、もしかしてツムグで?」


「はい。徹夜で彼とのラブラブデートを繰り返しプレイし、紡君の横を歩いても失神しないよう耐性をつけてきました」


「耐性つけなくていいからちゃんと寝よ!? 体調管理大切っ」


「ご心配には及びません。私、こう見えて徹夜で恋愛するのは大得意なんです。土日はまさにかっこうの恋愛日和。風の日も雨の日も、画面の中の彼は私の心をうるおしてくれます。寝食を忘れさせてくれるほどツムグは魅力的なんです」


「すごい情熱だな」


 陽咲のツムグ熱は想像以上に熱くて、絶句した。妹のミキも恋愛アプリにドハマりしているが、夜は寝過ぎってくらい寝ているというのに。


「ツムグ、そうとういいヤツなんだな。陽咲をそこまで夢中にさせるなんて」


「はい! 彼は私の心に咲いた、そう、たとえるならひまわりのような存在なんです」


 目の下にクマがあることを意識させないくらい、陽咲はキラキラと眩しい微笑みを見せた。


「トレーニングの成果を発揮する時です。紡君、今日はどうか色々とお願いします」


「そうだね。とりあえず電車に乗ろ? っと、その前に陽咲の切符買わないとね」


 俺の後について陽咲は券売機の前にやってきた。財布を取り出し、不思議そうに俺の顔を見つめた。


「紡君は買わないのですか?」


「俺は定期があるから」


 半年ごとに買っている定期券を見せると、陽咲はおおげさなくらい感動していた。


「これが定期券…! 学校の友達から聞いてはいましたが実物を見たのは初めてです。高校生という感じがしますね。いいですね。私もこういうのを持ちたかったです」


 パスケースに入った定期券を両手で丁寧に持って見つめる陽咲はイキイキとしている。


「そうなんだ。じゃあ、今日は陽咲がコレ使ってみる?」


「でも、これは紡君の物ですし……」


「大丈夫。駅員にはバレないよ。その代わり俺の地元の駅までしか行けないけど」


「紡君の地元、行ってみたいです!」


「目的地決まりだね。じゃあ、ちょっと待ってて」


 俺が自分の切符を買うと同時に、彼女は一万円札を渡してきた。


「どうかお納め下さい。私が買うはずだった物ですから」


「いいよ。今そこまで持ち合わせないからおつり返せないし」


 財布の中には五千円札が一枚のみ。ちょうど千円札も小銭も切らしている。それに元からお金を取る気はなかった。


「ありがとうございます。定期券、ありがたく拝借しますね」


「そんなに大切に扱われたら定期券も幸せだな」


 こんなセリフが出てくる自分に驚きだった。


 目に映るあらゆる現実に冷めていたはずなのに、陽咲と話していると新境地を見る。いつも使う見慣れた定期券が、この時ばかりは金塊きんかいばりに貴重な物に思えた。たまに雑な扱いをしていたことを反省した。


 財布をしまう彼女を見るともなしに見ていたら、昨日よりカバンが膨らんでいることに気付いた。週末だし色々持ち帰る物があるのかもしれない。


「カバン重そうだね。持とうか?」


「いっ、いえ、大丈夫です。これは自分で持ちますから」


「そう。じゃあ行こっか」


「はい!」


 気合い満点な様子で陽咲は改札へ向かった。しかし、改札機の直前で不安げに立ち尽くした。


「定期券はどのように使うんでしょうか?」


「こうするんだよ」


 隣の改札で切符を通し、陽咲に定期券の使い方を教える。今まで一人で電車に乗ったことがなかったらしい。


「こう、ですか?」


「そうそう、そんな感じ」


「やれました! 願望がひとつ叶いました」


 無事に改札機を通り抜け、陽咲は満面の笑みを浮かべた。そんな俺達の様子を駅員や周囲の人々が眺めていたけど、楽しそうな陽咲を見ていたらどうでもよくなった。


 階段を上りホームへ着くと、陽咲は初めて遊園地にやって来た子供のように浮かれた顔をした。


「そんなに楽しい?」


「もちろんです。これがホームから見た景色なんですね。この駅は家からも近いので子供の頃に両親と来たことがありますが記憶が曖昧になるほど昔のことなので、やっぱり新鮮に感じます……。日々変わりゆく景色をこうして高いホームから見下ろせるのも電車に乗る醍醐味だいごみですね」


