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可能性の獣  作者: 咲楽桜
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異世界その2

「ど、どうなってんだよ」

 徹也が顔色を青ざめさせて偽人の残骸から後ずさる。

「あんた馬鹿じゃないの! ここの壁は内側から開かないのよ! こいつ殺してどうやって出んのよ!」

 美和が金切り声を上げる。

「だって、これくらいで死ぬなんて……」

 人を殺めた罪悪感からか手を震わせながら徹也が言う。

「確かに獣とやらを狩る人間というのは必要なようだな。俺たちは戦闘力ゼロのこいつらにとって全くの無価値という訳ではなさそうだ」

 平然として実篤が言う。

「あんた、人が一人死んだんだよ! もうちょっと人間らしい考え方はできないのかい!」

 優子が男性でも震え上がりそうな程のどすの効いた声で言う。

「そいつが人か? 血の一滴も出ないのに? 俺は目の前で人が死ぬのを見たが……」 

 優子の声に臆するどころか挑戦的な視線を向けて実篤が詰め寄る。

「……もっと見苦しかったぞ」

 その冷えた声に優子が押し黙る。

「見苦しいって、人が死ぬのを見て感想がそれ?」

 怒気も露わに佳奈美が声を上げる。

「ああそうだ。俺が死ぬ時もさぞかしみっともない姿を晒すんだろうな。想像して笑えてこないか? 善人も悪人も金持ちも貧乏人も、死ぬ時には等しく無様な姿を晒さずにはおけないんだからな」

 言って実篤はさもおかしそうに笑い声を立てた。

「実篤、お前おかしいぞ。お前、そんな事を言うヤツじゃないだろ」

 夏希は両腕をだらりと下げたまま、実篤の前に立って言った。

「ああそうさ。俺は王子様だからな。平民の望む姿を演じるのも高貴な人間の務めというものだろう」

「お前、本気で言ってるのか」

 夏希は怒気を込めて言った。戦闘力でも迫力でもこの中では最弱の部類かも知れないが、実篤が生み出す異常な空気を止められるのは自分しかいないのだと感じていた。

「ああそうさ、夢かも知れんし、ここが現実だとしても、元の世界には戻れんのだろう? だったら自分の何を偽る必要がある? ここには徒党を組んで正義ぶる馬鹿どもも警察もいないんだぞ? 純然たる力こそ正義、それを貫いて何の不都合がある?」

「実篤、お前が本当にそう思っているなら、お前はこの世界の恐ろしさをまだ理解していない」

 夏希は正面から実篤の顔を見据えて言った。

「この世界の恐ろしさだと? この世界の何が恐ろしい? 実力と努力が結実する理想郷じゃあないか」

「実篤、この世界のポーカーの役を忘れた訳じゃないだろう」

「俺は皇帝の13だ。お前とは違う。もっとも、俺は友情を無碍にする人間ではない。お前の事は守ってやるから安心しろ」

「実篤に俺は守れない」

 夏希が断言すると実篤は眉間に皺を寄せた。

「何を根拠にそんなうわ言を言っている? 最低でも俺とお前だけでも俺はお前を強化できるんだぞ?」

「この世界はポーカーの役が勝敗を決する。仮にAだったとしても、四人揃えばフォーカードで50点だ」

「俺と夏希でも役にはならないが数字上22点だろうが。後10点以上のカードが三人いれば容易にひっくり返る。雑魚が群れようと鯨の前では水と同じだ」

「ポーカーだけならな」

 実篤の目を見て夏希は言った。

「偽人は基本的に訊かれた事しか答えていない。もしカードの配役に大貧民の要素があったらどうなる? フォーカードで革命が成立するだろ? その時のお前の点数は1点だ」

「もしそうだとしてフォーカード揃う可能性がどれだけある? そうそう揃わんからポーカーでも高得点なんだ。馬鹿馬鹿しい」

 実篤は腕を組んで鼻を鳴らした。

「どうかな。偽人は人が多くいると言った。数の概念はないと言っていたが、俺達を見た上で多く居ると言っていたなら、俺達の二倍や三倍程度で多いという表現はしないだろう。タロットは20枚くらいだそうだから、最低でも160人。でも社会を形成している可能性を考えるとそれでも数が少なすぎる。仮に点数によってピラミッド状に人口が分布していたらどうだ? たやすく革命が起きる事にはならないか? つまり、強者は弱者に多分に配慮しなければ社会秩序を保てないって事だ。まぁ、カードの序列でヒエラルキーが形成されているという前提の上だけど」

「それなら革命返しもあるだろう? 一組のフォーカードを優遇しておけば革命が起きても打ち消す事が可能だ」

「それは成立しない。低得点のフォーカードが大量に存在すれば、対消滅したとしても半数を抑えておかなければ自分のカードの点数を維持できない」

「確かに、夏希の言う通りならな。だが、夏希が正しいとしてもだ、抑えておかねばならないのは26%のカードだけだ。26%を抑えれば半数のうちで多数派を形成できる。つまり半数を支配できるという事だ。26%を優遇し、25%に身分を与えれば残りが団結しようと無駄な足掻きだ」

「派閥の論理だな。でもその26%のうち1%でもお前の支配に疑念を抱いたり、取って代わろうとすれば情勢は容易に逆転する。差別が有効なのは封建的な社会下で、民主的な社会では諸刃の剣だ」

「果たしてそうかな? 現実社会を見てみろ。日本には1・6%の所得1億円以上の富裕層と40%の所得3百万以下の世帯が存在するが、富裕層に対する攻撃が存在するか? 低所得者は雀の涙ほどの金や、ちょっと優越感をくすぐる言葉だけでたやすく懐柔され、互いに攻撃し合う。非正規労働者と底辺公務員の争いなど滑稽極まる有様じゃないか? そして一年に3万人が自殺し、6千人が餓死する。これが日本の真実だ」

