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14 一途な心

 記憶から薄れつつあるけど、今のはたしかに父さんの声だった。


 なんてね。そんなことあるわけない。父さんが死んでだいぶ経つ。きっと空耳だ。久しぶりにじっくり遺影なんか見たから無意識のうちに父さんのことが懐かしくなってしまったんだろう。


 ……だとしたら、今のは俺自身の中から生まれた潜在意識の声ってことになる。「お前には必要のないもの」ってどういう意味なんだろう? 何を指した言葉だ……?


 無意識からのメッセージと決めつけるなんて早計か? でも他に思い当たることもない。


 父さんの声で再生されるってところが妙に説得力を増してくる。


 まだ父さんが元気だった頃、家の中で一番話が合うのは父さんだった。好きな食べ物も、音楽の好みも、俺という人間を構成したのはほぼ父さんだった。


 恋愛に対する姿勢もそう。一途に誰かを好きになる性格は父さんゆずりだと思う。


 結婚前から父さんは母さん一筋で、若い頃はけっこうモテていたらしいが、他の女性の誘惑にもつられず母さんだけを見ていたらしい。前に母さんが言ってた。親のノロケ話なんて聞いたところでどんな反応をすればいいのか分からず当時は困ったけど、話す母さんの顔はとても幸せそうで印象に残った。


「他にも可愛い女子いるのに何でアイツ? 本命できるまでの繋ぎ?」


 天音あまねと付き合ってた頃、友達にたびたび言われた。言ってくるのは彼女のいないヤツばかりだったから、コイツら本気で恋したことないんだろうなーと心の中で思いつつ黙って聞き流したが、


「本命と遊びは別だろ。つむぐモテるのに一人に絞るとかもったいなくね?」


 彼女持ちのヤツにまでそんなことを言われた時はかなり衝撃的だった。正直ショックで何も言えなかった。好きな人のことだけを考えるのが楽しく幸せだった俺は、同性の思考ですら宇宙人の話す言葉に思えた。意味不明。


 高校に入って二年目の今、マイノリティー(少数派)は俺の方かもしれないと思い始めた。男で一途なのは珍しいらしい。たいていの若い男は結音ゆいとみたく彼女がいても他の女子に目移りする。


 恋なんてもう無縁だと思いつつ、身近な友達まで宇宙人化してることにガッカリしてた。


 父さんが生きてたら恋の話もできただろうかと考えることもあった。まあ、生きてたら生きてたで恥ずかしくて相談なんかできなかったかもしれないけど。


 でも、天音と別れてつらかった時、真っ先に浮かんだのは父さんの顔だったので、やっぱり俺は父さんをかなり頼りにしてたんだと思う。結音も普段の軽さがウソのように親身に慰めてくれたけど、あの時一番頼りたくなったのは父さん。母さんと付き合う前、父さんにも色んな恋愛経験があったかもしれない。俺より長く人生を生きてきた父さんに失恋の乗り越え方を聞いてみたかった。


 最近はそういう気持ちすら忘れていた。女って生き物を恐れ、諦め、疲れる感情から身を守るのがうまくなった。そういう日々は平穏だった。同時に、心を震わす喜びもなかった。


 俺は、何を求めていたんだっけ……?



「お兄! 全然こっち戻ってこないで一人で何してんの?」


 俺を呼びに来たミキの後ろには遠慮がちに和室を覗く陽咲の姿がある。まだしょんぼりしているものの陽咲のフリーズモードは解除されていた。俺が薄暗い和室で佇んでいるうちに、ミキは一人陽咲ひさきのいるダイニングに戻り話をしてくれたそうだ。


「ごめん。ちょっと考え事してた。陽咲、もう大丈夫?」


「うん。心配かけてごめんね。アプリ停止のこと聞いた時は気が動転してしまって。紡君が運営会社に問い合わせてくれるってミキちゃんから聞いたんだけど、でも、そこまでしてもらうのは悪いよ。だから私が電話する……!」


「大丈夫?」


「もちろん! ツムグをこの世に存続させるためだから……!」


 とても頼もしいけど正直心配だ。


 基本的に陽咲はしっかりしてる。言葉も丁寧だし口調も柔らかい。電話の相手にもいい印象を与えるだろう。でも今回は場面が場面。アプリ配信停止の件を耳にしただけで放心してしまうくらいだ。いざ運営に電話したとして百戦錬磨の相手とまともに話ができるのだろうか?