「そんな風に考えたことなかった。そうかもね」


 慣れ切った風景。住宅地の屋根や遠目に見える自分達の学校。公園の木々。日本のどこにでもあるありふれた風景が今日はなぜか色鮮やかに見えた。陽咲のテンションに引っぱられてるんだろうか。


 ホームには俺達と同い年くらいの他校生も何人かいたけど、サラリーマンやおばあさんといった大人もちらほらいる。陽咲はそういう人達に向け仲間意識に満ちた視線をやった。自分も今は電車族の一員と言いそうな顔で。


「皆さん、電車で遠くにお出かけでしょうか」


「そういう人もいるだろうけど、高校生はたいてい帰宅途中じゃない? 分からないけど」


「やはり、高校生たるもの電車通学ですよね!」


 貸している定期券を眺め、陽咲はウットリため息をついた。そんなやり取りをしている間に電車がやってきた。


「あれに乗るよ」


「は、はいっ。いつでも大丈夫です!」


「電車に乗る時そういうこと言う子、初めて」


「そっ、そうなんですか?」


 電車がホームに滑り込んでくると、陽咲は緊張しつつもウキウキした様子で俺との距離をつめた。電車に乗り込む時、俺の後に続くつもりなんだろう。間もなくドアが開いた。


「行こっか」


 この駅で降りる人がホームに出るのを待ってから陽咲に声をかけると、彼女はなぜかこわごわと地面を見つめていた。何をそんなに怖がってるんだ? と思ったら、次の瞬間心の声が聞こえた。


『隙間から下の方が見える。間違って足を挟んでしまわないかな……?』


 なるほど。電車とホームの間に出来るわずかな隙間を気にしてるんだ。まれにここへスマホや靴を落とす乗客もいるらしい。こんな心配をするのは失礼かもしれないが陽咲ならウッカリ足を突っ込みかねないと思ってしまった。ごめん。


「大丈夫。つかまって」


 彼女に向かって手を差し出す。


「ありがとうございますっ。失礼します……」


 助けを求めるように俺の手を取り、陽咲は露骨に頬を染めた。つないだ彼女の手は少し汗ばみ震えている。そんなに意識されるとこっちまで恥ずかしくなるな。


 無事に電車に乗り、ゆっくりドアが閉まる。その瞬間つないだままだった手をバッと勢いよく離し、陽咲はおおげさなくらい頭を下げた。


「すっ、すいませんっ。救いの手を差しのべて下さり本当にありがとうございました。おかげであの隙間に対する恐怖心が軽減されました」


「それは何より」


 そこまでおおげさに感謝されると自分が神か何かかと勘違いしそうになるな。にしても、思ったより車内は空いてる。掃除当番で学校を出るのが遅かったから高校生による帰宅ラッシュを避けれたのかも。


「立ってると揺れるからあそこ座ろ」


「は、はいっ」


 陽咲を促し二人用のシートに座った。陽咲は楽しそうに窓の外の景色を眺めていた。やっぱり座って正解だった。この方がゆっくり景色や電車を堪能させてあげられる。


 この後どうするかな。地元に着いたらとりあえず何か食べたいな。あ、でも、陽咲の都合をまだ聞いてない。今日は単に電車に乗るだけって話だったし。それに彼女の親は門限とかに厳しそうだ。勝手なイメージだけど。あまり連れ回すのも悪いかな。


