13 背中に響く声
昼間とは別の家政婦さんが車で家まで送ってくれた。
車の中でミキにLINEをした。陽咲が夕食を用意してくれたことや彼女がウチで夕食を摂ることになったと伝えると、ミキは大喜びしていた。
《お兄の彼女優しいー! あげぽよ♩》
何があげぽよだ。既読スルーしてやろうかと思ったら間もなく次のメッセージが来る。
《今私しかいないよ。よかったね♩》
全然よくないっ。母さんや姉さんがいたら何かしら夕食を用意してただろうから陽咲がウチに来ることもなかったんだ。
だいたい予想はしてたが、ミキからのLINEによると母さんは職場の飲み会で帰宅が深夜になるらしく、姉二人も似たような理由でまだ帰ってないそうだ。
「可愛い文面ですね」
俺のスマホを見ていた陽咲がにこやかに言った。
「今だけだよ。いつもは一人で好きなことに夢中なヤツだから邪魔されたと思うとすぐ怒るし」
「好きなこと、ですか?」
「陽咲と同じにするのも悪いんだけど、アイツも恋愛ゲームが好きで小学校の頃から色々やってるみたい。で、今もイケメンキャラが出る深夜アニメは欠かさず録画してる。用事で声かけると即不機嫌」
「そうだったんですか…! こんな身近なところに同じ趣味の方がいるなんて嬉しいです!」
あれ? 話が思わぬ方向に行ってる!?
俺としては、ミキはLINEのメッセージほど可愛いヤツではないと伝えたかったのだが、陽咲はそう受け止めなかったようだ。それどころか同じ性質の仲間を見つけたと思い頬を緩めている。
「妹さんのお気持ちすごく分かります。夢中になると他が見えなくなってしまうんですよね〜」
「それはそうかもだけど、ミキのは筋金入りだから」
こうして話しててハッとした。このまま陽咲をウチに連れてくのはヤバくないか? 家に帰れば確実にミキがいる。
ミキは自分のハマったものについて言葉巧みに解説し、それを母さんや友達に勧めることで信者を増やす。姉二人はミキの毒牙をやんわりかわすスキルを持ち合わせていたので何の影響もなかったが、陽咲はかっこうの餌食じゃないか!? 何せ人を疑うことを知らない。
少し前、ミキは黒魔術に興味があると言ってた。そういう変なモノに陽咲が影響されたらまずい。
「あのさ陽咲。帰ったらミキとは別の部屋で夕食にしよ?」
突然そんな提案をする俺に、陽咲はとがめるような顔をした。そんな顔をされたのは初めてでドキッとした。
「ダメですよ。一人でお食事させるなんて」
「でも、アイツ陽咲に迷惑かけるかもしれないし……」
「そうなった時はなった時です。私なんて紡君にたくさん迷惑をかけました。恩返しさせてほしいんです。こんなことでしか私は役に立てませんから。それに……」
凛々しい顔で、陽咲は微笑した。
「妹さんも一人でお留守番は寂しいのかもしれません。私もそうでしたから」
卑怯だっ! やや憂いを帯びた優しい眼差しでそんなことを言うなんて。こっちは断れないじゃないかっ!
「わ、分かったよ。ミキと一緒にご飯食べよ」
「はい……!」
ああもうどうにでもなれっ。
まあでも陽咲なら大丈夫かもしれないな。陽咲は俺なんかより断然心が広いし、ミキが多少変なことを言っても丸く収めてくれるかもしれない。俺の方は気が気じゃないけど。
それに、陽咲が望むことをしてあげたいって気持ちは変わらない。陽咲がそうしたいなら俺は全力でサポートするまでだ。頼むからミキ、変な言動はしないでくれよ?
