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63. ピラズ山頂の魔獣(2)

 ピラズ山はかなり高く険しい山であった。ようやく中腹に辿り着いた時には、すでに日は暮れ落ちていた。彼らはそこで夜を明かし、翌朝、再び山頂を目指して登攀を開始した。


 登るにつれて濃霧は深くなり、やがて一行の目の前すら霞んで見えなくなった。


「ルトレク、霧を払えぬか?」

 ジーフリートの問いに、魔導師ルトレクが風の術を唱えた。霧は一度流れ去ったかに見えたが、すぐにまた立ちこめ、あたりを閉ざしてしまった。


 ここから先は村の若者ジンマーとブクが先導し、長い棒で足元を探りながら、かつて村人たちが岩の間に結びつけた縄を見つけ出し、それを目印にして進んだ。


 やがて濃霧を抜けた先に現れたのは、山頂の大きな窪地(くぼち)、そしてその中央に広がる湖であった。不思議なことに、そこには霧が一切なく、澄み渡った空間が広がっていた。


 ブクが眉をひそめる。

「水が……随分減ってますね。本来なら、あの岩の辺りまで満ちていたはずなのに」


「魔獣の影響だろう。水が戻る可能性もある。戦いを終えたら、速やかに退けるよう、目印をつけておけ」

 ルトレクが冷静に告げ、一行に注意を促した。


 地形を確認していた彼らは、やがて一角に積み重なった白骨を見つけた。獣の骨だけでなく、人骨も多く混じり、周囲には砕けた剣や割れた盾が散乱していた。


「……魔獣が吐き出したものだな」

 神官戦士インボンが低くつぶやく。


 散らばる遺物を探っていたマレンカが、砕けた剣の柄を拾い上げた。


「その剣、知っているのか?」

 ジーフリートが問うと、彼女は顔を歪めながら頷いた。

「……弟の剣です」


 沈痛な面持ちの彼女を見ていたジーフリートは、すぐに指をさして指示を下した。

「あの場所へ奴を誘き寄せて戦う。準備にかかれ」


 従士たちは素早く熊魔獣の血の入った桶を移し、水際へと流し込んだ。さらに解体した熊の胴体を岸辺に置き、首を湖の中央へと投げ込んだ。


 一行は岩陰に身を潜め、息を殺して湖面を窺う。


 やがて。ごぼ、ごぼ、と不気味な音が湖底から響き、轟音(ごうおん)とともに水面が揺れ広がった。巨大な影が浮かび上がり、ついにその姿を現した。


 それは蛇に似た、常軌を逸した大きさの魔獣だった。その圧倒的な存在感に、一行は無意識に息を呑む。


 魔獣は湖を切り裂きながら進み、熊の肉塊を丸呑みにした。二つ、三つと次々に貪り、やがて三つ目を呑み込もうと口を大きく開いたその瞬間。


 岩陰から放たれた一矢が、うなりを上げて飛んだ。蒼の弓を引き絞ったマレンカの矢は、魔獣の右目に寸分違わず突き刺さった。


「グアアアアアァァァ――ッ!」

 断末魔にも似た咆哮(ほうこう)が山頂を震わせ、湖面が激しく波立った。


 蛇の魔獣は絶叫し、のたうちながら身をくねらせた。マレンカは矢を次々とつがえ、執拗にその頭部へと射掛ける。


「行くぞ!」

 ジーフリートとクラインらが(とき)の声を上げ、突撃した。


 その刹那、蛇魔獣は大口を開き、濃紫の瘴気(しょうき)を吐き出した。猛毒の吐息である。


 回復術師リシュラが両手を掲げると、半透明の大きな球体が現れ、それを霧へと投げ放った。球体は宙で弾け、白き霧となって毒の瘴気を中和した。


 その間に迫った戦士たちは斬撃を浴びせかけた。魔獣は長舌を鞭のように振るい、巨体をねじり返して叩きつけ、彼らを薙ぎ払おうとする。


 突如、片目が赤く輝き、湖面に黒紅の魔法陣が広がった。水が泡立ち、そこから次々と小蛇の魔獣が躍り出た。数十匹、だがいずれも2メートルを超える異形であった。


「みな、武器を取れ!」

 従士たちは即座に小蛇と交戦を開始した。


「見ている場合じゃない! お前らも後ろから援護しろ!」

 叫んだ従士の一人が、村の若者ジンマーとブクへ棍棒を投げ渡す。


「は、はい!」

 二人は震えながらも従士の後方に立ち、傷を負ってよろめく小蛇を狙って止めを刺した。


 リシュラは曲刀を振るいながらも、片手で治癒の光球を生み出しては投げて、仲間の傷を癒す。マレンカは近距離では弓の両端に付いた刃で魔獣を切り払い、間合いが開けば矢を放ち続けた。


