62. ピラズ山頂の魔獣
クライン一行はピラズ山の麓へと近づいていた。いつの頃からか周囲の景色に異様な変化が現れ始めた。道端の木々も草も生気を失い、黄ばんでしおれ、空気さえも乾ききっているように感じられた。
山の麓に広がる村の光景はさらに惨憺たるものだった。耕地は水気を失い、ひび割れた大地に作物はぐったりと首を垂れ、今にも枯れ果てそうであった。村人たちは水を求めて地面に穴を掘り、わずかな水を奪い合って声を荒らげていた。
村に足を踏み入れると、村人の視線が一斉に彼らへと注がれた。事情を尋ね、彼らは村長の家へ向かった。そこには失意と疲労の色濃い老人が待っていた。
「我らはピラズ山頂の湖へ行きたい。案内してくれる者を探しているのだが」
ジーフリートの言葉に、村長は重く口を開いた。
「……そこへは行かない方がよいでしょう。昔から霧の多い場所ではありましたが、近ごろはさらに濃く、不吉な霧に覆われ、道すら見えない有様です。その上、そこへ向かった者が戻らないことが幾度もありまして……。つい先日も冒険者たちが消えました」
説明を聞くまでもなく、そこに魔獣が棲みついていることは明らかだった。
「その湖に魔獣が潜み、この災厄をもたらしておる。我らはそれを討ちに来た」
ジーフリートの断言に、村人たちの間からどよめきが起こった。
「やはりそうか!」
「だからあの山は……!」
「ほら、俺の言った通りだったろう!」
声が飛び交う中、村長は涙をにじませてジーフリートに縋った。
「おお……勇者殿のお一行でありましたか! どうか、どうか我らをお救いください。旱魃もさることながら、井戸はすべて干上がり、山からの水も絶えました。このままでは皆、餓死を待つばかりです……」
そう言うや、村長は村人たちに向かって大声を張り上げた。
「誰か! この方々を山頂の湖までお連れできる者はおらぬか!」
沈黙を破り、若者が二人進み出た。
「私がご一緒します!」
「私も行きます!」
村の青年ジンマーとブクが案内役を買って出、クライン一行はピラズ山へと向かった。その途上、囮に使うための熊の魔獣を捕えるべく、彼らは山裾の大森林へと足を踏み入れた。
森の奥でついに狙いの魔獣と遭遇した。常の熊の倍はあろうかという巨躯。血走った目を光らせ、怒涛のごとく突進してくる。二人の若者は顔が真っ白になり、声もなく震えたが、ジーフリートらは微動だにせず構えた。
「ここで力を削ってはならん、クライン。見届けていろ」
そう言い残し、ジーフリートは息子シラードとバラン、さらに神官戦士インボンを率いて熊魔獣へと突撃した。魔導師ルトレクは仲間に次々と強化の術をかけ、さらに風刃を放って熊の動きを阻んだ。
獣は咆哮を轟かせ、巨腕を振るって応戦する。だが連携の前に抗えず、やがてその巨体は地を揺らして崩れ落ちた。
村の若者たちは目を剥き、ただ呆然とその光景を見守った。成人の男など容易く引き裂く怪力を誇る魔獣が、まるで兎を狩るように討ち倒された――まさに伝説の勇者のように見えた。
倒れた魔獣に従士たちが素早く群がり、大樽に血を集め、迅速に解体を進めていった。
その時。
「……そこのあなた。先ほどからこちらを覗いていたようですが、何のご用です?」
回復術師リシュラが、少し離れた木の上に声をかけた。
ざわ、と枝が揺れ、一人の女が姿を現し、しなやかに地へ降り立った。青き輝きを帯びた長弓を背負う弓使いであった。
「悪意はありません。ただ、どのような方々か、少し見ていただけです」
ジーフリートの視線は、彼女の背の蒼き長弓に注がれていた。これが、レオトの言っていた女の弓使いか。
「人を探しているのです。お見かけになりませんでしたか?」
女は若き男の似姿を描いた絵を差し出した。
「弟です。この近辺で目撃されたのを最後に、行方が分からなくなりました」
絵を覗き込む一行の中で、村人のジンマーが隣のブクに小声で言った。
「……あれ、この人。最近、冒険者の一団に混じって村に来てなかったか?」
「いたな。確かにこの顔だった」
「どこへ行ったか知っていますか?」
女の問いに、ジンマーが答えた。
「ピラズ山頂へ向かうと聞きました。危険だからと止めたんですが、『大丈夫だ』と言い張って……そのまま」
女の表情に暗い影が差した。
状況を見ていたジーフリートが口を開いた。
「山頂の湖には危険な魔獣が棲む。我らは今、それを討ちに向かうところだ。共に行くか」
女は俯き、やがて決意を込めて頷いた。
「ありがとうございます。どうかお力をお貸しください」
こうして、蒼弓の弓使いマレンカが一行に加わった。