「あの、紡君」


「ん?」


「今日こうしてお付き合い下さったお礼にお弁当を作ってきたんです。よかったら食べて頂けませんか? 電車の中でも食べやすい物を厳選し詰めてきました」


「わざわざ作ってくれたの? ありがとね」


 驚いた。制服で電車に乗るってだけでそこまでしてくれるとは思ってなかった。やけにカバンが膨らんでいたのはそういうことだったのか。だから自分で持ちたいと。でも、ご飯をゆっくり食べていられるほど移動時間は長くない。


「お口に合えばいいんですが……」


 そう言いためらいがちにカバンを開こうとする陽咲をとっさに止めた。


「ちょっと待って! 地元へは二駅で着くから。お弁当は別の場所で食べよ?」


「そ、そうなんですね、すみませんっ。私は何という勘違いを……! それもそうですよね、紡君の通学の距離を考えたら当然でした」


 陽咲はしょんぼりうなだれた。きっと片道一時間くらいの旅を期待していたんだろう。じゃなきゃ電車用にお弁当なんて作ってこないだろうし。


「こっちこそなんかごめんね。せっかくだし移動しながら食べたいのはやまやまなんだけど」


「いえ、気にしないで下さい。それにお弁当も無理に食べなくていいですからっ。駅を降りたら紡君は自宅に帰るんですよね? なので……」


 いつもならそうだ。誘いがない限りまっすぐ家に帰ってしまう。でも、今日はなぜか自分ちに帰るという頭がなかった。


「家まで送ってくよ。なんか心配」


「そんな、悪いです。帰りは一人で大丈夫ですからっ」


「ホームと電車の間の隙間見てあんなにこわがってたのに?」


「うう……。それを言われると自信ないです」


「決まりだね」


「はい。どうかお願いします」


 説き伏せた感がしないでもないけど、片道でバイバイせずにすんでホッとした。なんでここまで必死に心配してるんだろ? 都心の駅みたく複雑な路線でもないから陽咲一人でも帰れそうなのに。


「紡君は優しいんですね」


「そんなことないよ」


 尊敬の眼差しで見られ恥ずかしくなった。まっすぐに向けられる彼女の気持ちはどれもまっさらで、たまに直視できない。



 地元の駅に着いた。乗る時のように陽咲をエスコートし、ホームを出て改札を抜けた。


 繁華街に近い学校の最寄駅と比べたら寂しい所だけど、都会っぽさと田舎っぽさがバランスよく共存しているこの街がけっこう気に入っている。


 駅のロータリーを歩いてすぐコンビニがあるので、そこで飲み物を買っていくことにした。ファーストフード同様コンビニへも普段はあまり来ないらしく、陽咲はそわそわ落ち着きなく店内を見ていた。


「何飲みたい?」


「いえ、自分で買いますからっ。コンビニで会計したことはありますからっ」


「お弁当のお返しってことで」


「そんなっ、たいした物ではないですしっ」


「電車の旅では彼氏に飲み物を買わせるのがルールなの。それは仮の彼氏にも適用される」


「そ、そうなんですね!? 充分にトレーニングしてきたつもりでしたがまだまだ勉強不足でした。そういうことならお言葉に甘えさせて頂きますね」


 予想通り、即興の大ウソを素直に信じる陽咲。騙すことで良心が痛むけど、こうでも言わないと彼女は遠慮してばかりだ。トレーニングのため恋愛アプリを繰り返しプレイし徹夜したと言ってたけど、目の下のクマは弁当の用意をしたせいでもあるんだろうし。もらいっぱなしは気が引ける。


