3. 勇者の養父
「死にたくない」―その一点以外、何ひとつ定まらぬまま夕餉の宴の時刻となった。
(……俺は役者だ。これは芝居だ。ここは撮影現場で、俺は〈クズ皇帝〉を演じている……メソッド演技をするんだ、メソッド演技……)
そう自分に言い聞かせながら、ユタカは宴の間へ向かった。
彼は不機嫌そうな、気難しい皇帝を装い、ただ食べることに専念した。他にできることもない。裸同然の舞姫たちの妖艶な踊りも、道化の芸も、楽しむ余裕などない。
皇帝の機嫌をうかがいつつ宴が続く中、ふと音楽が止まり、場が静まり返った。一人の中年の男が立ち上がり、大声で諫言した。
「陛下、申し上げたいことがございます!かねてより何度も奏上してまいりましたが、南のクィナト地方では、相次ぐ凶作で民が悲惨な飢えに苦しんでおります。
この場の料理ひとつで百人の民が命をつなげるのです。一刻も早く、何らかの対策を講じなければなりません!」
宰相ザモフが声を荒らげて彼を叱責した。
「ペトラオン卿! なぜこの場でそんな話を持ち出し、宴の興を削ぐのか!」
他の佞臣らも次々と彼を非難する。
「農作を失敗したなら、飢えるのも当然ではないか。なぜ陛下の御機嫌を損ねるのだ」
「農民どもはすぐ泣き言を言う。どうせただで施しを受けようと大げさに騒いでいるのだろう」
ペトラオンは怯まず、さらに声を張り上げた。
「いまクィナトでは、道端に餓死者の死体が並び、生きる希望を失った者たちが、ただ死を待つばかりの有様だと申します!死者を喰らうという不吉な噂さえ流れております!
このまま放置すれば、取り返しのつかぬ事態となりましょう!」
その切実な訴えに、ユタカはつい反応してしまった。できる限り魔王の配下の目に留まる行動は避けようと決めていたのだが、「人々が飢えて死んでいる」という言葉を、どうしても無視できなかった。
「……で、何をどうすれば良いのだ?」
思わず口にした問いに、ペトラオンはすぐさま答える。
「速やかに救恤所を各地に設け、まずは民に食を与えねばなりません!」
宰相ザモフをはじめ、座中の視線が一斉にユタカへと注がれる。ここで怪しまれるわけにはいかない。
ユタカは、わざと気だるげな顔をして椅子に深くもたれ、無関心を装い問い返した。
「……そなた、名は何といったか?」
「ルシン・ペトラオンにございます」
「うむ。ではペトラオン卿、この件はそなたに任せよう。宰相と相談して、勝手に進めよ」
言い放つようにそう告げると、ユタカは興味を失ったふりをして再び食事に没頭した。だが、彼の頭の中は、複雑な思考で渦を巻いていた。男の名を聞いた瞬間、ユタカの意識ははっきりと冴えた。
ルシン・ペトラオン。彼こそが、主人公である勇者クラインの養父である。惨烈な飢饉で両親と兄弟を失い、絶望の中で死にかけていた少年を救い出し、家族の葬儀まで執り行ってやった人物。養父ペトラオンの死こそが、少年クラインが皇帝への復讐を誓い、旅立つきっかけだった。
ユタカはペトラオンに民の救済を任せたが、魔王の配下である宰相が、まともに資金を出すはずもない。魔王勢力は帝国を混乱に陥れることで勢力を広げようとしていた。混乱と不安こそが、彼らの力の源なのだ。
(……なんとか後手を打つ方法を考えなきゃ)
そう思うなかで、どうにか宴は終わった。
他にやることもなく食べ続けた結果、腹はぱんぱんに膨れてしまった。ただでさえ肥満気味なのに、これではさらに太ると溜め息をついていたところへ、カティルが告げに来た。
「今宵は、皇后の御寝所へお渡りになる晩でございます」
その言葉に、ユタカは皇后の存在を思い出した。
ゲーム内で〈最も美しい美女〉とされていた皇后イステル。彼女はまさに、数奇な運命を背負った女性だった。
小国の王女であったイステルは、王女を差し出せという皇帝の要求を拒んだために国を滅ぼされ、家族も皆殺しにされた。以後は皇帝の〈蒐集品〉のように扱われ、虐げられながらも生き延びてきた。
その唯一の理由――それは復讐だった。
彼女は勇者クラインの密かな協力者であり、最終決戦の日には、忠実な侍女を通じて秘密の通路を勇者に教え、皇宮の深部へと導いた。そして、自らも皇帝を背後から剣で刺し、皇帝の手で命を落とす。その傷で瀕死、あるいは絶命した皇帝の肉体に、魔王が復活する――そういうシナリオだった。
(……つまり俺は、俺を殺そうとする〈この世で一番の美女〉の部屋に入らなきゃならんわけか)
なんという因果。クズ皇帝が犯した蛮行のツケを、なぜ自分が背負わされねばならないのか。考えれば考えるほど、涙が出そうになる。