 再び大蛇の魔獣の目が輝き、湖水が柱のように噴き上がり、ジーフリートやクラインらを押し潰さんと迫った。


「退け!」

 ルトレクが即座に防御の術を展開する。青白い光の盾が次々と生まれ、襲いかかる水柱を打ち払った。


 ジーフリートは脇で奮戦するクラインに一瞥を投げる。


 怯えも退きもなく、少年は巨獣の隙を突いては鋭く斬り込み、すぐに後退してかわす。相手の動きを読み、その流れに合わせて柔軟に回避する様は、すでに熟練の狩人のようであった。

(……やはりこの子は尋常ならぬ戦士だ)


 戦いが激しさを増す中、魔獣の注意がジーフリートらに向いた刹那、クラインは迷わず地を滑り込み、その腹下へ潜り込んだ。剣を深々と突き立て、下から上へと切り裂いていく。


 だが刃は途中で食い込み、動かなくなった。クラインは剣を捨て、転がるようにして離脱する。


「クライン様、これを!」

 駆け寄った従士が新たな剣を差し出した。


 大蛇の魔獣は苦痛に絶叫し、狂乱して暴れ回る。

 ジーフリートたちはヤツを取り囲み、斬っては退き、斬っては退きを繰り返し、徐々に追い詰めた。


 バランの戦斧が尾を断ち、続いてジーフリートの剣が下腹を抉る。魔獣は頭をもたげ、正面へ迫ろうとした。


「今だ、クライン!」

 師匠の叫びに応え、クラインは疾走した。岩を踏み台に跳躍し、頭上から落下しながら一閃。


 ズン、と重い音と共に、魔獣の首が地に転がり落ちた。

 大蛇を失った小蛇たちは統率を失い、散り散りに逃げ惑う。


「一匹も逃すな!」

 ジーフリートの咆哮(ほうこう)が轟く。


 やがてすべての魔獣を(たお)し終えた時、湖の中央で水柱が天へと噴き上がり、水位が勢いよく満ちていった。


 大蛇の(しかばね)はルトレクの浮遊魔法で運ばれ、小蛇の死骸はアイテムボックスに収められる。一行は印を付けた場所まで急ぎ退いた。


 ようやく息を整えるクラインのもとへ、ジーフリートが歩み寄る。

「よくやった。さあ、これを食え」


 彼の手には、まだ脈打つ魔獣の心臓が握られていた。クラインは思わず顔をしかめる。

「……それは?」


「見れば分かろう、大蛇の心臓だ。討ち取った者の権利だぞ」

「えっと……焼いてからでは駄目ですか?」


 その言葉にジーフリートの眉が()ねた。

「何だと? これは活力と力を授ける宝だ! 生で食うのが(おきて)だ。ほら、さっさと口に入れろ!」


「で、でも……」

 抵抗する間もなく、ジーフリートは心臓をクラインの口にねじ込んだ。


「ごちゃごちゃ言うな、飲み込め!」

「うっ……!」


「噛め! 噛んで飲み込むんだ!」

 クラインは涙目で口を動かしたが、吐き出しそうになると、ジーフリートはその口を押さえ、腹を小突いて無理やり飲み下させた。


「うぅ……生臭い……」

 必死に水をあおるクラインの横で、ジーフリートと二人の息子、さらにインボンは平然と魔獣の心臓を食んでいた。


 インボンが朗らかに笑う。

「はは、まだまだ子どもだな。これほど貴重なもの、欲しくても手に入らぬぞ」


 クラインは顔を真っ赤にして水を飲み干した。


      ***    ***


 山を下りて村に戻ると、すでに村中が外へ飛び出していた。村は一面、歓喜のざわめきに包まれ、まるで祭りのようであった。


 干上がっていた井戸には再び水が湧き、山からも清らかな流れが戻ってきていた。さらに、空からは恵みの雨がしとしとと降り始めていた。


 ジンマーとブクは興奮冷めやらぬ様子で、魔獣との戦いを目の当たりにしたときの光景や、自分たちの活躍を誇らしげに語り立てていた。その一方では、クライン一行が討ち取った蛇魔獣の肉を用いて、村人たちが料理の準備に大忙しであった。


 人々は口々に感謝を捧げ、彼らの名を高らかに叫んで万歳を繰り返した。クラインは頬を赤らめつつも、村人たちの心からの笑顔を見て胸を熱くし、満足げな笑みを浮かべた。


 ジーフリートはそんな少年の姿を目を細めて見守り、やがて遥か彼方、帝都のある方角へと視線を向けた。


 レオトから聞かされていたことが、一つひとつ現実のものとなっていく。その確かな情報と鋭い洞察に、ただ感服するばかりであった。


 ただ惜しむらくは、このすべてが皇帝の深き意志に基づくことを、村人たちに伝えることができぬこと。その口惜しさを、ジーフリートは静かに胸に抱いていた。


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