「ミルクティーが飲みたいです」


「いいよ。じゃあ俺も同じのにしよっかな。ペットボトルのとカウンターで買う方、どっちにする?」


「……そうですね。それではカウンターで買う方のミルクティーでお願いしますっ!」


 陽咲の声はいつになく気合いが入っていた。


 店員に注文すると少し待つよう言われた。その間、陽咲を呼んで菓子コーナーを見た。


「何か食べたい物ない? 食後のおやつ的な感じで」


「おやつですか? ますます旅という感じがしてきました…! 紡君は何がお好きなんですか?」


「コレかな。一緒に食べよ?」


 ポッキーを手に取ると、陽咲は驚愕きょうがく一色の顔をした。「驚き」という軽さではない、まさに「驚愕」。そんなヤバイ物は選んでないはずだが。


「もしかしてポッキー苦手?」


「味うんぬんの話ではありません。苦手以前の問題ですっ!」


 悲鳴に近い声で陽咲は訴えた。


「ポッキー。そのお菓子は男女が唇を重ねるために使用するアイテムなんです…! たしかに私は紡君に恋人のフリをお願いしましたが、私達はまだそういう段階に来ていないように思えるのですっ。ですからどうか他のお菓子を選んでもらえませんかっ?」


「ちょい待ち! ポッキーに対するイメージがひどいことになってるよ!? それによる俺への誤解も相俟あいまってこっちの衝撃もすごいことに……」


「そんなはずはっ……! 美綾みあやの見せてくれた少女マンガにもそういうシーンがあり、それは現実世界でも実際に起きていることだと力説されました。ですのでっ」


 多分、美綾さんは陽咲にリアル恋愛や現実の男に意識を向けさせるためにそんな極端なことを言ってみせたんだろう。陽咲には過剰な刺激にしかならなかったようだ。


 陽咲の変な思い込みを粉砕するため、俺も少し頑張った。今にも陽咲に取り上げられそうなポッキーを死守し、キッパリ言い放つ。


「コレ、ウチの学校では皆の定番おやつになってる。結音ともしょっちゅう分け合ってるし、雑談中の女子からもらうこともある。もちろん、唇重ねたりなんてしない!」


「そ、それは本当なんですか!?」


「本当だよ。何だったら今から結音に確認の電話をしてもいい」


「そ、そうなんですね。では、美綾の教えてくれたポッキー論はいったい何だったのでしょう……? 紡君の話と美綾の話が、今、私の中で激しく音を立ててぶつかり合っています」


「ぶつかり合わせなくていいよ。どっちも本当だから」


「そうなんですか?」


 陽咲はきょとんとしていた。納得はしたけどまだ釈然としないって顔。まあ、とりあえず落ち着いてくれたようでよかった。


 陽咲や美綾さんが言っているのは合コンとかでよくやるポッキーゲームのことだと思う。俺はそういうのに参加したことないけど、結音や学校の友達の合コン話を聞いて何となく想像がついた。


 ……とはいえ、なんかそういう話を女の子にするのは抵抗がある。その相手が陽咲ならなおさら。


 次の言葉を探していると、


「ミルクティーでお待ちのお客様、お待たせしました〜」


 店員に呼ばれた。なんていいタイミング!


「行こっか」


 ミルクティーを受け取ると、勢いでコンビニを出た。陽咲のお菓子は買えなかった。


「ごめん、結局飲み物だけになって。はい」


「いえ、お気持ちだけで充分です。ありがとうございます」


 カバンを腕にかけると、陽咲は両手でミルクティーを持った。基本穏やかな顔立ちだけど、いつになく幸せそうな顔をしている。


 こうしていると純粋にデートを楽しむ白女生にしか見えない。でもその心の内は恋愛アプリで攻略したツムグのことでいっぱいで、こうして男と歩いている合間にもツムグに申し訳なさを感じていたりするのかもしれない。陽咲ならありえる。


「あのカップル可愛い〜。制服デート、懐かしいよね」


 弁当を広げるため近くの公園に向かっていると、女子大生っぽい二人の女性とすれ違いそんなことを言われた。彼女達はこっちに聞こえないように話しているつもりらしいが丸聞こえだ。その声は陽咲の耳にも届いたらしい。


「私達、恋人同士に見えるんでしょうか? 安心しました」


「よかったね。『可愛い』だって」


「違います、それは紡君への褒め言葉ですよっ」


「そうなの? どうせなら可愛いよりカッコいいって言われたいな」


 中性的な顔立ちなせいか、昔はよく女の子に間違われた。今はそういうことも少なくなったけど。


「そっ、そうですよね。紡君は男の人ですもんね!? カッコいいですよ、紡君は。声はもちろん容姿も。あ、もちろんこれは友人としての一意見であり恋愛感情ではないのですがっ」


