16 ココアとミルクティー
河南さんは何を言ってるんだ?
俺が陽咲を好きだというのはまだ分かる。その通りだから否定できない(初対面の人にそこまで見破られるのは恥ずかしいというか情けないというか、少し前までポーカーフェイスの評価で通っていた身としては複雑でもあるけど)。
問題なのは陽咲の気持ちだ。結音も少し前に河南さんと同じことを言っていた。アイツの言葉の大半は興味本位で発せられると分かってるので無視できてたが河南さんの言葉は違う。時々変なスイッチが入って暴走するがまともな思考も持ってる大人だ。社長をやってるというイメージが影響してるのか、この人の言うことは妙に説得力がある。
視界の端で陽咲の様子を伺う。隣に座る彼女の横顔はうつむいていて、綺麗な長い髪がその表情を覆い隠していた。唇がわずかに震えているように見えたけど、河南さんの手前まじまじとは見れなかった。
胸がざわざわしてきた。河南さん相手にしっかり自分の意見を述べる陽咲らしくない。どうして言われっぱなしなんだ? 彼女の性格からして、ここは「違います」と否定するところだ。
陽咲と俺の顔を交互に見やり、河南さんは言った。
「探偵からもらった報告書を見てまさかとは思ったものの確信までは持てなかった。でも、こうしてあなた達に会ってみて、私の勘は正しいと感じた。陽咲ちゃんはずっとツムグに恋してきたのだろうけど、リアル恋愛においては無知でしょう。周りがサポートしないと一生無自覚なままかもしれない。私はそう思ったのだけど、異論ある?」
「私は……」
それきり陽咲は黙ってしまった。そのことがよけい俺の鼓動を速くした。
序盤とは別の気まずさが漂う。
さっき秘書が持ってきてくれたお茶を勢いよく半分飲んで、俺は言った。
「探偵の報告書に何が書いてあったのかは知りませんが、俺達はただの友達です」
「なぜ本当のことを言わないの? せっかくチャンスを与えてあげたのに」
チャンス、か。
たしかにそうだよな。陽咲とは何度か恋人っぽい場所に出かけてるけどロマンチックなムードになんて絶対ならない。告白なんて論外だったしするつもりもない。だけど、河南さんの指摘が本当ならこの場の雰囲気に乗って本音を言ってみるのもアリかもしれない。
……なんて、一瞬考えてみるものの、その先がイメージできなかった。陽咲はずっとツムグのことだけ見てるのだと思ってたから。
河南さんの指摘どおり陽咲が俺を好きなのだとしても、それを口にしないのは彼女なりに考えあってのこと。変化を求めて行動に移していない。それならなおさら俺が河南さんのペースに乗せられるわけにいかない。
「仮に河南さんの言うとおりだとして、好きっていちいち本人に言わなきゃダメなんですかね? そういうのって人それぞれペースもあるし」
河南さんの挑発を逆手に取った。あくまで冷静に。
「こんなにまっすぐで好きなものに正直で友達想いで優しい子、好きになるなって方が無理ですよ」
俺の言葉を耳にし、陽咲は弾かれたようにこっちを見た。
「陽咲のこと、女子の知り合いで一番好きですよ。人として尊敬してます。だから友達でいるのが楽しい。陽咲が俺に持ってる好意もそういう感じのなんだと思います。俺の口からこういうこと言うと調子に乗ってるみたいで嫌なんですけどね」
「そ、そのとおるでしゃっ」
噛んだ! ……が、陽咲はようやくらしさを取り戻した。
「私も人として紡君のことが好きなんです。的確に言い表すのが難しいのですが……。恋のようでそうではない想いなんです」
「そうかしら……?」
「と、当然です。恋情と友情の境界線はしっかりあるんですっ」
あからさまに動揺する陽咲。心なしか口調もギクシャクしてる。当然かもしれないが河南さんの追究に困ったのかもしれない。これ以上何か言わせるのは気の毒だ。
「そんなことより、河南さん。そろそろミキをここへ呼び戻してもらえませんか? アイツ、イグナイトに来るのすごく楽しみにしてたんですよ」
少々強引かもしれないが、俺はミキの存在を引き合いに出すことでこの話題を強制終了させた。
「それに、これまでのことはどうであれ、河南さんが陽咲やミキのファン心理に心打たれたのは本当なんでしょ?」