 実篤の言葉に夏希は口を閉ざした。データは実篤の言葉の正しさを補足する事はあっても、批判する要素には成り得ない。

「お前、話分かっか?」

 二人のやり取りを聞いていた徹也が美和に向かって言う。

「あんた分かんの?」

「いんや。全然ダメだ」

 徹也が頭を振って答える。

「もっとシンプルに考えたら? どっちの意見が好きになれるかって」

 佳奈美が二人に向かって言った。

「でも、外の世界が実篤の言うような世界だったら、理想だけじゃ生き抜けない事になるんじゃない?」

 優子が思案顔で答える。

「でも、俺は夏希の友達だからよ。いいか悪いかとか、そういう事で決めたくねぇ」

 徹也が実篤を一瞥して言う。

「あんた馬鹿じゃないの? 理性的に考えたら、実篤くんの方がまともに生きる方法考えてるじゃん」

 美和が徹也に冷ややかな視線を向けて言った。

「でもさ、外の人たちは争ってなくて、みんな平和に暮らしてるかも知れないじゃん。だったら実篤浮くんじゃない?」

 佳奈美が徹也の肩を持つようにして言う。

「そこなのよねぇ~。多分実篤は平和なら平和で如才なく立ち振る舞うと思うのよ。どれだけ世の中が平和でも格差って存在してる訳だし」

 優子が眉根を寄せて腕組みをする。

「じゃあいっそ優子さんが仕切ったらどうっすか?」

 徹也がやけに鼻息荒く言うと佳奈美も手を叩いて、

「あ、その手があるか」

「ああ、あたいはダメだよ。そういうの全然向いてないし、すぐ喧嘩しちゃうから」

 優子は胸の前で両手を振って言った。

「でもそういう事だと、やっぱり夏希くんってリーダーって柄じゃないね」

 美和が言い争っている夏希と実篤を見て言う。

「知恵袋、的な?」

 佳奈美が首をかしげる。

「実篤の方がインテリっぽいし、どっちかって言うと実篤の良心みたいな感じじゃないの?」

 優子も表現に困った様子で言う。

「アイツはあれでも俺らの中じゃ一番賢かったんだ! 馬鹿にすんな!」

「あんたはそもそも比較対象になんないのよ! バッカじゃないの!」

 美和の痛烈な言葉に徹也が肩を怒らせる。

「ンだとこのアマぁ! 調子くれてんじゃねぇぞ!」

「暴力に訴える気! サイテー!」

「ッカ野郎! 男が女に手ェ上げるかよ!」

 徹也が声を荒げて言う。

「どうだか。あんたどう見ても口より先に手が出るタイプじゃん」

「ひ、人を見かけで判断すんじゃねぇ!」

 美和の言葉に徹也が足を踏み鳴らす。

 一方夏希は実篤に対する反撃を開始していた。

「……仮に実篤の言うとおりにしたとしよう。それで元の世界と何が変わるんだ? せっかく別の世界に来て、特別な能力を持って、やる事は同じか?」

「俺はこっちなら勝てる可能性があるって言ってるんだ」

「実篤、可能性なら元の世界にもあった。それを掴もうとしなかったのは実篤自身だろ? 自分を否定して得られるものはない。仮に可能性がなかったとしても、最期まで希望を失わなければそれは幸せな人生なんじゃないか?」

 それは巨人と戦ったからこそ思える事だった。

 闇に飲まれ、闇と同化しなければパンドラの箱の底の光に気づく事も無かった。

「それでその子供はどうなる? 一発当ててやると言って食費から電気代まで馬券につぎ込む、夢と希望に溢れた奴らの子供の生活がどんなものかお前に分かるか? 日が暮れたら強制的に寝るしかない、勉強時間も限られた栄養失調のガキがどれだけ出世できる? 夢だ希望だなんてのは所詮絵空事なんだよ」

「貧しくても子供に想いを託して、身を削って育てる親だっているだろう? 貧しい家庭でもスポーツ選手になる人もいるじゃないか?」

「天文学的確率でな。北斗七星を誰でも知ってるのと同じ事だ。空気のきれいな所なら肉眼でも六千の星が見えるそうだが、その全ての名前をお前は言えるのか? 六千分の七がこの世の現実だ。特殊な例をあげてあたかもそれが常識のように言うのはエセ文化人の悪癖だ。俺なら平民が総理大臣になるのと、タイムスリップして戦国時代で信長に成り代わるのと確率は同じだと言ってやる。タイムスリップも理論上決してありえない事ではないからな」

 傲然と実篤は言った。その言葉には自分の発言に対する絶対的な信頼がうかがえた。

「だからそれでいいんだと納得するのがお前の生き方か? 自分より弱い者だけを痛めつけて、強い者に媚びへつらう事が正しいと思うのか?」

「貧乏人はこちらが値を釣り上げようと米を買わざるを得ない。金持ちには頭を下げてバスタブに満たすほどドンペリを買って頂く。そして米よりドンペリの方が遥かに大きな利益をもたらすのだ。消費者の切実さより、利益を優先することを卑しいとするのは貧乏人の僻みだ。いいか、強者はそれを心得ているから強者足り得るのだ。明治維新だって長州が正しかったから江戸幕府が負けた訳じゃないだろう? 単純に幕府のパトロンのフランスより長州のパトロンのイギリスの国力が上だったからだ。考えようによっちゃ幕府が勝った方がお前の好きな正義の通る国になっていたかもしれないぞ? 何と言ってもドイツに直接勝った試しのない欧州の農家フランスは市民革命の国だからな」

「実篤、そうやって世の中を2つに分けてしか考えられない事を惨めだとは思わないか? そうやって考えるって事は、本当はそれに対する問題意識の裏返しじゃないのか? 自分を無理やりカテゴライズして自分で自分を苦しめて一体何が得られるって言うんだ」

「弱者に対する優越だ。それ以外に何がある?」

「自分も弱者なのにか?」

「ああ、そうだとも。俺は弱い。だから手段は問わんし、弱者の無能にかける慈悲も持たん。強者には知恵も力も不要だが、弱者には生き残る為の知恵と力が必要だからな」

「金の為にはどんな汚い事もする。それがここまで世の中を荒ませた原因だと何故気づかない! 四半期決算を気にして目先の利益を追いかけてイノベーションを起こせない。最終的に劣化コピーという損失しか生み出さない現状が何に起因しているか考えてみろ!」

