5. 秘密任務
午前中は眠りに沈み、午後にまたしてもタランダルが訪ねてきたが、ユタカは「疲れている」と言い訳して晩餐会まで引き延ばした。その代わり、侍従長カティルを伴い、皇室の宝物庫へ赴いて必要な品を集め、昨日に続いて日誌を読みふけった。
そして日誌から得た情報をもとに、〈過去のクズ皇帝〉ではなく、〈今の自分自身〉としての新たな物語と人物像を練り上げ始めた。
これから先、彼は「宮廷」という舞台で、一世一代の演技を続けねばならないのだ。
その夜の宴でも、ユタカはひたすら食事に没頭し、ちらりとペトラオンの様子を窺い、大声で声をかけた。
「ペトラオンといったっけ! 先ほどから死人のような顔をしているが、我が宴に何か不満でもあるのか?」
彼が答えるより先に、さらに声を張り上げ、叱責する調子で言った。
「昨日あれほど泣き言を申すから、好きにさせてやったというのに……その態度は何だ! 宴の後、別途話を聞く必要があるな。後ほど我が居室へ参れ!」
皇帝の不快な物言いに、場の空気は凍りついた。多くの者は「ペトラオンは今夜ついに命を落とすのだろう」と目配せし合った。
ユタカは、何事もなかったように平然と盃を掲げて叫ぶ。
「なぜ皆、固まっているのだ? さあ、宴を楽しめ!」
彼はわざと楽しげに振る舞いながら、食べて飲んで、食べて飲み続けた。
過食で腹を膨らませ、自室へ戻ったユタカは、宮内大臣シェイフスと侍従長カティルだけを残し、他の侍従を全員下がらせた。そしてペトラオンを呼び入れた。
ひとりで部屋に足を踏み入れるペトラオンの心境は、すでに覚悟を決めたものだった。多くの者がそう思ったように、彼自身も「今夜こそ自分は死ぬかもしれない」と承知していたのだ。
昨夜の宴で、思いがけず皇帝が反応を示し、措置を命じた時点では、かすかな希望を抱いた。だが翌日、宰相が恩着せがましく割り当ててきた予算は、とても必要な施策を実現できる額ではなかった。
しかも「これは陛下の大いなる御恩寵である。最善を尽くして結果に責任を取れ」などと、もっともらしい言葉を並べるのだった。到底問題を解決できない雀の涙のような金を渡され、結果に責任を取れとは――それは恩恵ではなく、罠に他ならない。
本当なら、すぐにでも皇帝に直訴したかった。しかし、家族を思い、ぐっとこらえていた。なのに、今夜、宴を楽しんでいないという理由で、ついに呼び出される身となった。卑屈に命乞いをすれば、生き延びられるかもしれない。
だがペトラオンは決意を固めた。たとえそれがどんなに微かな希望であろうと、試みなければならない。何もせず傍観することこそ罪悪。皇帝の残虐な性質を考えれば、その場で殺される可能性も十分ある。どうせ死ぬなら、言うべきことを言ってから死ぬつもりだった。
「……宰相から与えられた予算で、そなたの考える施策が本当に可能なのか?」
皇帝の声は、意外にも静かだった。
緊張の中で、ペトラオンは固めた決意を実行に移す。
「恐れながら……とても足りませぬ。少なくとも10倍の予算が必要でございます」
すると皇帝は手を挙げ、こちらへ来るように合図した。
直に殴りつけるつもりか。そう思いながらも、ペトラオンは恐怖を押し殺し、皇帝へと歩み寄った。
ユタカは宮内大臣シェイフスと侍従長カティルにも手招きをし、近くに呼び寄せた。ペトラオンを含め、3人の男は張り詰めた面持ちで皇帝の眼前に集まった。
ユタカは椅子の脇から小さな木箱を取り出し、ペトラオンに差し出した。ペトラオンは訳も分からず受け取る。
「……開けてみよ」
促されて蓋を開けた瞬間、ペトラオンの瞳が驚愕に見開かれた。箱の中には、数多の宝石がぎっしりと詰まっていたのだ。
「それで、当座の対策は可能か?」
「えっ……は、はい……」
思いも寄らぬ大金だ。これならば、多くの民の命を救えるに違いない。だが、この皇帝がそんなことをするなど信じられない。3人とも、この状況が何を意味するのか掴みかね、困惑していた。
