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「芽衣香様の命に別状はありませんよ、奥様、隼人様。

殴られた頭部を検査しましたが、異常はありませんでした。こめかみの皮膚が少し切れていたため包帯を巻いています。

右腕の骨は少しだけヒビが入っている程度です。すぐに治るでしょう」

「そうですか……」

「よか、た……」

 一ノ瀬家専属の医者の言葉を聞いて、ようやっと隼人は息をついた。







 あの後、町田の持っていたナイフは転んだ時にあらぬ方向へと床を滑って飛んでいき、芽衣香の大声に気づいた使用人たちがすぐに来てくれたお陰で、町田は捕まった。

 芽衣香はこめかみから少し血が出ていたので慌てて病院に搬送された。



 急な事でオロオロする自分と桃李に、芽衣香は『二人が怪我をしなくて良かった』とボロボロ涙を零して泣いていた。

 自分の方が、よっぽど酷い目に遭ったはずなのに。




「意識もはっきりしています。隼人様、会いに行かれますか?」

「隼人、芽衣香さんに会いに行く?」

「……うん」

「そう。お母さんは少し先生とお話してくるわ。すぐに私も芽衣香さんの所に行くわ」

 医者に連れられ、芽衣香にあてがわれた個室の扉をそっと開く。真っ白な空間の中、芽衣香は隼人を見て微笑んだ。

 頭には包帯が巻かれていた。漆黒の艶やかな髪だからこそ、白色の包帯がよく目立つ。痛々しい姿に、ぐっと喉が詰まった。




「隼人様……。無事だったんですね。桃李様は?」

「桃李は、使用人たちが帰らせた」

「桃李様にも、怪我はありませんでしたか?」

「……大丈夫だ」

「そうですか……、良かった……」

 今にも泣き出しそうな顔をして、芽衣香は呟く。良くない。全然、全く良くなんかなかった。

 だって、芽衣香は怪我をしている。俺は、芽衣香を守る事が出来なかった。



 町田が握っていたあの鈍色のナイフを思い出す度に、芽衣香が両足を突っ込んでいた大きな麻袋を思い出す度に、ひやりと背筋が凍る。

 あれがもし、芽衣香の肌に突き刺さっていたら。あの袋に入れられて、芽衣香が誘拐されてたら。

 そう思うと、じわりと体中から変な汗がにじみ出る気がしてならない。その嫌な感触を振り払いたくて、俺は芽衣香の怪我をしていない左手に触れた。

 今そこにある、高い体温のそれに、思わず安堵のため息が漏れた。




「まぁ、隼人様ったら、こんなに手を冷たくして」

 芽衣香はクスクスと笑って、ぎゅっと握り返してくれた。その笑顔に、幾分か救われた気がした。



「痛くないか?」

「少しだけ。でも、すぐ治りますわ。だから、そんな切なそうな顔しないで下さい」

「でも……「芽衣香っ!!」」

 つんざくような声で彼女の名前が呼ばれ、次いで扉が開かれた。そこにいるのは、芽衣香の父親、柴龍 聡介だった。

 急いで来たのだろう。スーツは前のボタンが一つかけ違っているし、顔には汗が伝っている。

 彼は芽衣香を見て、ざぁ、と顔を青くさせた。おぼろ気な足取りで彼女に近づき、頬を両手で包み込む。




「め、いか……」

「お父様、大丈夫です。ちょっとした怪我ですわ。すぐ治ります」

 芽衣香は困ったように笑って、俺と繋いでいた手を離した。その手は、今にも泣き出しそうな父親の頬に触れる。

 感極まって、彼は優しく、だけどもしっかりと芽衣香を抱きしめた。その肩が小さく震えている事に気がついてしまい、俺は気まずくなって目線を下げる。




「あぁ……。芽衣香、芽衣香。すまない。すまない芽衣香……」

「お父様がなぜ謝るのかしら? なんにも悪い事なんかしていないのに」

 優しく微笑む彼女は、怪我をしていない左手でポンポンと父親の背中を叩いた。まるで慈しむかのようなその仕草は、同じ小学生とは思えない位大人びて見える。




「いや……。お父様が悪いんだ。お父様が芽衣香に婚約者なんかをつけたから」

「「え?」」

 芽衣香と俺の声が、重なった。

 呆然とする芽衣香から、芽衣香の父親は離れた。その顔は既に引き締まった大人の顔で、無意識のうちに足が竦む。





「隼人君。君と芽衣香の婚約を解消しようと思う」





「ちょ……、ちょっと待って下さいお父様!!」

 慌てたように芽衣香が彼に声をかける。が、彼の表情は変わらない。じわじわと、ゆっくり俺の中から血の気が引いていった。



