伯爵令嬢は贅沢を好まない
ミスティ・オーヴには前世の記憶がある。
セレネ・ムーンライト。
公爵令嬢として生まれた彼女は、家柄と彼女自身の素質を見込まれ、当時の王太子の婚約者となった。
しかし王太子はこの婚約に反発し、あろうことか男爵令嬢を見初め、セレネには見向きもしなかった。
歪な三角関係は王太子とセレネの婚姻後も、王太子の即位後も続き、王は愛人にした男爵令嬢と享楽にふけり政務を疎かにした。
その皺寄せを受けたのがセレネだった。
王妃の公務は外交と社交だけでも多忙だ。
それに加え、仕事をしない王の内政までもがセレネの肩に伸し掛かる。
…セレネは激務の果てに体を壊し、他界した。
ミスティは五歳の頃、高熱で魘された際に前世の記憶を思い出した。
長い長い夢を見た。
五歳の心には夢が自身の前世だと受け入れるまでに時間がかかったけれど、ミスティはゆっくりと受け入れ、セレネと共に成長していった。
*****
「レジェ、こっちよ。早く早く!」
「落ち着いてよ、姉様。そんなに急がなくても、お店は逃げないよ」
十四歳になったミスティは二つ下の弟を急かしながら、領都の大通りを駆けていく。
ミスティの弟のレジェンダ・オーヴはそんな姉を宥めながら後に続く。
オーヴ伯爵家の姉弟は今ではちょっとした有名人だった。
父伯爵の領政を支える姉ミスティと、幼いながらも剣才に恵まれ、騎士見習いとして姉の護衛も担える弟レジェンダ。
二人の才と功績は決して小さくはなく、領地を整え、治安を安定させた。
領主の子供たちがこうして街中を駆けることが出来る程に。
「此処ね!」
やがてミスティが足を止めたのは一軒のカフェの前。
店先の看板には“新装開店”の文字が掲げられている。
店には行列が出来、その一角はとても賑わっていた。
「ん〜、ちょっと来るのが遅かったかしら?…まぁいいわ。待ちましょう」
「思った以上の賑わいだね。でも、アンナのお菓子はとても美味しかったものね」
「そうね!またアンナのお菓子が食べられるなんて、これ以上にない喜びだわ!」
「浮かれすぎだよ、姉様」
全身で喜びを露わにするミスティの様子に、くすりと笑みを零すレジェンダ。
「!あら、ミスティ様、レジェンダ様。こんにちは。お二人もいらしてたんですね」
二人の会話で伯爵家の姉弟に気付いた女性が声をかける。
「うん、此処は以前、伯爵家で働いていた侍女が開いたお店なんだ」
「アンナのお菓子は、私たちの自慢の一品よ!」
「まぁ、そうなんですね!それは楽しみです」
姉弟の言葉に、女性はそう言って柔らかく微笑んだ。
*
「ああ、懐かしい…」
紅茶のパウンドケーキを一口食べたミスティは一言零し、後味の余韻に浸った。
「姉様、紅茶好きだものね」
「ええ。好きよ!…でもいつか、コーヒーというものを、飲んでみたいのよね…」
「コーヒーはとても苦いって聞くけど…姉様に飲めるの?」
「…そ、そんなの、飲んでみないと判らないわよ…っ」
「まぁ、僕はコーヒーの似合う大人になるからね」
「レジェこそ、苦〜いって泣くんじゃないの?」
「…そんなこと、無いし…っ!」
そんな風にキャイキャイと話しながらティータイムを楽しむ二人に、店主らしき女性が声をかける。
「ミスティ様、レジェンダ様、お久しぶりでございます」
「アンナ、久しぶり。開店、おめでとう。もう既に大人気だね」
「アンナ、久しぶりね!開店、おめでとう!…お祝いのお花は届いたかしら?」
「お二人共、ありがとうございます。ええ、いただいたお花はあちらに」
アンナが示す先には、大振りの花瓶にオレンジ色のガーベラがオンシジウム、アイビーと共に活けられている。
「やっぱりね!アンナにはガーベラが似合うと思ったの!」
嬉しそうに話すミスティに、橙髪薄茶瞳の女店主は朗らかな笑みを浮かべた。
*****
一年後。
十五歳になったミスティは王家のお茶会に呼ばれた。
このお茶会は、王太子と歳の近い貴族の子息子女を集め、王太子の婚約者と側近候補を探す目論見があるらしい。
だが、ミスティにはそんな大人たちの思惑など関係ない。
セレネの人生が、富と権力に対してミスティを懐疑的にする。
(セレネは公爵令嬢で生活には困らなかったけど、ちっとも幸せじゃなかった)
王族に自分を売り込むことに必死な他の子息子女を他所に、ミスティはパーティーの料理を堪能する。
「レジェ、このミートパイ、美味しいわね!」
「姉様、こっちのキッシュも美味しいよ!」
姉の気質の影響を受けたのか、レジェンダもまた権力には興味が無く、姉と共に料理を堪能している。
…そんな姉弟を珍しげに眺める者たちが少なからずいた。
*
「…あの二人は何処の家の者だ?」
王太子グランツ・ウェルスは、王太子に全く興味を示さない紫髪の二人を不思議に思った。
皆、王太子の機嫌を取ろうと必死なのに、あの二人は最初の挨拶以降こちらに近付きもしない。
そして満面の笑みで料理を堪能している。
「あのお二人はオーヴ伯爵家のご姉弟です」
(オーヴ伯爵家…聞いたことがある。令嬢は伯爵の領政を支え、令息は剣の才に優れている、と。まさかその二人が…)
オーヴ伯爵領の評判は聞いていたが、その立役者である姉弟が、自分とそう歳が違わないと知り驚いた。
(あの二人なら私と歳も釣り合うし、私の婚約者と側近に丁度良いではないか!)