祈るように考えていると、
『妹さんとの食事も楽しみだけど、紡君と二人の食事も楽しいんだろうな。断って申し訳ないよ……。だって、男の人の家で二人でご飯を食べるなんて緊張する。こういうこと初めてだし……。ドキドキしてきた』
陽咲の心の声が聞こえた。緊張。その単語を耳にし俺まで緊張してきた。
さっきも二人きりで陽咲の部屋にいたんだけど、非現実的な内装にこっちは緊張する暇がなかった。陽咲も陽咲で平常心だった。自分のテリトリーに圏外の男がいても別に平気。どうってことなかったんだろう。
でも、これから先は俺の領域。何が待ち受けてるのか分からない。陽咲にとっては未知の世界だ。
「大丈夫。ミキもいるし。さっきだって二人きりになっても何もなかったでしょ?」
「すみませんっ。決して変なことを考えてるわけではないんですが、ついっ」
そのくらい緊張されてる方が男としては嬉しいけどね。とは、言わなかった。
「こっちこそごめんね。勝手に陽咲の気持ち聞くようなことして」
これは本心。陽咲だって今のは聞かれたくなかっただろう。
「いえ、紡君が悪いのではありません。それに私はその能力を支持する人間の一人ですから」
「なんか大々的な組織に対する発言みたいだね」
どうして俺にだけこんな力がついたんだろ。俺だけでなく、実は他にもこういう能力の持ち主が世の中にはいたりするのだろうか。
「到着しました。お疲れ様でございます」
家政婦さんの事務的な声が告げ、陽咲と俺は目を合わせた。
「お帰りの際はお電話下さいね」
陽咲に告げ、家政婦さんはいったん帰路に就いた。車が遠ざかると、陽咲は覚悟を決めたように俺の自宅を見上げた。
「ここからいよいよ本番ですね……! 心して行きましょう」
「ラスボス前の冒険者みたいなセリフだね」
ツッコミつつ合鍵で玄関の扉を開けた。伊集院邸に比べたらささやかな一軒家だがボロくもない。そのことに胸をなでおろしつつ、いつもより大きめの声で帰宅を告げた。
「ただいまー」
すぐにドタドタと騒がしい足音がして、ミキがスマホ片手にやってきた。兄の彼女を見たいという好奇心と単純な食欲にまみれた妹は、陽咲を視界に入れるなりすっとんきょうな声を出した。
「お、お兄の彼女!? この人が…!!」
「初めまして。伊集院陽咲と申します。夜分遅くに押しかける形となり本当に申し訳ございません」
綺麗な姿勢で礼儀正しく頭を下げる陽咲に、ミキは恐縮した。
「そんなっ、頭上げて下さいっ。妹のミキです。来てくれて嬉しいですよ。上がって下さい。ね?」
「それでは、お言葉に甘えて……。お邪魔します」
一度腰を下ろし靴を揃える陽咲を見て、やっぱり育ちがいいんだなぁとしみじみ感心してしまった。こんな仕草をする女子を今まで見たことなかった。ミキも惚けた顔で陽咲を見つめていた。
「あの、本当にお兄と付き合ってるんですか?」
「はっ、はい。そのおつもりです」
ミキの前でウソをつくのはやっぱり抵抗があるらしい。答える陽咲の声は震えそうになっていたし全身カチンコチンになっていたが、その辺鈍感なのかミキは陽咲の言葉を疑うことなく、俺達の交際に感激した。
「こんな可愛い人がお兄の彼女なんて! 正直ビックリなんですけど嬉しいですっ。眼福です」
眼福って。どこのオッサンだよ。同性だろ。陽咲を見る目がいやらしいぞ。