「芽衣香。何故お父様に内緒で彼の家に通っていた?」

「っ……、それ、は」

「今回の件だって見過ごせない事件だ。危うく、一ノ瀬家の事情に芽衣香が巻き込まれる所だった」

「ですが、一ノ瀬家の人は悪くありませんわ!」

「今回捕まったのは、一ノ瀬家の使用人だろ」

 言い返せなくなったのか、芽衣香が唇を噛み締める。




「元々、私はこの婚約に反対だったんだ。芽衣香に婚約者が出来れば、芽衣香が屋敷から出歩く時間が多くなる。多くなれば、それだけ芽衣香が狙われる」

「こ、今度は、今度は俺が守ります!」

 勢い余って、俺は口を挟んだが、芽衣香の父親は俺を冷めた目で見下ろした。



「すまないね。私は、会社の利益よりも自分の娘の方が大切なんだ」

「っ……、でも、でも」

「凶器を持った大の大人に、君は勝てるとでも思っているのかい?」

「…………」

 言い返せずに、俺は俯く。

 実際、俺は町田が持ったナイフに怖じ気づき、芽衣香を助けるどころか体を動かす事すら出来なかった。

 婚約を切れば、学校が違う芽衣香との繋がりは自然と無くなっていくだろう。そんな事は幼い俺にも分かっていた。



 そんなの、嫌だった。ここで芽衣香との終わりにするのは、何故だかとても嫌だった。

 ドクドクと心臓が音を立てる。焦る気持ちとは裏腹に、言葉は出てこない。芽衣香の父親は、芽衣香から体を離して、






「なら私、家出しますわ」

 芽衣香の言葉に、体を硬直させた。





「芽衣香……。今、なんて……」

「だから、この婚約を破棄するのなら、私は家出でもなんでもしてみせますわと言ったのです。家出でも、髪切りでも、断食でもなんだって」

 芽衣香は背筋を伸ばし、そして不敵に微笑んだ。その言葉に彼女の父親だけでなく、俺も呆然としてしまった。



「お父様、お父様が私を守りたい気持ちは分かります。でも、それでは私は空っぽの人間になってしまいますわ」

「だったら、お父様が何でも用意してやる! お前が好きな物も、話をしてみたい人物も、何もかもを芽衣香の部屋に用意する!!」


「それでは同じですわお父様。私は、鳥のように囲われるだけの世界など好きじゃありません。

それに私は、大好きな隼人様との婚約だから解消されたくないんです」

 芽衣香の手が、俺の手に触れる。温かいその手は、しっかりと俺の手を握りしめてきた。




 さっきとは違った意味で、ドクドクと、心臓がうるさい。

 意味もなく心臓がきゅうと締め付けられて、どことなく息が苦しい気がする。

 そして、無性に、




「私は、隼人様としか婚約したくありませんわ!」

「っ……!」



 芽衣香をぎゅうと抱きしめたかった。



 重い沈黙の後、折れたのは芽衣香の父親だった。彼はガシガシと頭を書いて、疲れ果てた笑みを見せた。



「……はぁ~……、分かった。お父様の負けだ」

「本当!? お父様大好きです!!」

「お父様も芽衣香が大好きだよ!!」

 またもやぎゅうぎゅうと抱き合う二人。慌てて芽衣香の腕を軽く引っ張って、彼女の意識をこっちに向けた。

 黒い大きな瞳がこっちに向く。『どうしました?』と彼女が笑いかけてくれる。なんだかそれが、無性に恥ずかしくて、無性に、嬉しい。



「芽衣香……。今日は、助けてやれなくて、ごめん。次は、ううん、これからずっと、俺が芽衣香を守るから!!」




 芽衣香の父親に睨まれたけれど、彼女が嬉しそうに笑ってくれたから、後悔は無かった。













 家に帰った芽衣香は人払いをして、静かに天蓋付きのベッドに座った。



「…………」

 そのままゆっくりと体を倒して、ベッドに寝そべる。やはり自分の寝床は落ち着くものだ。気持ちを落ち着かせる為に、一度深呼吸をしてみる。

 そのまま、ふわふわの大きな枕に顔を思いっきりうずめて、




「あああ危なかったーー!!」

 叫んだ。




「危なかった。本当に危なかった!! 婚約切られるとか、本当に!! そんな事になったら私の生きる意味が無くなる所だった!! 家出するとか言ってなんとか首の皮は繋がったけど、本当にヒヤヒヤしたわー!!」




 彼女の叫びは、幸いにも枕のおかげで誰にも聞こえなかった。




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