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18 手放して前進


 何か答えてくれるかと思ったら、陽咲ひさきはドギマギとした様子で口早に言った。


「ついお店を出てしまったけど、今はお友達と一緒だからつむぐ君とは話せないの。ごめんなさいっ」


「1分だけ!」


 思わず陽咲の手首を持つ手に力が入る。それに驚き目を丸くする彼女を見て、反射的に手を離した。


「ごめん、痛かった?」


「ううん、大丈夫だよ。私は大丈夫」


 言葉とは裏腹に、陽咲は真っ赤な顔でうつむく。困っているように見えた。


「天音とは何でもない。彼氏のプレゼント選びに付き合っただけで……。ごめん、友達との時間邪魔して……」


 コクリとうなずき、陽咲は思いつめたような顔をした。


「あの子達に後で話をするね。紡君と天音さんのことも分かったよ。でも、今は紡君と一緒にはいられないの。こっちから彼氏のフリをしてほしいとお願いしたのに勝手なんだけど、今はどうしてもダメだから……」


 急き立てられるような早口。いつもおっとりしてる陽咲らしくなかった。


「俺、何かした? 不満があるなら言って」


「不満なんてないよ。紡君といるのはいつも楽しかった。本当だよ。でもこれ以上一緒にいたらダメなの……」


「どうして……」


「私は自分が許せないから」


 心底失望した声だった。陽咲のそんな声音を聞いたのは、多分この時が初めてだ。


「許せないって?」


「紡君に嫌われたくないの……」


「嫌わない」


「嫌わないとしても絶対に傷つけてしまう。それは嫌なの。だから話せない」


「いいよ、それで」


 俺はきっと、傷つく覚悟で陽咲の後を追いかけた。


 傷つかない恋はないと、すでに知ってる。それでも陽咲を好きでいたい。好きになってしまったから。


「話してよ。会わない間に陽咲が思ってたことを」


 遊歩道の手すりへ両腕を置き景色を眺める形で陽咲に背を向けた。今はまじまじと顔を見ない方がいいような気がした。


 ここは夜景が綺麗ってことで有名だけど、昼間に来ても心が落ち着く。この時期は暑いけど、河川の水面をなでる風がささやかな涼しさを運んでくる。


河南かなんさんの条件は紡君が素直になること。それは紡君の好きな人が明らかになるのと同じ意味だとすぐに分かったよ」


 その話?


 てっきり俺を非難する言葉が降ってくると思っていたので、それはそれで驚いた。陽咲の方を振り返ると彼女はうつむいていた。


「その件なんだけど、河南さんにはまだ返事できてないんだ。ごめん。アプリの命運がかかってるのに」


「私に遠慮してる? 彼氏のフリを頼んでしまったから」


 陽咲はようやく目を合わせてくれた。でも、やっぱりぎこちない視線。胸が痛くなる。


「いや、遠慮とかじゃなくて……」


 好きなのは陽咲なんだよ。言ってしまいたい。


「迷ってるんだ。俺の決断ひとつで陽咲からツムグを奪わないで済むならその方がいい。それは分かってるんだけど踏ん切りつかなくて……。陽咲が俺を避けてるのはそれが理由なのかもって思った。俺のせいで推しアプリがなくなるなんてやっぱ腹ただしいよね」


「ううん! 違うよ。紡君は悪くない。私の気持ちの問題なの」


 どういうことなんだ?


「紡君の好きな人、分かるよ」


「え……!?」


 すでに本人に気付かれてた!? だから避けてた、と。


 色んな意味で終わった……。


 傷つけてしまうってそういうことだったんだな。陽咲は優しい。はっきり断るために連絡をしてこなくなった。そういうことか。たく、気付けよ俺も。鈍感すぎるだろ。


 振られる未来を想像しつつ陽咲の言葉を待った。


 振られるのは悲しいけど、陽咲を好きになったことに後悔なんてない。今までありがとう。笑ってそう言うんだ。振る側の彼女に負担を感じさせないように。


 覚悟していても心臓がバクバクするのを止められない。目眩めまいがしそう。立っているのもやっとだ。


 陽咲、早くトドメを刺してくれ!


 陽咲のためらいが制服を貫通して肌に伝わってくる。全身がピリピリした。そうだよな。振る方だって労力を使うんだ。


 太陽の光に当てられ、待つこと数分。陽咲は意を決したように話を切り出した。


「紡君が隠したがっていそうだから私も知らないフリをしていたんだけど、実は知ってたの。紡君が早朝毎日のように美綾みあやと会ってること」


 え、その話!?


