AIは鏡である
道具に過ぎないはずのAIが人間の行動に影響することがあります。とりあえずAIの意見を聞いてみる、というのが典型でしょう。無条件に信じるわけじゃなくても、AIを外部評価の基準にしてしまっている。でもAIは倫理的に「安全」な反応をするよう調整されているし、ユーザーが喜ぶように忖度もする。ある程度の普遍性はあっても、けっこう偏っています。
こんなことを考えて、AIをテーマにした短編小説を書きました。『鏡よ鏡よ鏡さん』というタイトルで、白雪姫の鏡のイメージ。片思いの相手にどう思われているかが気になる主人公が、顔認識AIの評価に一喜一憂する話です。でも主人公は気づく。その評価基準は、AIが学習したデータで決まっているだけだと。美しいとされる顔は地域や文化で違う。学習元が変われば評価も変わる。結局AIは多機能な「鏡」で、使う人にとって都合よく歪んでいることもある。だから過剰に囚われなくてもよい、という話です。
他者からの評価と完全に無縁な人は少ない。他愛もないことが誇らしかったり、みっともなく思えたりする。実際に誰かに評価される機会がなくても、心の中で誰かの視線を想像してしまう。あるいは、子供の頃から他人の価値観を「学習」して、自分の価値観にしてしまっている。
「私は素晴らしい」と無条件に信じられるなら、鏡は要らない。でもそういう人は少ないし、自分もそうじゃない。だから物語を「自分が好きでいられる自分でいよう」みたいな、力強くてわかりやすい結末にはできませんでした。
でも、AIは、そういう正しくてわかりやすい話を好みます。




