第一部 二章-A
ちょい短めです。
帝国月花会。天球城では半年に一度、片離宮と呼ばれる豪奢な建物でパーティーを行っている。
藍色と紫を合わせた、ラピスラズリのような色の宮殿。かつて皇帝アレスが健啖だった頃、地上の王族を集めて、ここで神聖帝国に忠誠を誓わせたという。
華美な宝石が瞬くかのように、金銀色々の貴金属が扉の淵に埋まっている。
この建物だけで、地上の数分の一が購入できるかのようだった。
「だが……会場の中は案外普通なんだな」
「馬鹿。何も知らねぇんだな。今じゃ帝国の国庫は火の車だ。元老院が財政再建ってことで、片離宮にある高価なものを売っぱらっちまったんだよ。まったくそれもこれも教会がだな……」
クロノスはウラノスの説明を耳半分で聞きながら、ぐるりとパーティー会場を見回した。
鍵穴のような形をした奥に丸い大きな部屋。
出口に近い所から、下級審族や地上の王族、その次に上級神族、皇族と続いている。
クロノスはルキナ皇女からの招待ということもあって、比較的貴賓席に近いところに立っていた。ウラノスは家柄的には貴賓席に座れるのだが、「あそこじゃ息が詰まる」となぜかクロノスの横にひっついて離れない。
「…………」
皇族しか座れない、宮殿の二階座席。防弾ガラスで覆われたテラスの上には、第一皇子フィオガの姿しかなかった。
(ルキナは……まだ来てないのか)
と、その時、右腕に鋭い痛みが走った。
勢い振り向くと、ウラノスがむっとした表情で、クロノスの腕をつねっていたのだ。
「オレの話はそんなにつまんねーか、ああ?」
「いや、すまない。ぼうっとしていた」
「……どうせ、姫様のこと考えてたんだろう?」
ウラノスがそっぽ向いて、ぼそぼそつぶやく。
「ん? 今なんて言ったんだ」
「クロノスは天上一根暗な糞野郎だって言ったんだよ!」
「そうか。まぁ、自覚はしている」
「ここまで言われて怒らねぇのかよ!」
「おい。スカートで地団駄を踏むな。見えそうになる」
「ばっ、見るな!」
「……見てない」
「その間はなんだよ!」
会場では中央にダンスフロアがあり、様々な格好でドレスアップした男女がワルツに合わせて踊っていた。
その近くにクロノス達は立っており、二人の片手にはワイングラス。
帝国では16歳から飲酒が認められており、酒が好きなウラノスは瓶ごともらって、料理をかっ食らっていた。
「……そんなに食べて太らないのか」
「ふんっ、久しぶりの天上世界だぜ。パリスの中じゃ糞みてぇな携帯食料しか食えなかったからな」
彼女の皿は、すべて肉。野菜を一欠片も口に入れようとしない。
対して反対にクロノスは野菜ばかり。
こういう食生活にも彼らの性格は良く現れていた。
「……ちっ、フィオガ様にとりいろうと必死だな。糞爺ぃども」
食べながら、ウラノスはちらっと二階席を見た。
クロノスも自然と次の皇帝であろう皇子の様子を窺う。
悠然と足を組み、次々と顔見せに現れる元老院議員達に、酷薄な笑みで何事が告げていた。
禍つ星の皇子。
なんとも不吉な渾名を叫ばれる皇子ではあるが、ルキナの腹違いの兄である。
一言二言会話をした覚えはあるが、クロノスは彼がそこまで嫌いではなかった。
(何をしでかすかわからない、飢えた虎のような目をした人)
「おいおい。地上の王族まで挨拶回りかよ。しかも……ちっ」
ウラノスの顔に苦味が走る。
クロノスも突然のことに頭が真っ赤に染まるのを感じた。
フィオガの前に現れた人間。肥え太った豚のような地上の王が、首輪につながれた美しいエルミラの男女数名を連れてきたのだ。
次世代の天上天下の王に、奴隷を貢にに来たのだろう。
「あれは……西の蛮族の王か。馬鹿なことを」
ビアギラ地方の王。一世代前、地上侵略に向けて動き出すメサルティム帝国軍に、いち早く降伏した国だ。
心の深淵に落ちていく暗い濁り。
クロノスは瞼を閉じて、残酷な光景を閉めだした。
「はっ」
ウラノスの心底侮蔑したような笑い声が聞こえた。
