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13. メイリン

 まずは、クズ皇帝が寵愛したという妃嬪の面々から知ろうと、レオトはメイリンという名の妃の部屋に入った。だが、目に飛び込んできたのは、あまりにも幼い少女の姿であった。


「君……いくつだ?」

 思わず口から言葉が漏れる。


「12歳です」

 やはり、子どもだった。胸の奥から罵声がこみ上げてくるのを、レオトは必死に押し殺した。


「いつからここに?」

「10歳のときからです」


 レオトは唇を強く噛みしめた。この外道皇帝は、想像し得るあらゆる悪行をやり尽くしてきたのだ。こんな男の身体に自分が宿っていることすら、呪わしく思える。


 どうすればよいのか分からず逡巡(しゅんじゅん)していると、メイリンが近寄ってきて、レオトのズボンを脱がそうとした。彼は仰天した。


「な、なにをしている!」

 メイリンは無邪気な瞳で見上げながら答える。

「陛下はお入りになると、いつもまずこれをお望みでしたから……」


 レオトは慌てて手を振り払い、後ずさった。

「もうそんなことをする必要はない」


 深呼吸し、落ち着いた声で言い直す。

「これからは、そういうことも含めて、妙な真似は一切しなくていい」


 メイリンは事情が分からないというように首をかしげた。

「私は、もう必要ないのですか?」


「あ、いや……そういうことではない。ただ……君はあまりにも幼すぎる。だから、成人するまで……そうだな、18歳になるまでは絶対に手を出さないと決めた」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返すメイリン。幼い彼女にひどい仕打ちを重ねてきた皇帝が、こんなことを言い出すのだから、理解できるはずもない。


「とにかく、そう決めた。だから、そう思っていればいい」

 そう告げると、レオトは椅子にどさりと腰を下ろした。


「では……私は何をすればよろしいのでしょうか?」

 メイリンが恐る恐る問いかける。


 レオトはじっとその子を見つめた。ふわふわとした産毛に包まれた丸い顔、大きな瞳と小さな唇――人形のように愛らしい少女だ。


(こんな幼子を親元から引き離し、汚らわしいことを……)

 込み上げる嫌悪を抑えつけ、レオトはできるだけ優しく語りかけた。


「ご両親に会いたくはないのか? 家に帰してやろうか」

 その瞬間、メイリンの顔が蒼白に凍りついた。がたがたと震え、彼女はその場に崩れ落ちる。


「申し訳ありません……どうか父母と兄弟、故郷の人たちだけはお助けください。罰は私ひとりが受けます。どんなことでもいたします。ですから、どうか家族だけは……!」


 言葉の最後は嗚咽(おえつ)に変わり、メイリンは子どものように声をあげて泣き出した。あまりの様子に狼狽(ろうばい)したレオトは、彼女の傍らに駆け寄って宥めようとした。


「なぜそうなる? 罰するつもりなどない。ただ親御さんのもとへ戻してやろうと……」

 だがその言葉に、メイリンの泣き声はさらに激しくなった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……どうか両親と家族だけは……」

 必死の声で懇願するメイリンの幼い顔はぐしゃぐしゃに歪み、涙が滝のように流れ落ちていた。


「わかった。ここにいればいい。好きなだけいて構わん」

 子どもをなだめながら、レオトは侍女を呼び寄せて菓子を持って来させた。そして、メイリンを起こして椅子に座らせ、侍女が持ってきた菓子を口にくわえさせた。


 メイリンはまだしゃくり上げながらも菓子を口に入れ、ちょこちょこと噛みはじめる。その仕草があまりにも可愛らしくて、レオトの口元には自然と笑みが浮かんだ。泣き声が落ち着くのを待ち、レオトは優しく語りかけた。


「君を追い出そうなんて思っていない。望むなら、いつまでもここにいていい」

 ようやく安心したのか、メイリンはおとなしく小さく頷いた。


 部屋は一見すると華美だが、どう見ても子どもの部屋らしくはなかった。おもちゃのひとつもなく、大人向けの装飾品や化粧道具、そしてあのクズ皇帝の趣味丸出しの下品な品ばかりが並んでいた。