「お前の愚かさにはつくづく頭が下がる。いいか、ものを作る人間、形はどうあれ値段がつくものを作って一喜一憂する人間は、所詮利益を生み出す人間ではない。投資する者だけが利益を回収できるのだ。リーマンショックだろうとユーロ危機だろうとヘッジファンドは利益を上げ続けている。彼らの資産は減る事はない。倒れた人間の数だけ札束が積み重なる仕組みが既にできているからだ。お前の脳は産業構造的に既に周回遅れなのだ。少しは理性的になれ。せっかく二足歩行してるんだ、それなら人間らしい生き方をしたいとは思わないのか?」

「一生カウチの上でPC睨んでるのが人間らしい生き方かよ!」

「お前は馬鹿か? 資産を運用するのは雇ったファンドマネージャーだ。良いものを食べ、健康を保つべく程々に運動をし、抱きたい時に女を抱き、感動したければ劇をさせ、退屈なら曲を演奏させる。それが人間らしい生活というものだ」

「何も生み出さない、消費するだけの生活がか!」

 夏希は声を荒げた。このままではいつもと同じだ。いつもと同じ、実篤の論陣を破る事ができない。

 元の日本なら実篤の言葉は正しいだろう。

 だが、日本を離れてまでそれに縛られるほど愚かな事はないではないか。

 あの無間の闇と、闇から生まれた光を見て、それでも自分は実篤を説得する事ができないのか。

「利益を出しているだろう? これ以上話しても時間の無駄だ。お前は俺に従えばそれでいい。特等席で極上の世界を見せてやる」

 勝利者の笑みを浮かべて実篤が言う。

「それがお前の理想ならそれでいい。ただ、その時、お前の隣には俺がいない事を肝に命じておけ」

 夏希の言葉に実篤の顔色が変わった。

「馬鹿な。俺から離れてお前に何ができる? ゴマ団子と一緒にチンピラにでもなるつもりか? 好きでもない女を孕ませて有り金をギャンブルに突っ込んで、ガキと女のわめき声を聞いてイラついて殴り倒すのが人生の目的か? それが人間の存在意義か? ご立派すぎて反吐が出る」

「みんながみんなそうじゃない、少なくとも俺の両親は違う! 俺が道を踏み外しかけた時も辛抱強く支えてくれた。立派な人達だ」

「立派なんだろう? お前も家族を支えるのは立派だと思っているんだろう? それは普通じゃないから立派だと思うんだ。当たり前の事なら立派などという言葉は出てこない。そしてそうなる為には踏まなければならないステップがある、そうある為には必要な社会的地位、それを得る為の犠牲があると俺は言いたいんだ」

「俺の両親は非道な事をして今の地位を得た訳じゃない、他人を傷つけて俺を養ってる訳じゃない!」

「他人を踏みつける事に無自覚な程罪な事はない。俺の親のようなクズを百人ばかり束にして、一ダースほど積み上げてやっとお前の靴が買えるんだ。お前の夕食のおかずが一品増えるんだ。いいか、人の命ってのはコンビニ弁当のプラ箱くらいの価値しかないんだ。お前の家族が六畳の部屋を一つ増やしたいと言っても、クズを集めて酸欠になるだけ詰め込んで殺したくらいじゃ増えやしないんだ。分かりたくないなら仕方ないが、分からなくても理解しろ。お前のような人間の言うささやかな幸せにどれだけの犠牲が必要かという事をな」

 実篤が口を歪ませて言う。

「お前の話は一々過激過ぎる! 俺の話も特殊な例かも知れないがお前の話も相当だぞ!」

「地に足のつかないお前の話と俺の話は違う。カツアゲ以外で金を稼いだ事のないヤツに金を語る資格はない」

 実篤は言葉で夏希を突き放した。

「で、お前が自力で金を稼いだ結果何が得られたんだ? お前が俺に固執する理由は何だ? 人の心が金で買えない事を思い知ったからじゃないのか?」

「自惚れるな! 夏希、お前何様のつもりだ!」

「何者でもないさ! お前は俺が何者かだと思ったから俺と付きあおうと思ったのか?

違うだろ! 俺だってお前が優秀だから付き合ってるんじゃない! しいたけ食えなくて、隠れて給食便所に捨ててた、そんなお前の姿を知ってて俺はお前を友達と認めてるんだ。お前が超人だから、一緒だと得だから友達にしてる訳じゃない!」

「うるさい! しいたけ野郎!」

 やけに子供じみた口調で実篤が言った。

 小学校の頃、学校どころかTVでも見かけないほどの美形で、教師が答えにつまるほど頭脳が明晰で、体育教師が教育を放棄するほど運動神経の良かった実篤だが、誰も彼に話しかけようとはしなかった。話しかけても自我を破壊される程見下され、ほとんどの人間が二度と話しかけようとは思わないのだ。自らの力を頼み、何者をも寄せ付けない姿勢は実篤の一貫した姿勢だ。

 しかし、実篤にも唯一つ泣き所があった。

 彼はしいたけが食べられなかったのだ。給食係をしていた夏希は昼休みに実篤がこっそりしいたけをトイレに捨てている所を目撃したのだ。

 それを見過ごしていたら、実篤と夏希に接点は生まれなかった。

 夏希は実篤のしいたけ嫌いを克服させるべく、毎日しいたけ料理を学校に作ってくるようになったのだ。

―いつも背筋を正しているのに、給食の時間だけコソコソしたくないだろ?― 

 夏希の料理の腕は優れてはいなかったが、負い目を感じていたのか実篤は毎日がまんしてしいたけを食べ続け、小学校を出る頃にはしいたけ嫌いを克服していたのだ。

「し……しいたけ野郎?」

 徹也が突然次元の下がった様子の言葉を耳にして言う。

「コイツ、小学校の頃しいたけ食えなかったの。で、俺が毎日しいたけ料理作って食わせて克服させたんだ」

「言うな! ガキの頃の話だろうが! 第一お前の料理なんか美味くも何ともなかったんだからな!」

 実篤が大人気なく声を上げた。

「その不味い料理のお陰で友達が一人できたんだからいいじゃないか」

「他人の弱味につけこんで何が友達だ」

 実篤は口を尖らせて言った。

 予想だにしない形で和解したらしい二人を見て、女性陣が安堵の表情を浮かべる。

 その時、壁を形成している花弁の一つが外側に向かって開き、五人の法衣の偽人が室内に入ってきた。

 無言のまま一人が六人の前に立ち、残る四人が最初の偽人の残骸を回収する。

「ご質問は以上でよろしいですかな?」

 唐突に偽人は口を開いた。

「何だよ。お前、挨拶も無しかよ。つーか俺たちはお前の仲間殺してんだぞ?」

 徹也が言うと偽人は感情の起伏を感じさせない声で、

「偽人に個という概念はありません。個別の記憶も存在しません。先に偽人が一人壊れたと同時に皆様の元居た世界で一人が自殺しましたが、だからと言って我らの世界に影響が及ぶ訳ではありません。我ら偽人は人間を生かす為だけに存在している記号なのです」