 予想とは違う陽咲のセリフに肩透かしを食らった。緊張の糸は一時的に緩む。


「知ってたんだ」


「河南さんと仲直りしてから気軽に外へ出れるようになったので、早く起きれた日にはウォーキングをしようと決めて。その先で美綾を見かけたから声をかけようとしたら、そばには紡君がいて。あの時はとても驚いたよ」


 陽咲は戸惑いをあらわにした。


「お二人はとても楽しそうに体を密着させ、その後は軽食をしつつ朗らかに雑談をしていて……。紡君の特別な人は美綾なんだと、瞬時に分かったよ」


「隠してたのはたしかだけど、それには訳があって。それに、そこ大部分は訂正させて! 体を密着じゃなくて空手の稽古! いつも美綾は俺を罵倒してる。初期に比べ柔らかくはなったけど基本スパルタ。雑談に見えたのは罵詈雑言」


「そうだったの……。私はとんだ思い違いを……」


「遠目に見たら勘違いしてしまうのも分かるけど、思い違いも思い違いだよ」


 美綾に稽古をつけてもらうまでの経緯を話した。美綾に口止めしていたことも。すると陽咲は納得したように目をしばたかせた。


「初めて結音ゆいと君達とアスレチックパークへ行った日、紡君がケガをしていたのもそういうことだったんだね。美綾との稽古で……」


「あの時は体育の時にケガしたなんてウソついてごめんね。美綾に稽古してもらってること、陽咲には言えなかった。負担に思われたくなかったから。それにあの時は河南さんの件も解決してなかった。またいつ誘拐を考えるヤツが現れるか分からない。美綾の代わりに、これからは俺が陽咲を守りたいと思った」


 もうこれ告白したも同然だよな。リアル恋愛未経験の陽咲でもさすがに気付くだろう。


 ドキドキする。でも、不思議とさっきまでの不安感は消え、気持ちはスッキリしていた。


 陽咲はみるみるうちに顔を上気させ、両手でスカートの裾をギュッとつかんだ。


「紡君の好きな人は天音あまねさんか美綾だと思ってた……」


「うん」


「この前イグナイトに訪問した時も、紡君は恋をしているような口ぶりだったから……」


「うん」


「アプリ存続のため紡君が好きな人に告白したら、私はもう紡君の彼女役から解任される。そう思ったら、自分の中にどんどん知らない感情が湧いてきて……。紡君に離れていかれるのが寂しい。紡君を失うのがこわい。あんなに大好きだったツムグのことが頭から消えていて、気がつくと紡君へ一方的に贈り物をしそうになる自分に戸惑い……」


 ひどく葛藤してたのが分かる。俺は嬉しいけど。


 陽咲は苦しそうに笑った。


「私は紡君の能力を支持し、心底尊敬してた。本当だよ。でも……。紡君への想いが友情ではないと自覚した瞬間、紡君の能力をこわいと思ってしまったんだよ」


 傷つけてしまうって、そういうこと……?


「紡君に会いたかった。色んなことを一緒にしたいと思った。でも、会ってしまったらきっと心の中を知られてしまう。知られて拒絶されるのがこわかった。こんな気持ちは初めてで、ツムグにも抱いたことのない感情で、どうしていいのか分からなくなって……」


 もっと人格否定されることを覚悟してたので、逆にホッとした。


「なんだ。そんなこと気にして避けてたの? 最後に会った時にやけに口数が多かったのも、会話に集中することで心を読まれる隙を作らないためだったんだ」


 無言になればなるほどその人の心の声は読みやすくなる。心に意識が向くからだ。


 陽咲は神妙にうなずく。


「紡君はその能力のことで深く悩み、恋愛に臆病になっていたよね。力のことを打ち明けてくれた時、私とても嬉しかったの。ずっと紡君の味方でいると決めた。それなのに、ここへきて紡君の能力をこわがった。そんな自分が許せなかった」


