61. 姉妹の父
アイランとレオトの成婚式に参列するため、タパラムから大規模な使節団が到着した。今回はキルシャ王だけでなく、アイランとメイリン姉妹の父である王配フィリン公も同行していた。
彼らを迎える場に、皇后イステルは健康上の理由を口実に姿を見せなかった。こうした場が彼女に深い傷を与えることを知っていたため、レオトもまた出席を強いることはしなかった。
久方ぶりに父と再会したメイリンは、喜びのあまり舞い上がっていた。幼いメイリンに続き、姉のアイランまで妃として迎え入れることになった以上、レオトにとっては前代の「暴君」としての悪行の報いとはいえ、まことに面目なく、父にまっすぐ顔を向けることさえ憚られた。
フィリンは背が高く、やや痩せぎすで、学者を思わせる知的でどこか憂愁を帯びた雰囲気を湛えた男であった。メイリンを抱き上げ、優しくあやす彼の瞳にかすかな潤みが浮かび、その表情はいっそう物憂げに見えた。その姿を目の当たりにすると、レオトはいよいよ面目なく、軽々しく声をかけることもできず、ただ静かに頭を垂れるほかなかった。
皇宮での公式行事は多くの視線にさらされるため、儀礼的なものにとどめ、翌日には離宮でアイランの家族を招いた非公式の晩餐が設けられた。
メイリンは父フィリンの傍にぴったり寄り添い、自分の好みの料理を次々と父の口へ運んでは、愛らしい末娘らしさを存分に見せていた。その姿を慈しむように見つめるフィリンの表情は切なく、レオトは胸が詰まり、食も喉を通らぬほどであった。
やがて食事も終盤に差しかかったころ、フィリンがレオトに言葉をかけた。
「伺うところによると、陛下の武勇はまことに見事だとか。アイランを圧倒なさったと聞いております。ご無礼でなければ、ひと手ほどお手合わせをお願いしたいのですが」
フィリンについては、アイランとメイリンからあらかじめ聞いていたため、レオトは緊張しながらも快く応じた。
「お褒めいただくには程遠い身です。むしろ私こそ、義父上のご教示を仰ぎたい」
それが決して軽い手合わせでは済まぬことを直感していた。でも、この世界に来てから初めて、男性の強者と立ち合いできる機会である。命までは取られぬだろう。ならば自らの力量を極限まで試す絶好の機会としようと思った。
「では、成婚の儀の後、適当な日取りを定めるよう侍従長に申しつけておきましょう」
「お父様の武技を久しぶりに見られるなんて……すっごく楽しみです!」
無邪気に目を輝かせるメイリンの声が、晩餐の席をさらに温かなものとした。
*** ***
レオトとアイランの成婚式が盛大に執り行われてから数日後、離宮の鍛錬場にて、レオトとフィリンの試合が行われることとなった。
鍛錬場へ向かう支度を整えるレオトを見守っていたカティルは、やや憂いを含んだ声音で忠告を口にした。
「フィリン公の気迫は尋常ではございません。心を固く備えておかれるがよろしいかと」
「うむ……分かっている。多少の怪我は負うかもしれない。命さえ落とさねば構わぬ。だから決して慌てふためいて騒ぎを起こさぬようにな」
「ご謙遜を。陛下はいまだかつて、誰にも敗れたことがございません」
「大げさだな。今まで手合わせした相手など、ランシアを含めてもアイランとアンリカ、せいぜい3人だけだぞ……」
言いかけて、全員が女性であることにふと気づいた。カティルもまた、その点を意識したのか、静かに言い改めた。
「いずれにせよ、女性を相手にして負けられたことは一度もございません」
レオトはカティルを軽く睨み返した。
「言い方よ。まるで私がとんでもないろくでなしのように聞こえるではないか」
カティルはにっこり笑みを浮かべた。
「ともあれ、ご油断なきよう」
鍛錬場には、離宮護衛隊の護衛のもと、多くの妃やタパラムの人々が集っていた。先のアイランとの一戦と同じく、激しい力の衝突が予想されたため、魔導の3姉妹が場の周囲に結界を張っていた。
レオトが先に闘気を高め、続いてフィリンが優雅な身のこなしで気を運らせる。その姿は、まるで鶴が気高く舞う舞踊のごとくであった。
そしてついに両者が激突した刹那、レオトは相手の圧倒的な力と速度、そして闘志に驚愕した。フィリンの眼差しは殺意とまではいかぬが、確かに真剣そのもので、レオトを真っ向から打ち据えていた。
一撃を受け止めるごとに全身へ重々しい衝撃が走る。ひと振りひと振りが全霊を込めたかのごとく凄烈で、嵐のように絶え間なく襲いかかってきた。もしアイランから学んだ気功術がなければ、すでに深刻な内傷を負っていたに違いない。
多少の負傷は覚悟していたが、このままでは大きな怪我に至りかねぬ――レオトは全神経を研ぎ澄まし、必死にフィリンの猛攻を受け止めた。
幾度か互いに打ち合い、浅い傷を与え合ったものの、決定的な一撃は許さなかった。思うように攻め切れぬことに焦ったのか、フィリンは突如、全身を大きくひねり、巨大な気の流れを生み出してレオトを遠くへ弾き飛ばすと、自らも距離を取った。そして鋭い眼光でレオトを射抜き、大声で叫んだ。
「受けてみよ! 二人の娘を奪われた父の、怨念の一撃を!」
気を一段と高め、俊敏かつ華麗に舞い始める。彼の周囲の空気が不気味に震動し、旋回し、ついには頭上に異界の裂け目が開いた。その内部では、東方の竜を思わせる長大な影がうねり、体をくねらせていた。
誰もが目を見張り、息を呑んだ。竜たちが口を開け、今にも現世へ躍り出ようとしたその時――。
鍛錬場へ駆け込んだキルシャが、夫フィリンの後頭部を力強く打ち据えた。フィリンが崩れ落ちるや、異界の裂け目は音もなく閉じ、跡形もなく消え去った。
「外へお連れして」
タパラムの侍従たちに夫を運ばせると、キルシャはレオトのもとへ歩み寄り、深々と頭を下げた。
「ご驚かせして、まことに申し訳ございません。メイリンの件で胸を痛めていたゆえ、つい激情に駆られたのでしょう」
レオトは心苦しく、ただ頭を垂れるしかなかった。
「……申し訳ない」
あの竜たちがもし現世へ飛び出していたなら――果たして無事で済んだだろうか。背筋をなぞる悪寒と、それでも一目見てみたいという微かな未練が、レオトの胸をかすめた。