「一人自殺したって誰?」

 美和が言うと実篤が鼻を鳴らした。

「お前は馬鹿か? 日本だけで一日百人近く自殺している。二十代では死因の第一位だし特に意識しなくてはならない死因ではない。お前は飯を食う時に米粒の中にインディカ米が混ざっていないか一々調べるのか?」

「知り合いだったらどうすんのよ!」

 美和が声を上げると実篤の視線の温度が低下した。

「一生涯に知り合いの五人十人は自殺するだろうが。珍しい死因でもないのに早いか遅いかだけで一々喚くな」

「可哀想だと思わない訳?」

 美和が実篤を睨むと佳奈美が彼女の肩に手を置いた。

「コイツにそういう事期待するだけ無駄だと思う」

「そうそう、貴様らもいい人生を歩みたかったら俺のように学習する事だ。で、偽人、さっきこちらで話し合ったんだが、カードの組み合わせで革命は起こせるのか?」

 実篤が訊ねると偽人は首を縦に振った。

「同じ数字のファミリアを持つ者が集まる事で革命を発動させる事が可能です」

「で、カードの枚数だが、アルカナは22種類だな? 点数によって枚数が違うという事はあるのか?」

「13点のキングは一人づつしかいません。しかし常時20人のキングが揃っているとは限りません。そこから下の点数は人数が増えてまいります」

 淡々とした口調で偽人が答える。

「聞き方を変えよう。例えば12点のクイーンが集まって革命以外の方法で13点のキングを倒す事は可能か?」

 夏希が訊ねると偽人は頷いた。

「そういう事が可能であると人が申しておりました」

「だとすると」

 夏希は五人の顔を順に見回した。

「キングのみで構成される最強の役は4カードだ。これにキング一人の13点がプラスされると2613点だ。クイーンだと2412点。つまり、101点足りない。これをクイーンだけで補うには最低でも108点の3カードを作らなきゃならない。仮にキングが20人全員で五組のフォーカードを作ったとして、13065点。これにクイーンが匹敵しようと思ったら4カードの他に3カードを同じ数だけ用意しなくちゃならないから、単純計算でもキングよりクイーンの方が15人多い。これがAだと、4人でも50点にしかならないから、261組必要になる。最低でも1045人は必要だって事だ」

「だがそれだと革命が起こし放題という事にならないか? その状況下で得点に何の意味がある?」

 片目を閉じた思案顔で実篤が言う。

「実篤、偽人はさっき同じ数字のファミリアが集まる事で、と、言った。4カードとは言っていない。偽人、革命を起こすのに必要なファミリアの数は?」

 夏希が問うと偽人は古びた碁石のように光のない瞳を向けた。

「愚者、世界を除く20人でございます」

「仮に、人間同士が争うとして、常に20対4ないし5の役で衝突するって事はないだろう? もし、20人のAが4人のキング相手に革命を起こしたとして、13点の効果は持続するものなのか? 持続するとしたらいつまで続くんだ?」

「対象とする相手が倒れるまでです」

「20人と20人が戦うとする。一方は革命を起こせて、もう一方は4カードが五組だったとする。革命を起こした側は20人を殲滅するまでボーナスが継続するのか? それとも対象とした五組の4カードのうちの一つを倒した時点で革命ボーナスは終了するのか?」

「革命は対象にした一組の役に対してのみ有効です。ボーナスを得られるのは革命を起こした五組の4カードだけです。そして対象にされた一組は得点の強弱が逆転します。ただ20対20という事ですので、残りの四組の役に対しては革命のハンデはつきません。また、革命を起こした側もハンデを負った役を倒してしまえばボーナスが失効になります。革命は一日に一度しか使えません」

「つまり、革命を起こしても弱体化させられるのは相手のうち4人ないし5人だけ。しかもそれを倒せば逆転していた力が元に戻る。革命を起こした側は対象の相手を倒さないように注意しなければすぐに元通りになるという事か」

「左様でございます」

「で、革命を起こした20人は一つの役として機能するのか? それとも五組の4カードになるのか?」

「五組の4カードです」

「革命相手の役を倒さなくても、五組の4カードのうち一組でも撃破されれば?」

「革命は失効します」

 偽人の言葉を受けて夏希は小さくため息をついた。

 革命は思いの外簡単ではなく、持続させるにもそれなりの困難が伴うという事だ。

 確かに弱いカードは革命を起こしやすいが、それを持続させようとしたら対象となる敵を守りつつ、他の敵を倒さなければならない事になる。

 その為には、弱いカードは強いカードよりも、強くないカードに対して革命を起こした方が守るリスクが小さくなる。

 だが、合意が形成されるような相手であれば革命が成立する筈もなく、革命状態を継続するには捕らえて捕虜として傷めつけ、敵意を継続させる事も必要になるかもしれない。

 弱者同士が傷つけあうという図式はこの世界でも定石であるらしい。

 その図式を思い描き、夏希はフランス革命を思い出した。確か最期は王族はタンプル塔に幽閉され、革命後にギロチンにかけたれたのではなかったか。

 その後十年で革命政権はあっさり倒れ、ナポレオンの独裁になったのだから現実に即したルールと言えるのかも知れない。

「革命返しは可能なのか?」

 実篤の言葉に偽人が頷いた。

「可能です。革命に成功した五組のうち一組を対象に20人が革命を起こす事が可能です」

「だとすると、一組でも欠ければ革命は失効するんだから、革命を継続し続けるのはかなりハードルが高い事になる……革命可能な20人を揃えているなら、むしろ後出しの方が有利だ」

