表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

79/114

79. 魔獣のロード・ハザク

 ルトレクが放った炎の旋風を払いのけた魔族の少女は、宙に浮かび上がると音もなく地上へと降り立った。


「少し遊んでやるつもりだったのに……。この我を怒らせるとは、命知らずめ。ここが貴様らの墓場だ!」


 少女の身体から血のように赤いオーラが噴き上がった。それは凄まじい殺気を帯び、空気そのものを紅に染め上げていく。

 そして、彼女の姿が、変わり始めた。


「我が名はハザク。真の姿を目にしたこと、すぐに後悔させてやろう。貴様らの血の一滴まで、すべて搾り尽くしてやる!」


 魂を凍らせるような冷たい声が戦場を貫いた。だがそれは声だけではない――凶暴で巨大な〈殺意〉そのものだった。周囲の魔物たちが震え、呻き声を上げて崩れ落ちる。恐怖に飲まれ、命そのものが押し潰されていく。


 人間の戦士たちも同様だった。膝が震え、握った武器が力を失い、眼の光が消えていく。今まで勇敢に戦っていた従士たちの心に、絶望と恐怖が蔓延した。


 ジーフリートでさえ、それは生涯で初めて味わう「本能的な恐怖」だった。魂が警鐘を鳴らす――逃げろ、と。


 魔法使いルトレクは圧倒的な威圧感に息を呑んだ。あれは、魔物のロード級などではない。

(まるで……魔王そのものだ。こんな存在に、勝てるのか?)


 変身を終えた敵の姿は、悪夢のようだった。全身が粘つく暗赤色の血で覆われ、2メートルを超す巨体。山羊の頭を持ち、上半身は人間の女、下半身は獣――その禍々しい混ざりは、まさに〈魔〉の体現だった。


 ハザクは地に伏した黒狼を見下ろし、静かに手を伸ばした。

「我が忠実なる眷属、愛しきフェジアフよ……再び我と共にあれ」


(蘇らせるつもりか!?)

 ジーフリートたちは一斉に武器を構え、緊張が走った。


 ハザクは狼の頭を掴み、ずるりと引き抜いた。脊椎が長く、白く、嫌な音を立てて引きずり出される。その骨を手に握り、まるで鞭のように振るうハザクの姿は、見る者の理性を蝕むほどの恐怖だった。


 ジーフリートは込み上げる恐怖を必死に抑え、横目でクラインを見た。


 少年は緊張に汗を滲ませながらも、目には一片の怯えもない。剣を握りしめ、魔族のロードを真っすぐに見据えていた。


「うああああっ!!」

 クラインの咆哮(ほうこう)が戦場を裂いた。その声に押し潰されていた戦士たちの意識が、一斉に蘇る。


(やはり……!)

 ジーフリートはかすかに笑い、クラインの隣で駆け出した。


 ハザクが片手を掲げた。

「地獄の恐怖よ! 破壊の混沌よ! 血を凍らせ、意志を折れ! 恐怖! 混乱! そして死を――!」


 その背後に幾重もの魔法陣が浮かび上がる。圧倒的な魔力が奔流(ほんりゅう)のように溢れ、戦士たちは次々と膝をついた。理性が崩れ、筋肉が硬直する――呪いの波動が全身を襲う。


「光の勇気! 自然の調和! 脈打つ命と不屈の意志よ!」

 司祭戦士インボンが神聖語を高らかに唱えた。


「闇を払う暁の光よ、恐怖には勇気を、混乱には秩序を、死には生命を――!」


 ルトレクは続けて仲間たちに防御と耐性の精神魔法を施す。


 だがハザクは止まらない。片手に黒い炎を宿した魔弾を作り出し、もう片方の手では狼の脊椎を鞭のようにしならせた。その(ほね)(むち)は蛇のようにうねり、絡みつき、次の瞬間には槍のように鋭く突き出される。


「ぐっ……!」

 バランの鎧が音を立てて貫かれた。骨の棘が肉に食い込み、血が噴き出す。


 インボンが盾で受け止めながらバランを後方へ引きずり出し、迫る骨鞭を押し返した。


 回復術師リシュラが素早く治療の光球を生成し、バランへ投げる。さらに負傷した従士のもとへ駆け寄った。


 戦場は混沌そのものとなった。負傷者が増え、前線が崩れ始める。


 その中で、ジーフリート、クライン、シラードの3人が最前線に立ち、ハザクと斬り結ぶ。


 次の瞬間、狼の脊椎がシラードの脇腹を貫いた。


「シラード!」

 クラインが叫び、咄嗟に(ほね)(むち)を弾き返した。


「下がってください!」


 しかし、シラードは答えず、動かなかった。自分の命が尽きることを悟っていたのだ。

(無駄死にはしない……せめて、奴を討つ隙を――)


「シラード!」

 リシュラの悲鳴にも振り向かず、彼は突進した。敵の背後――その一瞬の隙を突き、肩口に剣を突き立てる。


 ハザクが剣を引き抜こうとしたが、シラードは腕を掴んで離さない。

「今だ!」


 クラインが駆け込み、腹部に剣を突き立てた。直後にジーフリートの刃が背に、バランの斧が脚に叩き込まれる。全員が歯を食いしばり、渾身の力で押し込んだ。

 インボンは骨鞭を剣で絡め取り、動きを封じる。


「ぐああああっ!!」

 ハザクが絶叫した。その声は空を震わせ、地を割った。


 その時――

「下がれっ!」

 重々しい声が空気を震わせた。


 ジーフリートたちはシラードを抱えて一斉に後退する。


 空を覆っていた黒雲が裂け、円形に青空が覗いた。そこから、巨大な光の柱が一直線に降り注ぐ。


「こんなもの……っ!」

 ハザクが必死に(あらが)うが、光柱の圧力は容赦なく、その身体を地中へと押し潰していく。


 地面が揺れ、悲鳴が響く。ついにハザクの姿が地の底へ沈んだ。光柱は次第に細い光糸へと変わり、穏やかに降り注いだ。


 だが、終わりではなかった。

「貴様らァ……!」


 地面を突き破り、ハザクの腕が突き出された。再び這い上がろうとした瞬間、光の柱が再び形成され、巨大な槌のように叩きつけられた。一度、二度、三度――轟音が続く。まるで天が怒りを下すかのように。


「ギィアアアアッ!!」

 断末魔の咆哮(ほうこう)を上げ、ハザクの身体は完全に消し飛んだ。


 光柱は無数の光の粒となって戦場を包み込み、同時に空を覆っていた禍々しい黒雲も、音もなく、消え去った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