「……そうくるのね。まあ、たしかに、ここまで足を運んでくれたユーザーを無下にはできないわね」
スッと立ち上がり、河南さんは秘書に指示を出した。
「時永ミキさんをこちらへ」
「承知しました」
話の流れを部屋の隅で見ていた秘書は迅速な対応をした。ミキに申し訳なく思ったのか、
「私も行くわ。時永さんに謝らないと……」
河南さんは秘書の後に続いていったんここを出ていった。
陽咲と二人きりになる。
居心地よくもわずかな緊張と照れくささに包まれる。二人きりになるのは初めてじゃないのに、この空気感がすでに懐かしい。それだけ河南さんの登場が色濃く衝撃的だったんだろうか。
「ありがとう。紡君」
陽咲の安堵が声音で分かった。
「どういたしまして」
陽咲を見ると、彼女の視線は不自然に横を向いた。まるで俺の視線から逃げたがっているみたいに。
「まさか河南さんがあんなことを言うなんて……。紡君のフォローがなければうまく答えられなかったよ」
「離れててもずっと陽咲の心配をしてたくらいだし、恋の行方にも口出さずにはいられなかったんだろうね」
「昔もそうだったの。『今のうちから異性を見る目を養いなさい』と言ってくれてて。親切心なのはもちろん分かっていたけど、どうしてそこまで主張するのだろうかと当時は疑問もあって。母の過去の行いゆえだったんだね」
小学校低学年の子にそんな話をしたって分かるわけない。と、当時の河南さんにツッこんでもな。
「陽咲は知らなかったんだ、お母さんの恋愛のこと」
「はい。母と話すことといえば洋服や料理のことが主だから。あと父のことも」
「そっか」
まあ、そうだよな。独身時代の恋愛話を子供に語る親なんてそうそういないか。
母親の過去を知ったことが陽咲にとって良かったか悪かったかは分からないけど、俺にとっては聞けてよかった話だ。陽咲の前向きさのワケが理解できた。
「陽咲とお母さんの前向きさ、見習いたいと思った。恋愛って楽しい反面自分の弱さも見せつけられるというか、マイナスにしか思えないことも起こるけど、それをプラスの力に変えていける人って眩しいくらい輝いてるっていうか。俺はどっちかというと失敗を引きずる方だから、陽咲みたいな強さに憧れる。素直にうらやましい」
しまった。なんか知らないけどしみじみと語ってしまった。今まで陽咲に見せてた俺とはかけ離れた発言をしてなかったか?
陽咲は大きく目を見開きこっちを見た。
「ありがとう。他の人が呆れることも、紡君はいいって言ってくれるね。そういうの、嬉しいよ。安心する」
やっとこっちを見てくれた。たったそれだけのことが嬉しくなる。惚れた弱みかな。なにはともあれ自分語りに引かれてなくてよかった。
陽咲はためらうような間を置き、改まった様子でつぶやいた。
「ひとつだけ、訊いてもいいかな?」
俺への質問。だけど、こっちは向かず陽咲は窓の方に顔を向けていた。
「紡君は、もう一度恋ができそう?」
「え……?」
「天音さんと再会した頃、二度と恋はしないと言ってたから、今もそうなのかなって」
ドキッとする。河南さん登場時よりはるかに驚いた。陽咲の口から天音の名前が出るなんて。どうして今そのことを!?
いや、落ち着け。深い意味はないだろ。話の流れ的に、俺の自分語りが陽咲をそうさせたんだと考えよう。
俺が答えに困る質問。そうと分かってて陽咲は訊いてきたんだ。意図は分からないけど。
適当にかわしたい。でも、はぐらかすのはダメだ。陽咲は真剣だから。
「恋はしない、か。だね。たしかにあの時はそう言った。本気でそう思ってたし」
「うん」
陽咲が熱心に相槌を打つ。そのことが今の俺に安心感を与えてくれた。
「恋って、するしないを自分では決められないのかも。気付いたらしてるというか。今はそう思う」
「自分では決められないのが恋……」
「陽咲もそうでしょ? ツムグを攻略するって決めた時、頭じゃなく心で選んだはず」
「た、たしかに……!」
「そういうこと」
「目から鱗だよ!」
陽咲は感動で目を輝かせた。やっと本来の陽咲に戻った気がする。さっきのよそよそしさは何だったんだろう。
陽咲は陽咲なのに、今までの陽咲とは違う感覚。気のせいか?