「分かってるよ。陽咲はツムグ一筋だもんね」


「そうなんです、ふぅ……」


 慌てている陽咲も面白い。本当に、俺と知り合うまで男と話したことがなかったんだろうな。初対面の時に比べたらリラックスしているけどまだまだぎこちない。同じクラスの女子達を見てるとなおさらそう思う。


「女子校ってどんな感じなの? ずっと共学だったから想像つかなくて」


「皆さん仲良しですよ。ざっくばらんと言いますか。近隣の人々にはおしとやかな学校という印象を与えているそうですが、その印象に縛られることなく皆さんのびのびと過ごしています。特に美綾は……。物怖じせずハキハキしていて昔から皆に慕われていますし、彼女は運動が得意で活発な子なんです」


「へえ、そうなんだ」


 美綾さんってそういうタイプなんだな。陽咲とは真逆のイメージ。白女って陽咲みたいな女子が多いと思ってたけどそうでもないのかもしれない。


『私も美綾みたいに強くなれたら、もっと違う自分になれるのかな……』


 それは、憧れと羨望せんぼうの混ざったつぶやきだった。俺に聞こえたということは、よほど強い想いなんだ。


 無理に強くなる必要はない。俺は今の陽咲で充分いいと思う。……そう言ってあげたいけど、能力のことを悟られたらいけないので言わなかった。言えなかった。


 それから公園に着くまでの時間、美綾さんのことを話す陽咲は楽しそうでもありどこか切なそうでもあった。心の声を聞いてしまったせいでそんな風に見えるだけなのかもしれないけど。



 この辺りでも有名な大きい公園にやってきた。芝生の広場は学校のグラウンド以上に広く、サッカーやなわとびをしている子供がいる。広場以外だと大きなすべり台や登り棒など、遊具も充実しているので土日は家族連れも多い。昔、ウチの家族もよくここへ来ていた。植物の緑も豊富で日陰も多く、日当たりがいいのに公園全体が涼しい。


「素敵なところですね」


 到着するなり、陽咲は笑顔になった。こっちまでつられて開放的な気持ちになる。木陰の気持ち良いベンチを見つけ、そこで昼食を摂ることにした。


「どうかたくさん食べて下さいね」


「すごい。全部手作り!?」


 食べやすいようスティック状に個包装されたサンドイッチ。唐揚げ。卵焼き。ポテトサラダ。アスパラのベーコン巻き。どれもすごくおいしそうだ。ミルクティーだけじゃお返しにもなってない気がした。


「朝から大変だったよね、この量は……」


「二人分にしては多すぎますよね。楽しみにしていたらいつの間にか作り過ぎてしまって……」


「ううん、大丈夫。食べるよ。今が学校帰りと思えない、ピクニック気分だよ。いただきます」


 すぐに食べ切るのがもっないなくて、なるべくゆっくり食べた。陽咲は不安そうに顔を覗き込んでくる。


「どうですか……?」


「おいしいよ。ニセモノ彼氏なのにこんないい思いしてるの、ツムグに申し訳ないくらい」


「そんなことないですよ。紡君には色んな願望を叶えてもらって本当に感謝しているんです。ずっと夢だったんです。電車もそうですが、こうして好きな人に手作りのお弁当を差し入れするの……。でも、さすがにツムグは私の手料理をじかには食べてくれませんから」