「だから連絡すらしてこなくなったんだね」


「合わせる顔がない状態だったの。一方的に避ける形になったことは本当に申し訳ないと思ってる。だけど、私はこんな自分が許せなくて……」


 そんな風に落ち込む時も、陽咲は自分ではなく俺のためにそうする。


「そこまで自己嫌悪する顔、初めて見た」


「紡君を傷つけたんだから同然だよっ」


「傷ついてないよ。むしろ陽咲の反応は当然だと思う。普通はこわいって。相手に気持ち読まれるのとか。何のチートだよって、俺も最初は思ったし」


 あえてジョーダンぽく言った。


「紡君、そんな簡単なことではっ」


「いいんだよ、簡単なことだったんだ」


 陽咲も俺も、難しく考えすぎてたんだと思う。当然、そうなってしまう経過があったからなのだけど。


「これからもきっと楽しいことが待ってるよ。って、こんなこと思えるのは陽咲のおかげなんだけどね」


「私の……?」


 いつもいつも輝かしい陽咲。ツムグの話をする彼女はいつも生き生きしていて楽しそうで。恋することをためらうなんてもったいないと思った。


 その顔に喜びを咲かせるのも憂いを帯びさせるのも、この先はツムグじゃなくて俺がいい。


「陽咲といると、時間が早く過ぎる」


「それは私も同じで、でもこれはそのっ」


「もう、無理に話さなくていいから。心の声を聞かせて」


 陽咲の体をそっと抱き寄せ、彼女の頭を片手で撫でた。思っていたより華奢な体。触ると滑らかな髪。シャンプーでも香水でもない、これはきっと陽咲自身の甘い香り。


 幸せすぎて立っているのがやっとだった。


『紡君が、好き』


 聞こえた。心の声が。


「好きだよ。陽咲」


「私も……。きゃふぅっ」


 悲鳴にならない悲鳴をあげる。


『紡君の体温、力強さ、ダメっ。生々しくて、アプリの恋とは全然違ってる……。もう耐えられないっ』


 興奮値が上回り、陽咲は気を失った。


「陽咲、陽咲っ!?」


 何度呼んでも陽咲は俺の腕の中でダランとなっていた。


 抱擁ほうようはやっぱりハードルが高かったかな。


 これから少しずつ慣らしていこう。俺達のペースで少しずつ。確実に距離は縮まっているのだから。



 気絶した陽咲を抱き抱えどうしようか悩んでいると、運転手つきの高級車に乗って美綾がやってきた。


 だが、なんだろう。陽咲と違いいいところのお嬢さんというよりヤバい匂いがする。まるで美綾の護衛をするみたいにマフィアみたいなゴツい男が三人も同乗してる。


 美綾が車を降りた。


「どうしてここが分かったの?」


「さっきクラスの子から連絡が来た。陽咲が東高の男子に追われて遊歩道の方へ行ったってな」


 さっき陽咲と一緒に店にいたあの二人か。にしてもその言い方だと俺が犯罪者予備軍みたいだ。でも仕方ないか。陽咲は美綾に話すほど学校の友達とかには俺のことをそこまで深くは話していないんだろうし。話すとしても彼氏がいると告げる程度か。