 夏希が言うと実篤が片目を閉じた。

「だが革命を起こして強くなれるのは弱いカードだけだ。先に狙い撃ちされたら革命どころじゃなくなるぞ」

「だったら中堅のカードを全面に押し出して戦い、相手が疲弊して革命を仕掛けて来るのを待つのが上策じゃないか?」

「ちょっとあなたたち、どうして戦争する事前提に話してるの?」

 優子の言葉に実篤は険のある視線を向けた。

「ルールの確認だけだ。俺たちがいなければお前らはカードに点数がある事にも気づかなかっただろう? 感謝される覚えはあっても非難される覚えはない。それより偽人、一体いつまで俺たちをここに閉じ込めておくつもりだ」

 実篤の言葉に偽人は緩慢な動作で顔を向けた。

「お客人が出たいと申されればいつでも」

「何よ! すぐ出られるならそう言いなさいよ!」

 美和が声を上げる。

「柏木さん、偽人は必要最低限の事以外、訊かれた事にしか答えないよ」

 夏希は頭を振って言った。

「それでは皆様、こちらへ」

 偽人が音もなく開いた花弁の先の暗黒へと歩を進めていく。

 実篤が先に立とうとするのを目で制して夏希が偽人の後についた。

 危険があるとは思えないが、傷を負った9のハングドマンと無傷の13の皇帝とでは愚者の存在を考えればパーティーにおける価値に大きな隔たりがある。

 夏希に続いて徹也、佳奈美、優子、実篤、美和が続く。

 暗黒に見えた通路は暗闇に目が慣れると古びた煉瓦で作られており、一定間隔で蝋燭の頼りない明かりが灯っていた。

「上から見た時は通路なんか無かったのに……偽人、あの部屋とこの通路とは別の次元って事なのかい?」

 夏希が訊ねると偽人は振り返る事なく、

「別の次元ではなく別の空間です。次元が変わればお客人は消滅するでしょう?」

「確かに」

 夏希は憮然として答えた。確かにその通りなのだが、偽人の物言いは丁寧なようでいて、必要なものがすっぽり抜け落ちているような印象がある。

「って事は、ここは繋がっているように見えて、ネットにリンクが貼られているようなものなのか」

「ネットの概念より、量子コンピューターの概念の方が近いでしょう。電子が移動するのではなく、量子テレポートで複数の空間に同時に存在しているのだと考えて頂ければより認識しやすいでしょう」

「テレポートって、ビュンって移動するんじゃねぇのか?」

 眉を顰めて徹也が言うと実篤がため息をついた。

「お前は阿呆か。幼児向けアニメの見過ぎだ。どうせダルマにしか見えないネコ型ロボットのSFを連想したんだろうが、それを引き合いに出すなら、引き出しから出た時、出た先がどこかを考えろ」

「メガネ小僧の家だろうが!」

「お前の短絡さが羨ましいな。ならばこう言おう。机の引き出しから出てきた時、ネコ型ロボットは幾つの時空間に存在している?」

「時空間、だぁ?」

「ネコ型ロボットは孫の時代からやって来た。孫の時代に存在しているものが祖父の時代にも存在している。この時点で最低でも2つの時空間に存在している」

「メガネの家に居る間は孫の家は留守にしてんじゃねぇのか?」

「本当に救いようのない馬鹿だな。時間を超えて来ているのだから、過去に出かける一分前に戻ってくる事もできるよな? これでロボットは何体だ?」

「3体……ええぇぇ? ちょっと待てよ……」

「無限に存在できるんだ。しかも記憶は共有されてる。外から見れば一時的に二体になっただけだが、それは過去にも存在するし、時系列と世界線の分岐で存在を切り分ければそれこそ無限に存在している事になる。ロボットは自らの意思で空間を移動しているつもりでも、それは主観であって、現実には同時に複数の空間に存在しているんだ」

「良く分からないんだけど、それとこの世界とどう関係している訳?」

 佳奈美が皆目検討がつかないといった様子で言う。

「あの部屋からこの通路に来たって事を理屈で言っただけだ」

 つまらなそうに実篤が答えた時、夏希の脳裏に閃くものがあった。

「偽人、量子テレポートの理論でこの世界が存在しているなら、俺達の元居た世界にも当然俺たちは存在してるんだよな?」

 その言葉に五人が反応するのが振り返るまでもなく分かった。

「左様でございます」

「じゃあ、この世界に時間の経過は存在するのか? 体感ではなく、物理的に。いや、僕らはこの世界で老化するのか?」

「老化はいたしません」

「だったらこの世界で千年二千年を体感して、元の世界に戻る手段が見つかる可能性もあるんだな」

「それはありません」

 否定されて夏希は自分の考えを反芻した。時間が存在しないなら、戻る時が来るなら、やって来たと同じ瞬間に戻れる筈だ。

「それだと理屈に合わない。俺たちは複数の空間に同時に存在しているんだろう?」

「この世界は咎の世界と先に申し上げました。偽人はそちらの世界に存在している人間です。量子振動していると言えば分かりやすいでしょう。だから偽人が死ねばそちらの世界で人間が死ぬのです。あなた方がこちらの世界へ来たという事は、偽人と存在する世界を入れ替わったのです」 

「じゃあ俺たちも偽人って訳か?」

 徹也が言うと偽人は前を向いたまま。

「左様でございます」

「じゃあ何で見かけが違うんだよ」

「ファミリアの力です。こちらの世界で自我を保っているのも、ファミリアの力があればこそでございます」

「あ~ややこしい! 何か一言でまとめられねぇのかよ!」

「まとめると、ファミリアが取り憑いた偽人はファミリアの元の宿主と同じ個性を持つ、って事かな」

 夏希が言うと偽人が振り向いたように見えた。

「そういう解釈もございます」

「ゲームのアバター、みたいな?」

 佳奈美が言うと偽人は一瞬言葉を探すように沈黙した。

「プレイヤーにプレイしている意識がなく、アバターがプレイヤーの存在を知らないのであればそう例える事も可能です」

 偽人の言葉を聞きながら、夏希はある可能性を考えていた。

 こちらで死なずに意識だけ元の世界に戻す事が可能なのではないだろうか。正確にはこちらで今の自分の自我を消して偽人に戻り、こちらでの記憶を元の世界の自分に送るという事になるのだろうが。

