99. お土産
屋台の軽食を平らげた一行は、本格的に市場見物へと繰り出した。港町にして交易港として栄えた街だけあり、海の幸が山ほど並んでいるのはもちろん、他地方や他国から運び込まれた品々も多い。中には、はるか異大陸から持ち込まれたという珍品まであった。
マリゼだけでなく、田舎育ちのクラインにとっても、まるで別世界のような光景だった。マリゼは、値の張る品物を扱う高級店よりも、どこかみすぼらしい店や屋台のほうに興味津々といった様子で目を輝かせていた。
途中、あらかじめ予約を入れておいた高級料理店で昼食をとり、再び露店がひしめく市場を歩いていたときのことだった。
「そこの旦那方、グラバンテ名産の貝の飾りはいかがです? 奥方や恋人への素敵な贈り物になりますぜ。内陸じゃなかなか手に入らない代物でしてね」
一人の露店商が、マクシムとセイツに声をかけてきた。
「ふーん、あいにく俺たち、海辺の出身なんだがな……」
マクシムが軽く笑って通り過ぎようとしたところ、マリゼが興味を示して足を止めた。露店の台には、小さな貝殻で作られた腕輪や首飾りといった装身具や、小さな人形などが並べられている。
「きれい……。これ、全部貝で作ってあるのですか?」
マリゼが感嘆の声を上げる。
「へい、そうでさ。ぜーんぶグラバンテ近海の海から獲れた……品でござんすよ」
乗り気で商品説明を始めていた露店商は、マリゼの姿をまじまじと見て、はっとしたように言葉を濁した。どう見ても、その容姿と身なりからして、こんな屋台の安物を買う客には見えなかったのだ。
当のマリゼは、そんな空気も気づかないまま、物珍しそうに飾りを眺め回していた。マリゼに付き添って貝の飾りを見ていたクラインは、首をかしげる。
「うーん……僕には、どれも同じに見えて違いがよく分かんないな」
「お気に召したものはございましたか?」
ジェニンが尋ねると、マリゼは小さく首を横に振った。
「い、いえ……大丈夫です」
マリゼがその場を離れたあと、セイツは彼女が長く目を留めていた、淡いピンクがかった貝のネックレスを一つ買い求めた。露店商はにやりと笑い、声を潜めて言う。
「お目が高い。お嬢さん、肌が真っ白でおきれいだから、その色がよく映えますぜ」
*** ***
市場見物を終え、屋敷へ戻るために馬車へ乗り込もうとしていたマリゼの前に、セイツが小さな包みを差し出した。
「さっきご覧になっていた貝のネックレスです。いい記念になるかと思いまして」
マリゼは目を丸くして、それを両手で大事そうに受け取る。
「ありがとうございます」
マリゼとクライン、ジェニンは護衛の都合もあり、一緒に馬車へ乗り込んだ。セイツとマクシムは馬にまたがる。
馬車が走り出すと、後ろに続いて馬を進めていたマクシムが、セイツに声をかけた。
「おい、ちょっと気ぃつけたほうがよくねえか?」
「何がだ」
「マリゼ嬢ちゃん、もともとお前のこと気にしてるっぽいのに、そんなもんまで渡してさ」
「安物の土産だ。ただの記念品だろ。宝石の首飾りってわけでもないし」
取り立てて気にする様子もないセイツに、マクシムは珍しく真面目な口調で釘を刺した。
「そうやってると、またここの当主様か坊ちゃんに呼び出されるぞ」
マクシムは眉間に皺を寄せ、やけに威圧感のある口調で言い放つ。
「お前みたいな下賤なものが、気安く手を出していい相手ではないのだ。惨めに始末される前に、身の程わきまえてとっとと失せろ」
冷めた顔でそれを見ていたセイツは、マクシムの後頭部をぴしゃりと叩いた。
「一度や二度の話じゃねえのに、今さら何怒ってるんだ?」
痛そうに頭を押さえながら、マクシムは不服そうに言い返す。
