第一章-D
なにぶん初心者なので、見苦しい文章などがあればお許しを
ルキナは息を切らしながら、城の螺旋階段を走っていた。
荒い呼吸に混じって、微かな笑みが溢れる。
すれ違う貴族たちは何事かと、驚き振り返る。しかし、今はそんなことどうでもよかった。
早く一人になりたい。
思いっきり声を上げたかった。何を? それこそ、どうでもいい!
五階、貴賓室の前を大きな足音をたてて、走り去る。
回廊を抜けた先、鉄製の扉をこじ開けた。
天球城の渡り廊下に出た。
西棟と東塔を結ぶ通路だ。左右ガラス張りになっており、青空と雲、天上世界の全てを見渡せる。
偉大なる始祖神が作った栄華の象徴たる城。
ルキナはそのベランダで思いっきり大声を張り上げた。
(あのクロノスの真っ赤な顔……)
「はは……あははははは!」
ついに笑ってしまった。
我慢できなかった。
あの朴念仁を恥ずかしがらせてやった。
嬉しかった。勝ったと思った。
自分でも何が勝ったのかよくわからないが、とにかくクロノスに勝利したのだ。
「…………」
ここで少しルキナは立ち止まった。
どこまでも視界いっぱい広がる空の中、皇女はややあって頬に手を当てた。足をもじもじさせる。
顔が熱かった。
ガラスに映る自分の顔は、すっかり赤林檎のような色に染まっている。
いまさらながら恥ずかしさが到来した。
「うわあああああああ! わたしは何をやっているんだ!? あれでは痴女ではないか!」
男の頭を抱いて胸へ……胸へっ!
(クロノスは確かわたしのことを破廉恥だと言ったな! 違う! 違うのだ! あの無表情な馬鹿に少しはわたしの魅力をわからせるためっ、仕方なくやったのだ!)
心の中のクロノスに、散々言い訳を言う。
頭の中、すでに言葉にならないような叫びが渦巻いていた。
ルキナはひとしきり赤くなったり、青くなった後、うなだれるようにガラスに額を押し付けた。
冷たくて気持ちいい。
少し冷静さが戻ってくる。
渡り廊下が閑散としていて良かった。もし他人に先の姿を見られようものなら、ルキナは今夜にでも切腹して果てている。
「……そもそもあいつが悪いんだ。この大胆なドレスだって、あいつがいるから」
大きく胸元の開いた大人っぽいドレス。
悩殺とはいかないまでも、少しくらい何かあってもよかったはずだ。
最初は御巫山戯のつもりだった。
だが、あまりにも平素と変わらない少年の様子に、皇女の女としてのプライドが傷つけられたのだ。
夜のパーティーにはクロノスも出席する。
他ならぬルキナ自身が招待したのだが。いまさらながら失敗したかもと思う。
次にどんな表情で会えばいいかわからなかった。
(あの根暗馬鹿。わたしにこんな思いをさせおって)
思い返してまた顔が赤くなってきた。
クロノスの呼吸や頭の感触が、まだ手や胸に残っている。
(背……高くなってたな)
十六歳の少年。
あの時期の男は成長するのが早い。
一ヶ月前会った時よりも、ちょっと顔つきが鋭くなっていた。
体つきもずっと男らしくなっていた。厳しいパリス戦闘は痩せっぽちだった彼を、ずっと筋肉質にしていた。
貧弱。
泣き虫で弱いクロノス。
ルキナの目は過去に飛んでいた。
十年前だったか。
初めてあの少年に出会った日。
(ああ、あれは……。わたしの母上が亡くなった日の、翌朝だったか)
過去の情景。
今では擦り切れた映画フィルムのように、断片的にしか思い出せないが、それでも大切なルキナの気持ち。
皇帝の妃達が囲われている宮殿の、一際大きな部屋。
ルキナはもう冷たくなった母の隣で、いつまでも奥歯を噛み締めていた。
―――泣くものか。
―――わたしは皇女だぞ。
―――誰にも涙なんて見せるもんか。
天上天下、全てを統べる帝王の娘。神族の代表だ。
ルキナはいつでも皇族としての覇を見せていなければならなかった。
弱みは見せない。
常に強者であることを望まれていた。
涙などもってのほかだ。
つけこまれるもとになる。
強者は弱者を好きにできる。それがここのルール。
後宮は王の寵愛を得るためならなんでもする、腐ったハイエナどもの集まりだったから。
皇妃であった母をその嫉妬で苦しめ、今度はルキナまでも弑さんとする者達。
殺したいほど憎い。
母は心労でいつも疲れた表情を浮かべていた。
―――母様を殺したのはあいつらだ!