 今の自分が消えるというと不満を感じないでもないが、元の世界の自分に記憶だけでも送れれば少しは報われるという考え方はできないだろうか。

 夏希が考えていると、通路の先が開け、上も下も闇に飲まれて見えないほどの途方も無い巨大な空間が姿を表した。

 通路の先はその空間をぐるりと廻る回廊に繋がっており、空間の真ん中に巨大な柱が立っているのが見えた。

 高層ビルが束で入りそうなほど太い柱の周囲には、地中からひきずり出したアリの巣を思わせる足場が組まれ、その足場の上で柱に通された無数の横棒を、海の水分子ほどに犇めく偽人が押して柱を回転させていた。

「す……げぇ」

 徹也が呟くと、偽人が一同を振り向いた。

「輪転機でございます。我々はこの柱を回す事で屠られた可能性の獣を取り込み、あちらの世界の可能性の獣を失った人間に、惰性の生の苦痛を麻痺させるかりそめの夢や希望を送っているのです」

「お前らが死ぬと人間が自殺するんだったな?」

 実篤が問うと偽人は、

「柱を押して動かしているのも我らなれば、すり潰された可能性から生まれた夢や希望を送るのも我らの身体なのでございます」

 夏希は輪転機を汚らわしいものでも見るような目で眺めた。

 永遠に終わる事のない労働を続ける偽人、偽人の生み出す決して結実する事のない夢や希望。

 人間をここまでこけにしたシステムもないだろう。

 もっとも知らされなければ人は可能性という夢を見たまま、惰性に苦しむ事なく一生を送るのだろうが。

 偽人は柱を囲む回廊を進み始めた。

 夏希はこの輪転機を逆に回してやりたい衝動に駆られた。

 この機械を逆に回したらどうなるのだろう。

 機械のような偽人がやれと言ってやるとも思えないが。

 偽人は一同を先導して数百メートル歩くと、回廊に面した壁にある格子のついた古めかしいエレベーターに乗り込んだ。

「動力は? って言っても分からないんだろうね」

 夏希が言うと偽人は最上階のボタンを押して振り向いた。

「電気です」

「電気って、この世界に発電所があんのかよ! だったら輪転機とやらはなんでお前らが押してんだよ!」

 上に向かって動くエレベーターの中で徹也が声を上げると偽人は淡々とした口調で、

「あちらとこちらは合わせ鏡、同じだけのものが同じだけ存在します」

「じゃあガスも水道も電気もあるって事か? その割には蛍光灯の一つもねぇじゃねぇか」

 徹也が苛立った様子で言う。

「同じだけ存在すると言っているだけで、同じ物が存在するとは一言も言っていません。世界の総量を数値化すれば同じになりますが、見た目や形は異なります。炎は酸素が急激に反応する事でも生まれますが、酸素の全てが炎として存在している訳ではないでしょう?」

「これは電気なのか、電気に相当するものなのか」

 夏希が訊ねると偽人は顔を向けた。

「電気に相当するものです」

「適当な答え方すんじゃねぇ! 混乱すんだろうが! 魔法なら魔法って言え!」

 憤然として徹也が言うと、エレベーターが停止した。

 エレベーターの格子戸の外は大理石のような光沢のある白い物質で作られた空間が広がっていた。

 格子戸が開き、偽人を先頭に六人が外に出ると、そこは巨大な円柱の並ぶ神殿のような建物の内部だった。

「映画みたい……」

 美和が天井を見上げて言う。

 円柱の支える真っ白な天井は床から軽く50メートルはあるだろう。

「これだけ高くても明るいって事は……発光しているようにも見えないけど」

 夏希が口にすると偽人は歩き出しながら、

「あちらとこちらでは視覚情報としての捉え方が違います。あちらでは光の反射を目が捉える仕組みですが、こちらは光の反射を介在させる事なく、情報が直接認識されます」

「ご都合主義だな」

 腕組みをして実篤が鼻を鳴らした。

 偽人はそれには答えず、黙々と円柱の間を進んだ。

「ねぇ、どこに向かってるの?」

 佳奈美が訊ねると、偽人は淡々と答えた。

「陽のクリスタルの間です。そこからは一本道で外に出られます」

「つまり、案内はそこまでだ、と」

「左様でございます」

 夏希に答えて偽人は言った。

 やがて、円柱の森の先に太陽を地上に持ってきたような、鮮烈な光の塊が現れた。

「あれがクリスタルか」

 実篤の言葉に偽人が首を縦に振った。

「左様でございます」

 一行が近づくと、クリスタルは直径十メートルほどの球体をしていた。

 床から10メートルほど浮いており、魔法陣のような文様の浮いた床から様々な色の光が細い煙のように立ち上ってクリスタルに吸い込まれている。

「……綺麗」

 佳奈美が呟いた時、夏希はクリスタルとは別の方向に幾つか人影があるのを見つけた。

「偽人……じゃないな」

 夏希が言うと偽人は無感動に、

「人間です。ここは出入りは自由でございますが故」

「どういう人間なんだ?」

「さて。我々の関知する所ではありません」

 偽人は言いながらクリスタルの前に立って振り向いた。

「これで案内は終了です。皆様お疲れ様でした」

「これから先俺たちはどうすりゃいいんだ?」

 徹也の言葉には答えずに偽人は両手を広げて背後の魔法陣に仰向けに倒れた。

 一同が声を上げる間もなく、卵の殻の割れるような音と共に偽人が粉砕される。

「きゃっ!」

 美和が声を上げる間にも偽人だったものは、床の魔法陣から立ち上る虹のような光とは逆に、魔法陣の線の中へと吸い込まれていく。

「どうなってるんだ?」

 呆然として実篤が言うと、頭までフルフェイスのヘルメットのような装甲に覆われた人間らしきものが歩み寄ってきた。

「驚く事はない。偽人はみんなこうだ」

 白い装甲はハリウッド映画の有名なSFの兵士の装備によく似ていた。

 手にはひと目見て銃と分かる金属とプラスチックの物体が握られている。

「誰だ、テメェ」

 徹也が装甲に向かって言った。

 先頭の一人に五人の装甲が続く。一見して見分けがつかないが、夏希が観察すると肩のアーマーに階級章らしい文様が描かれていた。

「私はアキバ公国軍憲兵団少尉淡路則夫だ」

「アキバ公国軍?」

 眉を顰めて実篤が尋ねる。

「この世界……我々が関東と呼んでいる土地の南部を支配するアキバ公国の国防軍だ」

「国があるのか?」

「公平を期す為に前もって言っておくが、この世界は巨大な円盤の形をしている。便宜上我々が北と呼んでいる方角にはグンマ帝国が存在する。それと平野を挟んで存在しているのがアキバ公国だ」