 ミキも俺と同じことを思ったらしい。


「陽咲ちゃん、電話じゃなくても問い合わせはできるよ。ほらここ、ヘルプからメールで問い合わせできる」


 ミキはアプリを開き画面を陽咲に見せた。


 問い合わせフォームをしばらく食い入るように見た後、陽咲は落胆した。


「やっぱり電話にしようかな。『場合によってはメールでの問い合わせ全てに返答できないこともある』って書いてあるから」


 そうだよな。運営も暇じゃない。ここまで大規模なアプリともなるとイタズラや誤送信メールなどいちいち相手にしてられない内容のものも送られてくるのだろうし。


「そんなぁ……。ここまで熱心なファンの問い合わせだもん、無視するとかないよ! って思いたいけど分かんないよねー」


 ミキもうなだれた。


「電話って誰につながるんだろ? やっぱ代表者とか?」


「いや、そういうのはサポートセンターの人だろ普通」


 かけたことないから知らないけど。いきなり代表者が出る会社そうそうないと思う。零細企業なら社長自ら電話に出るとかありそうだけど。


「あ、ホントだ。問い合わせ専門の人が電話対応するってかいてある。けっこう大きな運営らしいしまあ当然かー。陽咲ちゃん、番号これだよ」


 ミキのスマホに表示されている問い合わせ先の番号を見ながら、陽咲は自分のスマホの通話ボタンを慎重にタップした。こういうのって自分のスマホから運営サイトにアクセスした方が早い。ほとんどのサイトは掲載してる電話番号をタップすればそこへ即通話できるようにしてある。なのにそうしないのは、陽咲が日頃からサイトの存在を知らなかった、あるいは知っていても興味がなかったってことだ。


 緊張の面持ちで陽咲はスマホを耳に当てた。すぐに彼女の瞳が揺れる。つながったようだ。


「もしもし、初めまして。伊集院陽咲と申します。突然の連絡、失礼します」


「全然失礼じゃないよ陽咲ちゃん! 相手は電話待ち受けるのが仕事なんだから。それに初めましてなのは当然っ」


 ミキのツッコミが炸裂。


「静かに! 陽咲が電話に集中できないだろっ」


 小声でミキを止めつつ内心俺も同じことを思った。血は争えない……。


 陽咲の対応をしてるオペレーターも彼女の丁寧さに驚いてるだろうな。それでも、そこは大人。プロの電話スキルで陽咲の用件をスムーズに聞き出しているようだ。向こうの声は聞こえないが陽咲の言葉でなんとなく察せた。


「アプリ配信停止のことなのですが……。……っ」


 それは決定なのですか? そう訊きたいのに、陽咲は言葉をつまらせすんなり交渉できなかった。陽咲の目から涙が溢れこぼれ落ちそうになっている。


「陽咲ちゃん……」


 ミキはもらい泣きしそうだ。


「そうだよね、悲しいよね。私もタケルがいなくなるのヤダもん……」


 陽咲はもう電話どころじゃない。ミキに頭をなでられ泣くのを必死に我慢してる。


「貸りるよ」


 俺は陽咲の手からスマホを引き抜き耳に当てた。オペレーターの戸惑いが伝わってくるような気がした。ここで俺がしゃしゃり出たらますます困らせるだろうがそんなことはどうでもいい。今は陽咲を泣かせないのが先決だ。


「『恋に迷いしプリンセス』の配信停止、考え直してもらえませんか?」


『はい……?』


 露骨に怪訝な反応をされた。当然か。男がなぜ女性向けアプリの配信停止に反対してくるのだろうという疑問と強い困惑をビシビシ感じる。こうなって初めて、自分にしては大胆なことをしてしまったなと思った。


 瞬時に仕事だと割り切ったのか、オペレーターは落ち着いた声音を取り戻した。


『当社のアプリをプレイして頂き誠にありがとうございます』


 いや、俺は一切やってないけどな? 勘のいい人なら陽咲の代理で電話に出たと分かってくれるだろうがこの人はどうだろう?