グランツはオーヴ家の姉弟の才と名声を利用しようと考えた。
*
子爵子息リベル・クラージュもまた、オーヴ家の姉弟を不思議な思いで眺めていた。
(貴族の子息子女は皆、王族に侍りたい者たちばかりじゃないのか?)
自分も貴族ではあるのだが…実家の爵位は低く、領地もあまり豊かではない。王族の側近など、とてもじゃないが望めない。
それに比べて、オーヴ伯爵領はあの姉弟の力で栄えていると聞く。
評判はてっきり、王族に売り込むための噂だと思っていたのに。
(僕にもそんな才があれば…)
リベルはもし評判が本当なら羨ましい、と思った。
***
“君を婚約者にしてあげるよ”
“私の側近になっても良いよ”
お茶会から暫く後。
オーヴ伯爵家に王太子から二通の手紙が届いた。
ミスティには婚約の、レジェンダには側近の打診らしい。
「…何?この、上から目線」
確かに身分は王族の方が上だが、その居丈高な文面がミスティは気に食わなかった。
“王妃にしてやったのだから、文句を言わずに働け”
前世の王の言葉が脳裏に蘇る。
ミスティは盛大に顔を顰めた。
***
“お断りします”
“姉が望まないのであれば、私も貴方にお仕えする気はありません”
「…は?」
届いた返事にグランツは間の抜けた声を出した。
こんなにバッサリ断られるとは思ってもみなかったのだ。
グランツはお茶会での二人は遠慮していると思っていた。
王太子に集る子息子女たちに気圧されて。
だから、グランツから声をかけてやれば二人は喜んで王太子に侍るだろう、と。
「どういう…ことだ…?」
王族に傅く使用人たち、王族に侍る貴族たちしか知らないグランツは、姉弟からの対応に困惑した。
***
リベルは子爵領に戻り、日々の生活に追われていた。
クラージュ子爵領は数年前の災害で土地が荒れ、食料も不足気味だ。
最近は持ち直しつつあるが、それでもまだ領民が潤うには遠い。
子爵領の主な特産品はコーヒー豆だ。
だが、市場にはあまり出回っていない。
産地の気候故か、工程の手間故か、はたまた独特な苦味故か…
「コーヒーがもう少し広まってくれたらなぁ…」
リベルは空を見上げ、ポツリと呟いた。
***
「レジェ!クラージュ子爵領でコーヒーが飲めるのですって!一緒に行ってみない?」
ある日、ミスティがそう言ってレジェンダの部屋に駆け込んできた。
「姉様…その話、何処で聞いてきたの?」
「お父様が商人と話していたのを聞いたのよ。何でも、“コーヒーは大人の嗜み”、なのだとか」
「姉様が大人?」
「あら、私も立派な淑女よ。コーヒーを嗜む淑女…素敵じゃない?」
「お転婆な姉様が淑女かどうかは兎も角…僕もコーヒーには興味があるから、一緒に行ってあげてもいいよ?」
「兎も角…って失礼ね。…まぁいいわ。じゃあ、早速行きましょ」
思い立ったら即行動。
二人はあっという間に準備を済ませると、出かけて行った。
*
「まぁ!素敵!童話の中みたい!」
馬車に揺られて南西に一時間程。
クラージュ子爵領に辿り着いたミスティは感嘆の声をあげた。
「オーヴの領都はもちろん自慢だけど、この景色もまた、格別の良さがあるね」
自然豊かなクラージュ領都の街並みを見て、レジェンダも称賛の意を述べる。
オーヴ領にも農業地域はあるが、オーヴ領都は交易で栄えた街だ。
その景観は交易都市らしい運河と煉瓦造りの建物で構成されている。
対してクラージュ領は農業が支えている地だ。
街並みも自然と共存した緑豊かな景観が広がっている。
姉弟は故郷とは違った街並みを、新鮮な気持ちで眺めた。
「それで、姉様。コーヒーは何処で飲めるの?」
「あっ、そうそう。確か、領主邸に続く道沿いに…」
ドンッ
「キャッ」
「姉様!」
不意に、通りがかった人にぶつかり、ミスティがよろけたところをレジェンダが素早く支える。
「ご、こめん!!余所見をしていて…」
「こちらこそごめんなさい。私も考え事を…」
ぶつかった青年とミスティがお互いに謝罪し、目が合った瞬間
「えっ!?君たちはオーヴ伯爵家の…!」
青年が驚きの声を上げる。
「私たちを知っているの?」
ミスティが青年に問いかける傍らで、レジェンダは警戒の色を濃くする。