 実篤の問いに淡路が答えた。

「この場所はアキバ公国の領土という訳か?」

「この施設は中立地帯だ。が、テロの危険がある為、アキバ公国軍が警備を行なっている」

 銃を掲げて淡路が言った。

「テロ? この施設を攻撃する人間がいるのか? 攻撃する事で人間に影響が出るのか?」

 夏希は尋ねた。施設そのものは無害に思えるし、クリスタルは人間に祝福を与えるのだから破壊する理由がない。

「陰のクリスタルはグンマ帝国が支配している。陽は正位置の、陰は逆位置のアルカナに影響を及ぼす。グンマ帝国にとってこの陽のクリスタルを破壊、もしくは攻略することはアキバ公国支配の第一歩となるのだ」

「と、言う事はお前が言っていた警備や中立というのはお題目で、実際はここはアキバ公国領という訳だな」

 傲然と胸を反らして実篤が言い放す。

「実効支配という意味においては、な」

「だが、名目上公国領にできない理由がある。この世界はアキバとグンマ二国以外に勢力が存在しているという事だな?」

 実篤の薄い色の瞳が鋭い輝きを放つ。

「確かに。アキバ公国とグンマ帝国の間にはサイタマ、トチギ、イバラキの三部族が存在する。が、この三部族は基本的にアキバ公国に忠誠を誓っている」

「なるほどな。で、お前たちには俺たちをリクルートする役目もある訳だ。お前たちが陽のクリスタルを支配しているという事は、アキバ公国は正位置のファミリア使いに支配されているという事だろう?」

「確かに。では検査させてもらう」

 淡路はそう言うとスマホをかざした。

「お前のアルカナは何だ」

 実篤が不遜な口調で言う。

「答える義務はない」

「なるほど、俺達の中にファミリアを出さずに相手のアルカナと数値を読み取れるスキルの持ち主はいなかった。貴様にはその能力があるという事だな。面白い」

 実篤の前に出現したエンペラーが淡路のスマホを跳ね除ける。

「貴様、何を!」

 淡路の背後の兵士が銃口を実篤に向ける。

「低級のカードでも銃を持てばそれなりの戦闘力にはなるという事か。だが、皇帝の俺に通用すると思うなッ!」

 エンペラーが稲妻のような速さで兵士の一人を投げ飛ばし、奪った銃を実篤に向かって放り投げる。

 受け取った実篤が銃口を兵士に向ける。

「ファミリア!」

 淡路が声を上げると、四人の兵士が装甲の下で構える様子が夏希にも分かった。

「ハングドマン!」

 夏希が声を上げた時には、他の四人もファミリアを出現させていた。

 両陣営の上に出現したクリスタルと同じ形の光の塊から光が降り注ぎ、十体のファミリアを光で包み込む。

 光の大きさは夏希たちの方が大きかった。

 相手は4人で役を作っているから最高で4カード。50倍のボーナスだが、元のカードが5以上でなければ275点の夏希たちには敵わない。

 夏希が考える間にも実篤のエンペラー、徹也のジャスティス、優子のストレングスが赤子の手をひねるように兵士たちの出したファミリアを殲滅する。

 ファミリアの負った傷が兵士たちにも跳ね返っているのだろう、倒れる兵士たちの装甲の隙間から血が流れだす。

 巨大な戦鎚で兵士のファミリアを叩き潰したストレングスが、そのままの勢いで淡路に殴りかかる。

「待て!」

 実篤のエンペラーがストレングスの戦鎚を受け止める。

 が、パワーに差があるのだろう、エンペラーの身体が戦鎚に弾かれて円柱に叩きつけられる。

「甘ったれた事言ってんじゃないよ! 手ェ出しちまったからには一人でも逃したらどうなるか分かんないよ!」

 外見からは予想もできない勇ましい口調で優子が言う。

「後は殺して構わん! そいつには利用価値がある!」

 痛みをこらえるかのように、実篤が絞りだすような声を上げる。

「今更何言ってんだ! テメェが始めたこったろうがよ!」

 徹也がジャスティスの腕を銃に変形させ、淡路のマスクの顎に突きつけて言う。

「相手のスキルを読む能力が要る! 貴様らこの先戦うか組むか何を基準に判断するつもりだ!」

 実篤の声に徹也と優子が手を止めて顔を向ける。

「恐らくそいつのカードは9以下だ。もし自分の力だけで相手の能力が読めるのだとしたら、わざわざ俺たちに許可を得る必要がない。そして相手の能力を読むスキルが存在するとしたら、カードの数字に応じる筈。だとすれば俺たちの力が読めなかったのは俺たちよりランクが下だからだ」

 淡路に歩み寄りながら実篤が言う。

「半殺しにしても構わん。いや、その方が言う事を聞くかもしれん。スライムでコイツのコピーを作って俺のエンペラーで強化をすれば13までランクを上げられるからな」

 片手でジャスティスを押しのけて、エンペラーで淡路を羽交い絞めにした実篤が、マスクを剥ぎ取る。

 夏希と同年代の、丸刈りの怯えた少年の顔が姿を表す。

「高圧的な物言いの割には可愛い顔をしているではないか」

 淡路の顎をつまんで、その顔を覗きこむようにして実篤は言うと、

「協力するか、敵対するか。少尉、時間はないぞ」

 色素の薄い氷のような瞳に射られて淡路の顔中に脂汗が浮かぶ。

「警備兵という事は交替があるのだろう? 時間稼ぎはされたくないからな。俺たちには貴様らのそのアーマーを着て、中身をあの魔法陣に捨てるという選択肢がある」

 淡路が唇を震わせながら頭を左右に振る。

「お前らの人数は六人。俺たちも六人。貴様が従順なら貴様は13の皇帝というこの俺をアキバ公国に護衛して行くという栄誉を担う事ができる。もっとも、貴様が死んでも次の連中を使えばいいだけの事だがな」