心の中でミキの様子にツッコミを入れたくなったのは俺だけらしい。幸か不幸かそういうことに陽咲は鈍く、ミキの歓迎を受けニコニコと嬉しそうに笑った。
「お目を幸福にできて光栄です。ミキさんもとても可愛いですよ」
「そんなことないですよ〜! でもありがとうございまーす。どうぞこっちへ」
ミキは陽咲の手を取り奥のダイニングに促した。こんな人懐っこいヤツだったか? 陽咲は気を悪くした様子もなく素直にミキの案内を受けた。
ダイニングのテーブルに、陽咲が持って来てくれたビーフシチューと炊きたてご飯、サラダ入りのタッパーを並べ、その中から人数分の料理を取り出し皿に移した。いつもこういうことは全部人任せなのに今のミキは積極的に動いてる。
「あの、敬語やめてもいいですか? 慣れなくて。陽咲ちゃんもタメでいいから」
「分かりました。慣れない話し方は大変ですよね。そうします」
「さっそく敬語」
「あっ、そうだね」
照れ笑いを浮かべる陽咲に、ミキもニコッと笑いかけた。
この二人打ち解けるの早! 俺ですらまだ陽咲に敬語をしゃべらせてるのに。敬語じゃない陽咲の言葉を俺は初めて聞いた(心の声では聞いてたけど)。
器用な妹に軽く敗北感を覚えているうちに食事の準備は整った。俺が人数分のお茶を淹れていると、
「私もやります」
陽咲が戸棚からグラスを出そうとした。
「いいよ、陽咲は座ってて」
「でも……」
「今はお客さんでしょ?」
「ありがとうございます。それでは……」
ニヤニヤと俺達を見ていたミキがからかうように言った。
「陽咲ちゃん、美少女なのにお兄に敬語なの?」
「『美少女なのに』は余分だろ」
すかさずツッコむ。
「だってー、陽咲ちゃんほど可愛い子は男を下僕にするのがセオリーじゃん」
「女尊男卑も甚だしい。それはどこの世界の常識だ」
「ウチのクラスにいるよーそういう子」
「まあ世界は広いしな。でも陽咲はそういうタイプじゃない」
彼氏として陽咲の名誉は守らねば。
「まあそれはほとんど冗談なんだけど」
冗談レベルが重い・・・! 一男としてうっかり居心地悪くなりかけたわ!
「二人付き合ってるならタメでしゃべればよくない?」
「私が年下だからっ」
陽咲が一生懸命な様子で口を挟むも、ミキはマイペースを保ち質問攻撃を続行。
「陽咲ちゃん高校何年なの?」
「1年だよ。紡君は2年生だから」
「なーんだ、そんな変わらないじゃん。主従関係じゃないんだしタメでしゃべればいいのに」
「そ、そうなのかな?」
ドキドキソワソワといった顔で陽咲は俺の様子を伺った。ミキの言う通りにして大丈夫なのか、俺にタメ口を利いていいのか、そう訊きたそうな顔だった。
「そうだね、いいと思う。俺は別に年上ぶる気ないし、上下関係とは無縁の生活してきたし」
陽咲はおそるおそる俺を見た。
「で、では。つ、紡君。えっと、あの……」
敬語をやめようとしたものの、何をしゃべればいいか分からないらしい。話題を探すべくキョロキョロと辺りを見回し、自分の席に用意されたビーフシチューを見やる。彼女はとことん不器用だった。
「ビーフシチュー、好き?」
それが、初めて陽咲が俺に向けたタメ口だった。初めて敬語ナシでしゃべる緊張感からか陽咲の頬は紅潮していて、こっちの様子を伺っているせいか上目遣い。そんな顔で「好き?」と訊かれたら変な勘違いをしてしまいそうになる。違う! ビーフシチューへの心情を尋ねているだけだっ。動揺するな!?