「!…あ、ああ。僕も王家のお茶会に呼ばれていたんだ。僕はリベル・クラージュ。此処の領主の息子だよ」
青年がレジェンダの威圧に些か気圧されながら名乗る。青年…リベルの素性を知ってレジェンダは警戒を一部緩めた。
「そうだったのね。知らなくてごめんなさい。…改めて、私はミスティ・オーヴ。こちらは弟のレジェンダよ。よろしくね」
「こちらこそよろしく!…お願いします。ミスティ様、レジェンダ様。ところで今日はなぜ此方へ?」
「私たちに“様”は要らないわ。敬語もね。…今日は、コーヒーを飲んでみたくて、此処に来たの」
「えっ!?態々オーヴ領から!?ありがとう!是非、コーヒーを堪能して欲しい!」
ミスティの言葉に喜んだリベルはガシッと姉弟の手を取り、ぶんぶんと振りながら喜びを露わにする。
「ど、どういたしまして…?あの、リベル?此処で出会ったのも何かの縁だし、もし良かったら、貴方のお勧めのお店を、教えてくれないかしら?」
「喜んで!こっちだよ、付いてきて!」
そう言ったリベルが案内した先は
「…此処って、貴方のお邸…よね?私たち、お店に案内してって頼んだのだけど…」
子爵邸の応接間。
ミスティは戸惑いながらリベルに問うた。
「うん、そうだね。だけど、子爵家の執事のコーヒーが一番美味しいから!彼のコーヒーは僕の自慢なんだ!」
にこにこと答えるリベルの横で手際良くコーヒーを淹れていた執事は、二人の前に丁寧にカップを置き
「どうぞ」
落ち着いた優しい声で提供してくれた。
「「…い、いただきます…」」
生まれて初めてのコーヒーと、リベルの期待の眼差しに少し緊張気味の姉弟は、そっとカップを持ち上げ、こくり、とコーヒーを一口飲み…
「「!!に、苦…っ!」」
予想外の苦さに揃って渋い顔をした。
「えっ、ええ〜!?ダメ?飲めそうにない?」
オロオロと問いかけるリベルと、目尻に涙を浮かべる姉弟。
「ご、ごめんなさい…苦いとは、聞いていたんだけど…」
「…こ、これは予想以上だね…」
「そ、そんな…」
「リベル様、お二人は今日初めてコーヒーを飲まれたのですよ?無理強いをしてはいけません。…お嬢様、若様、こちらならどうですか?」
そう言ってリベルを宥める執事が二人の前に饗じたのは、薄茶色の飲み物。
新たに出された飲み物に、二人が恐る恐る口を付ける。
「美味しい…」
「苦くない…」
「こちらはコーヒーをミルクで割った、カフェオレというものです。…コーヒーが初めてのお二人には、こちらの方がよろしいかと」
「ええ、これなら飲めるわ!ありがとう!」
「コーヒーにもいろいろな飲み方があるんだね…」
「ええ。お二人のコーヒーはミルクで割りましたが、甘いお茶菓子と一緒ならば、コーヒーの苦味ともバランスが良いかと」
「…!だったら、アンナのカフェでコーヒーを提供するのはどうかしら?」
「姉様、それいい!アンナなら、コーヒーに合うお菓子を作ってくれるよ!」
「…アンナさん、とは?」
「アンナは以前は伯爵家の侍女をしていたの。最近、領都にカフェを開いたのよ。アンナのお菓子は私たちの自慢なの!」
「…ほぅ。それは私も興味深いですね」
「ねぇ、アルフさん。貴方、オーヴ領に来ない?」
「ちょ、ちょっと待って!勝手にアルフを引き抜かれたら困るよ!」
目の前でポンポンと会話を進める姉弟と執事に、リベルは慌てて待ったをかけた。
「あら、引き抜きだなんて人聞きの悪い。私はただアルフさんにアンナのお菓子を食べてもらいたいと思っただけよ?」
「そうそう。それにアンナにもアルフさんのコーヒーを飲んでみてもらいたいしね」
思わせぶりな言葉を発した姉弟は悪びれもせずに澄ました顔をしている。
「〜〜〜っ。…少し、待ってて。父上にオーヴ領へ行く許可を貰ってくる」
二人に言い負かされたリベルは、半ばやけくそ気味に席を外した。
*
カランカラン
「こんにちは〜、アンナ〜、居る〜?」
リベルとアルフを連れてオーヴ領へ戻った姉弟はアンナのカフェを訪れた。
「はーい。…あら、ミスティ様、レジェンダ様。いらっしゃいませ」
ミスティに呼ばれたアンナが店の奥からパタパタと出てきた。
「今日は突然、どうされたのですか?」
アンナの問いに
「あのね、今日はコーヒーを飲みにクラージュ領へ行ってきたの」
