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すっかり冷え込んだ今日この頃。雪が降り出しそうな空を見つつ、私は自室でホットチョコレートを口にしていた。
ホットチョコレートの、その甘い口当たりに思わずパタパタと足を動かす。美味しい。これめちゃくちゃ美味しい。
そうやって一人でホットチョコレートを味わっていると、誰かが扉をノックした。
「芽衣香お嬢様、隼人様がいらっしゃいました」
「隼人様が? お通しして下さい」
それだけ言うと、すぐに扉が開かれる。
「芽衣香、遊びに来てやったぞ」
12歳に成長した隼人は、そう言って笑った。
あの事件からずいぶんと時が流れ、気がつけば私たちは小学6年生となっていた。もうすぐ卒業なのである。
隼人は私の横に座って、メイドが用意したホットチョコレートを一口飲む。外が寒かったからか頬が赤い。思わず触ってみると、案の定冷たかった。
「隼人様、寒くないですか?」
「大丈夫だ。芽衣香は風邪引いてないか?」
ホットチョコレートを一旦テーブルに起き、隼人は私のおでこに触れた。ひんやりとした指先が心地いい。
「もう、そうやって子供扱いするのは止めてって言っているじゃないですか」
「でも、この前だって熱だしたろう」
うっ、と苦い顔をしてしまう。痛い所を突かれてしまった。
六年生になっても、私の体は病弱なままである。お父様をなんとか説得して運動はしているのだが、それに比例して熱を出す機会が増えてしまった。
体も相変わらず華奢で、身長は平均的にあるのだが、お肉がついていないからか余計に病弱に見えてしまう有り様。
ついこの前も熱を出して学校を休んでしまい、散々お父様に心配をかけたばっかりだ。
「もう大丈夫です。治りましたから」
「ぶり返さないようにあったかくしてろよ」
まるで私を妹のように世話を焼く隼人。最近その過保護っぷりがお父様にだいぶ近づいてきたと思う。
最近の隼人は、ゲームの中の顔にだいぶ似てきた。小学校一年の頃は可愛らしい顔立ちだったのに、少しずつ精悍な顔つきになって、身長も伸びた。
行動も会話も大人びて、昔の元気な隼人の面影は薄れつつある。
そして、あの町田さん事件以来、私は隼人の家で遊ぶ事が無くなった。
きっと彼なりに思う所があるのだろう。隼人が私の家に足を運ぶようになったのだ。
あまり私の移動時間を増やさないようにして、誘拐の危険性と体への負担を減らしたいというお父様の考えを汲み取ったのかもしれない。桃李もまた同じで、隼人と一緒に私の家に遊びに来てくれるのが常となった。
「もう、隼人様もお父様も、みんな過保護なんだから!」
「すぐに体調崩すお前が悪い!」
「でも昔よりは減りましたわ」
「ほう、じゃあ芽衣香、今年はお前何回風邪をこじらせて寝込んだ?」
「…………」
上から睨まれて、思わず視線を外してしまう。たらりと冷や汗をかく私と目線を合わせる為に、隼人は私の顎に手を添えた。
ぐいっと上を向かされ、彼の黒目と視線が合い、慌てて目線だけでも軽く逸らす。
「何回だ?」
「……じゅ、10回……」
「そうか。ちなみに俺が今年風邪を引いた回数は0だ」
「……ほら、昔からなんとかは風邪を引かないと……」
「もっかい言ってみろ」
「いひゃい! ほほをひっはらはいれくらひゃいはやひょひゃま!!」
むにょーと両頬を引っ張られ、慌てて隼人から距離を取ろうとする。むにむにと頬をつまむ隼人は、逃がさないとばかりに右手を私の頭の後ろに回した。
そのまま、だんだんと顔が近づいてきて……、ドアの開く音が聞こえた。
「く、曲者!! お父様の芽衣香に不埒なまねをする曲者が!!」
お父様だった。お父様は元気に吠えて私と隼人の間に割って入り引き剥がした。
ふう、危うく頬が伸びる所だった。
「ありがとうございますお父様。危うく隼人様の毒牙にかかる所でしたわ……」
「大丈夫だよ芽衣香!! こいつは警察に突き出すからね!!」
「毒牙ってあのな……!! だいたい、何故あなたがここにいるんですか」
「隼人が来るって聞いたから。芽衣香を守るのがお父様の使命だからね」
睨み合う二人はまるで家族のように仲がいい。『仲良いですわね』と言うと、『誰がこいつとなんか!!』と二人揃って声を上げた。ほら、仲がいいじゃん。
「そんな事より、何か用事があって来られたのでしょう?」
さり気なく話題を変更すると、隼人は小さく嘆息した。
「そんな事って、芽衣香の体調も見に来たんだけど……。あのさ、芽衣香はどこの中学入るんだよ」
「中学、ですか?」
確かに、来年から私たちは中学生。このご時世のお子様たちには既に中学受験というものも存在する。だが、普通はもう少し早めの時期に聞くものじゃなかろうか。
などと首を傾げていたら、私を大事そうに抱きしめているお父様が隼人を小馬鹿にしたように笑った。