「東高の生徒だっていうからまさかと思ったけどやっぱアンタか。陽咲に何した?」


「いつも不思議なんだけど片手の真剣はどこから取り出した!?」


「答えによっては海に沈めることになるけど?」


 お嬢様校の制服を着てとんでもないことを言ってくれる! 車の中で待機してる男達も監視の目を光らせているんだが。


「違うよ、これにはワケがあって。別に無理矢理何かしたとかそういうことではないからっ」


「当然だ。アタシの教えを利用して陽咲に不埒ふらちなことをしたらその時は……」


「空手を悪事に使う前提で話さないでくれる? って、そんなことより、陽咲のこと家まで送るの手伝ってほしい」


 両手で抱き抱えた陽咲の体。甘い体温と匂いは心地よくていつまでもこうしていたい気はするが、今は夏。このままにしておいたら彼女が熱中症になってしまうかもしれない。


「けっこう汗かいたし、俺が連れてってもいいけど徒歩より車の方が安全だから」


 意外そうに俺を観察し、美綾は不敵な笑みを浮かべた。


「ふーん。そんな表情もできるんだ」


 陽咲のことを軽々と横抱きにし、美綾は車に乗った。同乗者がいても陽咲と俺が乗れるほどの余裕が車内にはあった。


 美綾の同乗者は、見た目はこわいが話すと普通の人より優しくて情に厚い人達だった。陽咲と俺の関係を美綾に聞くなり、


「陽咲さんが幸せになってくれて自分嬉しいっす!」


「あんちゃん、幸せにな」


 それぞれにお祝いの言葉をかけてくれた。


「ありがとうございます」


 初対面の人に片想い成就をめでたがられるのはくすぐったい気持ちになったが、何だかそれも幸せだった。


 陽咲は車内で俺の太ももを枕にし仰向けで眠っている。まだ目を覚ましそうにない彼女の頭を、美綾はそうっと撫でた。


「今度ウチで祝ってやるよ。陽咲と一緒に来なよ。友達も連れてきていいから」


「別にいいよ。そんなことまでしてもらうの悪いし」


「勘違いするな。アンタのためじゃない。陽咲に彼氏を作ってほしいって最初に言い出したのはアタシだから最後まできっちり見届けたい。それだけだ」


 そうだったな。陽咲との関係がここまで進んだのは、美綾が力を貸してくれたおかげでもある。


「空手教えてくれたり、今日もこうやって来てくれてありがと。美綾んちでのお祝い、陽咲絶対喜ぶよ」


 美綾はらしくなく頬を染め、恥じらうようにこちらを見た。いつもボーイッシュな美綾らしくない女性的なしぐさ。


「アンタの人格、認めてやってもいいよ。まだまだ初段ってとこだけどな」


「人格初段ってどういう意味!? 喜んでいいとこ?」


「最大限の褒め言葉っすよ」


 同乗者の中で一番若い男の人が言った。


「お嬢も素直じゃないんすよ。昔から気に入った相手には手厳しいんです。それも愛ゆえ。鍛えたいがため」


「ツツイ、寝言は寝て言えっ」


 美綾のグーパンを頰に食らい、ツツイさんと呼ばれたその人は涙目になった。容赦ないな。



 美綾のおかげで無事陽咲を家に帰せた。


 ずっと付き添っていたかったけど、家政婦さんもいるし陽咲の両親は不在だったので今日のところは家に帰ることにした。


 陽咲からの連絡を待とう。きっと起きたら真っ先に連絡をくれる。今の彼女なら。



 陽咲と気持ちが通じたその日の夜。


 不思議な夢を見た。夢の中だと分かるのにどこかリアルさの伴う空気感。


 懐かしい匂いがする。耳元で人の動く気配がし、うっすら目を開けた。


 あれ? 枕元のスタンドライトがつけっぱなしになってる。消したと思ったんだけどな。おかげで、真っ暗なはずの室内にはオレンジ色の淡い光が灯り、近くの物ならはっきり見えるくらいの薄暗さになっている。


「紡。気持ちよく寝てる時に起こしてごめんな」


 その人は、今からハイキングにでも行くようなラフな格好で片手を上げた。


「父さん!?」


 俺は勢いよく半身を起こし、枕元に座る人の姿をとらえた。


 家族はみんな寝静まっている時間帯。誰もこの異常事態に気付かない。俺だけが動揺している。


 どういうわけか、亡くなったはずの父さんがひょうひょうと現れた。ベッド脇にあぐらをかくと爽やかに笑った。


「両想いおめでとう。願いが叶ってよかったな」


「願い……? てかなんで知ってるの。自分は幽霊なんだとでも言うつもり?」


「まあそんな感じだな。信じてくれるだろ、紡は」


「まあ、父さんがそう言うなら。実際、変な能力にも目覚めちゃってる身だしね」


「女性の心を読む能力、か」


「何で分かるの? 幽霊の特権?」


「ははは。幽霊なのは否定しないけどな。それに、その能力を芽生えさせたのは父さんだし。すごいだろー?」


「はー!? 急に出てきて何言ってんの? 正気!?」


 昔から少しふざけたところがあるものの、死後もそれは変わらないらしい。けど、ふざけ方が大きければ大きいほど父さんは……。何か重要な話を切り出そうとしている。その前触れ。


 生きてた頃の父さんのことを思い出した。思い出すというよりは肌で覚えてて、それがフラッシュバックみたいに全身を包む。葬り去ったはずの寂しさに心が沈んでいきそうになる。


 父さんがいなくなって寂しかったのは俺だけじゃない。末っ子のミキは一時期家にこもり学校に行けなくなるほど落ち込んだし、母さんも長く仕事を休んだ。姉さん二人はノリと面倒見の良さを発揮し、毎日のように家族分のケーキや焼き菓子を買ってきてくれた。