『お問い合わせの件につきまして、大変申し上げにくいことなのですが、当社の決定が変更することはございません。ご希望に添えない返答となり大変申し訳ございません』


 やっぱりそうなるよな。想定通りの答えにため息が出た。しかしここで引き下がるわけにはいかない。それに納得いかないからこっちは問い合わせをしたんだ。このままおとなしく電話を終えるのも悔しい。ミキの肩に寄りかかり弱々しくこっちを見つめる陽咲を見て、ますますそう思った。今にも泣きそうなのを寸前のところで抑えてる。この問い合わせに命を賭けるくらいの勢いだったんだ、彼女は。


 せっかく電話したんだ。せめて配信停止に至った理由だけは知りたい。


「分かりました。無理言ってすいません。その代わり一つ教えて下さい。どうして配信停止が決まったんですか? テレビや雑誌、ネットでも大々的に宣伝してたし、ポータブル版の売れ行きも好調でしたよね。赤字だったならともかく……。他に理由があったんですか?」


『お客様のお言葉はごもっともでございます。ですが、あいにくわたくし共には詳細が伝わっておりませんので詳しいことは答えかねます。ご期待にそえず大変申し訳ございません……』


 そんなわけない。オペレーターは会社の窓口だ。内情を知らないなんてありえない。ウソの定型文まで用意してユーザーには言えない理由って何だ?


「お兄、運営は何て?」


 陽咲をなだめていたミキもすがるように不安な顔をする。一時オペレーターに待っててもらい、電話口の小さな穴を親指でふさいだ。


「やっぱり配信停止は止められないって。理由もはっきり教えてもらえなかった。それが引っかかる……」


「なにそれ! ガチ怪しいじゃん!! 私達運営に隠し事されてるってこと?」


 ミキは目を三角にし俺の手からスマホをひったくる。


「ちょっ、まだつながってるって!」


「分かってるよ! 聞こえたっていい。電話代わりました」


 ミキは強気だった。何が何でも理由を問いただしたいらしい。俺も同じだから止めないけど。ショック状態でそうできなかっただけで陽咲もそうしたかったに違いない。


「今ウチの兄からも言ったと思うんですけど、アプリの配信やめることにしたのはなぜですか? 無くなるなんて嫌です」


 オペレーターの答えは変わらないようだ。話し手が俺からミキになった、それだけで、問い合わせ内容は同じだから当然なんだけど、こっちとしてはオペレーターから別の言葉を引き出したいと意地になってしまう。


「そんなのおかしいです。あなたも会社の人なんだから何か知ってますよね?」


 苛立った声でミキは言った。やり取りは平行線らしい。


「子供だからってナメてますよね。上の人呼んで下さい。あなたじゃ話になりません」


 そこまで言うとは思わなかったが、やはり止めようとは思わない。なるようになれだ。


 十代のユーザーがそこまで強引なことを要求してくるとは思わなかったのだろう。なんとオペレーターは内線で会社の責任者につないでくれた。その間保留音のメロディーが流れたらしく、ミキは誇らしげに笑った。


「ダメ元だったけど言ってみるもんだねー!」


「まさかそこまでするなんてな」


「まあ、たまにはね。それに一度言ってみたかったんだよねー、上の人呼んで下さいってやつ」


 軽口を叩いてるけど、それら全部陽咲を悲しませないための行動なんだと心の声情報で知ってる。普段、人のことでここまで頑張る妹ではない。それだけにありがたみもひとしおだ。


 だいぶ落ち着いたのか、さっきまで赤かった陽咲の目は少しだけ元気さを取り戻していた。


「ありがとうミキちゃん。ごめんね、私がしっかりしなきゃいけないのに」


「もう平気?」


「うん。おかげで」


「理由、聞けるといいんだけど。できればアプリ配信停止を阻止したい!」


 そこで保留音が切れ通話の雰囲気が流れた。ミキにつられ陽咲の顔はこわばった。それを見て俺も緊張した。責任者はミキに何と言うのだろう。オペレーターのように強気で丸めこめるわけはないだろうし。


