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12. 沐浴のしきたり

 雑念を振り払うように無心で体を動かしているうちに、かなりの時間が過ぎ、全身が汗でぐっしょり濡れていた。そこでレオトは、ここに浴室があったことを思い出し、身を清めに向かった。


 衣を脱いでいると、ランシアと侍女2人が入ってきた。

「一人で入るから、下がっていてよいぞ」


 手を振って追い払おうとしたが、ランシアは淡々と答えた。

「法度に背くことはできません」


「皇帝である余がよいと言っておるのだ。下がれ」

 すると、もう一人の侍女が恐る恐る口を開いた。

「これは決して破ってはならぬ法度にございます。従わぬ場合、わたくしたちが処罰されます」


「余が許すと言っても、罰せられるのか?」

「はい、そうでございます」


 何という理不尽な話だ。後でカティルに確かめねば。そう思っていると、3人の女はなんと衣まで脱ぎ始めた。


「な、何をしているっ!」

 思わず声を荒げると、ランシアが無表情のまま答えた。

「これも法度にございます」


 レオトは思わず壁に背を向けた。

 これはまた、何という馬鹿げた法度だ。どうせ、あのろくでなしの皇帝が作ったに違いない……。内心毒づいていると、背に柔らかな感触が押し当てられ、女性の胸元の感覚にギョッとした。


「な、何をするつもりだ!」

「こうしてお洗い申し上げよと定められております」


「体でではなく、布とか……そういうものでやれ!」

 慌てて身を翻し、女たちを振り払う。


(くそっ、あの変態皇帝はどこまで常識を逸脱しているのだ)

 男である以上、正直まんざらでもない状況ではある。でも、あの変態と同じ盤上で遊ぶことなどできない。そうなれば同じ穴の狢、最後は勇者に討たれる運命に違いない。


 そう自分に言い聞かせ、どうにか心を縛り付けたが……健康な男の体は正直で、反応は隠しようもなかった。勃ちあがったそれを隠そうと、桶で覆ったまま壁際に寄って立ち尽くすと、ランシアが静かに言った。


「前をお洗いするため、こちらをお向きください」

 仕方なく振り向いたが、視線を落としても視覚的刺激からは逃れられない。レオトは目をぎゅっと閉じた。腕や脚を布で擦っていた手が、あの部分に近づく気配を感じ、レオトは桶を強く握りしめた。


「そこには触れるな! そこは自分でやる!」

 言ってみれば妙なセリフだが、そこに女性の手が及んだら、その先は……到底耐えられぬ。背を向け自ら洗いながら、レオトは心の底から苛立ちを覚えた。


(いっそ堕ちてしまおうか……?)

 昂ぶった下半身が「それでも男か」と言わんばかりに怒り狂っている。


 耐えに耐えた末、女たちがガウンを着せてくれて、ようやく心が落ち着きを取り戻した。

 しかし、それで終わりではなかった。長椅子に寝かされ、扇で風を送られながら髪を乾かされ、さらにはマッサージまで始まった。マッサージまで拒む理由はない。レオトは素直に身を委ねた。


 緊張が解け、体が心地よく弛緩していく。そのまま、いつしか深い眠りに落ちていった。


       ***    ***


 翌朝、ランシアはレオトより早く目を覚まし、静かに座っていた。


 無茶な運動をしたせいで筋肉痛になるかと思いきや、昨日のマッサージのおかげか何ともなかった。気分もいくらか晴れている。


 部屋を出ると、カティルが待っていた。宮殿に戻ったレオトは、さっそく入浴の法度について尋ねた。


「それは元来からの掟にございます。浴場は敵の襲撃に最も脆い場所。ゆえに武器を一切持たせぬよう、裸で侍るのが定めなのです」

「離宮は安全だと言っていたではないか? 一人で入るのは駄目なのか?」


「それもまた陛下の御身を守るための措置にございます。万が一の事態において、身を挺して陛下をお守りすることも彼女らの役目です」


 カティルは一歩も退かなかった。むしろ「なぜ陛下が独りで入ろうとされるのか」と不思議そうにしていた。確かに、発情期の犬のように暮らしていた男が、急に禁欲的な修道僧の真似をするのだから、怪しまれて当然かもしれぬ。


 正直、ゲームの事情を知らなかったら……あるいはクズ皇帝がここまで壊れていなかったら、男としてこの快楽の海に身を投げ出していたかもしれない。


 レオトはまず、ほぼ毎日のように開かれる宴を減らすことから始めた。その代わり、離宮で遊び暮らしているかのように装うつもりだ。離宮に多額の金を費やしているように見せかけ、実際にはペトラオンに資金を回すのだ。


(ペトラオン卿が勇者と出会うのは、まだ先のはず……)

 ゲームでの経験によれば、魔王を討つルートはいくつかある。その中で最短かつ最強の武器──聖剣を作り出すルートへ勇者を導くつもりだった。


 容易な道ではなく、数々の難関が待ち受けている。だがレオトは必要な手順をすべて知っている。だからこそペトラオンを支援し、勇者を育て、自らの味方に引き込む計画だ。


(まさか……自分の首を刎ねる剣を自分の手で作る羽目にはならないだろうな?)

 一瞬、不安が胸をかすめたが、今はこれに賭けるしかない。


 その日の宴は中止し、最低限の公務だけを済ませると、レオトは離宮へ向かった。これから毎日鍛錬して体を作るのだ。


 昼夜に続いて現れたレオトに、ランシアは驚きと戸惑いの色を隠せなかった。申し訳ないが、ここは鍛錬場と化すのだから、仕方がない。レオトは彼女の挨拶もそこそこに鍛錬場へ直行した。


 勇者が味方してくれるとしても、問題は残る。勇者が王都へ到着する前に、敵の襲撃を受けるかもしれない。奴らにとって皇帝とは魔王を復活させる器にすぎない。彼ら待ち望んでいるその日が来れば、皇帝を抹殺しようとするだろう。


 3年後、天体の運行が魔王復活に最適な状態に達し、巨大な赤い月が昇る。その時を待って、奴らはレオトの肉体に魔王を復活させようと企んでいる。


 魔王が蘇れば、太陽は光を失い漆黒に染まり、赤い月は鮮血のように輝き、黒い太陽の隣に姿を現す。ゲームの題名『黒き太陽、血に濡れる月』は、その日に由来している。


 もちろん、レオトはその日を待つつもりなど毛頭ない。その前に備えを整え、奴らに奇襲をかけるつもりだった。だが、その場合でも、奴らが魔王復活を前倒しする可能性はあるので、勇者が来るまで、自らを守り抜かねばならない。


 勇者の救出を待つ皇帝──自分で考えても笑うしかないが、仕方がない。少なくとも一太刀で斬られぬよう、筋肉くらいは鍛えておかねば。


 幸い、この体の素質は申し分ない。力、スピード、持久力、どれも優れている。大柄で手足も長く、適度に肉付きがよく筋肉をつけるには最適の状態だ。


 鍛錬場には新しいサンドバッグが吊るされていた。昨日の物とは違う獣の革で作られているようで、非常に頑丈そうだ。縄跳びも取っ手付きで用意され、重さの違うダンベルまで揃っていた。作りも上等で、ここでは大抵の物は注文すれば造ってくれるに違いない。


 かつて専門トレーナーの指導を受けながら体を鍛えた経験を思い出し、レオトは自ら立てた計画に従い、鍛錬を始めた。


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