 最近になってやっと、皆で父さんのことを笑い話にできるようになってきた。


「なんだよ。ヘラヘラして。こっちの気も知らずに」


 言ってて泣きそうになった。父さんに会えて嬉しいのに、うまく喜べない。憎まれ口しか叩けない。本当に俺ってやつはどうしようもないほど素直じゃない。


 俺の気持ちを読んでるみたいだ。父さんはすっと立ち上がると俺のそばへ来て、頭をなでてくれた。


「こうして紡に会える時を待ってたんだよ」


 変わらない。優しい声。温かい手。変なの。死んでるはずなのにどうして温度なんて感じるんだ。


「そりゃ、俺だって父さんに会いたいと思わなくはなかったよ。でも、突然過ぎて何がなんだか……」


「紡の願いが叶ったら会いに来ると決めてたんだ。その能力と引き替えに」


「願い……? さっきも言ってたけど何のこと?」


「覚えてないよな。紡はまだ小さかったし」


 昔、俺が父さんに言ったこと。


「『父さん、僕ね、大人になったら父さんみたいに素敵な恋をして幸せな男になる!』そう言ったんだ。可愛かったなぁ、あの時の紡」


「可愛いとか言わないでくれる? その一言がなければ素直に感動に浸れたのに」


「悪かったよ」


 そっけなく返すことで動揺をごまかした。それは最近の俺がよく考えていたこと。長い間忘れてて思い出せずにいたこと。父さんに教えてもらわなきゃずっと忘れたままだっただろう。


「ウソだよ。そんな昔のこと覚えててくれたんだ。俺も忘れてたのに」


「それはそうだよ。息子があんなキラキラした目でそんなこと言ってきたら、いじらしくて父心をくすぐるし」


 ヘラヘラしてるな、相変わらず。ガンになる前の父さんそのものだ。優しくて頼りなさげで、だけど誰よりも一番に家族のことを考えてくれている人。人生で最初に憧れた大人。


 幽霊界のことは知らないけど、何らかの法則があってこうして会いに来たってことは分かった。


 今回の場合、俺と陽咲の気持ちがつながったから父さんはこうして現れたらしいけど。能力と引き替えにってどういうことなんだろう?


「父さんみたいにいい恋してるんだと思う。でもさ、陽咲のことが昔俺が言ったような幸せな大人っていうのにつながるのかな」


「紡は陽咲ちゃんといて幸せなんだろ? だったら幸せになるさ、必ず」


「そう思いたいけど……」


 性格なのか、夜のせいか。それとも父さんに会えてうっかり甘えが出たのか。心の片隅にある不安を、口にした。


「幸せって永遠ではないなって思うんだ。父さんといた時間だって終わりがきた。楽しい時間がいつまでも続くのが理想だけどそれって叶えるのは難しくて、楽しいことにはいつか終わりがくる。幸せだってそういうものじゃないかな」


「父さんが病気になったことも、紡にそういう気持ちを芽生えさせる一因になってるんだよな」


「そうじゃないけど、そうなのかもしれない。父さんを責めるつもりはないんだけど……」


「それだけ父さんのことを好きでいてくれたってことだよな。世界で一番幸せな父親だよ、父さんは」


 父さんは爽やかな表情を崩さなかった。この人には一生敵わない気がしてきた。


「紡は繊細だもんな。昔から空気読むのがうまくてお姉ちゃん達にもそうと分からず気を遣って、場を和やかにしてくれた。だから幸せになることに対しても必要以上に神経を使ってしまうんだろうと思う」


「……そうかな」


「陽咲ちゃんとの恋は永遠ではないかもしれない。たとえそうだとしても、それでもな、そういう気持ちがあるから今の想いを大切にできるんだと思うぞ。幸せを当たり前だと思わないのは難しいことだけど、紡はそれをできる。失う痛みを知ってるからこそじゃないか」


 もしかして、父さんは天音のことも知ってるのか?