「うん、好きだよ。いただきます」
ポーカーフェイスを作って答え、俺はスプーンを手にした。何か顔が熱い気がするけど無視だ。一見普通のビーフシチューなのに、口にしたビーフシチューは今まで食べたことのあるものとは全然違っていた。
「うまっ! 何これ!」
柔らかい肉、深いコクのあるルー。
「ホントだ! 高級レストランとかで出てきそうな味! 陽咲ちゃんが作ったの!?」
ミキも感激してる。
陽咲はホッとしたように息をつき、ミキと俺の顔を交互に見た。
「よかったです。いつもは家政婦さんの方に全てお任せしているのですが今日は私がルーのブレンドを申し出ました」
「へえ! ビーフシチューのルーって作れるんだ、すごーい! ウチは市販のルーしか使ったことないよ〜。てか陽咲ちゃんてもしかしてお嬢様? 家政婦さんて!」
コロコロ関心の矛先を変え、ミキがスマホを手にする。
「ご飯中にスマホ触るのダメだっていつも注意されてるだろ? 今日の夕食はせっかく陽咲が持ってきてくれたのに」
軽く注意するのも無視で、ミキはスマホ片手に陽咲を見た。母さんに言われるとすぐやめるのに。困ったヤツだ。
「陽咲ちゃん、名字は?」
「伊集院です」
「おお、それっぽい名前だね。昔お母さんが好きだった恋愛ドラマに出てくる主人公のお嬢様も伊集院なんとかだったって。伊集院、伊集院……」
スマホガン見か。小声で陽咲に謝ると「気にしてないから」と微笑んだ。可愛い。笑顔はもちろん、今は言葉に壁がないからよけい可愛く見える。やっぱりその人の素の口調っていいなぁ。不意に聞いてしまう陽咲の心の声は当然ながらタメ口だったけど、こうして空気を振動させて響く生の声は格別だ。心にしみわたる。
陽咲から敬語を取ってくれた感謝を込めて、今だけはミキのながらスマホを見逃した。今までも、敬語なしで会話する自分達を想像したことはあるけどうまく思い描けなかった。敬語は彼女らしさなんだとも思ったし、下手にタメ口会話を強制したら陽咲のアイディンティティーを否定することになるんじゃないかとも思った。考えすぎだったみたいだな。最初はどうなることかと思ったけど、ミキには感謝だ。
ところで、ミキは何をそう熱心に見てるんだ? スマホをタップしながらもう片方の手でビーフシチューを食べるという器用技を平然とやってのける。最近自転車スマホが社会問題になっていて、この前結音もスマホを操作しながら自転車に乗ったサラリーマンにひかれそうになったとグチっていたが、そんなサーカス技みたいなこと俺にはできそうにない。できてもしないけど。
しばらくしてミキはスプーンを置いて食事を中断すると、スマホの画面を俺と陽咲に見せてきた。
「あった! 伊集院ホールディングス! 検索したら出てきたよ。陽咲ちゃんちの会社?」
「そこは祖父が会長をやってる会社なの。親は二人とも別の仕事をしてるよ」
「おじいちゃんがお金持ちの大本かぁ。すごーい! 家とかもおっきい?」
興味の対象が陽咲なのか金持ちなのか知らないが、ミキは平常運転でガンガン迫る。母さんが見たら「よそ様のお嬢さんに向かってそんなはしたないことしない!」と一喝するところだ。本来俺も兄としてこの場にいない母に代わりミキの言動を窘めるべきなんだろう。しかし今はそんな気になれなかった。ミキのもたらす情報に興味が湧いたからだ。
母さんの思考をうけついだのかどうか知らないが俺もこういう質問を人にするのは苦手だから、ここまでプライベートに踏み込むようなことは聞けない。陽咲が実は二次元好きだとか自室が常軌を逸しているだとか興奮すると色々ヤバいことになるだとか、別の方向で彼女のプライベートを知ってしまった感はあるが。
とはいえ、陽咲のことをもっと知りたいってのは俺の勝手。誘拐の件もあるし陽咲はあまり家のことは話したくないかもしれない。
「ミキ、初対面で突っ込みすぎ。やめろって」
注意し陽咲を見ると、その顔は思っていたより穏やかだった。むしろ、なんかちょっと嬉しそう!?