「お待たせ」
河南さんと秘書がミキを連れて戻ってきた。ミキには悪いけどもう少し陽咲と話していたかった。残念。
ミキは俺の左隣にドスッと腰を下ろし、俺の右側に座る陽咲を見た。
「聞いたよー。陽咲ちゃんと河南さん、友達みたいな関係だったんだってー?」
ミキをここへ連れてくる間、河南さんはミキに大方の説明をしておいてくれたらしい。誘拐うんぬんの話は伏せてるっぽいが。
「びっくりしたけど、こんな風に再会できるなんてすごいね!」
深い事情まで知らないせいか、ミキは河南さんと陽咲の関係性に興味津々だ。電話での問い合わせでケンカ越しだったことなんてすでに忘れ去ってそうだ。
ミキは嬉々として河南さんに質問した。
「アプリの製作者とユーザーが昔からの友達とかガチエモいですっ。河南さんはどうしてこういうアプリ作ろうと思ったんですか?」
「面白い質問ね」
河南さんは楽しげに目を細めた。
「信じてもらえないかもしれないけど、私、男にのめりこめない質なのよ。だから未だに未婚だし男性と付き合ったこともなし。反動で乙女ゲームを作ってるってことね」
「そうなんですか? ものすごく恋愛経験豊富な人が作ってるんだと思ってました! 河南さん綺麗だし、普通に彼氏いそうに見えるから」
「ありがとう。でも残念ながらそういう縁はないのよね~」
「そ、そうなんですかっ?」
ミキをはじめ、陽咲と俺も河南さんの発言にはビックリしていた。バリバリの仕事人間ぽくはあるけど、年相応の女性らしさも持ち合わせている人だ。
結婚はしてもしなくてもいい。そこは人それぞれ自由でいいと思う。とはいえ、河南さんに恋人が一切いないなんて、にわかには信じられなかった。
「もう。あなた達露骨に驚きすぎよ~」
河南さんはなんでもないように笑った。そして、更なる驚き発言をかましてくれた。
「私、陽咲ちゃんのお母さんのことが好きだったのよ。何年越しの片想いだったかしらね~」
「母をですか? だからさっきも仲直りをためらって……?」
「違うわよ。それはただ単に気まずかったからで。それにこの気持ちにはケジメをつけてる。好きだったのも昔の話。告白してとっくに振られてる。未練がないと言えばウソになるけど、だからといって引きずってもいない。今は純粋に友達として好きだと言える。彼女が幸せなら私も嬉しい。本当よ」
なるほど。陽咲のために誘拐を企てたり探偵を頼ったり親友の子供を気に掛けるだけにしてはやりすぎだと思ったけど、そういうことなら納得だ。良くも悪くも本気で片想いしていたんだな、河南さんは。
まさかの同性愛者か。今の時代、そう珍しいことじゃない。そういう系の話に偏見はないし、結婚同様、恋する相手も自由であっていいはずだ。俺はそう思う。
そういえば、生前に父さんが言ってた。あれは父さんの体にガンが見つかった日のことだった。
『相手が自分と違うからってすぐに差別して遠ざけてしまうのはもったいないことだ。その人の立場からものを見たら新しい世界が開けるかもしれないな』
その時は難しいこと言ってくれるなーと頭を悩ませたけど、俺がこういう場面に出くわした時のことを想定して父さんはそんなことを言ったのかもしれない。そうではなく父さんのガンに悲しむ俺を慰める言葉だったのかもしれないけど。
またひとつ、父さんが俺に残してくれたものの重みを感じた。痛くて温かい。
河南さんは正面の席から俺の顔を覗き込む。
「冷静ね。これでも勇気が必要な告白だったのに。驚かないの?」
「十分驚いてますよ! でも、それ以上に色々合点がいくっていうか。だから陽咲のこと見守ってたんですね」
「その役目も次の有力者にバトンタッチする時が来た。そう思ったのだけどね」
意味ありげな河南さんの視線。気付かないフリをした。この人の言いたいことは分かってる。河南さんは〝恋人として〟俺に陽咲を守れと言いたいんだ。
「これからも友達として陽咲の力になりますよ」
「そう……」
思案し、河南さんは言った。
「あなた達はアプリの配信停止に反対の体でここまで足を運んでくれたのよね」
いきなり話戻ったな。しかも、なぜか河南さんは俺から視線を外さない。俺はユーザーじゃないんだから見られても困る。
「そうですけど、河南さんは配信停止する気満々ですよね。ここまで同行した身としては、陽咲とミキのために考え直してほしいですけどね」
「いいわよ」
「本当ですか!?」
ミキが喜々と反応する。
「ただし、ひとつだけ条件があるの」
嫌な予感しかしない。河南さんの目が不敵に俺をとらえた。
「紡君が素直になったら、配信停止をやめるわ」
「なっ……!」
俺は言葉を失った。
陽咲に告白しろってことか!? 無茶ぶりもいいとこだ!