「それに、父さんには見えるぞ。陽咲ちゃんと紡の小指には赤い糸がつながっているのを」


「何いきなりこっぱずかしいこと言ってんの? 赤い糸とか、我が家で最年少のミキの口からもさすがに聞いたことないんだけど」


「今時の子はそういうこと言わないのかぁ。ジェネレーションギャップってやつか! 父さんも歳取るわけだな」


 死んだ時の外見年齢で言われてもイマイチ説得力がない。


「ってのは冗談にしてもだな。月と太陽なんだよ、紡と陽咲ちゃんは」


 父さんは切なげに微笑した。


「愛されたいのに失うことがこわい静かな月と、好きになる喜びを追い求め輝く太陽。とてもいい関係だと思う。彼女と自分の気持ちを信じて楽しく過ごせばいいんだよ」


「簡単に言ってくれるね」


「難しく考えることない。だって、紡はもう一歩前に踏み出したんだから。陽咲ちゃんの手に引かれて」


 そうだ。俺はいつも陽咲の明るさやひたむきさに心奪われて後ろ向きなことを考える暇がなく、彼女との時間を楽しんでいた。彼女の頭の中には明るい未来だけが描かれている。


「それに、不安ってことはそれだけ陽咲ちゃんを好きな証拠でもある。そんな恋、なかなかできるものじゃないぞ。反論はあるか?」


「ないよ」


「うん。いい目だ」


 満足げにうなずく父さん。その姿が一瞬だけ半透明になった。


 普通の人間ぽく振る舞ってるから忘れそうになってたけど、父さんはこの世に存在しない。いつ消えてもおかしくないんだ。


「そろそろ時間だな」


「ついまったり話し込んじゃったよ。もう会えないの?」


「……どうだろうな。分からない」


 父さんは曖昧に笑った。そして、訊いてきた。


「女の子の心を読めるようになって、どうだった?」


「知りたくなかったことも多いよ。中学の頃は特につらかった。でも今はあってよかったと思う」


 この能力がなかったら陽咲と話をすることすらできなかった。結音ゆいとがナンパに失敗した白女しらじょ一の美少女。そんな印象でストップし、それ以上彼女に興味を持つこともなかったかもしれない。


「よかった。紡の幸せに役立って」


 今度は点滅するように父さんの姿は半透明になった。点滅の間隔がじょじょに早くなる。


「紡には言っておかないとな。その能力は、父さんが霊体になったことで得た自然エネルギーを利用して作ったものなんだよ」


「どうしてそんなものを俺に?」


 色々訊きたいことはあるけど今はそれだけにしておいた。父さんと話せるのは最後だと予感したから。


「最期、父さんは母さんの気持ちを察せなくて悲しませてしまった。紡には同じ思いをさせたくなかったんだよ。その力で最善の選択をしてほしかった」


 父さんのガンは進行が早く、検査で発見された時には長くない命だと医者に言われた。それでも父さんは諦めたくないと言い入院を希望したが、母さんや姉さん達は自宅療養を願った。死ぬ間際まで父さんのそばにいたかったからだ。


 当時幼かった俺とミキは、その話し合いを見守ることしかできなかった。父さんと母さん、どっちの主張が正しいのかも分からずに。今もそれは分からないままだけれど。


 結局父さんの要望が優先される形になったが、父さんはそれを後悔していた。


「少しでも母さんと長くいたかった。母さんもその気持ちは同じだった。だったら自宅療養に切り替えていればよかったんだよな」


「……これは父さんが欲しかった能力なんだね」


「そういうことだ。でも、だからって息子まで俺と同じものを欲しがるわけではないのにな」


 母さんへの想いでそれすら見えなかったのかもしれない。恋は人を盲目にする。


「でも、そういう盲目さ嫌いじゃないよ」


「紡……」


 父さんは瞳に涙をためて。


「成長してるんだな。あんなに小さくて可愛かったのに、いまや雑誌に載ってもおかしくないほどのイケメンになっちゃって」


「そっちの成長かっ。この流れだと内面のことかと。てかひいき目もはなはだしいよ。そんなかっこよくないし」


「紡、一度眼科に行った方がいいぞ?」


「無駄に深刻な顔で言うなっ。ったく。ホント変わらないね」


 半透明になった父さんの体は、砂のように輪郭りんかくを崩して消えようとしていた。


「この先紡の成長を見られないのはとても寂しいけど……。俺の生きた証が紡だから。紡が幸せなら満足だ」


「これからも見守っててよ。母さんやミキや姉さん達のことも……!」


「もちろん。毎年盆には帰るよ」


 父さんが最後に残した声は風呂場のタイルを反響したような感じで耳に届いた。


 あっけなく父さんは消えた。


「まだ盆前なんだけど。父さん、気が早いよ」


 涙が頬を伝った。悲しいのに幸せな涙。


 父さんに会えて嬉しい。それと同じくらい、陽咲と両想いになれた喜びが大きくて。真っ先にお祝いしてくれた父さんの気持ちが嬉しくて。陽咲のことを考えると無限の楽しみが湧く。そんな自分が幸せだった。


 悲しみがあるから幸せがある。


「会いたいよ。陽咲」


 カーテンを開けて夜空を見上げた。星がまたたく。今の話、陽咲にしたら何と言うだろう。




 手放したのは、父さんに与えられた能力だけではない。過去の悲しみもつらさも乗り越えられた。そんな気がする。


 もう今は失恋に怯えるだけの俺じゃない。たしかに前に進んでいる。幸せな恋のために。


 明日も明後日も、一年後も、陽咲と一緒に笑っていたい。心からそう思った。




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