84. 魅惑の修業
ルカイアの訓練は歩き方だけで終わらなかった。カティルが招いたというデュラ夫人の手で、〈魅惑の修業〉が始まった。
デュラ夫人は30代前半。優雅で洗練され、同時に艶を纏った女性である。かつて王侯貴族相手の花柳界で数多の男心を射止め、いまは宮内大臣シェイプスの側近である高位貴族の後妻となっていた。
何を教えるのか興味が湧き、レオトも初回だけは見学することにした。皇帝の臨席に、デュラ夫人は緊張の面持ちで、気合が入っている。
ルカイアを一目見たデュラ夫人は短くため息をし、カティルに小声で尋ねる。
「随分と……野生馬そのものですわね。短期で仕上げるには、強めに当たらねばなりませんが、よろしいでしょうか」
カティルがその言葉をレオトに伝えると、レオトはルカイアを見て苦笑した。今のルカイアは、ほとんど女装した男に見える有り様だった。
「そうしたほうがよさそうだ」
許しを得たデュラ夫人は本格的に授業へ入った。細いしな棒を手に、ルカイアとマビナの姉妹の前に立ち、宣する。
「〈魅惑〉は高度な技です。まれに学ばずとも無意識に操る――つまり天性の才を持つ者もいますが、稀です。多くは意識して磨き上げる、洗練されたテクニックの世界なのです」
ルカイアの修業を助ける名目で、妹のマビナも同席していた。むしろマビナのほうがこの授業を心待ちにしている様子で、意欲満々だ。
着慣れた楽な服ではなく、身体の線を出す女らしい装いに着替えたルカイアは、デュラ夫人の説明も上の空で、胸元を指で引っ張りながらマビナにぼやく。
「うっ……窮屈。こんなの毎日着てるなんて、よく我慢できるわね」
デュラ夫人のしな棒が、パチンとルカイアの手の甲を打った。
「見苦しい真似はおやめなさい。品位をお保ちに」
「いったぁ……」
不満顔で手の甲をさすりながら、ルカイアが言う。
「色っぽさを出すんでしょう? だったら、こうやって胸を寄せて谷間を見せて、鼻にかかった声で甘えればいいんじゃないの?」
自分の胸を両手で寄せてみせた瞬間、容赦ない一撃が落ちた。
「陛下の御前で下品な! 大勢の前で陛下の御威光を貶めるおつもりですか」
「いった! 本当に痛いんですけど!」
ルカイアの抗議にも、デュラ夫人は眉一つ動かさない。
「その緩んだ心持ちでは、定められた期日までに結果は出せません。真剣に、私の指導に従っていただきます」
そこからは姿勢矯正である。まずは立ち姿から駄目出しが飛ぶ。
「肩を開いて。両手は前で軽く重ねるように。その脚の開き方は何です?」
ピシリ、と太腿にしな棒が巻きつく。
「うう、痛い!」
涙目で抗議するルカイアは、もう一撃で脚を閉じた。
「落ち着きがありません。なぜ身体を揺らすのです」
今度は腰に一打。
「ちょ、なんでそんなに叩くんですか!」
「出来ていないからです。マビナ妃殿下をご覧なさい。なんと優雅で静謐か。あなたはまず、〈同じ姿勢を保つ〉ことから学びなさい」
あちらこちら容赦なく打たれるルカイアの姿は、笑ってはならないのに、つい口元が緩む。今にも堪えきれず「やめた!」と言い出すのでは、と心配にもなる。
「陛下、次のご日程がございます。そろそろ」
カティルの囁きに、レオトは頷いて席を立つ。
「では、よろしく頼む」
レオトが退室すると、デュラ夫人はふっと息を抜き、ルカイアとマビナを振り向いた。
「さあ、今度は座っている時の所作を見ましょうか」
その時、扉が開き、5、6人の妃たちが入ってきた。ランシアと、舞姫タリア、歌姫エンナらである。彼女たちは好奇心に満ちた顔でルカイアとマビナに会釈し、デュラ夫人に挨拶した。
「私たちも、ルカイア殿のお手伝いに授業へ参加したいのですが、よろしいでしょうか」
ランシアの申し出に、デュラ夫人は魅惑的に微笑む。
「もちろんですわ。妃殿下方に加わっていただけるとは光栄です」
*** ***
着替えて護衛任務に戻ったルカイアの手の甲には、むちの痕がくっきり残っていた。
「薬でも塗ったほうがいいんじゃないか? 大丈夫か」
気の咎めたレオトが問うと、ルカイアは浮かない顔でため息をついた。
「マビナが軟膏を塗ってくれました。生まれて初めて、こんなに叩かれましたよ」
途中で投げ出すと言い出すかと思われたが、ルカイアは一言もそんなことを口にしなかった。
「お辛いようなら、やめても結構です。他の妃殿下方にお願いすることもできますから」
カティルがいかにも寛大そうな口ぶりで言う。
レオトが尋ねた。
「〈他の妃〉とは、誰のことだ」
「ランシア様、タリア様、エンナ様ほか数名、本日の授業にご一緒されたとか。たいへん熱心に取り組まれたと伺っております。陛下がお望みなら、快く応じましょう」
ルカイアはむっとした顔で言い返す。
「やめるなんて、誰が言いました? やります」
カティルは冷ややかにルカイアを見た。
「途中でおやめになっては困ります。衣装とアクセサリー、靴の素材を手配中です。製作が始まってから〈やめる〉では、大損害になります。お辛いようなら、むしろ今のうちに……」
「やるって言ってるでしょ。魅惑の修業だか何だか、最後までやり切って、ちゃんと見せてやればいいんですよ!」
ルカイアはきっぱりと言い切った。
「ルカ、無理はするな……」
「や・り・ま・す、……よ」
ぷつりと噛みついたルカイアは、カティルを意識して語尾に「よ」を付け、ふくれっ面のまま口を閉ざした。デュラ夫人に散々しごかれている彼女とは対照的に、ランシアやタリアらの妃たちは、実に優秀な受講生だった。
ルカイアの目にも、彼女たちなら喜んで代役を引き受け、この件に臨んでくれるだろうと映る。同席したのは、ひょっとするとその布石でもあるのかもしれない。
実際、初回の授業後、マビナは軟膏を塗りながら舌打ちした。
「どうもルカ姉にはきついかもしれない。無理せず、辛かったら言って。陛下に直接言いづらいなら、私が伝えるから」
「初日で降りろって? そんなにヤワじゃない」
「姉さんの性分に合ってないから言うの。そもそも、どういうつもりで〈やる〉って言い出したの?」
「……なんか、妃たちに頼むのは悪いって困っててさ。必要なことみたいだし。だからやるって言ったの。いったん決めた以上、最後までやる」
マビナとのやり取りを思い出し、ルカイアは唇を尖らせる。マビナに続いて、侍従長もレオトも似たようなことを言うのだから、かえって意地が湧いた。
(私にできないわけ、ないでしょ。絶対にあのドレスを着こなして、レオトをあっと言わせてやる!)
もとはレオトを助けるつもりで始めたことだった。だが皆の懐疑的な視線の中で、見返してやるという炎が、彼女の内で勢いよく燃え上がっていた。