 どこまで本気なのか。実篤の顔に凄絶な笑みが浮かぶ。元が貴公子然としているだけに、悪意を浮かべたその顔は悪魔を通りすぎて魔王を思わせる。

「わ、分かった。言う事をきく、こっ、殺さないでくれ」

 目を限界まで見開いて淡路が言う。

「よろしい。今からお前は俺たちの下僕だ」

 エンペラーが淡路の身体を床の上に転がす。

「では最初の仕事だ。そこの床でのびてる連中のアーマーを外して俺たちによこせ。中身は魔法陣に放り込むか自分で始末しろ」

 淡路の耳元に屈みこんで実篤が言う。

「待て! 実篤! 何もそこまでする事はないだろ!」

 夏希は声を上げた。

 敵か味方か分からないが、問答無用で殺すのは人として間違っている。

「じゃあ夏希、俺達が憲兵になりすましてアキバ公国とやらに侵入した事がバレたらどうする?」

「侵入したらどっちみちばれるだろ!」

「いいか夏希、これは戦争だ。大手を振って堂々と国に入りたければそれもいい。だがな、権力者は新参者を利用する事は考えても、利用されてやろうなどとお人好しな事を考える事はない。特に権力者が一同に会する場では尚更だ。だが、一人ひとり切り崩す事は可能だ。情報を集め、味方を作ってから乗り込むんだ。で、なければ俺たちは一生パシリだ」

 実篤が視線でなぎ払うと、夏希に好意的と思われていた徹也が視線を床に落とした。

「仮にお前の言うような支配構造があるとして、お前はその中の一人になってそれで満足なのか? 誰かを犠牲にしなきゃ成し遂げられないものは夢じゃない、野望だ!」

「そうだ! これは俺の野望だ。お前らには選ぶ権利がある。俺の生き方を否定して敗者に甘んじるか、それとも俺と共に力に応じた正当な報酬を受け取るか」

 実篤の言葉に美和と優子が俯く。

 利害で考えれば実篤の言葉には隙がない。

 否、力を追い求めるという点において実篤には他人には持ち得ない強靭な芯があるのだ。 

「受け取るって誰から? 奪い取るの間違いじゃないの? 人から恨まれて少しくらいいい生活したっていい気持ちになんてならない! 私は底辺でもいい、人と助けあって生きて行きたい!」

 佳奈美が磨きあげた黒曜石の瞳で実篤の氷蒼色の瞳を見返す。

「底辺で生活した事がないからそのような絵空事が言える。貧しければ疑い、騙し、奪い、奪われ、互いに傷つけあう事を止められない。貧しい者に代理戦争を押し付けられるから富める者は争わないのだ。助け合いなどという言葉を口にできるのは自らの分を忘れた奢りだ! その傲慢の論理で世界が救えるか! 人が救えるか試してみるがいい!」

「試すわよ! 私はあなたからこの淡路さんを守ってみせる!」

 佳奈美が愚者を発動させて実篤の前に立つ。

「誰か一人でも貴様の味方に立つか? 貴様一人の能力でこの俺に勝てると思うか? おい、淡路、お前、俺に逆らってもいいのだぞ。その愚者と力を合わせて俺を倒してみろ。運が良ければ助かるかも知れんぞ」

 実篤の言葉に顔を青ざめさせて淡路が顔を左右に振る。

「淡路さん!」

 佳奈美が悲鳴にも似た叫び声を上げる。

「見ろ、貴様の助けたい淡路を救えるのは貴様ではない。この俺だ」

 実篤が勝利者の笑みを浮かべて佳奈美を傲然と見下す。

「心が人を救うのではない、力が人を救うのだ。それがこの世の真実だ」

「……それでもいいさ、お前は正しくて俺は間違ってるのかも知れない。でも覚めない夢を見ていたいって人間が世界に俺だけじゃなかっただけでも、世の中そうそう捨てたモンじゃない」

 夏希はハングドマンを愚者に並ばせた。

 愚者が反応して18のハングドマンが出現する。

「負け犬でもいいさ。一日の終わりの一杯が美味けりゃそれでいい。踏みつけにした亡霊の顔を忘れるのに酒の力を借りなきゃ眠れない人生より余程マシさ」

「綺麗事なら幾らでも言える。だが、貴様ら二人で何ができる? 俺一人に勝っても三人……いや、淡路を加えて四人か。この人数を相手に意思を貫く事ができるか? 貫いた先に何が待っている? 敗北がそんなに恋しいか?」

 実篤が言うと、徹也が激しく頭を振った。

「あ~っ! 俺とした事が友達を見捨てちまう所だったぜ! 実篤! テメェは正しいかも知れねぇが人として気に入らねぇ! 俺は俺の……友達のハートを信じる!」

 徹也が夏希に並ぶと実篤は眉を顰めた。

「こういう事だよ。アンタ。夏希が佳奈美についた時にもうあんたのストレートは崩壊してんだよ。力がなけりゃ正論も通らないんじゃないのかい?」

 優子が言うと美和がハッとしたように実篤と佳奈美の顔を見比べた。

「貴様ら、後悔するぞ!」

 言って実篤は背を向け、

「淡路。貴様の部下は貴様のしたいようにしろ。ただし、貴様とアーマーはここに残せ。それが嫌なら俺一人でもお前らを殲滅する」

 その言葉に飛び起きた淡路はぐったりとして動かない部下たちに駆け寄った。

「久能さん……」

 佳奈美が声をかけようとすると、実篤は苦々しげに振り向いた。

「俺は貴様に屈したんじゃない。夏希の顔を立てただけだ」

「悪いな。借りを作っちまったかな」

 夏希が言うと実篤は苦笑して、

「必ず返せよ」 

 彼の突き出した拳を夏希は血まみれの震える拳で叩いた。



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