ユタカは静かに口を開いた。
「突如このような真似をしたゆえ、驚いているであろう。今から語ることは機密だ。決して外に漏らしてはならぬ。
実は私は、皇太子の頃より邪悪な連中の奸計に陥り、正気を失っていたのだ。その元凶こそ、宰相ザモフと軍務大臣バルセズ。
奴らは遠き昔に封印された魔王の直属の配下であり、帝国を混乱に陥れ、その隙を突いて魔王を復活させようと企んでいる。
目的を果たすため、奴らは怪しげな薬物と邪法を用いて私の精神を麻痺させ、意のままに操ってきた。タランダルは奴らの手先として、私を堕落の道へと導いていた。
先ごろ亡くなったテピト卿のことは知っていよう。実のところ、彼はその陰謀を察知し、私を邪悪な術から解き放つため、自らを犠牲にしたのだ。そして、効果が現れたのが、昨日の朝というわけだ。
……だが、そなたらも知っての通り、これまでに忠義の士の多くは殺され、あるいは追放され、宮中にはほとんど残っておらぬ。近衛隊すらも奴らの掌中にある。
魔王の眷属どもの力は強大だ。ゆえに私は、しばし正気を取り戻したことを隠しつつ、事を進めねばならぬ」
この話が果たして通じるかどうか、内心では不安だった。ユタカは、できる限り誠意を込め、用意してきたシナリオを語った。
テピトに関しては、日誌から知った情報だ。クズ皇帝を討とうとして、逆に斬殺されたと記されていた。それだけでも彼が忠臣であることは明らかで、ユタカは彼の死を物語に組み込み利用した。
生き残るためには、何としても状況を変えねばならない。そしてそれは、自分一人の力では不可能だ。今、信じられる人間は、目の前のこの3人しかいない。
3人は当初「また何かの悪ふざけや策略では」と身構えた。だが次第にユタカの語る内容に引き込まれていく。特に間近で皇帝を補佐してきたカティルとシェイフスは、彼の眼差しが以前とはまるで別人であると感じ取っていた。
3人の信を得られたと悟ったユタカは、もう一つの箱を取り出し、再びペトラオンへと差し出した。
「外で力となる人材を集めよ。奴らと戦うには勢力が要る。そして今後は、宮内大臣を通じてのみ、私に直接報告せよ。可能な限り支援を約束する。
そなたは力の限り民を救え。ただし、外には〈そなたが私財を投じて救済している〉と装うのだ」
ペトラオンは目に涙を浮かべ、深々と頭を垂れた。
「命を賭して、御心に従います……!」
シェイフスとカティル父子も、厳粛な面持ちで黙していた。シェイフスは悲痛な顔で言葉を絞り出した。
「間近でお仕えしていながら、そのような事態に気づけなかったとは……我らの罪、あまりに大きうございます」
「どうしてそなたらの過ちと言えようか。事情がどうであれ、奴らに操られていた私の責が最も大きい。
先ほども申した通り、この背後には邪悪で巨大な力が蠢いておる。
十分な力を蓄え、対抗できる時が来るまでは、この事実を外には絶対に漏らしてはならぬ」
ユタカの念押しに、3人は力強く頷き、固く誓った。
「もちろんでございます!」
ペトラオンが部屋を下がろうとしたその時、シェイフスが提案を口にした。
「敵の目を欺くため、あたかもペトラオン卿が陛下に大いに叱責を受けたように装いましょう。
さらにご面倒ではありますが、卿は今夜のうちに荷をまとめ、クィナトへ出立されるのがよろしいかと存じます。その際、信頼できる者たちを密かに同行させましょう」
これにはペトラオンも快く同意した。
「承知いたしました。では、どのように装えばよろしいでしょうか」
「恐れながら、失礼いたします」
侍従長カティルが礼をとったのち、ペトラオンの顔へ拳を叩き込み、片目に痣を、唇には裂傷を与え、血をにじませた。さらに一方の脛を見事に蹴り上げる。
こうして顔を腫らし、足を引きずるペトラオンは、まるで追放された者のように慌ただしく皇帝の居室を後にした。