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47. セイツ

 皇帝に謁見する前、セイツはアステイン家の当主フェルシと会っていた。


 アステイン家とはこれまでも魔獣討伐など幾度か依頼を受け、縁を重ねてきたが、当主と直接顔を合わせるのは初めてだった。彼のような大貴族の当主が、自分のような者に直に会ってくれるというだけで、破格の扱いと言えた。


 フェルシは対面の席でまず小さな箱を差し出した。中には高価な宝石がぎっしりと詰まっていた。

「これが今回の報酬だ。〈沈黙の誓約〉が必要な仕事である」


 沈黙の誓約。

 それは、この任務の内容が決して外へ漏れてはならぬことを意味していた。こうした場合、大抵は誰かを人知れず抹殺する仕事か、あるいは極めて重要な人物を密かに護る仕事、どちらかであることが多い。


 この依頼を受けるか否かなど、実のところ選択肢はない。断れば、その秘密が何であれ、それを守るために消されるだろう。大貴族の目から見れば、傭兵団の団長など道端の小石ほどにも値しないのだから。


 それでもなお、答えを待ちながらこちらを観察しているのは、もはや一つの試しだった。セイツが愚か者か、それとも分別ある判断を下せる人間か、それを見ているのだ。


「……我々は何をすればよろしいのですか」

 セイツの問いに、フェルシの口元に微かな笑みが浮かんだ。


「皇帝陛下を、お護りいただきたい」

(皇帝を、護るだと?)


 普段ならば動じることのないセイツも、この時ばかりは表情を崩しかけた。皇帝を討つのではなく、護るというのか。あまりにも意外な話であった。


 今、帝国ではアステイン家が娘を妃に奪われ、さらに莫大な財貨まで巻き上げられたという噂が広まっていた。そのアステイン家が、皇帝のために傭兵を雇う? とんでもない冗談としか思えぬ話だ。だが、フェルシの(まと)う気配はひどく真剣であった。


 セイツの脳裏は、瞬時にめぐった。

 現在、帝国を実質的に掌握しているのは宰相ザモフ。軍務大臣バルセズはその最側近として軍権を牛耳っている。そんな状況のもと、アステイン家が皇帝と手を結び、その護衛に傭兵を雇おうとしている。


(これは……政変の兆しか?)

 セイツは以前から、近いうちに帝国に大きな変乱が訪れるのではないかという本能的な予感を抱いていた。中央の無能と腐敗だけが問題ではなかった。


 幾年も前から、干ばつや洪水といった自然災害が頻発し、辺境では蛮族の侵攻が相次いでいた。さらに各地では、凶悪な魔獣の出没も後を絶たなかった。セイツの率いる傭兵団が実績を重ね、規模を拡大できたのも、まさにこうした時勢のゆえである。


 こうしたことは常に「すべてか、無か」である。大いなる栄光か、あるいは惨めな死か――その岐路(きろ)に立たされるのだ。この場に身を置いた以上、もはや選択の余地はない。自分自身だけでなく、傭兵団全員の命を賭けた、一世一代の賭けが始まったのである。


「忠誠を尽くしましょう」

「当面の任務は、陛下の潜行を護ることだ。だが、いずれ君に果たしてもらうべき役割はさらにある。これはその着手金として受け取っておきたまえ。詳しいことは息子のケイアムから聞くがよい」


 その後、次期当主ケイアム・アステインから語られた経緯は、さらに衝撃的なものであった。


 それはセイツにとって、より大きな意味を持つものとなった。単なる権力闘争ではなく、大義と名分を備えた戦い――帝国の安寧のみならず、人族の存亡を賭けた戦い。もしこの勝利に貢献できるなら、真の名誉と地位を手に入れることも夢ではなかった。


 セイツはアステイン家から受け取った資金を、傭兵団の装備と服装の刷新に惜しみなく投じた。皇帝をお守りする任務なのだから格別に気を配れ、というケイアムの言葉もあったが、それは彼自身の判断でもあった。


 そしてついに、皇帝と直接対面する日が来た。


 皇帝にまつわる噂や悪評は、セイツの耳にも届いていた。近ごろは外見を飾り立てることに夢中で、どういうわけか整った体躯を作り上げ、それを振りかざして人々を困らせている。そんな話もその一つだった。


 美しい妃たちに囲まれ、享楽に溺れているかのように見えるあの男は、果たして命を賭して守るに値する人物なのか。


 自分をこの場に同席させたことからすれば、悪い始まりではない。少なくとも、皇帝が身分に縛られずに人を判断する器量を持つことは示されていた。


 自然な態度で笑い、歓談を交わすレオトを見つめながら、セイツは思った。

 もしあれが演技だとすれば、この皇帝は本当に恐ろしく、そして偉大な人物だと。きっと彼は、この場にいる人間たちを一人残らず静かに観察し、見極めているに違いない。



 夜も更け、レオトは妃たちとともに寝所へと引き上げた。その前に女たちへは再び宝石の雨が降り注ぎ、「この場にいる者すべてを、心ゆくまで満足させよ」という寛大な命が下された。


 甘い微笑みと艶めいた声、積極的な肉体の誘惑に導かれ、多くの者は女と連れ立ち、一人また一人と部屋へ消えていった。最後まで踏みとどまった男は、近衛士官3名と、傭兵団長セイツ、副団長マクシム、そしてタパラムの武人ら数名に過ぎなかった。


 副団長マクシムが嘆息する。

「はあ……こんな夜をただ流すなんて、もったいねえ。あんな美女ども、次はいつ会えることやら」


 そう言いながら、悔しげな表情でセイツを睨みつける。

「正直、お前ひとりが我慢してりゃ十分だったんだ。俺まで付き合う必要はなかったろ?」


 セイツはその時ようやく表情を緩め、口の端を吊り上げた。

「ふっ……お前だけ楽しませるわけにはいかんだろう」


 マクシムの眉がぴくりと動いた。

「ほら見ろ、やっぱりな! このケチくさいやつめ!」


 そう毒づきながらヘッドロックを仕掛けようと飛びかかるマクシムを、セイツは素早く身をかわし、立ち上がってその肩を軽く叩いた。


「……そのうち泣きついて感謝することになるさ」


        ***     ***


 クズ皇帝という世間のイメージのせいで、レオトは5人の妃と一つの部屋に入らざるを得なかった。


 豪奢で広大な寝室には、巨大なベッドと、目を見張るほど奇妙な調度品が並び、レオトは思わずため息をついた。これこそが、世間に広まっている〈皇帝の姿〉なのだ。


「皆も疲れているだろう。今夜はこのまま休むとしよう。明日は早くに発つ予定だからな」


 実際のところ、五人の妃と乱痴(らんち)気騒ぎをする気など毛頭なく、静かに眠るつもりだった。だが、妃たちは一斉に声を上げて反発した。


「そんなのあり得ません! 陛下とせっかくご一緒できるのに、ただ眠るなんて」

「そうですわ。どれほど心待ちにしていたと思って?」

「陛下を数日間独り占めできる、こんな機会をみすみす逃せるものですか!」


 レオトは面食らった。自分なりに気遣ったつもりの提案だったのに、まさか反対されるとは。気づけば、彼はあっという間に5人の妃に取り囲まれていた。


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