「全く意味が分からないんですけど。そんなことで全国のイグナイトファンを振り回していいんですか? 株主が乱闘起こしますよ。てゆーかすでに起きてるでしょ」
冷静に言い返してみるものの、口調に反して心臓はバクバク嫌な音を立てていた。
「無くなれば無くなったでユーザーは他の娯楽を見つけて今のことなんて忘れるわよ。悲しきかな、いつかはたどるアプリの運命よ。実体がないから当然なのだけれどね」
「もっともらしいこと言ってますけどご都合主義にもほどがありますって!」
「だって、予想以上にあなたがこじらせちゃってるんだもの。自社の株価より陽咲ちゃんの幸せを考える経営者でありたいのよ私は」
「河南さんの陽咲愛はもう十分理解してますっ! あと、河南さんにだけはこじれてるとか言われたくないです!」
「私はいいのよ。こじれをアプリ制作に生かせてるんだから」
「お兄、素直になりなよっ」
ミキまでそんなことを言う始末。話分からず口挟んでるだろ絶対。
陽咲の方をチラ見すると、困ったような喜んでいるような、どっちともつかない顔つきでミキと河南さんを見ていた。
「だいたいお兄は昔から素直じゃないんだよねー。欲しい物我慢したり、思ってることストレートに言わないとか。まあ、それで場が収まること多かったから便利なんだけどね」
「だろうな。俺の貴重で尊い譲歩が我が家の平和に貢献してるならいいことだ」
「でも、それと河南さんの出した条件は別っていうかー。まあ、お兄ドンマイ」
面倒になって投げ出したな。まあ、分かるけど。俺も自分で自分が面倒くさい。
ここで陽咲に想いを伝えれば河南さんはアプリ配信を続けてくれる。でも、そんな簡単なことじゃないんだ。片想いの関係は。ちょっとしたことで今後の関係が変わってしまいそうで……。
それに、よく考えたら俺はそこまで恋愛経験がない。天音と陽咲。人生で好きになった女子は二人だけ。
今まではそのことに疑問なんて全く感じなかったけど、高2でそれってどうなんだ? 経験が少ないから今こうして身動きできなくなってるんじゃ……。結音が軽いのは性格のせいだと決め付けてたけど本当にそうか? 経験豊富だからフットワークが軽くなるってこともあるよな……?
やばい。いきなり自分のことが不安になってきた。こんなんでこの先大丈夫か?
こっちの心情を知ってか知らずか、河南さんは猶予を口にした。
「今すぐどうこうしろなんて言わないわ。私も鬼じゃない。考える時間くらいあげる」
いやいやいや! 今の時点で充分拷問なんですけど! けっこう追いつめられてますよ!?
「ゆっくり結論を導き出しなさい。あなたとあなたの周りの人が幸せになれる答えを」
この話は保留扱いとなった。
その後、陽咲とミキは河南さんの案内でイグナイトの社内を特別に見学させてもらい、アプリ関連グッズをもらったりしていた。特設サイトで販売されている物で、ミキにとっては欲しくても買えない代物ばかりだったので喜びすぎってくらい喜んでいた。陽咲も数量限定で買えなかったツムグアイテムをもらっていた。彼女達の推しメンボイスドラマCDなども特別入手していたし、パソコンで非公開画像も閲覧させてもらった。
「ありがとうございましたー!!」
帰る時、ビルの出入口まで見送りに出た河南さんに、ミキは盛大なお礼を述べた。
「今日は来てくれて嬉しかった。また遊びに来てね」
グッズをもらえた喜びか、一人テンションの高いミキ。一方、陽咲はどこか上の空といった感じだった。普通では入手できないツムググッズを紙袋いっぱいに持ってるのに心ここにあらずだ。
河南さんとの挨拶もそこそこに、陽咲とミキが伊集院宅の車に向かう。
「あなたの答え、楽しみにしてるわ」
別れ際、俺にだけ聞こえる声でそう言い、河南さんはビルの中に戻っていった。
それから何日もしないうちに河南さんは陽咲の母親と和解した。昔奪った身代金も全額返したそうだ。陽咲の口添えもあって、陽咲の父親も事の成り行きを理解したという。陽咲からメールで報告された。
いつも業務連絡みたいな文面なのに、その日陽咲のメールにはたくさんの絵文字が使われていた。慣れないせいか、たまに文章に全く合っていない妙な絵文字が付いてたけど、それも可愛いと思った。
《今回のお礼がしたいんだけど、今度ケーキを食べに行かないかな?ミキちゃんへのお礼は別の機会にと思ってるから、今回は紡君と二人で……》
ドキッとした。
お礼って、河南さんと陽咲の親が仲直りできたことに対してだよな。別に俺は何もしてないから厚かましくないだろうか。それに、いつもの陽咲ならここでミキのことも誘うんだろうけど、そうしなかった。『俺と二人で』と強調する。どういうことなんだ……?