 それに、普通だったら適当にあしらうであろう問い合わせに責任者が出てくること自体普通じゃない。ということは、ミキを説き伏せる策のある口達者な責任者が出てきたんじゃないだろうか。悪い想像ばかりしてしまう。


「はい。そうです。はい。一年以上になります」


 アプリのプレイ期間を尋ねられているのか? 今さらだけど電話はスピーカーにしてもらえばよかった。


 責任者と話すミキを見守りつつ陽咲に視線をやると彼女は祈るように固く両手を組んでる。その細い手に自分の手を重ねて励ましてあげたいけど、さすがにそれはまずいな。アスレチックでも事故で近づいて陽咲は大慌てだったし、ちょっと前なんて電話の声だけで失神してたし。リアル男子と手をつなぐなんて想像すらしてないんだろうな。


「えっ、いいんですか!? もちろんです!」


 ミキが機嫌よく受け答えした。俺が束の間の考え事をしてるうちに責任者との会話に進展があったらしい。


「いまここに同じアプリやってる子がいるんですけどその子も一緒にいいですか? ありがとうございます! 嬉しいです! ありがとうございました!」


 電話を切ると、ミキは一気に事の行きさつを話した。


「すごいよ! 今度会社に遊びに来ないかって、社長さんが……! あ、今電話してたのも社長さんで。もちろん陽咲ちゃんも大歓迎だって! 非公開のラフ画とか在庫のボイスドラマCDくれるって」


「責任者って社長のことか。社長自ら電話に出てしかも会社に来いだって? 問い合わせしただけでどうしてそんな好待遇受けられるんだ? そりゃ門前払いされるよりは全然いいんだろうけど……」


「このアプリは社長も意見を出したりしてかなり力を入れた作品だからここまで熱烈なファンが問い合わせまでしてアプリなくすなって言ってくれたのが嬉しかったんだって。で、今度ゆっくり会って私と陽咲ちゃんの話聞きたいって。期待に応えられるかは分からないって言われたけど……。でも、もしかしたら配信停止やめてくれるかもしれないし行く価値あると思う!」


 ものすごくあやしい。社長は何を考えてるんだ? まさか問い合わせしてきたユーザー全員の電話に出て会社に招待してるわけじゃないだろ。


「勝手に話進めちゃったけど陽咲ちゃんは大丈夫?」


「もちろん! ありがたいお話だし受けたい。こんな幸運、一生に一度あるかないかだもんね!?」


「陽咲ちゃんならそう言ってくれると思ってたよ」


 この事態に違和感を覚えたのは俺だけだった。二人は声を弾ませその日を心待ちにした。それも当然か。憧れのアプリを作った人に会って話を聞けるんだもんな……。


 ここで俺の感じたことを言って水を差すのも悪い。かといって二人で行かせるのも心配だ。


「それ、俺も行っていい?」


「私は嬉しいけど、でも紡君にそこまで付き合わせるのは申し訳ないよ。電話してくれただけですごく助かったから」


「そうだよ。だいたいお兄は興味ないじゃんこういうアプリ。前誘った時もノリ悪かったし」


 そりゃ意気揚々と乙女ゲームをプレイする男子高生はあまりいないだろ。


「未成年二人だけで行かせるわけにいかないだろ。保護者として二人に同行するだけだ。まあ俺も未成年だけど」


「なるほど! 紡君は最年長だから、そういうことなんだね。とても心強いよ」


 素直に喜んでくれたのは陽咲だけで、ミキは「女性向けアプリ作ってる会社に男が同行するなんて変だよ」とブツブツ言った。そんなのこっちだって承知の上だ。何とでも言え。恥なんて言ってられない。


「こちらのお仏壇は…….?」


 父さんの仏壇に気付いた陽咲が俺を見る。


「父さんの。だいぶ前にガンで死んで」


「そうなんだね……」


 陽咲は悲しげにうつむき言った。


「気持ちに余裕がなくなっていたとはいえ、お父様のお仏壇の前で騒いでしまって……。ミキちゃん、紡君、本当にごめんなさい」


 申し訳なさげな顔をした陽咲の心の声が聞こえたのはすぐだった。


『出会った時に女系家庭だとは聞いていたけどお父様が亡くなっていたなんて……。ご家族とのLINEを見せてもらった時もグループメンバーにお父様の名前だけないのは気になってたけど、そういうことだったんだ……。ツムグのことで周りが見えなくなるのは本当に私の悪いクセだ……』