「まぁ!じゃあとうとう念願のコーヒーをいただけたのですね!?」
「…うん、そうなんだけど…思ったより苦くて、私とレジェはまだ飲めなかったわ」
「そうでしたか…」
「でもね、コーヒーを淹れてくれたアルフさんがね、甘いお茶菓子がコーヒーと合うって教えてくれたの!」
「は、はぁ…」
だんだん勢いを増すミスティの言葉に、アンナは若干押され気味になる。
「だから、アンナにはコーヒーを飲んでもらって、アルフさんにはお菓子を食べてもらおうと思って、連れてきました!」
そう言ってミスティはじゃじゃ~ん、とアルフ(とリベル)を紹介した。
「…相変わらず、行動力抜群ですね…」
「…僕まで一緒にしないで…」
呆れ笑顔を浮かべたアンナは、ミスティの後ろから小声で抗議するレジェンダをスルーして、リベルとアルフを饗す準備をするために店の奥へ戻っていった。
「美味い」
「これは…大変美味しゅうございます」
アンナが出したお菓子を食べたリベルは一言で、アルフは丁寧に感想を述べた。
「ありがとうございます。…アルフさんが淹れてくださったコーヒーも美味しいですね。苦味と酸味の中に仄かな甘味が広がって…」
「!アンナさん、コーヒーの味がわかるのか!?」
「えっ?あの…?」
アンナの感想に前のめりに食い込んでくるリベルに、アンナは若干引き気味になる。
「リベル様、女性に圧をかけてはいけませんよ。…申し訳ありません、アンナさん」
「い、いえ。お気になさらず…」
「アンナはコーヒーの味がわかる大人なのね。…いいなぁ」
「…僕もいつかコーヒーの味がわかる大人の男に…」
リベルを嗜めるアルフを他所に、姉弟はそれぞれ的外れな独り言を零していた。
*
「ほ、本当に契約をしてくれるのか?」
「はい。当店でコーヒーが提供出来れば、きっと客層も広がりますから」
「バックアップは伯爵家がするから任せて!」
「子爵家で隊商を組んでいただけたら、護衛は伯爵家が引き受けます。通商路は…東の街道でいいよね、姉様?」
「…そうね、迂回路になるけれど、整備も終わっているし盗賊の心配も少ないわ。いいんじゃないかしら」
「僕たちがさっき通って来た道じゃ駄目なのか?」
「あの道は伯爵家から子爵領までの最短ルートだけど、道幅がそんなに広くないの。大きな隊商が通るのには向いていないわ」
「西の街道が開通すれば、東の街道よりも早く行けるんだけどね」
「西はねぇ…西隣の治安が、あまり良くないのよねぇ…」
ふぅ…とため息を落とす姉弟。
この二人は、伯爵領内と周辺地域の状況をしっかりと把握している。
それが如何ほどの努力を要するか、自身も貴族であるが故に推し量ることが出来た。
オーヴ伯爵家の姉弟の評判を聞いた時、王家に媚を売るための噂だろう、と思った。
その一方でもしかするとその噂は本当で、姉弟にそんな才があるのなら分けてほしい、とも思った。
しかしそれらは、二人が学び、努力し、自分たちで示した評判だったのだ。
そのことに思い至ったリベルは
「君たちの評判は、本物だったんだな…」
と、泣きそうな顔でポツリと呟いた。
*
「今日は遅くなっちゃったから、泊まっていってね。明日、伯爵家の馬車で送るわ」
そのミスティの一言で、リベルとアルフは伯爵邸に一泊することになった。
「不思議なご姉弟でございますね」
伯爵一家と夕食を共にし(リベルは緊張して味は殆ど覚えていない)、その後通された伯爵邸の客室で。
リベルにお茶を淹れながら、アルフはそう呟いた。
コーヒーが飲めない、という年相応の一面を見せたかと思うと、リベルとアルフを伯爵領まで連れ出し、おまけに伯爵領と子爵領との交易の話まであっという間に纏めてしまう、大人顔負けの一面も見せる。
何ともアンバランスな姉弟だ。
だがアルフは悪い気はしていない。
寧ろ主の本来の姿を引き出してくれた二人に、感謝すらしている。
…数年前の災害で子爵領が被害を受けてから、日々の生活に追われていく内に、リベルは何かを諦めたような表情ばかり浮かべるようになった。
一介の執事の身では寄り添うことしか出来ず、現状維持のまま。リベルの心を奮い立たせることは出来なかった。
ところが今日のリベルの顔はどうだろうか?
