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87. 絶倫王

(幕は、ここからが真の始まりだ)


 レオトは覚悟を定め、艶やかに装ったルカイアへ声を張った。

「ルカイア、酒を……」


 ルカイアは卓上の酒瓶を取り、手首のしなりも美しく盃へと注ぐ。次は艶めく身のこなしで盃を差し出す――そのはずが、彼女は盃を持ち上げると唇を濡らすように一息で呑み、すらりとレオトの肩口へ身を寄せた。片脚をわずかに捻り、長い脚線があざとくも上品に覗く。


「ルカ……?」

 怪訝な声が落ちるより早く、柔らかな唇が重なる。香り立つ酒気を含んだ舌先が、蜜のようにゆっくりと押し寄せ、甘やかな熱を置き去りにしては離れてゆく。指先は頬から喉へ、鎖骨をかすめ胸元へ――火の粉が舞うように滑りおりる。


 想定外の展開に、レオトは熱に溶かされるように濃密な口づけを受けた。


 やがて唇が名残惜しげに離れ、耳朶に温い囁きが降りる。

「どうしたの? あなたも私に触れて……」


 レオトははっと息を呑む。

(迷うな。演じ切れ。メソッド演技だ、メソッド……)


 再びくちづけが深まる。レオトの指が赤い瀑布のような髪を梳き、うなじから背へ、そしてくびれを撫でおろす。腰骨のあたりをやさしく掬い上げると、ルカイアはそっと喉を反らし、艶のある吐息を零した。境目は曖昧になる。どこまでが芝居で、どこからが本音なのか。


 やがて彼女はするりと身を離し、玉座の()(もた)れに片肘を掛けて斜に立つ。白い肩と背の曲線が煌めく光を掬い、視線を絡め取る。


 大宴会場は水底のように静まり返った。口を開けたまま固まる者、眉根を寄せて視線を泳がせる者、思わず口元を押さえる者――誰もが表情を取り落としている。ザモフとバルセズは一見無表情だが、唇の端にごく薄い笑みが浮いた。


 この大胆な行動が、カティルやデュラ夫人と仕組んだ段取りなのか、ルカイアの即興なのかは分からない。だが効能は抜群――場の空気は一息で支配された。


(これなら、カティルも言葉を失うだろうな)

 思った刹那、同席の妃たちが一斉にゆるやかに動く。


「陛下、空腹に酒ばかりはお身体に毒ですわ」

 ランシアが葡萄の房を高く掲げ、喉を仰いで一粒をもぎ、唇に含んだまま寄り、甘い実をくちづけで渡す。


 歌姫エンナ、女優上がりのシエナらも寄り添い、レオトの髪に指を差し入れ、腕へ胸を寄せ、衣擦れの気配で熱を重ねる。


 エンナが耳朶へかすかな吐息を吹きかけ、誰かの指先は太腿の外縁を撫で上げ、際どい境へゆっくりと滑っていく。


(……奥方たち、さすがにそれは……)

 狼狽はする。だが、今この場で手を振りほどくわけにもゆかない。レオトは心の内でただ一語を叩き込む。


(徹しろ)

 艶を増す光景に、場内の沈黙はさらに甘く濃くなる。皇帝が主役である以上、露骨な反発は起きない。顔を背けながら喉を鳴らす者、視線を逸らせず囚われてしまう者。欲望と体面の綱引きが、そこかしこで燻る。


 クズ皇帝の仮面に慣れ、今では小事では頬も染まらぬレオトでさえ、今夜ばかりは素顔が疼いた。だが、自分のために体面も羞恥も脱ぎ捨ててくれた女たちの覚悟に報いるべく、この芝居を完遂する。


「ははは! 見てのとおり、みな余に夢中でね。妬けるだろう? だが、これを独り占めする背徳。それがまた格別でね」


 豪放に笑い、胸の内ではルカイアと妃たち、そしてイステルへ静かに詫びる。今夜のことはすでにイステルに伝え、許しも得ていた。だが予定をはるかに上回る炎――この宴は長く語り草になるだろう。



 音楽が移ろい、第二幕の仕掛けが動き出す。

 天井から色糸のような長布が幾筋も垂れ、舞姫タリアを先頭に、五人の妃が風をはらんだ衣で現れる。


 彼女らは輪を描いて舞い、やがて一人ずつ布を掴み、腕と脚に色香の帯を巻くように絡めて、宙へ。軽やかに上昇し、緩やかに回転する。


 高さを違え、交差しては解け、また絡む。長い裳裾が空でたなびくさまは、飾り羽の鳥が戯れ合いながら求愛の円を描くごとく。


 絡み合った布が一定の律を刻むと、五人は一斉に身を躍らせ、速い円運動で絞りを解き放つ。撚れがほどけ、速度はさらにあがり、一人、また一人、片腕に布を巻いたまま、玉座めがけて舞い降り、爪先で音もなく着地した。


 左右の肘掛けに二人が腰を掛け、上体を預ける。さらに二人は足許にひざまずき、両膝にそっと指を添える。


 最後にタリアが()(すそ)を翻して飛び込み、胸元で甘く衝突するように抱きつき、その勢いのまま首へ腕をめぐらせて口づけた。


 本来は「抱きつく」までの段取り――しかし、タリアの熱は約定を易々と越境する。

(……約束どおりに運ぶことの、何と少ないことか)


 やや一方的に攻め立てられている気もする。だが、嫌悪からは遠い。困るのは、むしろ愉悦が正直だという一点だ。羞恥は、もちろん別腹だが。



 大団円の締めは、退場の所作。

 玉座から立つレオトの脇に、ルカイアが寄り添って並ぶ。指で紅の瀑布を一撫で、髪を片側へ払って身を翻す。


 ドレスの割れ目から長い脚が白刃のように現れ、続いて背中の深いカットが月光を掬う。腰上まで晒された素肌に、場はふたたび落雷の静寂。


 コツ、コツ、コツ――。靴音にまじり、足首のアンクレットがからんと涼やかに鳴る。

 現れては隠れる脚線、ゆるやかに波打つヒップライン。視線は絡めとられ、解けない。


 ルカイアの姿が完全に視界から消え、初めて人々は息を吹き返した。互いの顔色を窺い、見てはならぬ聖域を見たふうに顔をしかめ、舌打ちとも吐息ともつかぬ音を零す。しかし、その喉奥には、まだ甘い熱が残っていた。


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