「自分の名前を検索されたのは初めてだから少しビックリしたよ」
え、そっちに驚くの!? 陽咲は知らないだろうけど、陽咲の存在を知る近隣の輩は必ず一度は彼女の名前や関連項目をググってると思う。陽咲に目を付けてた時の結音もそうだった。
しかし、そこは陽咲。自分の存在がネットに拡散されてることなど思いもしないだろう。それら全てファンだか親衛隊だかの仕業なんだろうけど、美綾の警護もあって変なことにはなってない。今後も陽咲の安全が守られるよう俺も気をつけよう。
美綾に教わった空手を思い出し脳内復習する俺の前で、女子二人は盛り上がっている。
「やっぱり自分の部屋って広いの?」
「広いかどうかは分からないけど……。ミキさんは広い部屋がほしいの?」
「ミキでいいよ〜。うん、部屋は広い方がいいなぁ。クラスの友達にもお金持ちの子がいてその子んち遊びに行ったことあるんだけど、好きな物全部コレクションしても余りある広い部屋でさー。カルチャーショックならぬファミリーショック受けたよ」
いつそんな日本語ができたよ。まあ言いたいことは分かるけど。生活に支障ないとはいえウチは狭いもんな。ミキみたく収集癖はないが油断すると部屋がゴチャゴチャして掃除が面倒なので、俺も新しい物を買う時は古い物を優先的に処分するようにクセづけた。
「コレクションかぁ……。ミキちゃんも何か集めてたりするの?」
「うん。気に入った乙ゲーは全部買うし友達がくれた同人誌とかもあるんだけど、今の部屋じゃ全然足りなくてさー。余分なのは捨てろってお母さんは怒るし、でも捨てたくないじゃんねー」
そういえば、ミキと母さんは先日何かケンカしてたな。そのことだったのか。
「分かるよ。そういうのって捨てたくないよね」
陽咲は同情的な眼差しでミキに共感した。
「もしよければ、ミキちゃんの宝物を私の家で預れるけど、どうかな?」
「ええ!? いいの!?」
思いもよらぬ方向に話が飛んだ。
「ウォークインクローゼットの空きもいくつかあるし倉庫も。鍵もあるからプライバシーも完璧に守られるよ」
「嬉しいけど、でもいいの?」
魅力的な提案らしいが、さすがのミキもやや遠慮してる。陽咲は厚意のつもり、それはもちろん分かってるけど、一般人的庶民な価値観しか合わせ持たない妹と俺は、陽咲の太っ腹発言に乗っかることは図々しいことこの上ないという意識が先に立つ。プライベートなことには遠慮なく踏み込んでいくミキでも、そこはわきまえていた。
「ごめんね。迷惑だった?」
陽咲の寂しげな顔を見て、俺達兄妹は全力で否定した。
「そんなことないよ、陽咲ちゃん! こっちは助かるけどそこまでお兄の彼女に迷惑かけられないっていうか……。そんなつもりなかったからビックリしたよ」
「そうだよ陽咲。ミキのは単なる趣味だしそこまで迷惑かけられない。気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとね」
これで話はおさまるかと思ったが、そうはいかなかった。
陽咲はメラメラと情熱の炎を瞳に宿し、力を込めて言った。
「紡君、それは違います……! 『単なる趣味』ではありません。恋愛ゲームのソフトをはじめ、それらに付随するグッズは私達にとって体の一部と表現しても足りないほど生命維持に関わる重大な要素なんです……!」
「いやそれは大げさ。陽咲ちゃん、急にどうしたの!?」
それまで清楚さ成分オンリーだった陽咲の変わりっぷりに驚いたミキは、俺と陽咲の顔を交互に見やった。そりゃそうなるよな。陽咲を一目見て初対面から眼福とか言ってたくらいだ、ここまでオタクフルな陽咲に良くも悪くも衝撃を受けたに違いない。俺なんかはだいぶ慣れたけど、それでも陽咲の突拍子ない言動にはビックリさせられてばかりだし。
と、のんびり思考してる場合じゃないな。戸惑ってるミキに、陽咲は熱弁を続けている。