「残念ながら、芽衣香は聖シィプシフター学園という女生徒だけの中学に行くんですぅ~。お前が通う朱雀ではありません~」
「まぁ、隼人様は朱雀学園に行かれるんですか?」
朱雀学園と言えば超セレブ学園だ。
学力はもちろんだが、何よりも家の財力が中々のものでないと入れない。そして学園側からのサービス精神が物凄いと聞く。確か、授業中に紅茶を飲めたり、月に一度パーティーが開かれたりと普通の学校では有り得ない事が多々あると聞いた。
「桃李も一緒。まぁ、芽衣香の父親が入るから、どうせ芽衣香は女学院とかに入るって思ってたけど、念のために聞こうと思って」
「桃李様も朱雀学園に? 私もそこにしておけば良かったかしら……」
中学時代の彼らを間近で見れるのは、美味しい。何より、あと三年もしてしまえばもうゲームの中の彼らと同じ位に成長するのだろう。ちょっと惜しい事をした。
「駄目だよ芽衣香。芽衣香は聖シィプシフター学園に行くんだからね?」
「……その事なんですけれどお父様。私、来年から共学の公立中学に通います」
「「…………、はぁ!?」」
一瞬沈黙が私の部屋を支配し、ついで隼人とお父様の声が見事に重なった。
「ほら、やっぱり二人は仲がいいですね」
「ぇ、いや、公立中学!?」
「なんでお父様の芽衣香が共学!?」
そこまで驚く事なのだろうか。
素っ頓狂な声を出して半分腰を上げている二人を宥めて座らせた。
「私、六花第二中学校という公立中学に行きたいと思っているんです。車ですぐですし、もう申請はしてありますわ」
「で、でもだって、聖シィプシフターは……?」
「ごめんなさいお父様。お断りの電話を入れてあります」
ぽかんとするお父様。
本当に申し訳なく思う。お父様の知らない間に、お父様が打診して置いた学校に断りの電話を入れて、勝手に行きたい学校を決めておくだなんて。でも。
「でも、こんな強硬手段じゃないと、お父様は共学の公立中学に通う事を認めて下さらないでしょ?」
そうだ、絶対に認めないだろう。過保護なお父様が、私を共学の公立中学にだなんて。
だから、悪いとは思いつつ、この周辺の地理に詳しい運転手の宮本さんに協力してもらって学校を選び、寸前になるまで黙っておこうと決めていた。
「ごめんなさいお父様。でも、私どうしても共学の公立中学に行きたいんです!!」
「……理由は。理由はなんだよ芽衣香」
放心状態のお父様に代わり、隼人が言った。声は一オクターブ位下がり、眉間にはシワが寄っている。不機嫌丸出しだった。
「……理由は、普通の、それこそごく一般的な子たちと触れ合って、視野を広くしたいと思ったからですわ」
嘘です。ごめんなさい。
本当は年頃の男子たちの戯れを見たいが為、また腐女子仲間を集める為です。
たまに隼人や桃李が来てくれるからといって、この六年間BLゲームも漫画もアニメも無く、学校での男子同士の戯れも見れなかった私はもう限界だ。凄まじくBLを欲している。あと三年だなんて耐えられない。そのうちゾンビみたくBLを求めて町を徘徊しそうで怖い。
また、セレブ生まれのお嬢様方は腐女子になりにくいということも判明した。まず、彼女らは漫画やアニメなど見ないのだ。
紅茶を嗜み、美しいものを愛でる彼女たち。BL? 新しいブランド商品ですか? という勢いだ。
なので、私は漫画もアニメも見ている一般女子に目をつけた。彼女たちならきっと、私に腐食されてこっちサイドに堕ちてくれるだろう。
よって、私はどうしても共学の公立中学に行きたいのだ。
「だ、駄目だよ芽衣香!! 共学なんかに行って、もし芽衣香に何かあったら!!」
「そうだ!! ……小一のあの事件の事、忘れてなんかないだろ」
隼人やお父様自身が触れたくないあの事件を、彼ら自身が口に出した。まだ、あの事件はみんなの中に根強く残っているらしい。もちろん、私にも。
忘れたわけではない。
確かに、怖かった。
怖くて怖くて、またあんな事が起きたらと不安だった。でも、そうやって恐怖に怯えていては、私が最も欲しがるものには手が届かない。それも事実だ。
「もちろん。ですが、怖がっていては私は箱入り娘のままですわ。なにより、私は普通の中学校に行きたいんです!」
「「シィプシフターだって一般的じゃないか!!」」
「あの学校は親の収入がとてつもなく高い子女が行くところじゃないですか」
「駄目ったら駄目だ!! 今からでも遅くないから、朱雀に来いっ!!」
「何さり気なくお父様の芽衣香との甘い学校生活送ろうとしてるの!? 芽衣香は女学院に通うんだ!!」
「いいえ、公立ですわ!」
「芽衣香、朱雀にしろ!」
「だから女学院だって!」
うぅぅ~、と三つ巴の形で睨み合う私たち。最後には、誰が言ったでも無く、各々が拳を握って突き出し叫んでいた。
「「「さいしょはグー、じゃんけんポンッ!!」」」