9. 身体鍛錬(2)
道具が届くまでの間、ユタカはステップを踏んで体をほぐし、シャドーボクシングを始めた。
本来の自分よりもずっと重たい体だから、動きは鈍いだろうと思っていたが、意外にも軽快で素早い。拳が空気を切り裂く感触も悪くなかった。
そうしているうちに、指示していた物品が届いた。ユタカが金属棒を手に取った途端、ランシアを含め女たち全員の体が一斉にビクリと震えた。
(おいおい、いくらなんでもこれで人を殴ったら死ぬだろ……)
皇帝がどれほど破滅的な人間だったのか、これだけでよく分かる。考えれば考えるほど、とんでもないクズ野郎だ。
ユタカはその鉄棒を梁に掛け、懸垂を始めた。どうせ無理だろうと思ったのに、驚くほど軽々とできてしまう。おかしいと思いながらも、どこまでいけるか試してみた。なんと100回ほどやっても疲れを感じなかった。
(もしかして、この世界の人間は皆こんな身体能力なのか?)
そう思ったユタカは、侍女たちに懸垂をやらせてみた。
一人は必死に暴れながらどうにか2回、もう一人はうんうん唸るばかりで1本もできず、涙をぼろぼろ流して床にひれ伏し赦しを請う始末。
運動をしてこなかった人間ならば、こちらが普通の反応だろう。そうなると──この体、思った以上に使えるかもしれない。ユタカが初めてそう考えた瞬間だった。
続いて彼は、侍女に剣を持って来させ、その剣を手にしたままロープをつかんだ。その一挙手一投足に、ランシアも侍女たちもビクリと身を震わせ、息を殺した。
ユタカは、いちいち気にしていたら息もできないと判断し、彼女らの視線を無視してロープを切り離すと、その両端を握って部屋の中央へ進んだ。そして縄跳びを始める。
最初は何度か足が引っかかった。でも、すぐに慣れ、軽快に縄を回し跳びはねる姿に、女たちは不思議そうに、そして驚いたように目を見張った。
(ふむ……このくらいなら悪くないな)
しばらく縄跳びをしたあと、休憩をはさんで、ユタカは木剣を手に取った。初めは基本の型を確認するように振っていたが、やがて部屋の隅に立てられた木柱に向かって打ち込んでみた。これもまた感触は悪くない。
気分が良くなったユタカは、さらに力を込めて強く打ち込んだ。すると、木剣が壊れてしまった。
呆然としたユタカは、手の中に残った木剣の残骸を眺める。よく乾かした堅木で、腕のいい職人が作った上等な木剣だ。横目で女たちを見ると、ランシアをはじめ皆が驚きに目を見開いていた。
だが、ここはゲームの中の世界。人々の身体能力が地球と違っていても不思議ではない。夜伽以外で体を使ったことのないこの身体がこれほどなら、他の人間はさらに凄いのかもしれない。それに、この世界には闘気や魔力という概念がある。
そう思ったユタカは、ランシアに木剣を差し出して言った。
「剣を扱えると聞いたが、試しに見せてくれないか?」
ランシアは首を振り、震える声で答えた。
「恐れ多くも、陛下の御前で……たとえ木剣といえども手に取ることなどできません」
それは礼儀からではなかった。彼女の目と声に宿るのは、明らかな恐怖だった。その気配を感じ取ったユタカは、木剣を床に置き、距離を取って下がった。
「ただ見るだけだ。思い切り振ってみろ」
それでもランシアは前へ出るのをためらった。そこでユタカは厳しい口調で言い放った。
「命令だ。従え」
仕方なく、ランシアは前に進み木剣を拾い上げる。剣を構えた姿勢だけで、彼女が初心者ではないとわかる。胸の震えを押さえ込むように呼吸を整えると、気合いの声とともに木剣を振り下ろした。力強く木柱を打ったものの、乾いた打撃音が響くだけで木剣はびくともしない。
「ちゃんと力を込めたのか?」
ユタカが念のため尋ねると、彼女はうなずいた。その様子に嘘は感じられなかった。
(まさか……男女の差がこんなに大きいのか?)
ゲームの中には女戦士や女弓使いも存在していたし、強者も多かったはずだ。
ともあれ、食って寝てばかりの生活から体を動かしたことで爽快感があったし、何より一時でも悩みや雑念を忘れられたのは良かった。