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28 東北の武神

 メイリンの故郷から、彼女の母が到着したとの報を聞いたとき、レオトは本当に驚いた。手紙と招待状が届くだけでも一か月はかかる距離のはず。今は投函(とうかん)から一か月余りが過ぎた頃合い。つまり知らせを受けてからほんの数日でここに現れたことになる。


「数日のうちに来られるものなのか?」

 カティルに尋ねると、彼もまた戸惑いを隠せない様子で答えた。


「その地の民の中には、特別な力を操る者がいると聞き及んでおります。いずれにせよ、よほど急がれて来られたのでしょう。お越しになったのは、お母上ただお一人、キルーシャ王です」


「……キルーシャ王?」

 思わず問い返すと、カティルは一瞬驚いた顔を見せ、慌てて補足した。


「申し訳ありません。陛下がいろいろとご記憶を失っておられるのを忘れ、当然ご承知と思ってしまいました。メイリン様は帝国東北部、タパラム王国の王女にあたります。現在の王であるキルーシャ様は、その母君にあたられる方です」


 タパラム王国――その名は記憶にあった。

 レオトはすぐにゲームの記憶を呼び起こす。タパラムのキルーシャ王といえば『東北の武神』の異名を取り、ゲーム終盤に勇者クラインと相まみえて試練を与え、彼を一段高みへと導く存在だった。


(帝国の東北で大規模な反乱軍を率い、この世界でも屈指の強者とされた人物……それがメイリンの母だったのか? だとすれば、あの反乱もメイリンが絡んでいたのか?)


 考えれば考えるほど、クズ皇帝は破滅の種ばかり撒いてきた人間だと痛感せざるを得ない。


 タパラムの民は服装も容貌もどこか東洋風であり、彼らの武術もまた功夫を思わせた。さらに彼らは「気功術」と呼ばれる特異な技を修め、達人の域に至った者は英雄級の戦闘力を誇るとされる。その中でもキルーシャ王は神域に近い存在、『神人』と讃えられる武神である。本来なら一か月かかる距離を、わずか数日で単身駆け抜けてきた――そこに込められた想いは推して知るべしであった。


(下手をすれば、その場で叩き殺されるかもしれんな……)


「どうかなさいましたか?」

 怪訝そうに尋ねるカティルに、レオトは取り(つくろ)うように首を振った。


「いや、何でもない。メイリンは母君の到着を心待ちにしていた。さぞ喜ぶだろう」

「ただいま離宮でメイリン様とご対面中です。陛下には、御用をお済ませののち、離宮の謁見室にてお目通りいただけるよう手配してございます」


「……うむ。公式の訪問ではないから、そうするほかあるまい」


 正直なところ、レオトにとってこの対面は、極めて重苦しいものだった。年端もいかぬ娘を、人質として差し出したのでもなく、クズ皇帝に奪われたのだ。その恨みがどれほどのものか、想像に難くない。ランシアの家族に会ったときとは、また別の意味で、その重圧は百倍にも感じられた。


          ***       ***


 離宮の謁見室で幼い娘と再会したキルーシャは、メイリンを抱きしめると、しばらくのあいだ離そうとしなかった。もし一般の家庭であれば、決して幼子を〈クズ皇帝〉の手に渡すことなどなかっただろう。どこへでも連れて逃げたはずだ。


 しかし、キルーシャは王であり、民を守るという重き責務を背負っていた。皇帝の要求を拒めば、どんな報いが待ち受けるかは――皇后イステルの悲惨な末路が恐ろしいまでに物語っていた。


 血を吐く思いでメイリンを送り出して以来、片時も心安らぐ日はなかった。異国で娘が言葉にすることもはばかられる苦難を味わっているのではないか。そう考えるだけで眠れぬ夜を数えた。


 そんな折に届いたメイリンからの手紙。だがそれすら、果たして本当に無事なのか、重い病や怪我で死に瀕しているのではないかと疑いが募り、ついにすべてを振り切って一人駆けつけたのだった。


 出立の頃より背も体つきも成長したとはいえ、メイリンはまだ幼い。母の顔を見た瞬間、こらえきれず涙を溢れさせた。


 キルーシャは娘の体をくまなく撫でながら確かめ、骨折も外傷もないのを知ってひとまず安堵する。

「体は……大丈夫のようだな。どこか痛むところはないか?」


「平気です。ちゃんと元気に暮らしています」

 その声は意外なほど明るく、瞳も生き生きと輝いていた。


 ようやく胸の重荷が少し下りたキルーシャは、娘に手を引かれるまま住まいへ向かった。

 そこは愛らしい飾りで彩られ、まるで宝石箱のように整えられていた。


「きれいでしょう? 陛下がこんなふうに飾ってくださったんです。それに、これをご覧ください。陛下がお話しくださった物語を、私が文字にしてみたんです」


 メイリンはコマキ文字で書かれた本を差し出した。さらに帝国文字も習得し、レオトから算術を学んで計算が得意になったと誇らしげに語る。


 キルーシャが本を繰ると、そこには民話めいた温かさと、洗練された叙事が織り交ぜられており、思わず驚かされた。あのクズ皇帝に、このような面があるとは想像もしていなかったからだ。