姉弟の領政を目の当たりにし、その努力を理解し、自身に欠けていた心を思い出してくれた。
(貴女がたとの出会いに、感謝を)
アルフは心の中でそっと謝意を告げた。
リベルは己を恥じていた。
姉弟の領政を見て、自分が努力と学びを諦めていたことに気が付いた。
災害は防げなかった。
でも、領主子息が諦めてはいけなかったのだ。
「僕は、変わることが出来るだろうか?」
二人に追いつけるように、ミスティの…隣に立てるように。
リベルは密かに拳を握りしめた。
*
自室に戻ったミスティは、目の前に広げられた品物にうんざりした。
品物は王太子から贈られてきた、ロイヤルブルーのドレスと金細工のアクセサリー。
(…これって、王太子殿下の金髪青瞳じゃない!?)
それらには、メッセージカードが添えられていた。
“これを身に付けて、今度のパーティーに共に出てほしい”
婚約者でもない令嬢に自分の色の装飾品を贈るなんて、どういうつもりなのだろうか?
しかも、共にパーティーに出ろ、と?
(…よし、送り返そう)
引くわー、とミスティは内心独り言ちた。
***
翌日。
「また来てね」
「いつか僕たちがコーヒーを飲めるようになったら、アルフさん、またコーヒーを淹れてください」
今日は領都を離れられないという姉弟が、リベルとアルフを見送っている。
「ああ、またな」
「ええ。腕を奮ってお淹れしますよ。その時を楽しみにしております。…ミスティ様、レジェンダ様、ありがとうございました」
「「?」」
アルフの謝意の意味が判らず首を傾げる姉弟に見送られて、リベルとアルフは子爵領へ帰っていった。
*
子爵領へ戻ったリベルは早速行動を開始した。
子爵に教えを請い、自ら隊商の編成に携わる。
いざ動いてみると、やり甲斐を感じ、存外楽しい。
何よりもミスティの期待に応えたい。
その想いを糧に奔走する。
リベルの急な変わりっぷりに子爵は驚きながらも、殊の外喜んでくれた。
隊商の編成が終われば、次は護衛なのだが…これはリベルとアルフを送るときに付いてきてくれた者たちが引き続き担ってくれるという。
「お嬢と若から話は聞いてるよ。二人には世話になってるしな」
「俺らは冒険者なんだ。事前に日程を教えてくれたら、それに合わせて予定を空けとくからよ」
「ああ、よろしく頼む」
…あとはコーヒーの出荷だけだ。
早急に工場を整えなければ。
…気付けばそろそろ夕暮れ時。
宵闇の空にミスティを重ね、リベルはそっと想いを馳せた。
***
“婚約者でもない私が殿下の色を纏う訳には参りません。申し訳ありませんがお返し致します”
先日ミスティに贈ったドレス一式が送り返されてきた。
「なぜだっ!?」
送り返されるなどとは露ほども思っていなかったグランツは頭を抱えた。
令嬢とは高価なドレスを貰ったら喜ぶものではないのか?
王太子からの贈り物だぞ?嬉しくないのか?
