57. 7つの都市
カティルから「灰色オオカミ傭兵団の団長セイツが、密かに陛下との独談を求めております」との報告を受けた時、レオトの胸は大きく高鳴った。その用件が「陛下に直接捧げねばならぬ重要な物ゆえ」という説明を聞いた瞬間、期待は確信へと変わった。
「すぐに約を取り付けよ」
命じるレオトに、カティルは渋い顔で問い返した。
「……本当に、陛下ご自身がお会いになるのですか?」
「ああ。そうすべき理由がある」
カティルは納得しかねる様子だった。そもそもセイツのような者が皇帝に独談を求めるなど常識では考えられないこと。アステイン家が特別に雇い入れた人材であるゆえ一応は伝えたものの、レオトが実際に会うとまでは思っていなかったのだ。
(……まずは、陛下の潜行に同行された妃殿下方にご意見を伺わねばなるまい)
そう考えたカティルは、セイツに離宮の謁見室へ参上する日取りを告げると、自らはランシアらを訪ねるため動いた。
*** ***
離宮の謁見室には、かつて潜行に随行した5人の妃が同席していた。これは万一に備えた安全策だとカティルが説明した。
やがてセイツが差し出した小箱の中には、レオトが期待していた通り、「エリクサー」が収められていた。幾色もの輝きが溶け合い、神秘的な光を放つ小瓶。ゲームで見慣れていた、まさにその姿だった。
セイツはその入手の経緯を簡潔に語り、己よりもレオトにこそ必要なものと判断したと述べた。
レオト以外の全員が驚愕と緊張に包まれ、その瓶を凝視する。カティルは慎重にそれを手に取り、まずは魔導士の3姉妹に渡した。
3姉妹は真剣な面持ちで観察し、その色合いと光彩、そして宿る圧倒的な魔力と生命力からして、古記に伝わる真のエリクサーである可能性が極めて高いとの見解を示した。
レオトはただ一人、驚きもせずに静かに頷いていた。彼にとっては紛れもなく本物であることを知っていたからだ。これまでずっと、この問題をいかに解決するか、悩み続けてきた彼にとって、涙が出るほどの喜びであった。
「命より尊きものはない。これほど貴重なものを、私に捧げるとは……誠に感謝する。
その忠義と高貴なる善意に、皇帝として応えねばならぬ。約束しよう。魔王の勢力を打ち払い、この帝国を取り戻した暁には、フランナハト河口の7つの都市を、そなたに下賜しよう」
セイツは思わず顔を上げた。驚愕に表情が固まり、その瞳がレオトを見据えた。
レオトの口にしたのは、大河フランナハトの河口に広がる三角州地帯のことだった。そこはセイツの故郷の村を含み、プライブルの丘からほど近い位置にある7つの都市が発展した穀倉地帯であり、漁業と商業の盛んな豊饒の地であった。
カティルと5人の妃もまた、驚きを隠せぬ顔つきになった。
「……今、何と仰せに?」
あまりにも信じ難い大言に、セイツは思わず問い返してしまった。
レオトは明確に、言葉を区切って繰り返した。
「フランナハト河口の7つの都市だ。たしか、そなたの故郷もそこにあったはずだな。今は逆臣バルセズの支配下にあるが、勝利の日には、そなたの足元に置かれることとなろう」
セイツは呆然となった。
夢想だにしなかった大いなる褒賞、それも故郷を含む一帯の広大な領地である。しばし言葉を失った彼は、深く息を整え、やっとのことで答えを絞り出した。
「……恐悦至極に存じます。この身には過ぎたる栄誉、謹んで拝受いたします」
「これは必ずや、然るべき場所で大きな力となろう。重ねて礼を言う。これより先、そなたとその仲間たちに任せたい大事がある。その務めを果たし、己の真価を示してみせよ」
レオトが目配せすると、カティルが長い箱をセイツの前に置き、蓋を開けた。中には中程度の長さを持つ、細身の剣が収められていた。