「ミキちゃん。私は少しも迷惑だなんて思ってないよ。むしろミキちゃんの好きなものを守る力になれるのならとても嬉しいの」
「確かに捨てたくない物ばかりだから陽咲ちゃんの提案は嬉しいけど……。どうして自分のことみたいにそこまで必死になれるの?」
ミキはうろたえた様子だ。それはそうだよな。同性の目にまで潤いを与えるほどの美しい容姿を持っていようが陽咲は超絶変人だ。いくらクラスで人気の乙女ゲームをやっていようと、ミキの同級生に陽咲ほどの熱烈プレイヤーはいないだろうし。
陽咲は動じることなく主張した。
「出会ったタイミングは関係ないの。宝物を失って悲しむミキちゃんの顔は見たくなかった……。私、経験あるから……」
陽咲は語った。
彼女も昔、当時大切にしていた推しメンのイラスト入りボールペンを手放さなければならない事態に直面したそうだ。自室の机に置いてあったそれは、学校に行っている最中に脇のごみ箱に転げ落ち、清掃作業に当たっていた家政婦さんの手によってゴミごと処分されてしまった。
基本的にゴミ箱の中は探らない。それが伊集院家に勤める家政婦の決まり事なので、ボールペンに気付いても捨てるしかなかったと、後に家政婦さんに謝られた。
家政婦にも色々と就業規則があるそうで、良かれと思い雇い主のゴミから使えそうな物をよけておいたらクビになったという例もあるとか。伊集院家も例外ではないらしい。陽咲もそれは分かっているのでその家政婦さんを責める気にはならなかったが、愛用品を失った悲しみはなかなか癒えなかったという。
「本当に手放したくないものは傍に置いておいてほしい。あの身を引き裂かれるような思い、ミキちゃんには味わわせたくないよ。好きなもの、心惹かれるもの、それらは全部縁あって巡り合ったはずだから……!」
「陽咲ちゃん……」
ミキは驚きと喜びがないまぜになった顔で陽咲を見た。とてもいいことを言っているけど、これでは陽咲が重度の二次元好きだとバレてしまうかもしれない。陽咲がヒートアップした分、俺はヒヤヒヤした。
ミキが尋ねた。
「もしかして、陽咲ちゃんもゲームとか好きなの?」
「大好き。その言葉では足りないくらい愛してる!」
「そうなんだ! ガチで?」
「もちろん!」
陽咲の目はまっすぐミキの顔を見据えている。迷いのない色。ツムグに一途な想い。
「そっか、そおなんだぁ。まだちょっと信じられないけど、陽咲ちゃんみたいな子でも恋愛ゲームやりたいとか思うんだね」
ミキは感慨深げに目を丸くした。初めて珍しい動物を見た小学生のような顔だ。
まあでもミキの心境は分かる気がする。俺も、結音と共に出向いた白女の校門前で初めて陽咲を見た時、二次元の男にのめりこんでる子だとはカケラも想像しなかった。
しかし、当の陽咲は自分の魅力に自覚なし。ゆえに、ミキの顔から困惑が消えない理由も分からないままでいる。
「私がゲームの男の子を好きになるのはそんなにおかしいかな? あ、気を悪くしないでね? 怒って訊いてるわけじゃないの」
純粋に疑問なんだろう。身近な美綾にもツムグのことは反対されてるもんな……。陽咲は救いを求めるようにミキを見つめる。
「おかしくはないけど、陽咲ちゃんってモテそうだからさー。可愛いし、しょっちゅうクラスの男子とかに告られたりしない?」
「小学校から女子校だからそういうのは……」
「女子校!? そうなの? もったいない! って、今はそれはおいといて、今だってお兄と付き合ってるじゃんね。共学でもカレカノできない人がいる中で、女子校なのに彼氏できてる陽咲ちゃんはやっぱりリア充の最高峰だよ。そういう子って二次には無関心なんだと思ってた。だから意外すぎる」
聞くと、ミキのクラスのモテ女はリアル男子にしか興味がなく、自分に告ってくる男子と手当たり次第に遊んでいるうえ、二次元好きな女子を子供っぽいとバカにしてるそうだ。二次元うんぬんの価値観は人それぞれだから文句は言えないが、同じモテ女でもミキの同級生より陽咲の方が何倍も好感度が高い。