もう一度目を開けて、二階席を見る。
防弾ガラスに真っ赤な血糊が大量にこびりついていた。フィオガの足元には胴体と切り離された無残な男の首が落ちている。
『気分が悪くなった。そのゴミを掃除しておけ』
フィオガは下にいる憲兵にマイクで命令すると、静かに外套を翻し、宮殿の奥へとさがっていく。
貢ものの奴隷たちは何が起こったのか分からずポカンとしていた。
「馬鹿だねぇ。フィオガ様はああいう卑屈な奴が一番嫌いなのになぁ」
「……ああ。本当に、大馬鹿だ」
クロノスは目を細め、拳を握り締めながら、怒りを抑えていた。
(人間が人間を売り買いする。いや、強者が弱者を支配しているんだ。力の強い者が全てを手に入れるのは自然の摂理だ。だが……)
神族と人間の問題ではない。
生物の本質というものを見せられた気分がして、クロノスの心は千々に乱れていた。
「あんな糞エルミラが王だぜ? マジで地上って野蛮人ばかりだな」
ウラノスがワインを煽り、獰猛に唸った。ちょうど会場ではワルツの曲が終わり、ゆったりとしたチークダンスが始まっていた。
ホールの明かりが薄暗い赤に染まり、ロマンチックな雰囲気が流れる。
「お、おい……」
「なんだ、ウラノス? 顔が赤いぞ」
「隣にこんないい女がいるんだぜ。誘わなくていいのかよ?」
クロノスは相変わらずの無表情。しかし、内面すごく驚いていた。
「熱でもあるのか?」
「……かもな。酒で酔ってんのかもしんねぇ」
クロノスはへの字に口を曲げたウラノスの額に手を当てる。
確かに少し熱い。
だが、まだ平熱といえよう。いつも突拍子のないウラノスのことだ。これも気まぐれなのだろう。
(まだルキナも来ていない。少しくらいなら、いいだろう)
「で、どうすんだよ?」
ウラノスが明後日の方向を向きながら、横目でチラチラとこちらを見てくる。
クロノスは黙って、腰を曲げ、貴族としての礼をとった。
「……お嬢様。私でよければ喜んで」
「ぷっ、なんだそりゃ」
失礼なことに、ウラノスが吹き出していた。
クロノスも自分が似合わないことをよくわかっている。少しの苦笑いを浮かべる。
「……半神半人だからと言って甘く見ないことだ。俺は貴族教育を受けてきている。ダンスだって人並みには踊れるさ」
「馬ー鹿。誂うつもりで誘ったわけじゃねぇ。勘違いすんなよ。これはあくまでオレの気まぐれなんだからな」
「わかってるよ」
「……だからわかってねぇんだよ、糞クロノス」
クロノスは黙って手を差し出した。
その上に手を重ね、ウラノスも貴族令嬢らしくお辞儀をした。
二人見つめ合いながら、ダンスの輪に混ざっていく。
翠玉色したライトに変化し、時間がさらにゆっくりと回転し始める。会場には声はなく、ただムーディな音楽だけが木霊していた。
暗い空間でも、ウラノスの碧眼が光彩を放っている。二人とも体を寄せ合い密着している。ダンスだから当然なのだが、それでもどこか気恥ずかしかった。
水彩色にライトアップされた中、赤いドレスが良く映えていた。
「なんだ。マジでうまいじゃねぇか。少しがっかりだぜ」
「お前こそ。本当に貴族令嬢だったんだな」
「ったく。口のへらねぇ奴」
「お互い様だ」
クロノスとウラノス。
二人、穏やかに笑みをかわした。
ちょうどその時だった。
天球城が微かに揺れたのだ。そして大きく縁どられた窓から見えるのは、微かに揺れる白い煙。帝都の方角だった。
ダンスミュージックが止まり、会場内に不穏な空気が流れ始める。
「これは地震なのか?」「それにあの煙は……」「まさかテロか」「馬鹿な。帝都でそのようなこと」「報告はまだか!」
皆の不安が高まっていく。
「ウラノス……あれは」
「ああ。火薬の煙だ」
ウラノスの表情が一変していた。まるで獲物を見つけた狼のように、唇を剥いて歯を見せている。
凄惨な笑みだった。
敵があそこにいる。そう確信しての闘争本能を間近で見せつけられる。