 切なげに目を伏せ、陽咲はとっさに謝った。


「これでは紡君をツムグの代わりにしていると言っているようなものですよね、すみませんっ。失礼な発言でした」


「謝らなくていいよ。俺も楽しいし」


 本当だった。それに、そうやってツムグの代役とハッキリ言われた方が気が楽だ。恋愛を意識して変にかまえなくていいから。


「ツムグとは電車に乗ったりしないの?」


「二度だけ……。ツムグは大学生で車通学をしているのであまり電車に乗ることがないんです。今日紡君としたように制服で電車に乗ったりとかも全然で……」


「大学生は私服だしね。制服で学校行けるのって高校生の特権かも」


「そうですね。あ、でも、今日はもう一つ嬉しいことがあったんですよ。ツムグの好きな物を飲めました」


 陽咲は嬉しそうにミルクティーを掲げた。中身が半分まで減っていた。


「通りで。だから頼む時あんなに気合い入ってたんだ」


「はい。ツムグの好きな物は私にとっても大変興味深いんです。ミルクティーも卵焼きも、いつの間にか好きになっていました」


 弁当箱に詰められた卵焼き。他のおかずもきれいに作ってあるけど、卵焼きだけ際立って丁寧な仕上がりになっているのはそういうことなんだな。


「ツムグは幸せ者だな。そこまで想われて」


「そうであったら嬉しいです。ツムグは何度も幸せな気持ちにしてくれましたから」


 そこから、陽咲によるツムグ談義が始まった。(当然アプリ内のシナリオなんだが)クッキーを食べさせてくれる時にキュンキュンしたとか、ツムグの苦笑いにジンと来るとか、相手が二次元でなければノロケ確定な発言の数々。自分の姉妹から聞かされたら途中で無視して立ち去るけど、陽咲の話は苦痛じゃなかった。むしろなんか楽しかった。バカにしてるワケではない。


 一途で揺るがない愛情。相手が二次元とはいえ、陽咲の気持ちはたしかに存在するもの。ツムグという人物は恋愛アプリの中にしか存在しない架空の人物だと分かりきっているけど、陽咲の話は実際見て体験してきたかのようにリアリティーがあった。


 ツムグのことを夢中で話す陽咲は眩しくて微笑ましい気持ちになると同時に少し胸が痛んだ。彼女もいつか二次元恋愛を卒業してリアル男子と恋に落ちる日が来るんだろうか。


 陽咲の口は止まらなかった。美綾さんの制止もあって、学校ではこういう話を満足にできていないのかもしれない。



 お弁当を食べ終え、食後のポッキーもなくなる。話しているとあっという間に時間は過ぎていった。


「久しぶりにこんなに話しました。紡君といるといつも以上におしゃべりになってしまうみたいです」


「それは良かった」


「紡君が聞いてくれるおかげですよ。もっと話していたいのですが、そろそろ帰らないといけません」


「だね。帰ろっか」


 そう言いながら、もう少しこの時間が続いてほしいと思ってしまう。口には出さないけど。


 夕焼けが街に広がり、あれだけ騒がしかった公園からも子供の姿が減っていた。感覚としては一時間くらいしか経っていない気がするのに、陽咲と一緒にいた時間は四時間を軽く過ぎていた。



 陽咲を家まで送り届けるべく、地元の駅まで戻ってきた。昼間より人の数が少ないホームで見知った顔を見つけ、心臓が勢いよく飛び跳ねた。


 天音あまねーー!


 顔を見るのは中学の卒業式以来だ。付き合っていた頃短かった彼女の髪は胸元まで伸びている。長い髪が離れていた時間を思わせた。天音の隣には彼女と同じ学校の制服を着た男がいた。知らないヤツだから高校で出会ったんだろう。


 別にもう未練とかないはずなのに変にドキドキする。いつの間にか立ち止まってしまった。


「紡君…? どうされましたか?」


「ううん、何でもない。行こっか」


 天音に見つからないよう急いで彼女のそばを通り過ぎようとしたけど、気付かれた。もう少し人気があれば人影に隠れられたのに!


「紡……? やっぱりだー! 久しぶり〜!」


 別れた時のことを忘れたかのようにサバサバした感じで声をかけてきた。彼氏っぽい男を連れてるのに大丈夫か? と、心の中で余計な心配をしてみることで動揺をまぎらわす。


 天音は天音。だけど、なんだか俺の知らない人みたいにも感じた。


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