ミキも同じことを思ったようで、うんうんとうなずき好意的なまなざしで陽咲を褒めた。
「その子より陽咲ちゃんの方がずーっと可愛いけどね! 顔もだけど、性格もいいっぽいもん」
「……ごめんなさい。そんな風に言ってくれて本当に嬉しいけど、私ミキちゃんにウソをついてた……!」
陽咲はすがるように俺を見る。その目に、もうウソはつけないと書いてあった。
「恩人である紡君のご家族にやっぱりウソはつけないよ。話合わせてくれてたのに本当にごめんなさい……!」
「俺はいいけど、陽咲はいいの?」
陽咲はコクンとうなずいた。それでいいのかもしれない。ミキに本当のことを話したところでナンパよけの妨げにはならないだろう。それに、陽咲はこういうウソを長く続けられるタイプじゃない。同じ趣味を持つミキの前で俺の彼女のフリをさせるのも酷だ。
「恩人とかウソって何のこと?」
ミキがいぶかしげにこっちを見る。
「ミキちゃん。私、本当は紡君とはただのお友達なの。彼女だなんてウソついてごめんなさい……!」
「ちょ、陽咲ちゃんやめてよっ」
45度に腰を曲げ頭を下げる陽咲を、ミキが慌ててやめさせた。
「そうだよね、少しおかしいとは思ったんだ。彼氏いる子って彼氏に夢中ってイメージだけど陽咲ちゃんってそういう感じじゃなかったし。だからってわけじゃないけど、ウソとか思ってないから気にしなくていいよ」
ミキはあっさりした様子で陽咲に理解を示し、その後苦笑いで俺を見やった。同情とも呆れとも取れる顔つきだ。なるほどな。先日彼女ができたとほのめかした兄に妹として思うことがあるのだろう。どんなことを思われているかだいたい想像はつくが後々突っ込まれるのは目に見えているので、今は考えないでおこう。
「でも、どうしてそんなウソを? 彼氏役頼むなら何もお兄じゃなくても、陽咲ちゃんなら男選び放題じゃない? お金あるならレンタル彼氏でも呼べばいいんだしさ」
「レンタル彼氏って未成年の利用は禁止だろ、多分。よく知らないけど」
「お兄はちょっと黙ってて」
肩をすくめ、俺は二人の会話を見守ることにした。
陽咲は申し訳なさそうに俺に目配せすると、ミキにこれまでの事情を話した。ほとんどありのままの説明だったけれど、俺の能力のことは伏せていた。女性の心の声が聞こえる力だなんていくら妹とはいえ信じないだろうし、仮に信じるのだとしても俺は言いたくない。これからも陽咲以外にこのことを話す気はない。
こうしてミキに俺達の事情を打ち明けるのは予想外の展開だ。事前に打ち合わせたわけでもない。それなのにデリケートな部分でとっさの配慮をしてくれた陽咲には頭が下がる。いつもはツッコミどころ満載で危なっかしいけど、こういうところが素直にすごいと思う。陽咲は大人だ。
「出会った頃からたくさん迷惑をかけてしまったけど、紡君はいつでも私の気持ちを理解し尊重してくれる、大切なお友達なの。だからって甘えすぎかもしれないけど……。今後紡君が困る事態になったら、私はどんなこともしたいと思ってる」
「だからご飯まで持ってきてくれたんだね」
話してるうちに食べ終えたビーフシチューの皿。全員分きれいに平らげたあとがある。
「彼女とはいえ優しすぎる気はしたけど、なるほど。恩人ってそういうことかー。陽咲ちゃんまさかの恋愛アプラーかー」
ひととおり陽咲の説明を聞き、ミキは納得したようだ。そして、仲間を見つけたとテンションを高めた。そう、陽咲とミキは同じ恋愛アプリにハマってる。同士ってやつだ。それが発覚すると二人はさっき以上に互いへの親近感を深めた。
「陽咲ちゃんはツムグ派かー! ツムグは優しいし自然に甘いセリフ言えるとこがかっこいいよね! 私はタケル推しなんだけど」
「タケルはワイルドだよね。私はツムグルートしかクリアしないと決めてるからタケルルートの本編は未読だけど、スタート時の共通ルートで流れるタケルのプロフィール見たら凛々しい雰囲気だった。一番目立つよね」
