50. 悲しき瞳の男
大きな焚き火が焚かれ、夕餉の宴が始まった。丸ごと炙った肉や串焼き、パンとチーズ、バター、果物などがぎっしり並び、樽に詰められた上等なビールやワインもふんだんに用意されていた。
人々は狩猟大会での出来事を楽しく語り合いながら、心ゆくまで食べ、飲み、笑い合っていた。
レオトは薄い微笑を浮かべ、その様子を静かに眺めていた。この場ではダメ皇帝を演じる必要はなく、肩の力を抜いて過ごすことができた。
彼の胸中はセイツのことでいっぱいだった。
ゲームの中で、彼は長いあいだ名前ではなく『悲しき瞳の男』と呼ばれていた。名が知られていなかったためでもあった。
勇者クラインとして彼に初めて出会ったのは、闇が落ちた荒野の片隅。焚き火の前に、ひとり腰を下ろしている彼を見た。伸び放題の乱れた髪に、傷だらけで土埃にまみれた鎧を纏い、虚空に向かって語りかけ、酒を勧める。一目で正気を失った男と見えた。
彼は、魔王直属の4大将軍のひとりにして、帝都の外で帝国を攪乱していたタイフロスを討伐するクエストで登場する人物であった。
当初は通りすがりのNPCに思われたが、実は極めて重要な役割を担う人物だった。
彼はタイフロスによって仲間と友をすべて失い、ただ一人生き残った者。タイフロスを討つために欠かせない情報を伝え、戦いにも協力者として加わった。
最初に彼を見かけた時、単なる狂人とみなし、まともに相手にしなかった。だがタイフロスとの戦闘で再び現れ、勇者を助けた。しかし情報不足のためクエストは失敗に終わり、彼はそこで命を落とした。
その後、再挑戦の折には、彼と会話を重ねて重要な情報を得、共に戦いに挑んだ。結果、タイフロス討伐には成功したが、その過程で彼は勇者に決定的な一撃の機会を与え、代わりに敵の攻撃を受けて命を散らした。
彼は自らを「死ぬべき場所で死に損ねた者」と自嘲し、生きる目的をタイフロス討伐ひとつにのみ置いていた。だから、幾度名を尋ねられても「自分はすでに死んだ人間、名など持たぬ」と答え続けた。
タイフロスを倒し、最期の時を迎える際、彼は勇者に一つの宝を遺した。いかなる形の死からも一度だけ命を救うという神秘の霊薬、エリクサーである。
勇者がそれを彼に使おうとした時、彼は勇者の手を強く握りしめ、首を振った。
「……これは君のために使うんだ。俺の役目はもう終わった。あとは行かねばならない。そこには、俺を待っている懐かしい仲間たちがいるから……」
乱れた灰色の髪の下で、蒼き瞳が美しく、そしてひどく哀しげに光っていた。
そして、そのエリクサーこそが、ゲームを最後までクリアするために欠かせない必須のアイテムだった。最終章である皇宮へと至る前に立ちはだかる直前のボス――デシオルは、『避けられぬ死』という恐るべきスキルを持っていた。
それは、自らが死ぬときに相手を必ず道連れにするという、極めて卑劣な最期の一撃であった。ゆえに奴を倒せば、必ずこちらも死ぬ。エリクサーがなければ次の段階へ進めず、タイフロス討伐前のセーブポイントに巻き戻され、再びやり直しを強いられるのだ。
そのことを知らず、軽い気持ちでエリクサーを消費してしまい、タイフロス討伐前に巻き戻されたゲーマーも少なくなかった。
やがてゲーマーの間では、「あの『悲しき瞳の男』を救えないか」という挑戦が繰り返されるようになった。そして最初にそれを成し遂げたのが、他ならぬユタカであった。
その条件は実に苛烈なものであった。敵を完璧に攻略し、一撃たりとも反撃を許さぬこと。さらに最後の瞬間、ごく短い時間内に特定の攻撃技を発動し、決定的な一撃を与えなければならなかった。
ついにタイフロスを完璧に討ち取り、二人が生き残った時、『悲しき瞳の男』は初めて微笑を見せた。
そして勇者にエリクサーを託し、自分は仲間たちが眠る『フライブルの丘』へ戻るのだと言った。別れ際、勇者が名を問うと、彼はようやくその名を明かした――それが「セイツ」だった。
レオトが最初に彼を見て気づかなかったのは、ゲームでの姿と今の姿があまりに違っていたからだ。
ゲーム内での彼は荒み、陰鬱で、疲れ果てた姿だった。だが今目の前にいるセイツは、生の活力に満ち、堂々と輝いていた。フライブルの丘で眠るはずの仲間たちに囲まれた彼は、かつてのゲームの印象とは違い、自信と野心に燃える男であった。
(本来の彼は……あんな姿だったのか)
レオトはあらためて、ここが幻想ではなく「生きた現実の世界」なのだと痛感した。自分のことを何ひとつ知らないセイツに、勝手に親しみを覚えるのは可笑しなことかもしれない。だが彼の生き生きした姿を見るのは心地よかった。
一方で、セイツがかつて持っていたエリクサーのことを考えると、胸の奥に不安が広がった。
彼が目の前に現れたということは、すなわち、エリクサーもこの世界に存在し、そして勇者に『避けられぬ死』が訪れるということを意味している。
しかしセイツがいつ、どのような経緯でエリクサーを手にしたのかは全く分からない。今すでに持っているのか、これから手に入れるのかすら、不明である。一つ確かなのは、そのエリクサーが勇者にとって不可欠なものだという事実だけだ。
(どうする……今聞くべきか?)
出会って間もないのに、いきなりエリクサーのことを問いただすのは不自然だ。
もし持っていたとすれば、それを問うのは「差し出せ」と言うに等しく、強奪と変わらない。
もし持っていなかったとすれば、それはそれで、セイツに突拍子もない途方もない使命を押しつけることになる。
(下手をすれば、秦の始皇帝が不老不死の薬を求めたのと同じ話になってしまう……。勇者はまだ修練の途上にある。もう少し時間を置いて見極めることにするか)
いまなすべきことは、もしセイツからエリクサーを託されることになった時、何を代価として返すかを決めておくことだ。命を救うという、計り知れぬ価値を持つ霊薬を、無償で受け取るわけにはいかない。
レオトは決意した。セイツにとって本当に価値があり、心から喜んでもらえる褒美を探し出そう、と。少なくとも、この現実の世界においては、彼が幸福な人生を送る姿を見たいと願ったのだった。