 レオトは、いずれカティルに命じて各部屋にあるあの手の品を一掃させようと心に決め、まずは侍女に持ち出させた。そして菓子を食べるメイリンを見守りながら椅子に腰を下ろした。


 正直、こんな幼い少女をどう扱えばよいのか分からない。だからこそ〈大人らしい対応〉を心がけることにした。甘い物を食べたのなら、歯を磨かせて寝かせる、それだけだ。


 ベッドの片側で休むように言うと、メイリンは素直に横になった。レオトは眠気が来ず、卓上に灯りをともして持ち込んだ本を開いた。


(眠れぬ夜は歴史書に限る)

 ぎっしりとした内容に乾いた文体。実に退屈だ。だが、この肉体にはもうひとつ驚くべき特質があった。――驚異的な記憶力だ。


 かつてユステアが本を読み聞かせてくれたときも、半ば眠りながら聞いていたはずなのに、後から振り返ると、内容がすべて頭に入っていた。


 カティルから受け取った日誌も同様だった。もちろん注意深く読んではいたが、それでも膨大な情報を丸ごと覚えてしまい、事件といえば、日付まで即座に思い出せるほどだ。そのせいで、むしろカティルから「皇帝はそんなに利発な人物ではないので、人前ではわざと知らぬふりを」と注意されるほどだった。


(ほとんどチート能力じゃないか。こんな肉体を持ちながら、あんな生き方しかできなかったとは……)

 思えば思うほど情けない奴だ。この身体、この頭脳があれば、仮に現代の地球に裸一貫で放り出されても、何とか食い扶持を見つけ出せそうだ。


(台詞なんてすぐ覚えられるだろうし、アクションも問題ない。ひょっとすると、本当にスターになって、ハリウッドに進出だって夢じゃないかもな……)


 ほんの数日前までは文明の恩恵を謳歌していた現代人だった。なのに、なぜここにいる? なぜよりにもよって、このクズ皇帝なのか? 答えの出ない疑問が、またも頭をよぎる。


 ふとベッドの方に目を向けると、メイリンがぱっちりと目を開け、ちらちらとこちらをうかがっていた。視線が合うと、メイリンは慌てて目を閉じ、寝たふりをする。


「眠れぬのか?」

「い、いいえ」

 反射的に答えて小さく身をすくめる姿が、哀れでもあり、また愛らしくもあった。


「本でも読んでやろうか?」

「お話の本……ですか?」


 歓迎の色が隠しきれない声を聞いてしまえば、断れるはずもなかった。レオトは本を閉じて立ち上がり、もう一度部屋の中を見回した。だが、この部屋には本が一冊も置かれていなかった。……ユステアのときのことを思えば、むしろ無いほうが幸いかもしれない。


 とはいえ、この退屈な歴史書を読み聞かせるわけにもいかない。そこでレオトはベッドに背をもたせかけて腰を下ろし、自分の知っている童話を語ってやることにした。


 女の子が好きそうな話――白雪姫から始めた。登場人物ごとに声色を変え、芝居をするように感情を込めて語る物語に、メイリンはたちまち夢中になった。瞳を輝かせ、食い入るように耳を傾けるその顔には、年相応のあどけない笑みが浮かんでいた。


「とても面白いです」

「それはよかった。お話も聞いたし、もう寝るとしようか?」


 メイリンは名残惜しそうにためらい、ようやく勇気を振り絞って口を開いた。

「ひとつだけ……もうひとつだけ……聞きたいです」


 それを言い出すのにも、この幼い少女には大きな決断が要るのだ。

「わかった。では、ひとつだけだ。その代わり、そのあとは必ず眠るんだぞ」


 次に語ったのはシンデレラの物語だった。話の終盤になるころには、メイリンのまぶたはすっかり重くなっていた。それでも結末が気になるのか、必死に眠気をこらえている様子だった。やがて眠りに落ちる直前、メイリンが小さくつぶやいた。

「なんだか……陛下が別の人みたいです……」


 メイリンの寝息を確かめ、レオトはベッドから立ち上がった。同じベッドで眠るのは、どうにも背徳感が強すぎて無理だった。これからは、昼間に様子を見に来る程度にしておこう。


 レオトはソファに横たわり、もう少し本を読み進めると、そこで静かに眠りに落ちた。


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