こういうところ、女子ってすごい。陽咲もミキも俺の前では推しメン以外には興味なさげだったのに、今は相手の好みに共感するかのような話し方をしてる。
「でも、ショックだよね……。『恋に迷いしプリンセス』、夏にはアプリ配信やめちゃうし。発売中のポータブル版も年内に生産中止になるって。そこまでしなくてもよくない?」
「配信停止……!?」
陽咲の顔から穏やかさが消失した。みるみる青くなっていく。
「ミキちゃん、今日はエイプリルフールだったかな……?」
「陽咲ちゃん、目から光が消えてってるよ! もしかしてこのこと知らなかった!? ごめんっ。そんなに好きならこのことも知ってると思って」
ミキが必死に呼びかけるも、陽咲は無反応。
「お兄、どうしよ~」
ミキはすがるようにこっちを見る。陽咲は正体不明のウイルスにやられてフリーズしたパソコンの画面みたく固まったままだ。
「それ、たしかな情報か?」
「公式サイトの重要なお知らせに書いてあったんだよ。タケルの続編速報くるの期待して毎日アクセスしてたから、私」
「熱心さは陽咲に負けてないな。でもじゃあ何で陽咲は知らなかったんだ……?」
「公式見てないのかなぁ。声優さんのイベント情報もしょっちゅう更新されるから好きな子はだいたい見てるんだけどね」
ミキは困惑を極める。
陽咲とばかり接してたから気付かなかったけど、こういうアプリが好きな女子は自然と推しキャラを担当してる声優にも関心が向くんだよな。ミキはそのタイプ。でも陽咲は違う。
「陽咲は声優とかに興味ないんだ。好きなのはあくまで物語内のツムグだけで」
「そうなんだ……。お兄、ちょっと」
俺の腕を雑につかみ、ミキは奥の和室に小走りした。陽咲の前では言えないことでもあるらしい。
陽咲の気配すら断ち切って連れ込まれた和室は当然だが静かだった。父さんの仏壇だけが置いてある六畳の和室は外灯の光だけが漏れ、薄暗く寂しい感じがする。
「お兄、前に訊いてきたよね、ツムグのこと」
覚えてたか。
「そうだっけ。忘れた」
「……まあいいけど。お兄、どうする? 陽咲ちゃんあのままだとかわいそうだよ。あそこまでショック受けると思わなかったから……」
ミキなりに陽咲を慰めたくて必死だ。
「変わった子だけど可愛いし、今まで周りにいなかったタイプだけど、私陽咲ちゃんのこと好きだから」
「ディスってんのかアゲてんのかどっちだ」
「細かいことはいいの! アプリのことどうにかできない? 見せかけだけとはいえ一応陽咲ちゃんの彼氏やってるんだから少しはいい意見あるでしょ?」
「無茶言うな。アプリ会社の決定事項を一介の高校生が覆せるわけないだろ」
「冷たーい。ナンパよけの名目とはいえ可愛い彼女が困ってるのに見捨てるんだ~。そんな兄に育てた覚えはないけど」
「俺を育てたのはそこに眠る父さんと今仕事に勤しむ母さんだ。それに陽咲を見捨てるとは一言も言ってないっ」
遺影の父さんと目が合う。肩をポンポンと叩かれ励まされてる気がした。
ミキはいつになく神妙だ。
『せっかく陽咲ちゃんと友達になれそうだったのに……。このままアプリがなくなったら、陽咲ちゃんあんなんだしなんとなく気まずくなりそう。そんなの嫌だな……』
ミキの心の声を、俺は初めて聞いた。ここまで深く陽咲を心配してくれてたのか……。
黙る俺を見て諦めたのかミキは、
「もういいよ。自分で何とかするから」
拗ねた口調でダイニングに戻ろうとする。悲しげなその背中に、俺は提案した。
「ダメ元で運営会社に問い合わせてみるか。俺が連絡してみるから」
「お兄……」
振り返り、ミキは信頼感に満ちた眼差しをこっちに向ける。
「このままじゃ後味悪いしな」
それに、何もしないなんて言ってない。
陽咲のいるダイニングに戻るべく和室を出ようとした時、
「お前には必要のないものだったな。紡」
父さんの声が聞こえた。……ような気がした。