豪奢な装飾品を見せびらかす令嬢たちしか知らないグランツには、ミスティの価値観は伝わらない。
***
伯爵領と子爵領との交易が始まった。
リベル(とアルフ)は積極的にオーヴ領への隊商に同行した。
その道中で護衛の冒険者たちに戦闘指南を願ったが、貴族の戯れ事か?と最初は全く相手にしてもらえなかった。
しかし、隊商への同行を重ねる内に、冒険者と過ごす時間が増えていく内に、リベルの人柄と思いを受け入れてくれたのか、冒険者たちが戦闘指南をしてくれるようになった。
「…お嬢に惚れたぁ!?」
「!シーッ、シーッ。声が大きい!!」
旅にも慣れ、冒険者たちとも打ち解けてきたある旅の野営地で。
リベルは焚き火を囲み、冒険者たちと談笑していた。
隊商への同行の動機と戦闘指南の理由をリベルから聞いた冒険者の一人が素っ頓狂な声を上げる。
「…それはまた、大変な相手に惚れたもんだな…」
大声を出したのとは別の冒険者が染み染みと呟く。
「?」
意味が判らない、と首を傾げるリベルに
「お嬢は鉄砲玉だぞ?ついて行くだけでも大変だぜ?」
「そうか?あの行動力は僕には無いものだ。尊敬している」
「…こりゃあ、案外お似合いの二人かもなぁ」
「ま、頑張れよ!坊っちゃん!」
そう言って冒険者たちは酒を煽り、ガハハと笑う。
「…いい加減、その“坊っちゃん”は止めてくれないか?」
「おっ!?…じゃあ、お前さんが子爵位を継いだ暁には、殿、って呼んでやるよ」
「との?」
「ああ、異国の言葉で領主、って意味だそうだ。…楽しみだなぁ?未来の殿?」
「…その挑戦、受けてやる。絶対に殿って呼ばせてやるからな!」
「…期待してるぜ?」
そう言った冒険者はジョッキを軽く掲げ、ニッ、と口の端を上げた。
***
カランカラン
「こんにちは」
「あら、アルフさん。いらっしゃいませ。…今日は何になさいますか?」
「今日はパウンドケーキと…貴女の淹れるコーヒーを」
「少々お待ちくださいね」
…こくり。
アルフがコーヒーを飲む様子を、胸の前で指を組んだアンナが固唾を飲んで見守っている。
「美味しいです」
「…良かった。師匠にコーヒーをお出しするのは、緊張しますね…」
「これなら、お店に出せますよ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
アルフにお墨付きをいただいて嬉しそうに微笑むアンナを、アルフは眩しそうに見つめる。
「アルフさんには頻繁に通っていただいてコーヒーのご指南を受けられたこと、本当に感謝しています。…お時間を作るの、大変でしたでしょう?」
「…いえ、あの、コーヒーのためだけでは…ないんです」
「?」
珍しく歯切れの悪いアルフの様子にアンナが首を傾げる。
「私が、来たくて来ていました。…貴女に、会うために」
「え…っ?」
「…アンナさん、私は貴女が好きです。貴女がお許しくださるなら、貴女の隣でコーヒーを淹れさせてください」
「あっ、あの…」
「返事は次にお会いする時に聞かせていただけたら…きょ、今日はこれで失礼しますっ」
いつになく顔を真っ赤にしたアルフは、同じく顔を真っ赤にしたアンナを残して、あっという間に帰っていった。
*
カチャンっ
「も、申し訳ありません…」
オーヴ領都の宿屋にて。
夕食時、心此処に在らずな様子のアルフは、カトラリーを取り落としてしまった。
そんな執事の滅多に無い様子に、リベルは目を丸くして驚いている。
「どうした?今日はいつになく落ち着きが無い様だが…」
そう問いかけるリベルにアルフは一瞬狼狽え、しかし直ぐに顔を引き締めて
「…実は今日、アンナさんに想いを告げてきました」
「…へっ!?」
カチャンっ
今度はリベルが驚きでカトラリーを取り落とす。
「す、済まない。…アルフはアンナさんが、好き、だったのか?」
リベルは知らなかった執事の片思いに、思わず深掘りしてしまう。
「…最初は、コーヒーを知らなかった彼女が私のコーヒーを美味しいと言ってくれたことが嬉しかった、それだけだったのですが…」
観念したのか、それとも余程落ち着きが無いのか、アルフは想いのきっかけを話し始めた。
「彼女にコーヒーの淹れ方を教える内に…彼女と共に過ごす時間を重ねる内に…あの優しい微笑みの隣に居たい、と願うようになり…」
だがやはり、想いを吐露したことが恥ずかしいのだろう、アルフは眉を八の字に下げ、顔を赤くしている。
(こんな顔、初めて見た)
いつも澄ました顔をしていた執事は、存外、表情豊かだったらしい。
「それでですね、子爵様にはもう、許可をいただいているのです。アンナさんが私を受け入れてくださったら、オーヴ領へ移っても良い、と」
「…初耳なんだが?」
「私もまだ言うつもりはなかったんです。…こんな形で貴方に知られるなんて。…恋とは、恐ろしいものですね…」
コイトハオソロシイモノデスネ
まさか執事から聞くとは思わない言葉だったが、リベルとて恋する男。
アルフが想い人と共に居たいという気持ちはよく分かる(つもりだ)。