 どんどん萎縮していく陽咲の心情を、ミキも雰囲気で感じ取った。


「気にしなくていいよ陽咲ちゃん。アプリのことでいっぱいいっぱいだったんだしさ。それにお父さんもしんみりされると逆に切ないだろうし」


「……よければお線香あげさせてもらっていいかな?」


「うん、もちろん!」


 俺がフォローするまでもなく、ミキが陽咲を誘導した。女子二人は並んで仏壇の前に正座し手を合わせた。


 陽咲の気が晴れたようでとりあえずホッとするけど逆に悪かったな、変な気を遣わせて。


 もし父さんが生きてたら陽咲を見て何と言っただろう。彼氏のフリなんてごっこ遊びしてる息子を見て笑っただろうか。呆れただろうか。


 そういえば、さっきもそうだし今も、なぜか父さんのことを思い出す。もちろん忘れるわけないんだけど、最近は日々の出来事にかき消されてじっくり考えることも減ってた。


 陽咲と関わるようになってからだな。父さんのことをじっくり思い出すようになったのは。


「あれ?」


「陽咲ちゃん、線香はこうやって立てるんだよ」


 ミキもミキで、いつもはこんな面倒見のいいキャラじゃないのに陽咲には優しい。


「お父さん、陽咲ちゃん見てビックリしてる? お兄の友達なんだけど可愛すぎるくらい可愛いよね。有名なモデルも敵わないってくらいさ。でも一般人なんだよ」


 父さんの遺影に向け、ミキが言った。


「アプリのこと、私は頭から諦めて受け入れてた。でも陽咲ちゃん見てたら何かしたくなった。陽咲ちゃんって不思議なんだよ。人を動かす力がある」


「そんな、おおげさだよミキちゃんっ」


 照れる陽咲に、俺も言葉をかぶせた。


「そうだな。陽咲がいると空気が変わる」


「そんな、私には何の力もないよ」


 そうだ。たしかに陽咲には俺みたいな力はないかもしれない。でも、そういうことじゃない。美綾みあやもミキも、そして俺も、陽咲だから何かしてあげたくなる。手を貸すことが苦じゃないのは彼女が彼女だからだ。


「むしろ個人的な趣味に巻き込んで公式への連絡までしてもらって、紡君とミキちゃんには感謝してもしたりないよ。お父様、二人にはいつもお世話になっています」


「いつもって、私とは初対面でしょ。ホント陽咲ちゃんは天然だね〜。ま、そこがギャップ萌えになってるんだけど」


「私は天然じゃないよっ。私を含め人はみんな完全に養殖された身。天然あわびや天然うなぎは強くしなやかだよね。尊敬の念を覚えるよ」


「そう来る!? やっぱ陽咲ちゃんは天然だ。あははっ」


 笑い転げるミキを不思議そうに見て、陽咲はこちらに向き直った。


「感謝してもしたりないのは本当だよ。迷惑ばかりかけてるけど、でも本当にありがとう。紡君」


「彼女の役に立つのは彼氏の仕事。フリでもそれは適用される」


 陽咲を納得させるためそんなことを言った。直後、陽咲の顔は紅潮し、ミキはからかいの表情を向けてきた。


「お兄クサっ。いつもそんなこと言ってんの? ガチウケるー」


 しまった。ミキもいるんだった。ついいつもの調子でやってしまった。


「乙ゲーバカにしてたけどお兄もソートーだよ」


「別にバカにはしてないだろっ」


「うん。紡君は私の趣味をとてもよく理解してくれてるよ」


 陽咲が俺をフォローすると、ミキはニヤけて意味深にうなずいた。


「へえ。よかったね陽咲ちゃん」


「うん! 紡君は本当にいい人なの」


 裏表なく褒め言葉を並べる陽咲の横で、ミキは俺にしか分からないよういやらしくアイコンタクトを送ってきた。


『やっぱお兄、陽咲ちゃんのこと好きなんだ〜。前途多難そうだけど。ぷぷぷっ』


 心の中で笑ってやがる! 他にない屈辱だ……!