―――悲しんでいる暇はない。強くならなくては。
いつも守ってくれた母はもういない。
これからは自分で自分を守るしかないのだ。
「…………」
ルキナは目から溢れそうになる雫を、強引に腕でこすって隠した。
誰が見ているわけでもないのに、毅然とした表情であるよう努めていた。
胸をはって、唇を真一文字に引き絞る。
鏡を見た。
眉をしかめ、怖い顔した自分がいた。
―――これでいい。
―――君主は愛されるより、恐れられよ。
地上の古代の文献で見つけた、本の内容を頭に思い返した。たしかマキャベリだったか。
君主はこうあるべき、といったものだ。
壁にかかった時計は、もう正午をまわろうとしていた。
もうじき棺を持った神官たちがやってくる。
白いハンカチを顔にかけられた母を見る。これが最後のお別れだった。
もう行かなくては……。
「ん?」
と、その時だった。
防弾のため二重になった窓。風通しのため、少し開けられたそこから微かな声が聞こえてきた。
ルキナは窓の外を見た。しかし、誰もいない。
白いレースのカーテンがたなびいている。
中庭の木々が風で葉を散らせていた。
ルキナは窓をゆっくりと開いた。扇月の季節、もうすぐ冬になる。冷たい空気が頬をなめていった。
曇天の下、中庭の木々の影。
まるで幹に頭をこすりつけるように、一人の男の子が泣いていた。
「っ!?」
ルキナは驚いた。同い年くらいの男。
もちろん後宮は男子禁制だった。
なぜこんなところに?
疑問がいっぱいで、ルキナは立ちすくむ。
そして後に怒りが湧いてきた。
―――わたしが泣かないよう、頑張っているのに。男のくせに情けない。
「おい、お前」
「~~っ!?」
ベソをかいたまま、男の子は顔をあげた。ルキナを怯えた表情で見、また嗚咽を漏らし始めた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
なんという情けない姿か。
「男子たるもの、女の前でめそめそと泣くな」
「でも……ぐすっ。ひっく」
「はぁ……、そもそもお前はどこの誰なんだ?」
近くに警備兵はいない。
それだけこいつが信用されているということか。それとも、どこか有力貴族の息子なのか。
恐らく後者だろう。
着ている服は上等だし、体から発する魔素はかなりの量だったから。
「う、うえーっ」
ますます泣き出す男の子。ルキナが怖い顔をしていたせいだが、まるで話にならなかった。
「いい加減泣き止まないか!」そう怒鳴ると、やっと静かになった。
ここまでやってきた経緯を説明させる。
すると興味深いことがわかってきた。
「……父さんが王様に挨拶してくる間、ボク宮殿を歩いていたんだ。そしたら、半神半人だって馬鹿にされて。ひっく」
「父上に挨拶だと? それに、お前は半神半人なのか」
「お姉ちゃんもボクを苛めるの?」
「お、お姉ちゃん?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。
お姉ちゃん……。
その呼ばれ方は嫌いではなかった。ルキナには兄が一人いるが、あまり優しくない。というより、多分彼女を嫌っている。
弟や妹が……家族が欲しかった。
母が死んで寂しかったのだろう。
どこの誰かもまだわからぬ少年だが、なぜか放ってはおけなかった。
「わたしは人を生まれでは判断しない。わたしの侍女も半神半人だ」
「そうなの? 苛められないの? じゃあボクもメイドさんになりたい」
その言葉に吹出す。
「ぷっ。馬鹿だな。男はなれないんだぞ」
「えー」
一つ年下。そして話してみると意外と愉快な奴だった。
すぐに親しくなった。
話しているうちに、こいつの素性もじきに明らかになってくる。
「ボクの父さん、ゲンロウインって所の議長らしいんだ。王様に大事な話があるって言ってた」
「なに! あのフォマルハウトの子なのか」
「うん。ボクの名前はクロノス。クロノス・フォマルハウトって言うんだ」
「なるほど。それでお前は半神半人なのか」
アイゼング・フォマルハウト。
経済学者であり魔素研究の第一人者。上級神格位の中でも五本の指に入るほどの有力貴族だった。
しかし―――彼には黒い噂もよく耳にしていた。
曰く、フォマルハウトはエルミラを溺愛している、と。
純神のくせに、人間にしか欲情しない。
奴隷のエルミラを次々と孕ませて、淫欲にふけっているというのだ。
あまりに荒唐無稽な噂だった。しかし、クロノスの存在が、噂にリアリティーを与える。
「お前、母上は人間なのか?」
「うん。ずっと前に死んじゃった」
「兄弟姉妹たちは?」
「たくさんいるよ。でも、離れて暮らしてる。もうずっと会ってないけどね」
外聞が悪いため隔離されたのか。
クロノスは淡々と話すが、恐らくこれは悲劇だ。
貴族たちの胸糞悪い闇の部分を、ルキナは知っている。
こいつの兄弟姉妹は、きっと殺されているだろう。
知られて面倒なものは、さっさと消してしまうのが貴族のやり方だ。
ルキナは顔に嫌悪感をにじませた。
そこで、一つの疑問を覚えた。
「待て。お前、本当に半神半人なんだな?」
「う、うん。そうだよ」
半神半人であることで随分と酷い目にあってきたのか。クロノスは目に恐怖を宿していた。
ルキナはそんなのことには構わずに、少年の肩を掴んだ。
「―――半神半人のお前が。……どうしてそんな魔素を身に宿していられる?」
半分人間の血の流れる者は、純神より魔素の扱いが拙い。
そのせいか多量の魔素を身に帯びると、気分が悪くなったり、酷い時には死に至る。
それなのに……。
―――こいつの全身を流れる粒子の量は、皇族のわたしより多い!?