「まさか……本当に」
クロノスの問に、彼女はゆっくりと頷いた。
「ありゃテロだ。赤い狼の連中が帝都にまで潜り込んできたのさ」
ちょうどその時だった。
城の西端。夜間照明具が眩い光を発し、暗夜を切り裂くけたたましいサイレンが鳴り響く。
片離宮からでは良く見えないが、細かな点が幾つも連なりながら、城外へと排出されていく様子が窺えた。素早い離陸の動きからして、帝国量産型のパリス『アイギス』だろう。
高い鼻に抜けるようなエンジン音が特徴の、比較的小柄な機種だ。背中には両翼があり、腹のあたりから爆弾を投下するなど、平面制圧能力の高さが売りである。
ここにきて、ようやく他の客らも、この異常に気づいていく。
そして、パーティー会場の灯りが一斉に消され、あたりはにわかに騒然としてきた。
「なんだ。いったいどうしたというのだ!」「ま、まさか襲撃!」「テロなの!」「衛兵! 衛兵はおらんのか!」「は、早くわたくしを逃しなさい! わたくしを誰だと思っているの!」
魔素を貯蓄するバッテリーの不具合という名目で、警備員が騒ぎを沈めにかかるが、一旦火がついた混乱は中々収まらない。
怒号が会場内を満たし、そのはけ口を求めて溢れ出す。
多くの人々が出口を求めて、扉に殺到していった。
「おお、おお。豚みてぇに悲鳴あげながら、阿呆どもが逃げ惑ってら」
ウラノスはこの混乱の最中でさえ、酒を煽っていた。
落ち着いているのはクロノスも一緒だが、さすがに飲み食いを続ける気分じゃない。
「だが、おかしいな」
「お前の頭がか?」
「ふざけるな、ウラノス。爆発があったのは帝都だろう。それならどうして天球城にまで被害が及ぶんだ?」
「はぁ? 馬鹿じゃねぇのか、お前。帝都の動力機関がイカレたら、城のエネルギーもストップするに決まってんじゃん」
それは正しい。現在天上世界におけるあらゆるエネルギーを生み出しているのは、帝国工業地帯だ。
帝都中に張り巡らされたパイプにある濃密な魔素を、瞬時に各家庭企業に配送できるシステムを作った有名な会社である。
まだ被害がどの程度なのかわかっていないため、はっきりとしたことは言えない。
しかし、工業地帯のいずれかに爆発が起きていれば、帝国の機関が一時麻痺するという事態に十分成りうる。
「お前の考えはもっともだ。だが、そういった事態に対処するため、昨年から帝国の主要設備には予備動力炉を設置すると通達にあっただろう?」
「……そうだっけかな」
「軍学校の実地研修で教官から教わったろうが」
「そんな昔の話、覚えてられるか」
クロノスは分かりやすくため息をついてみせた。
ゆっくりと目を閉じて、周囲に充満する喧騒を思考から削除する。世界に自分だけがいる感覚。雑念が散らばって、知覚だけが冴え渡る。
(もしも俺がテロリストだとしたら……どうする?)
帝都の爆破。それで得られるもの。
天球城の動力停止。パーティーを狙ってのものだとしたら?
(俺がテロリスト、赤い狼なら、この混乱を装い、……狙いは重要人物の暗殺。それも身分が高ければ高いほどいい)
「まさか!?」
クロノスはいてもたってもいられず、会場を足早に駆けていく。
「おい、クロノス! っち。元老院命令だ! ここで待機だ! おい!」
その後ろで、ウラノスがポカンとした表情で、何事か叫んでいた。
しかし、今はそれどころではない。
(ルキナが狙われないという保証はない!)
この片離宮には現在、皇帝皇子皇女と、暗殺するには十分な神族が多くいる。
バクラ所属の兵士としての自分。ここは待機して命令を待つのが正しいマニュアルだ。
だが、クロノスの忠誠はルキナにのみ捧げられている。
(ルキナならまず大丈夫だろうとは思うが……、暗闇からの気配を消しての奇襲なら)
もしかしたら皇女が討たれるかもしれない。
その思考に背筋がぞっとする。
クロノスの足は自然と早くなっていた。
今回あまり推敲できてません。
もし誤りなどがあればご指摘ください。