 何か言い返したくなったがグッとこらえた。陽咲もいるしな。



 その後、陽咲は家政婦さんの車で帰宅することになった。結局、ミキの私物を預かる件は陽咲の強引な申し出により伊集院家のウォークインクローゼットに保管する運びとなった。


 帰り際に連絡先を交換しあい、陽咲とミキはすっかり友達だった。元から友達だった俺以上に二人は気が合ってる。


「陽咲ちゃんって可愛すぎる子特有の嫌味がないよね。それに初めて話す子なのに緊張もすぐ消えたし上手く言えないけどしゃべっててしっくりくる。年上なのに可愛いし。あ、これは性格がって意味ね」


 陽咲が帰った後、ミキはそんな風に言った。陽咲からもすぐにメールが来た。


《紡君はもちろん、ミキちゃんとも楽しい時間が過ごせて嬉しかった。紡君と敬語なしで話せたことも私にとって大きな進歩だったよ。お互いありのままの言葉で話せるっていいね。


 それにミキちゃんと仲良くなれたのも嬉しかったよ。初めて会うのに前から友達だったかのような不思議な気持ち。学校にも友達はいるけど、やっぱりどこか距離を感じるし付かず離れずの浅い関わりだったかもしれない。ミキちゃんにはそういう壁を感じなかったよ。そういう出会いが私にも訪れてくれるなんて思わなかった。本当に幸せだよ。ミキちゃんに引き合わせてくれた紡君とツムグに感謝してるよ。》


 今までもらった中で最も長く最も幸せそうな文面だった。読んでるこっちも知らず知らずのうちに頬が緩んだ。


 人ってそういう生き物なのかもしれないな。恋だけじゃなく友情も満たされて初めて自分への肯定感が強まる。陽咲もそうだったのかもしれない。



 次に二人が顔を合わせたのはそれから半月後。運営会社に訪ねる日だった。


 陽咲の厚意で家政婦さんが車を出してくれることになった。社長が指定した時間の二時間前に陽咲を乗せた車が家まで迎えに来てくれた。運営にはあの後連絡を入れて俺も二人に同席することを伝えたので問題ない。


「わざわざすみません。今日はありがとうございます」


 家政婦さんに挨拶し、俺はミキから先に後部座席に乗せた。陽咲宅の車は先日より大きめの国産ワンボックスだった。


「紡君はお休みなのに、今日は付きそってくれて本当にありがとう」


「大丈夫だよ。どうせヒマ人だし」


 そんなやり取りをする俺達を見て、ミキはまた意味ありげに目配せしてくる。その顔はやめてほしい。


「歓迎してもらえるっていってもやっぱ緊張するね〜。陽咲ちゃんは平気?」


「一人きりじゃないから。でもやっぱり緊張するよね。社長さんと会えるなんてまだ夢みたいで」


 最初二人はそうして和やかにしゃべっていたがそれは運営を訪ねるゆえの緊張を紛らわすためだったようで、家政婦さんがカーナビを見つつ運営会社のビルが近くなったことを告げると車内には途端に沈黙が満ちた。


 一人平常心でいた俺も無言になる。らしくなく黙りこくる二人に、つられた。


「着きました。お疲れ様でございました」


 車が到着した。目的のビルに面した歩道は広く一時停止の車が何台かあった。同じような灰色のビルが連立した都会の街並みの中に運営会社のビルは建っていた。路肩に車を止めた家政婦さんは一度車を降り、外から俺達の乗る後部座席のドアを開けた。


「行こう」


 先頭を切って俺は進んだ。陽咲とミキが強張った顔つきでついてくる。ビルはいくつかの会社が入った商業ビルで、今回俺達が出向く運営会社もそのうちのワンフロアにあるそうだ。