「お前、ミューティアなのか?」
「う、うん。父さんがボクのことそう言ってた」
全ての辻褄がこれであった。
クロノスがフォマルハウト家に迎え入れられ、仮にも親子として暮らしていられるわけ。
他の兄弟姉妹と違い、クロノスだけ生きている理由。
それはこの少年の力にあったのだ。
―――この泣き虫は、将来きっと誰よりも強くなる。
―――そう、きっとわたしよりも。
「クロノス。お前、わたしの家来にならないか?」
「え?」
大きな紅真珠色の瞳が、丸くなる。
涙を含み潤んだまつげが、長く下に垂れていた。男とは思えないほど華奢な体。情けなく折れ曲がった眉。ボサボサの銀髪。全てにおいて欠点が出せる。
しかし―――まだ目は死んでない。
良い面構をしていた。
最初は冗談だった。家来なんて子供っぽいかもっと後悔し始める。
だが、クロノスが華やいだ笑顔を見せた。
「うん。なる! ボクお姉ちゃんの家来になるよ!」
これがこいつの初めての笑顔だった。
「あれから……十年か」
ルキナの意識が現在へ回帰する。
過去クロノスは、どこか放っておけない弟みたいなものだった。
しかし、今はどうだろう?
八歳で神式基礎学校を修了し、十歳で魔素博士号を取得。
十二歳で軍学校に入り、十六歳の今では元老院直属のエリート部隊に配属されている。
半神半人にとっては奇跡の出世と言える。
だが、まだ足りない。
クロノスの実力から言えば、もうとっくに将軍クラスの地位に付いていてもおかしくないはずなのだ。
フォマルハウト家の後ろ盾もあり、家柄もしっかりしている。
今では半神半人と面と向かって嘲る人間は、上位貴族の他はほとんどいなくなっていた。
帝国がクロノスの力を認め始めていたのだ。
しかし―――ルキナと釣り合う『男』としては、まだ弱い。
『バクラ』の犬となって、ただ命令通りに働いていたのでは、手柄は全て元老院のものになる。
このままではいつまでたってもルキナの家来どころか、結婚相手として―――。
「っ!?」
そこまで考えて、はっと気づいた。
渡り廊下がじわりと影に侵食される。
日光がちょうど上空に来たのだ。
ベランダから冷たい風が吹き、ルキナのスカートが左右になびいた。
熱くなっていた頭が、冷静さを取り戻す。
「わたしは……あいつのことが好きなのかな?」
率直な疑問が口を突いた。
(自分はマリナに何と言った?)
―――皇女のわたしが自由な恋愛など望むわけがない。国の選んだ男性と添い遂げるさ。
その時、彼女は何と言ったのか。
―――そんな悲しいことおっしゃらないでください。
わたしは別に望む恋愛ができないことを、別段悲しいとは思わなかった。
だけど、今なら少しは理解できるかもしれない。
(もしこの気持ちが恋ならば……、今確かにわたしは悲しい)
雲海が貿易風によって、ただ虚しく運ばれていく。
雲は自由でいいと誰かが言っていた。
だが、雲だって不安なのかもしれない。
ルキナはそっとスカートの裾を掴んだ。
『ちょっとした設定資料』
片眼鏡
クロノスの愛用品。
十一歳の時、パリス事故で右目を負傷する。
そのため視力が少し落ちた。今ではほとんど視力は元に戻っているはずだが、ルキナのプレゼントなので今もつけている。
神式基礎学校
神族の小学校みたいなもの。ただし単位制で、優秀な者は早く卒業できる。
純神ばかりの学校で、半神半人のクロノスは苛められていた。
友達もおらず、ただ勉強ばかりしていた。
だからこんな暗い子に育ってしまったとルキナはこぼす。
魔素博士号
魔素をうまく扱い、神の生活をより豊かにするという名目で行われている検定試験。
100万人に一人という合格者。ひどく狭き門である。
ルキナと釣り合う男
アレス陛下は割と半神半人容認派。
まわりの官僚がうるさい。
半神半人を疎む者もいるが、大半はフォマルハウト家のさらなる躍進を招くことを恐れている。
炎鎖の季節 5月6月 気温28度~34度 日差しが一番きつい
棘耗の季節 7月8月 気温33度~40度 乾燥
水月の季節 9月10月 気温25~30度 雨多し
扇月の季節 11月12月 気温20~10度
氷泉の季節 1月2月 気温5度~0度 たまに雪
始宴の季節 3月4月 10度~25度
ダーク系ハーレムファンタジーというのは、結構難しいものですね。
でも始めたからには完結させます。
ご感想お待ちしております!