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7. ユステア

 その夜、敵の監視をかわすと同時に、放蕩(ほうとう)皇帝を演じるため、ユタカは〈花の離宮〉へ向かい、妃の一人、ユステアの部屋を訪ねた。これから離宮で過ごす時間が多くなる以上、まずは「皇帝の寵愛(ちょうあい)を受けてきた」とされる主な妃から会っておく必要があると考えたのだ。


 侍従長カティルによれば、ユステアは帝国内でも由緒ある名門、学者の家系の娘だという。かつて皇帝は、彼女に本を朗読させるのを楽しみにしていたらしい。部屋に足を踏み入れた瞬間、ユタカは昨夜の皇后のときと同じように、ここでも決して歓迎されていない――いや、それどころか恐怖と嫌悪の対象にすぎない――ことを悟った。


 まあ、あのクズ皇帝のことだ。誰に対してまともに振る舞ったことがあるはずもない。

 部屋の壁には、例によって皇帝の趣味としか思えない忌々しい調度品が目に入った。ユタカは侍女を呼びつけ、それらを片づけさせ、飲み物も何も混ざっていない清らかな水に取り替えさせた。


 ユステアは、(りん)とした知性を感じさせる女であり、高貴な百合のように清楚で端麗な姿をしていた。さすが学者の家の娘と言うだけあって、部屋の書架にはぎっしりと書物が並んでいる。


「今日は何もせず寝る」

 ひとまずそう言ってテーブルに腰を下ろした。


 ユステアもまた皇后と同じように、ベッドの端に静かに腰かけた。姿勢は崩さず、静謐(せいひつ)な気品をまとっている。


「今宵は何もする気分ではない。勝手に眠るがいい」

 ユタカはわざと素っ気ない口ぶりで言った。カティルから聞いた情報どおり、態度はわざと尊大にしておいた。


 今夜は眠る前に、このクズ皇帝の人物像を徹底的に研究し、設定を細かく詰め直すつもりだった。

 こんなクソみたいな状況に放り込まれたとはいえ、無軌道に遊び呆けて死ぬつもりはない。そもそも、あのサイコパスじみたクズ皇帝のように生きられるはずがない。正気であれば、あんな真似は到底できるものではないのだから。


 ユタカはこれを「人生最大の演技」と心得て挑むことにした。舞台で役を任されたときのように、キャラクターを分析し、演じる準備を整えるのだ。


 紙を広げ、思いつくことをメモしながら構想を練っていたユタカは、ふと自分がこの国についてほとんど何も知らないことに気づいた。本当にクズ皇帝として生きるつもりがないなら、この世界を正しく知らねばならない。クズ皇帝があの女性に本を読ませていたというのなら、そうした形で学ぶのも悪くないだろう。


 ユタカが立ち上がると、ユステアが小さく身をすくませるのがわかった。彼の一挙一動、一言一句が、この場の女たちにとっては恐怖の象徴なのだ。これもまた、慣れていかねばならぬ現実である。


 ユタカは書架に歩み寄り、適当に一冊を手に取った。本を開いた瞬間、文字よりも先に目に飛び込んできたのは挿絵だった。それは、現代地球のポルノグラフィーも顔負けの、露骨な性行為の図だった。


 思わずユタカは本を閉じ、あわてて書架に戻した。さらに別の2、3冊を取り出してみたが、状況は同じだった。


(……ああ、やっぱりか。この創造的に狂った野郎め。狂気の方向性がいちいちおかしいんだよ)

 本を読ませる、というのも結局は――この気高く凛とした女を辱め、弄ぶための仕打ちだったのだ。こんな本を声に出して読まされること自体、彼女にとっては最大級の拷問だったに違いない。


 ユタカは深くため息をつき、侍女を呼んだ。

「今すぐ、ではなく、夜が明けたら……ここにあるものはすべて、どこかに捨てるなり片づけるなり……いや、皇宮の我が部屋へ運んでおけ」


 女に読ませるような代物ではないが、正直、絵の出来は見事だったし、この先の展開も気になった。


(……俺だって男だ。一人のときにこの程度を見るくらい、まあ……いいだろ)

 そう自分に言い訳しながら、ユタカは侍女に帝国の歴史を記した書物を持って来るよう命じた。


 しばらくして侍女が分厚い本を何冊も抱えて戻ってくる。

 ユタカはそのうちの一冊を手に取り、ぱらりと開いた。だが、ふと人形のように動かず座っているユステアの姿が目に入り、あれも随分と辛く、苦しいことだろうと思い直した。


「……読んでみせよ」

 そう促すと、ユステアはユタカの正面に腰を下ろし、静かに本を読み始めた。ユステアの声は落ち着いた心地よい低音で、静かな思索へと誘う、深い茶の香りのように耳に染み渡る声だった。


 その声に包まれたユタカは、いつの間にか椅子に座ったまま眠りに落ちてしまった。椅子から少しずり落ちて目を覚ましたユタカは、ユステアに「ベッドの片隅で休め」と言い、自分もベッドへ向かい、端に寄って壁に背を向けるようにして横になった。


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