 今回初めて知ったが運営会社の名前はイグナイトというらしい。他にも色んな女性向けアプリを開発してる、業界では有名な会社。


 イグナイトのフロアは7階と8階。社長室のある8階までエレベーターに乗り、清潔すぎる通路を行くと磨りガラスに覆われたテナントが見えた。イグナイトのオフィスだ。そこだけ透明の自動ドアを通るとすぐ受付だった。


「先日社長に呼ばれた時永ときながと伊集院です」


「伺っております。こちらへどうぞ」


 受付にいた真面目そうな女の人により、すぐ社長室に案内された。


「わぁ、ここがイグナイト本社なんだぁ」


 ミキが小声で感動をあらわにしたフロア内はいくつかの部署に分かれている。パソコンのたくさんあるスペース。たくさんの書類が貼られたホワイトボード。いかにもオフィスという雰囲気がありながらアプリ制作をしていると分かるクリエイティブな空気も漂っている。


 スーツを着た人はほとんどいない。私服の大人がそれぞれのデスクで忙しそうに作業したり、オフィスの隅に固まり話し合いっぽいことをしてる。女性が大半だったが、思っていたより男性社員も多かった。


 家からそう遠くない土地にアプリ会社があるというのが不思議だった。こういうことでもなければ見ることのできなかった作業風景。アプリを作るのにはこんなにたくさんの人の力が必要なんだな。大変そうだけどそれ以上にみんな楽しそうだった。疲れた顔をしてる人もそうじゃない人も一様にイキイキしてる。


 アプリ配信停止に至った事情をますます知りたくなった。あんなに必死に作ってる物がアッサリなくなったら、働いてる人達もやる瀬ないだろう。



「おかけ下さい。お飲物は何がよろしいでしょうか?」


 俺達を社長室のソファーに座らせると、受付の女性は一礼して自分の持ち場に戻っていった。役目をバトンタッチするかのごとく、社長秘書を名乗る女性が現れた。


「もうしばらくお待ち下さい。お飲物は何がよろしいでしょうか?」


 母さんと同世代の秘書は俺達に飲み物を持ってきた。社長は会議中らしく、もう少しでここへ来られるとのこと。


『この人、見たことある気がする……。ううん、そんなわけないよね』


 秘書のことだろうか? ここへ来てずっと静かだった陽咲は、遠慮がちに、でもしっかりと秘書の顔を盗み見ていた。


「陽咲、どうかした?」


 能力が発動したことはあえて言わず訊いてみたが、陽咲は困ったように首を横に振り何でもないと答えた。気になるけど、こんなところに陽咲の知り合いがいるわけない。とりあえず社長が来るまで俺達は言葉少なくジッと待った。


 それきり心の声は聞こえなかったけど、陽咲の様子はいつになくソワソワしていた。好きアプリの制作会社に来たせいではないだろう。俺も何となく気持ちが落ち着かなかった。妙な感じがする。社長に招かれたとミキに言われた時に覚えた違和感が、サーッと胸に広がり始めた。


「お待たせしてごめんなさいね。あなたがお電話くれた時永さんとそのお兄さんかしら?」


 陽咲の名前は聞いてないのだろうか? 颯爽と現れた女社長はミキと俺の顔を見、陽咲の方には少しも目をやらなかった。


「はい。時永ミキです。こっちが兄で、兄の隣にいる子が伊集院陽咲さんです」


 ミキは勢い良く立ち上がるとこわばった面持ちで俺達を紹介した。俺と陽咲もミキに合わせて立ち上がり社長を見た。いかにも仕事ができるって感じの、キャリアウーマンそのものな女性だった。ベリーショートの髪が端正な顔をより美しく若々しく見せている。


「ようこそイグナイトへ。今日はありがとう、わざわざ来てくれて。あなた達のことは少し前から知っていたわ」


 どういう意味だ? 変なことを言われ背筋が冷える。ミキも不安をあらわにしてこっちを見た。


 女社長の言葉に俺達が何か返す前に、


「でも、あなたには会いたくなかった」


 女社長は言い陽咲の方を見た。その顔は笑っているものの瞳は悲しげに細められていた。


河南かなんさん……」


 女社長を見つめる陽咲の声は悲しみに震えていた。


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