アルフの想いが叶った時は快く送り出してあげよう。
かつてミスティが侍女の将来のために、そうした様に。
***
“三日後にオーヴ領都へ行く。その時に会ってほしい。十四時に中央広場で待っている”
ミスティの元へ珍しくリベルから手紙が届いた。
こうしてリベルからお誘いを受けたのは、初めてかもしれない。
「!な、何を着ていこうかしら…」
僅かに顔を赤らめながら、ミスティはいそいそと準備を始めた。
三日後。
約束の時間より少し前に、中央広場にミスティが姿を現した。
金色のリボンでハーフアップにした髪と、薄紫色のワンピースがふわり、と風に揺れる。
ミスティはソワソワと落ち着かない気持ちでリベルを待った。
「!…ミスティ!」
約束の時間、ミスティに気付いたリベルが片手を上げながらやって来る。
その姿にミスティの鼓動がとくんっ、と鳴った。
「…!?」
自らの心の動きの理由がまだ判っていないミスティは、僅かに狼狽え、平静を装う。
「…こんにちは、リベル」
「やぁ、ミスティ。今日は来てくれてありがとう。…君に話したいことがあるんだ。良かったら、一緒にゴンドラに乗らないか?」
…サァっ
爽やかな風が水面を駆け抜ける。
その中をゴンドラがゆっくりと進み出す。
「私、ゴンドラに乗るの、初めてなの」
チャプン
水面に指先を触れさせながら、ミスティが呟く。
「そうなのか?」
「いつも見てるからかしら?改めて乗ってみよう、と思ったことは無かったわ」
「…へぇ」
「「………」」
暫く沈黙が続く。
その内に今度はリベルが心なしかソワソワとしだした。
「…どうしたの?」
ミスティの問いかけにリベルは僅かに狼狽え、持ち直し、そしてキッと顔を引き締めると
「ミッ、ミスティ!僕は君が好きだ!…僕と婚約、してほしい!」
少し声を上擦らせながらも、想いの丈を告げた。
「………っ!?」
思いがけない告白に、ミスティの顔が一瞬で赤く染まる。
赤い顔のまま、はくはくと口を動かしていたが、やがて一つ、小さく深呼吸をし
「…二つ、聞いてもいいかしら?」
リベルにポツリと問いかけた。
「…ん?あ、ああ」
「貴方は私に、何を示してくれる?」
「何を…?…子爵家は爵位も低いし、あまり裕福でもない。でも、君を想う気持ちは、誰にも負けない」
「貴方は私に、何を贈ってくれる?」
「!?…気付いていたのか?」
「?」
「…いや、何でもない。実は今日、君にこれを渡そうと…」
そう言ってリベルが取り出したのは、細長い青いビロードの箱。
中に入っていたのは、銀のチェーンとトップに小さなサファイアを使ったシンプルなペンダント。
リベルの藍髪銀瞳のアクセサリー。
「隊商の報酬で買ったんだ。…僕の稼ぎでは、こんな小さな宝石しか、買えなかったけど…」
「…!!」
その贈物を見て、リベルの言葉を聞いたミスティは驚きを露わにした後、ポロポロと涙を零し始めた。
「えっ!?…嫌だった!?ごめんっ!?」
ミスティの涙を見たリベルは焦るが
「ううん、違うの。逆よ。すごく、嬉しい…」
「えっ?えっ?」
ミスティは素直に喜びを伝えたが、女の子の涙に慌てているリベルは気付いていない。
リベルが示したものは、地位など関係ないリベル自身の想い。
リベルが贈ったものは、今のリベルが出来る精一杯のプレゼント。
どちらもリベルの等身大。
ミスティが最も望むものだった。
(ああ、そうなのね…。私は…)
ミスティはようやく自分の気持ちに気付いた。
(彼となら、きっと…)
ならば、ミスティも精一杯応えよう。
等身大で。
「…私も、貴方に贈るわ。…金のチェーンとアメジストのペンダントを。リベル、受け取ってくれる?」
「!!ああ、勿論さ!」
リベルが指でミスティの涙を拭う。
二人は見つめ合い、そして微笑んだ。
パシャン
そんな二人を見守っていたゴンドリエーレが、オールで弧を描き、二人のための小さな虹を作った。
***
「…ミスティ嬢が婚約!?」
知らせを聞いたグランツは驚きの声を上げた。
「相手は誰だ?」
「クラージュ子爵子息です」
侍従の返事に
「クラージュ子爵?貧乏貴族じゃないか!」
クラージュ領の状況は聞いている。
数年前に災害に遭い、未だ財政が苦しいと。
「なぜそんな男と…私の方が…」
富も権力も、申し分ないのに…
「ミ、ミスティ嬢に手紙を…」
グランツは慌ててペンを取った。
***
“君と話がしたい。城へ来てほしい”
ミスティの元に三度、王太子から手紙が届いた。
「…今度は何かしら?」
ミスティの方は王太子と話すことなど無いのだが…
城に呼ばれたからには出向く他ない。
気は進まないながらも、ミスティは王都へ出かける準備を始めた。
「…やぁ、ミスティ嬢。こうして会うのはお茶会以来だね」
手紙が届いてから暫く。
王都へ出向いたミスティは、城の中庭でグランツと会っていた。
「ご無沙汰いたしております、王太子殿下」
「そんなに畏まらないで。私と君の仲じゃないか」
「…?」
グランツの妙に親しげな物言いに、ミスティは微かに眉をひそめる。
王太子との仲など無いはずだが…?