断る理由はない。喜んでOKの返事をした。
日常は至って平穏。
結音はチエちゃんと仲良くやってるし、美綾は文句をつけつつも空手を教えてくれる。
でも、河南さんの出してきた課題はこうしてる今も継続中で、決してなかったことにはならない。
それに、陽咲との関係も微妙だった。
それまで通りメールは毎日してる。
陽咲の両親と河南さんが仲直りしたお礼にと、高級ホテルのスイーツビュッフェに誘われた。伊集院ホールディングスが取り仕切るホテルだった。
陽咲が好きだと言ったイチゴのタルトを一緒においしく食べた。コンビニスイーツも好きだけどホテルのタルトは別格だった。
その時までは、何の問題もなく普通に楽しく会話していたと思う。
ひとつだけいつもと違ったのは、陽咲がミルクティーではなくココアを注文していたことだ。彼女はいつでもどこでもツムグの好物であるミルクティーを頼む。この時もそうだとばかり思っていたので軽く驚き、ココアと口にした彼女を二度見してしまった。
とはいえ、陽咲にだってココアを飲みたい気分の時があるだろう。そう思い深く気にしなかった。
しかし、その日からだ。陽咲の態度が変わったのは。
今まではほぼ毎日のように会って話してたのに、そういう時間を取らなくなった。
二人で初めて電車に乗ってから、陽咲は外出の楽しさに目覚め、土曜日の午後は電車に乗って知らない駅で降りてみることが恒例になったし、結音とチエちゃんの誘いで陽咲は未経験だったカラオケやダーツ、ボーリングなどのアクティブな遊びにもハマり、俺と二人の時もそういうところへ行きたがり、陽咲の方から積極的に誘ってきた。
俺もあまり体を動かすタイプではなかったけど誘われれば楽しく付き合った。肉体的に多少無理もしたけど、精神的には全然無理がなかった。陽咲となら何でも新鮮だった。
なのに、ここ数日は誘いのメールどころか、朝晩の軽いやり取りすらない日がある。
陽咲と知り合って3か月。衣替えの時期、陽咲と会えない日が続いていた。
久し振りに夏休みを楽しみにする気分を思い出したのに、それは無駄なことだと言われてるようで不安になった。
陽咲に嫌われるようなことをした? 考えてみても分からなかった。
最後に会った日。
イチゴタルトとココアを前に、陽咲は笑っていた。心の声でも、これといって気になることは言ってなかった。
河南さんと再び交流できたのは俺のおかげだとオーバーなくらい言ってくれた。ミキともまた会いたいし、今度は日曜日に電車で隣の県まで行きたいと彼女は言った。
『父と母が河南さんと仲直りしたことで、これまで制限されていた行動範囲も広げていいことになったの。もちろん帰宅の連絡は絶対しなくてはならないんだけど、場合によっては門限も遅めにしてくれるって』
最後に会った時の、陽咲の声を思い出す。これで何度目だろう。
来ないメールを確認し、溜息が出た。すがるようにスマホを握りしめてしまう。
陽咲の返信がなくても、最初はこっちからおはようとおやすみだけは送るようにしていた。でも今はやめた。一方的に送るなんてストーカーみたいだし、陽咲からしたら迷惑かもしれないし。
よくよく考えてみたら、イグナイトに行った日から陽咲の様子はおかしかったように思う。たまに視線をそらされているような感じがしたし。
もしかしたら、彼女は気付いたのかもしれない。ツムグを好きでいるために俺と付き合うフリをするのはおかしい、と。
あるいは、俺の判断ひとつでアプリが無くなるかもしれない未来を憂いているのかもしれない。それをあえて言わずにフェイドアウトしようとしてるのは彼女の優しさ。こっちの遠慮を気にせずホテルのビュッフェでお礼をしてくれたのは礼儀。
考えたくないけど、それが一番決定的だ。
今日も陽咲からメールはない。
平穏だった毎日が翳っていく。
悪いことってなぜか続く。
抜き打ちテストではそれまでにないほど悪い点を取るし、通学路のどこかで定期を落とした。初めて一緒に電車に乗った日に陽咲に貸した定期入れごと。これはさすがにへこんだ。本格的に陽咲が遠くへ行ってしまう未来が確定した気がした。