「抜いてみよ」
セイツは恭しく一礼し、二歩下がってから慎重にその剣を抜いた。針のように細く鋭く、突きに特化した刀身が、冷ややかに光を放った。
「そなたは双剣を用いていたな。だが、片方の剣が格に合わず、均衡が取りづらかったであろう。その剣ならば、先のマシェトの剣とも相性が良いはずだ。
この剣にはまだ名がない。ゆえに《セイツの錐》と名付けよう。極めて鋭利な武器ゆえ、自在に操るには修練を重ねねばなるまい」
『セイツの錐』――それは実際、ゲームにおいてセイツが用いていた武器だった。彼は双剣の使い手で、片方は凡庸な剣であったが、この剣は格段に優れた性能を誇り、セイツの死後には勇者が引き継いで用いたほどである。ゆえにゲーマーの間でも『セイツの錐』と呼ばれていた。
以前レオトは皇宮の宝物庫を漁る中で、ゲームに登場した剣を発見していた。万一と思い探した末に、ついにそれを見つけ出したのだった。
セイツは剣を収め、深く頭を垂れた。
「……身に余る賜りもの、感謝の言葉もございません」
レオトはさらに小箱を一つ手渡した。
「これは軍資金だ。必要に応じて用いるがよい」
中には大粒の宝石がぎっしりと詰まっていた。
ゲームにおいて存在した多様な分岐や数多のクエスト。そのうち、勇者が辿る旅路以外の魔獣討伐などは、セイツ率いる傭兵団に担わせるつもりだった。実績と経験を積ませたのち、大いなるタイフロス討伐の時、セイツに必要な情報を授けて勇者と合流させるのだ。
カティルが口を開いた。
「まもなく、そなたらを助ける者を遣わす。その者と共に動くがよい。報告はすべて、私を通せ」
セイツとの会談を終えたレオトは、満ち足りた思いでエリクサーを手に謁見室を後にした。胸の奥に重くのしかかっていた大きな懸念が、ついに解決へと向かったのだ。これで勇者に訪れるはずだった避けられぬ死を、回避できる。
さらに、セイツにとって最上の褒賞を与えられたことへの満足も大きかった。ここにきて初めて「自分が皇帝でよかった」と、心から思える瞬間であった。
後ろには、カティルと5人の妃が静かに従っていた。
「どうした? 珍しく口をつぐんでいるな。てっきり、セイツに与えた褒美が過ぎるとでも言うかと思っていたのだが……」
軽口めかして声を掛けると、カティルは静かに微笑を浮かべて答えた。
「陛下のお言葉通り、命より重いものはございません。ましてや、それが陛下の命となれば――何をもってしても過ぎるということはありませぬ」
「……そう言ってくれると、ありがたい」
実際のところ、エリクサーは自らのためではなく、勇者のために用いるものだある。しかしそれを今ここで明かすつもりはなかった。
セイツに「フランナハト河口の七都市」を与えると約したのも、熱心なゲーマーたちが「悲しき瞳の男」に関して突き止めていた探求結果に基づく知識であった。
当初、セイツが帰ると語ったプライブルの丘がどこにあるのか、情報は皆無だった。あるゲーマーがゲームの分岐クエストのひとつで勇者が通過する道筋にその丘を発見したことを端緒に、考察が進められた。
タイフロス討伐とは直接関係のない地であるにもかかわらず、そこにセイツの仲間たちの墓がある――ならばそここそが彼らの故郷なのではないか、という推測が有力視されたのである。
そして、今のレオトにとって幸運なことに、その地は軍務大臣バルセズの所領にあった。ゆえにこそ、セイツにとって最大の報いとなると踏み、実際にその反応を見れば読みは的中したことが分かった。
(……ジーフリート卿に使いを出さねばなるまい。速やかに、これを勇者の方に渡さねば)




