15. 3人の妃
いつものようにランシアの部屋へ入ったレオトは、彼女に告げた。
「ここに鍛錬場があるから来ただけだ。わざわざ見張っている必要はない。これからも一日一度は、こうして顔を出すことになるだろう。気になるなら、侍女を一人鍛錬場に残しておき、そなたは部屋で他のことをして気楽に過ごしていてもよい」
「かしこまりました」
そう答えながらも、ランシアは鍛錬場の隅からレオトの様子を見守っていた。
レオトはステップを踏んで体をほぐし、縄跳びをした後、サンドバッグを打とうとした。すると、その袋には自分以外の使用痕があるのに気づいた。武家の娘と聞いていたが、やはり一人のときに体を鍛えていたのだろう。
彼女がここにいるのが一種の好奇心からだということは、とうに承知していた。ランシアは明らかに、レオトの独特な鍛錬法に強い興味を抱いていた。
しばらくサンドバッグを打ち込んだ後、レオトは上着を脱ぎ、鏡に自らの姿を映してみた。相変わらず頼りなく白い肉体ではあったが、気のせいか、腹が少し引き締まったようでもある。腕を触ると、僅かながら力瘤が盛り上がっていた。
(悪くない出だしだな……)
目標は腹に硬い腹筋を作ること。そうすれば不意の攻撃を受けても筋肉が初めの防壁となり、一撃で命を落とすことは避けられるだろう。その次に気を付けるべきは、皇后イステルに背を突かれぬよう、彼女の前では常に後ろに注意することだ。
イステルを思い浮かべると、無性に会いたくなった。彼女に出会うまでは、レオトは〈一目惚れ〉など信じていなかった。外見に惹かれて瞬間的に心を奪われる――そんなものは、ただの衝動であり欲情に過ぎないと思っていた。
しかし、イステルを目にした瞬間、それまで経験したことのない圧倒的な感情に呑み込まれてしまった。それは動物的な衝動や所有欲では到底語れぬものだった。
欲望を満たすだけなら、いくらでもそうできたはずだ。あの夜、己と戦い必死に堪えたのは、これ以上イステルを傷つけたくなかったからであり、何よりも彼女にこれ以上憎まれたくなかったからだった。
皇后の居所には6日に一度は顔を出さねばならぬという規則があった。今のレオトには有り難い決まりである。もちろん彼女をただ眺めているしかないのだが、それすら彼にとっては小さな喜びだった。
(次は本でも持っていこうか……ただ黙っているのも互いに気まずいだろうし)
そんなことを思いながら鏡の前に立っていると、背後からランシアが不思議そうにこちらを見つめているのを感じた。まだ人に見せるには恥ずかしい体だ。レオトは少しばかり気恥ずかしくなり、鉄棒へ向かって懸垂を始めた。
レオトにとって、依然として裸の女たちに身体を洗われるのは気まずく、不快であった。肉体的にも視覚的にも刺激は否めない。桶で下半身を隠したまま身を清め、マッサージは省いて外へ出た。
皇宮へ戻って午後の予定を一つこなし、夕食を済ませた後、読書をしてから夜更けにはカティルの案内で、かつて皇帝の寵愛を受けたという妃嬪の部屋へ向かった。
部屋に入ったレオトは一瞬立ち止まり、思わず目を擦った。まったく同じ顔立ちの女が3人、並んで立っていたのである。
「……まさか三つ子か?」
呆然とつぶやくと、3人の女は小首をかしげた。驚きを隠しつつ、レオトはテーブルに腰を下ろした。
「今夜は本を読んで休むつもりだ。だからそれぞれ自分の部屋へ戻って眠るがいい」
そう言っても3人のうち誰一人動こうとはしなかった。顔を上げると、そのうちの一人が代表して口を開いた。
「わたしたち3人は、皆この部屋で暮らしております」
「3人で一部屋を使っているだと?」
「はい」
3姉妹は、なぜそんなことを問われるのか、理解できないといった様子で、同じ角度に首を傾けた。その様子が妙に可笑しくもあり、不思議でもあった。よく見れば、この部屋は他の妃嬪の部屋に比べてずいぶん広い。ベッドもまた驚くほど大きい。
何の説明もなくこの部屋へ導いたカティルは、明らかにこうなることを織り込み済みだったのだろう。以前の皇帝へのささやかな復讐なのか、それとも彼なりの悪戯心なのか、いずれにせよ問いただす価値はある。
とにかく、この皇帝は想像しうるあらゆる淫らな妄想と悪行を尽くしたに違いない。
(討たれて当然のはずの悪党はあいつなのに、好き放題を味わった挙げ句、どこかへ消え失せ、残された後始末を押しつけられているのが俺だとは……)
理不尽さに内心ぼやきながら、レオトは本を開いた。
本当に何もせずにただ読書を続けていると、ベッドに並んで座り彼をじっと見つめていた3姉妹は、次第に退屈に耐えきれなくなり、手足をもぞもぞ動かしながら小声で囁き合い始めた。
「おかしいわね。どうして私たちに初めて会ったみたいな言い方をするのだろう?」
「ほんとだわ。普段とは何か違う」
「もしかして、これも何か悪いイタズラじゃないのかしら?」
「しっ、静かに。聞かれたらどうするのよ」
ちらちらとレオトの顔色を窺っていた彼女たちは、しばらくそうしていたが、やがてそっとベッドに潜り込み、掛布を引き上げてほとんど頭まで隠すようにして、その中でひそひそ声を交わした。
「どうして急にあんな様子になったのかな」
「分からないわ。でも、いつ豹変するかも知れないじゃない」
「そうそう。おとといの宴に出ていたアミニアが言ってたでしょ? タランダルを自分の手で刺し殺したって。それで平然と笑い、戯れていたって」
「やっぱり……何かあるわ」
3人は不安げにレオトの方を窺いながら、声が漏れぬよう唇だけを動かして小さく囁き合った。
レオトはあえて気づかぬふりをして、読書に没頭し続けた。どれほどの時が経っただろうか、やがて彼女たちの気配は止み、静寂が落ちた。夜もすっかり更けたようで、レオトも本を閉じ、ベッドの端に身を横たえた。
彼が身を横たえた途端、3姉妹が一斉に動いた。両脇には一人ずつぴたりと身体を寄せ、もう一人は彼の上に覆いかぶさるように重なってきた。驚かされたのはその行為だけではない。3人とも裸身だったのだ。
「いったい何を?」
身をよじって彼女たちを振り払うと、レオトは跳ね起きて声を荒げた。
すると3人は不思議そうな顔で答えた。
「陛下がわたしたちの部屋においでになる時は、必ずこうせよと命じられておりまして……」
(ああっ、このどうしようもない変態皇帝は、やはり想像のさらに上を行く……!)
怒りとも呆れともつかぬ感情を飲み下しながら、レオトは小学校の時でさえしたことのないような真似をした。大きなベッドのおよそ3分の1ほどの位置に長い紐を渡し、境界線を作ると、3姉妹に厳かに言い渡した。
「余はここで寝る。明日、余が出ていくまで、決してこの線を越えてはならん」
そう告げ、下半身の怒りをどうにか宥めつつ、壁に背を向けて横になった。彼の内奥では、暴れ狂う男が――「おい、なぜこんな仕打ちを! ならいっそ俺を切り捨ててしまえ!」――と叫び、憤慨していた。