「お前の口からそういう台詞が出るのが、ムカつく」
セイツはじろりとマクシムを睨みつける。
マクシムは後頭部をさすりながら、少し真顔になって尋ねた。
「まさかとは思うが、本気で惚れてるってわけじゃねえよな?」
セイツは、冷ややかな声音でばっさりと言い切った。
「あり得ない。あのお嬢さんはまだガキだ。世間のことも、男のことも何も知らない。俺とは合わない」
「ならいいけどよ。とにかく、これからは言動に気をつけろ。変な誤解されて、またやってもねぇことを『手ぇ出した』って言われたら、たまんねぇだろ」
「分かっている」
セイツは視線を街道脇にそらした。
その整った顔立ちゆえに、彼に言い寄ってくる女は数え切れないほどいる。貴族の令嬢や婦人たちは、傭兵というセイツの身分を「気軽な一夜の遊び相手」程度に見なして、あからさまに誘惑してくることも多かった。
だがセイツは、そうした誘いには一切乗らず、常に慎重な行動を心がけていた。軽率な真似は、自分の値打ちを下げるだけでなく、いざというとき自分の足を引っ張る枷にもなり得るからだ。
それでも、女の方から勝手に盛り上がって迫ってくることは後を絶たず、そのせいで誤解を招いたり、ときには濡れ衣を着せられたりすることも少なくなかった。
マリゼが嫌いなわけではない。むしろ、彼女はあまりにも条件が整いすぎている。マクシムが言ったように、セイツが軽々しく手を伸ばせるような、高嶺の花だ。
無事にこの戦いを生き延びることができれば、大きな栄誉が約束されている。それを皇帝が反故にすることはない──セイツはそう信じている。だが、それでもなお、実際に自分の手に掴むまでは、約束はあくまで約束でしかない。だからこそ、その話はマクシムはおろか、誰一人として口にしたことがなかった。
だが……それ以上に、マリゼの汚れを知らぬ純真さと、聖女としての清らかさが、セイツの足を止めさせていた。彼女の澄んだ瞳をまっすぐ見つめるたびに、自分がどれほど打算的で、どれほど汚れた人間なのかを思い知らされるのだ。
ようやく塔を出て、外の世界に足を踏み出したばかりのマリゼは、まだ世の中も、男も知らない。家族以外で初めて接したのが自分たちなのだから、純粋に見た目に惹かれてしまうのも無理はない。
(大人らしく振る舞え。今は任務に集中するときだ)
セイツはそう自分に言い聞かせ、心を整理した。
*** ***
ジェニンがエタンに報告に向かっているあいだ、先に自室へ戻ったマリゼは、そっとあの包みを取り出した。中から出てきたのは、淡いピンク色の小さな貝殻を編んで作られたネックレスだった。
「それは何ですか、お嬢様?」
マリゼの身の回りの世話をしている侍女エマが尋ねる。女中頭の娘であるエマは、幼い頃からマリゼに付き添ってきた存在だ。
「うん。今日、街で……買ったの」
「お嬢様ご自身が、ですか?」
「い、いや。お金を払ったのは、一緒に行った人たちだけど……」
恥ずかしさがこみ上げてきて、さすがに「セイツが買ってくれた」とは言えず、ごまかすように言葉を濁す。マリゼはネックレスを手に、鏡の前に腰を下ろした。
「ちょっと、付けるの手伝ってくれる?」
エマに手伝ってもらい、首に貝のネックレスをかけてもらうと、マリゼは頬を赤らめながら、鏡の中に映った自分の姿を見つめた。飾りそのものは素朴なものだが、マリゼの目には、どんな宝石よりも美しく、愛おしく映った。
その様子を見ていたエマは、そのネックレスを贈ったのが男に違いないと確信する。
(誰なんだろう? あの少年? それとも、あの格好いい傭兵団長さん? でも、これ……本当に大丈夫なのかな……?)
エマは一人、首をひねりながら、密かにため息をついた。