「…それで、本日はどのようなご要件で…?」
「…君が、婚約したと聞いてね」
「ええ、つい先日のことですが…」
(私の婚約が王太子殿下に何の関係が…?)
グランツと話しながら、ミスティが疑問に思っていると
「…なぜ、他の男と婚約したんだ!?君には私がいるじゃないか!」
「…はい!?」
グランツはミスティが思いも寄らないことを宣った。
(何を言っているの?この方は?)
「君は私の婚約者になるべきなんだ!君の才を活かせるのは、私しかいない!」
…スンッ
グランツがそう言った途端、混乱していたミスティの感情が、冷えた。
(ああ、殿下も、王とおなじなのね…)
王太子が求めるのは、ミスティの功績と評判。
王太子の元に行ったとしても、待っているのはきっと前世と同じ道。
「…殿下、二つ、お聞きしても、よろしいですか?」
「何だ?」
この一瞬で、ミスティの声音が冷たく、固くなったことに、感情が高ぶっているグランツは気付かない。
「殿下は私に、何を示してくださいますか?」
「私の妃になるのだから、王太子妃、そして行く行くは王妃の座に就けるだろう!」
「殿下は私に、何を贈ってくださいますか?」
「君が望むなら、豪華なドレスでも宝石でも…」
「殿下、それらはどれも私の望むものではないのです」
「…えっ?」
ここでようやくグランツは、ミスティの笑顔が消えていることに気が付いた。
「殿下、私は富も権力もあったけど、幸せになれなかった女性を知っています」
「な、何を言って…」
「…だから、物事を富や権力で解決しようとする方は信用出来ません。…お話がそれだけでしたら、これで失礼いたします」
ミスティはそう断ると、席を立ち、振り返ることなく去って行った。
「…ま、待ってくれ、ミスティ嬢。…私は、君を…君に…」
愛し、愛されたかった。
あの日の笑顔を、自分に向けて欲しかった。
去って行くミスティの背に縋りながら、グランツは言葉に出来なかった自身の想いに気付いたが、全てはもう、遅すぎた。
***
婚約してから、ミスティとリベルはお互いの領地を支え合い、発展に尽くした。
そのおかげで、伯爵領は益々賑わい、子爵領も持ち直し、特産品のコーヒーの販路も広がった。
そんな二人の首元ではいつも、サファイアとアメジストが輝いている。
アルフとアンナは結婚し、今は二人でカフェを営んでいる。
彼らはクラージュ領の一番のお得意様だ。
レジェンダも先日、婚約を結んだ。
相手はなんと、オーヴ伯爵領の西隣の伯爵の娘。
婚約してからレジェンダは隣領を全面的に支援し、治安の改善に成功した。
頓挫していた西の街道も開通し、交易にも貢献している。
…王太子は今もまだミスティに未練を残し、なかなか婚約者が決まらないようだ。
*****
一年後。
十七歳になったミスティはリベルと結婚し、子爵子息夫人となった。
今日の結婚式では、子爵領だけでなく、伯爵領からもたくさんの人々がお祝いに駆けつけてくれた。
このたくさんの参列者は、二人の努力の証。
人々の歓声の中で、二人の笑顔はとても輝いていた。
…その日の夜。
新郎を待つ部屋の、バルコニーで。
ミスティは夜空を見上げていた。
セレネの人生を思い出して十二年。
その中で前世と違い今世は、家族の愛情に恵まれたことを申し訳なく思ったこともある。
けれども記憶は今世を否定しなかった。
きっと記憶も、今世をミスティと歩むことを選んでくれたのだ。
ミスティ・オーヴ・クラージュの
富と権力は、等身大。
愛情は、無限大。
(セレネ、一緒に幸せになろうね)
ミスティの目の前に広がる夜空に浮かぶ月の、柔らかな光が
そっとミスティを包み込んだ。
fin.
読んでいただき、ありがとうございました。