こうなるまで気付かなかった。陽咲がそばにいることの意味。
ほんの小さな義務感から始まった関係。いつしか大事な時間になってた。少なくとも俺にとっては。
そのうち普通にメールがくる気がして、無意識のうちにスマホを見る回数が増えた。鳴らないまま、夏休みは目前に迫った。
顔には出さないようにしてたつもりだけど、いつもそばにいる結音の目はごまかせなかった。それが結音の恋愛経験の成せるところなのか、アイツは陽咲と俺の間にあったことをザックリ察してきた。
「きついよなー。一方的に無視されるとかさ」
「なんで分かった?」
「チエにしょっちゅう同じことされてるから。そのうち元に戻ると分かってても無視されると毎回焦るわー」
「結音達は付き合ってるんだからまだいいって。それに陽咲は不満があってもそういう手は使わないだろうし」
「分かってんならこっちから会いに行けばいいじゃん。連絡してこれないワケがあるのかもよ」
「無理。迷惑に決まってるだろ。契約彼氏がそこまでしたら怖すぎ」
「契約書の書き換えしとくんだったな。万が一連絡がつかなくなった場合には相手の同意なしに会いに行くことができる、って」
「その手があったな。しまった」
「打つ手なしかー。ま、普段の陽咲ちゃん見てたら音信不通にしてくるとは思わんしなー。俺にできることがあれば言えよ。いつでも力になるから。あ、チエといる時以外は」
「ありがとな。それでも助かる」
泣きそうになった。心の中で宇宙人扱いしてごめん。
そうとうまいってるな……。
結音と下校したくなったけど、彼女持ちは放課後も忙しい。チエちゃんに会いに行く結音の背中を見送り、校門を出た。
「今日は一人? 今、そこで結音とすれ違ったよー」
「天音……」
どうして待ち構えてたみたいな顔してここにいる? この前一緒だった彼氏っぽい男はどうした。
こうして弱ってる時こそ、狙ったように弱みを突いてくる存在が現れるのは人生の法則か何かか?
「何でいるの?」
「冷たーい。いいじゃん別にー。ちょっと顔見たくなってさ。買い物付き合ってよ」
どういうつもりだ? こんな時に限って能力は働かない。天音の言動に裏はない、そう思っていいのか?
「せっかく来てくれたのに悪いけど彼氏の代役なんて期待しないで。一人で帰るから」
思った以上にきつい言い方になって、自分に驚いた。代役って……。天音の用件はただの買い物なのに何言ってんだ俺。自意識過剰だな。
「自意識過剰ー」
「充分自覚してる」
「荒れてるねー。噂の彼女を相手にするのは大変そうだねー」
「噂……? ああ、ファンクラブとか親衛隊とかの話?」
「知ってるんだ。私も知ったの最近だけどね」
「それだけ?」
「試しにヨリ戻してみるー?」
こっちの反応を試すみたいな天音の顔から目をそらし歩いた。天音はトコトコついてくる。
「彼氏持ちが何言ってんの。大事にしてやりなよ」
「あー……。この前駅で見られたんだっけ。あの人とは別れたよ」
サッパリ明るく言ってくれる。前の俺だったら、ここで動揺したり喜んだりしてたかもしれない。
俺の進路を阻むように、天音が目の前に回り込んできて。
「この前紡に会って、少しだけど久しぶりにしゃべって、やっぱり紡と別れるんじゃなかったなーと思った」
まっすぐにこっちを見て。
「紡と別れた後いろんな人と付き合ったけど、紡以上の人に会えたことない。紡、あまり感情表に出さないし、過去を美化してるだけかもと思ったりもしたけど」
褒めるかけなすかどっちだよっ。と、危うく口から出そうになった。
「回り道して見つかるものってあると思うんだよね。今自分の目の前にいる人が運命の人とは限らないじゃん。そう思わない?」
陽咲が運命の人じゃない? そうかもしれない。
悔しいけど、天音の言うことも一理あると思った。今の陽咲と俺は、知り合った頃より距離があるような気すらしてしまうのだから。




