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85. 魅惑の完成

 姿勢矯正がおおむね一段落すると、魅惑の修業は次の段階へ進んだ。受講者はこのあいだにだいぶ増え、多くの妃たちが参加している。


 レッスンの内容は多岐にわたる。腕や指先の動きといった所作から、顔の角度、声、視線にいたるまで、あらゆる要素が網羅されていた。


 デュラ夫人によれば、幅広い教養と知識、芸術的感覚も、格調ある魅惑の重要な一部を成す。しかしそれは短期で身につくものではない。そこで、まずは今すぐ可能なところから学ぶのだった。


 デュラ夫人がまず手本を示す。彼女は首をわずかに傾けて目をすこし伏せ、そこから視線を持ち上げて相手を艶やかに見つめる──そんな所作を演じてみせた。

「さあ、真似してみてください」


 横一列に並んだ女たちが夫人の所作をなぞるなか、ルカイアには案の定、すぐ指摘が飛ぶ。


「それは〈妖艶なまなざし〉じゃなくて、ただ眠たそうに半目を開けているだけですよ? 居眠り寸前の人に見えます」


 ぱちぱちと瞬きをしていたルカイアが目に力を込めると、デュラ夫人はため息をついた。

「それは睨んでいます」


 不満を口にこそしないが頬をふくらませるルカイアをなだめるように、夫人が柔らいだ声でたずねる。

「ルカイア殿にも、恋のご経験はありますよね?」


「そりゃありますよ」

「では、そのお相手を思い出してみて。恋情がいちばん高まっていた頃、いちばん幸せだった頃、その方と目が合ったらどんな気持ちでした?」


「だいぶ昔のことで、うまく思い出せないんですけど……」

 そうつぶやき、無理やり記憶を手繰ったルカイアが、へらりと笑った。


 デュラ夫人は深いため息。

「ルカイア殿は絶対、賭け事はなさらないほうがいいですね……」


 そう言って、夫人はルカイアの顔を正面から両手でそっと支え、目元と口元の形を整える。

「お顔ぜんぶで笑わない。口角は、こう、ほんの少しだけ上げて。目は、こう……」


         ***     ***


 魅惑の稽古に加えて、ルカイアにはもうひとつ受けねばならないものがあった。マッサージである。


 ルカイアはごつごつした筋骨隆々というほどではないが、戦士として鍛えてきただけに、一般の女性よりは筋肉がついている。それを滑らかに見せるための〈整え〉のマッサージだった。


 逞しい体格の男の施術師たちを見たルカイアは、いぶかしげにカティルへ問う。

「男の人がマッサージするんですか? 施術師というより格闘家に見えますけど?」


「専門の施術師です。普通のマッサージのようにほぐすだけではなく、体つきを〈仕立て直す〉必要があります」


 施術師たちの体格からして、ふんわり心地よいだけのマッサージでは済まないと直感したレオトは、ルカイアに真顔で釘を刺した。


「絶対に、痛いからって怒って殴ったりしないこと。ルカの力でうっかり殴ったら、命が危ない」

「格闘でもないのに、マッサージで誰を殴りますか」


 ルカイアは気にも留めない様子で答えると、ガウンを脱いで施術台へ。袖なしのシャツに短いズボン姿だ。本格的な〈痛いマッサージ〉の覚悟は、どうやらまだない。


 万一、痛みに耐えかねて暴れはしないかと案じたレオトは、しばし見守ることにした。


 案の定、施術師が全身にオイルを塗り、脚から揉みはじめて間もなく、ルカイアが甲高い悲鳴を上げる。

「いったたたた〜!」


 今にも蹴りが飛びそうで、レオトは声を張った。

「だめだ、ルカ!」


 レオトの声に、ルカイアはぴたりと止まる。

 施術師も手を止め、緊張して彼女をうかがった。


 カティルが冷ややかな口調で言う。

「これが耐えられないようでは、今回の任務は務まりません。必ず通る工程です」


 ルカイアは横目でカティルをねめ、しょんぼり言った。

「やめるなんて言ってませんよ。やりますってば」


 こうして施術再開。施術師の親指がふくらはぎをぐいぐい押すたび、ルカイアは悲鳴を上げて身をよじる。

「うわぁぁ〜っ、痛い!」


 ふくらはぎの揉みがどれほど痛いか、レオトも知らぬわけではない。気の毒に思いながらも、こみ上げる笑いを必死にこらえた。


「ぎゃああ! 痛すぎる! 誰か助けて〜! あはは……」

 ルカイアは涙と鼻水で訴えつつ、痛いと笑うをくり返す。それでも「やめる」とだけは言わない。


 このままでは吹き出してしまうと悟ったレオトは、目配せで施術師たちを励まして部屋を出た。

 外へ出た途端、こらえきれなかった笑いがこぼれ、声を殺して肩を震わせる。隣のカティルも、肩を上下させていた。


          ***     ***


 ついにルカイアのドレスと靴が完成した。首元を覆うハイカラーで、両肩は大胆に露出。身体の曲線にぴたりと沿って落ち、スカートの両脇は太腿まで深くスリットが入っている。


 強烈な色味の深紅の生地に、特殊な鉱物を微粉にして施し、なめらかで透明感のある艶を与える。地の色よりわずかに明るい糸と金糸・銀糸で華やかな炎が刺繍され、優雅にして挑発的──美の極みともいうべきドレスだった。


 同色の赤い靴を履き、ドレスに身を包んだルカイアは、鏡に映る自分の姿をどこか他人事のように見つめた。

「へえ、こんなふうになるんだ……」


 レオトの予想どおり、ルカイアの完璧なプロポーションが相乗効果を生み、爽やかなまでにセクシーだ。体つきを滑らかに整えるため、痛みに耐えつつ連日全身マッサージを受けたおかげで、腕も脚も磁器人形のようにすっと伸びている。


「本当に体のラインが丸見えですし……脚なんて、ほとんど素肌ですね」

 艶やかな演出を提案した張本人のカティルでさえ、実物を目にして少なからず驚いた。


「中にはちゃんと下着を重ねてますよ。それに後で太腿に短剣を吊るすでしょう? 脚くらい、多少見えたっていいじゃないですか。これくらい見せなきゃ、人は驚きませんよ」

 当のルカイアは、いたって平然である。


 レオトは、想像以上にこの衣装がルカイアに似合いすぎ、挑発的な艶に圧倒されて、しばし見とれていた。ルカイアが振り向く。

「陛下、どうして黙ってるんです? 思ったより、いまいちでした?」


 レオトは首を振った。

「いや。すごく……いや、見事だ」


 するとルカイアはレオトの方へ向き直り、体をわずかに(ひね)って脚のラインを見せ、唇に淡い微笑を浮かべた。いつもの彼女とは違う、誘惑の気配。


「どうです?」

「……い、いい……」


 レオトは呆けた。魅惑の稽古の効果を半信半疑で見ていたが、この出来なら認めざるを得ない。


「やっぱり、いささか過激すぎるかな?」

 念のためカティルに問うと、彼はふっと笑った。


「話題騒然になるのは間違いありません」

 そして釘を刺す。


「ともあれ、もう後戻りはできません。すべて、これに合わせて準備を進めていますから」


 レオトは、意気揚々とポーズを決めるルカイアを見やった。彼女は片手を腰に当て、両脚をわずかに交差させて立ち、レオトへと向き合う。戦士特有の堂々たる自信が加わり、凄烈なまでの魅惑を放っていた。


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