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34. 挑戦

 アイランが来てから、何日か経った。アイランはランシアの鍛錬場に招かれていた。共に武術の修練を積んだという共通点から、自然と打ち解け、親しくなったのだ。


 鍛錬場に足を踏み入れたアイランは、四方の壁に大きな鏡が取り付けられているのを見て、思わず目を見張った。


(なんて奇妙な趣味なのかしら……)と呆れた顔で見回す彼女に、ランシアが笑みを浮かべた。


「最初は私もそう思ったけれど、意外と役に立つの。全身をあらゆる角度から映せるから。タリアなんて、舞の稽古に最適だって感嘆して、陛下に願い出て舞踊練習室にも同じものを設置していただいたくらいよ」


「そうなの?」

 アイランは小首を傾げながら、試しにポーズをとってみた。


 なるほど、ランシアの言う通り、自分の姿を多角的に映し出すことができる。なかなか面白いと感じたが、それ以上に彼女の目を引いたのは、二つの大きなサンドバッグだった。


 表面に触れてみると、ただの革ではない。魔獣の革だ。しかも、強靭さと耐久性で知られ、高級な鎧の素材にもなる「ブカウ」という魔獣の革で作られていた。


「これは何?」

「見せてあげるから、ちょっと退いて」


 ランシアは後ろに下がり、姿勢を整えると、大きく蹴りを繰り出した。

 鈍い音とともにサンドバッグが大きく揺れる。その光景は、すぐにアイランの興味をかき立てた。


「私もやってみていい?」

「陛下が設置なさったものだけど、私も一緒に使っているから大丈夫よ」


「これも、陛下の発案なの?」

 本当に変わった発想をする人だと感じながら、アイランはサンドバッグを相手に軽く体をほぐしてみせた。


 その動きを、ランシアは興味深そうに目を離さず見つめる。


「陛下もここで鍛錬なさるの?」

 サンドバッグを叩きながら、アイランが尋ねる。


「特別な事情がない限り、毎日欠かさずに」

「毎日、って……?」


「ええ。今日もこの後、いらっしゃるはずよ」

 好奇心をかき立てられたアイランは、皇帝が姿を現すのを待ちながら、その場で体を動かし、時間を過ごすことにした。


        ***      ***


 レオトが鍛錬室に姿を見せたときには、ランシアとアイランに加え、メイリンの姿もあった。上着を脱ぎ、四方の鏡に映る己の体を確かめるレオトの様子は、アイランにとっても実に珍しい光景だった。


 裸で鍛錬する男はこれまで何人も見てきたが、ここまで自らの肉体を四方の鏡に映して確認する者は初めてだった。もっとも、その体つきは完璧と呼ぶにふさわしかった。


「本当に素晴らしいです……こんなもの、初めて拝見しました」

 メイリンの心からの感嘆に、レオトは少し照れたように笑みを浮かべた。

「ありがとう」


 シャツを着直したレオトに、メイリンがたずねた。

「ランシア様から伺いました。陛下も武術を(たしな)まれるとか。少しお見せいただけませんか?」


 レオトは一瞬考え、やがてアイランに向かって言った。

「もしよければ、私の技を見ていただき、実戦で通用するかどうか、評価を願えぬだろうか」


 現代の武術がこの世界でどれほど通用するのか。東北の武神の娘にして、そこでも指折りの強者だと評されるアイランに見てもらうのは好都合だった。


「承知しました」

 アイランは快く応じた。


 レオトは、自ら学んできた空手、ムエタイ、そしてロシアのシステマの技を次々と披露した。真剣な眼差しで見守っていたアイランが評する。


「非常に実戦的で無駄がなく、強く洗練された武術です。戦場に立つ兵士や武官にも最適かと存じます」

「役に立つなら何よりだ」


「恐れながら、帝国にこのような武術があるとは聞いたことがございません。どなたから学ばれたのでしょう?」

「うむ……誰かに学んだというより、幼少のころ修めたものに、自分なりの工夫を加えたものだ」


 異世界の武術だとは言えない以上、そうごまかすしかなかった。


 アイランの顔に感嘆の色が浮かぶ。

「まことに素晴らしい。もし差し支えなければ、より広い場で一度、直接ご指南を賜りたいのですが……可能でしょうか?」


「実戦形式の手合わせを、ということか?」

 念のため確かめると、アイランは即答した。

「はい、その通りです」


 この大胆な願いに、ランシアの目が見開かれる。

 だが、レオトにとっては思いがけない好機だった。以前から実戦を試みたいと考えていたところだったのだ。


「よかろう」

 レオトが即座に承諾すると、ランシアが慌てて割って入った。


「お待ちくださいませ。陛下は万民の尊きお方。もし実戦の立ち合いをなさるなら、しかるべき準備が必要です。侍従長に申し伝え、日取りと場所を定めるのが道理にございます」


「そこまでせねばならないのか?」

「法度にございます」


「久々に聞く言葉だな……わかった。侍従長に伝えて用意させよう」

 そう答えたレオトは、アイランへと顔を向けた。


「日取りが決まれば、侍従長から知らせが行くはずだ。残念だが今日は鍛錬だけにしておこう」

「承知しました」


 その後、アイランはレオトの鍛錬の様子を興味深く見守り、ときに動きを真似て身につけようとした。

 サンドバッグも珍しかったが、縄跳びやダンベル、バーベルに至るまで、奇妙にして巧妙な道具が多い。ランシアによれば、それらはすべて皇帝自らの発案によるものだという。この皇帝は、実に興味尽きぬ人物だと、アイランは改めて思わずにいられなかった


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