(そんなはずはない……あの男がどんな人間か、私は知っている……)

 これまでメイリンからの便りなど、一通も届かなかった。必死に情報を探しても耳に入るのは不穏な噂ばかり。こんなふうに無事に暮らしているのなら、なぜ何も知らせてこなかったのか。


 まさか皇帝が何か裏の目的で、幼いメイリンを弄んでいるのではないか? 疑念が拭えぬまま、彼女は口を開いた。


「メイリン……陛下は最初から、このように優しくしてくださっていたのか?」

 その問いに、メイリンの顔に影が差す。


「……最初は怖かったです。何度も、変なことをさせられて……」

 言いかけて唇を噛み、言葉を濁す。だが、すぐに決意を固めたように母の顔へ身を寄せ、声を潜めて囁いた。


「これ、絶対にお母さまだけが知っていてください。……実は、昔の陛下は、魔王の直属の手下たちに操られて……マクニに……」


         ***      ***


 離宮の謁見室でメイリンの母キルーシャと対面したレオトは、思わず身を引き締めた。目の前に立つ姿は、ゲームで見た『東北の武神』そのままである。齢は40代後半ほどか。メイリンはおそらく末娘であろう。


(やはりクズ皇帝らしい……相手を選ばず手を出した結果がこれか)


 ただの力比べであれば、一瞬で自分を葬り去るであろう恐るべき相手。王として民を背負う身ゆえ、感情に任せて行動はすまいと頭ではわかっていても、恐怖が消えるわけではない。


 しかしキルーシャは落ち着いた態度で深く一礼し、恭しく口を開いた。

「メイリンより、陛下に関わる出来事を伺いました。あの子は陛下を深く慕い、またご安否を案じております。……どうか陛下をお助けせよと、私に頼んでまいりました」


 その言葉に、レオトは胸を撫で下ろし、威儀を正して応じた。

「そう言っていただけるのは嬉しい。まずはメイリンの件について謝罪したい。あの子に、そして御家族、さらには王国の民に計り知れぬ痛みを与えてしまった」


 キルーシャは静かに耳を傾けていた。


「過ちを正そうと考え、メイリンを帰郷させると告げたのだが……メイリンはそれを脅しと受け取り、家族の命乞いをして涙に暮れた。

 メイリンから事情を聞いたゆえ、正直に申し上げる。これから先は危険な戦いが待ち受けている。この離宮は必ずしも安全ではない。せっかく直々にお越しくださったのだ、メイリンを伴ってお帰りくださってよい」


 レオトはそう述べ、当然キルーシャが喜んで受け入れるものと思った。

 だが彼女は短く考えを巡らせたのち、慎み深く答えた。


「陛下のご厚情、まことにありがたく存じます。されど……メイリンは、いかなる経緯であれ、すでに陛下の御身に属す者。これもあの子の宿命と受け止めております。

 今のようにお慈しみいただき、立派な娘へと成長する日までお守りくだされば、それで十分にございます」


 レオトは思わず眉を上げた。

「しかし、メイリンは家に帰りたがっているのでは……」


「いいえ、あの子も私と同じ思いにございます。陛下の御傍らでその大業を助け、その成就を見届けたいと申しました」

「だが敵は強大で、恐るべき相手だ。メイリンが危険に(さら)されるやもしれない」


「その覚悟も承知のうえでございます。そのことに関連し、ひとつお願いがございます。

 陛下には今、敵の襲撃に備える堅固な近衛が必要にございます。離宮の護衛を拝見いたしましたが……幾人かを除けば、一般の娘が武器を手にしているに過ぎぬように映りました」


 レオトは苦く笑い、うなずいた。

「遺憾ながら、その通りだ」


「帰国次第、我が弟子を含め、腕利き20名ほどを選りすぐり、派遣いたしましょう。護衛を兼ね、離宮の衛兵の訓練にも役立つはずです」

 思いがけぬ援軍の申し出に、レオトは目を見張った。


「それは……まことにありがたい。大いなる助けとなろう」

 彼は心から喜び、その提案を受け入れた。


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