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11. 決行

 宴に臨んだユタカは、楽しげに振る舞いながらも、ひそかに機会をうかがっていた。劇的な効果を狙うなら、やはり宴の空気が最高潮に達した時がよいだろう。


 舞姫たちの踊りが終わり、しばし音楽が途絶えたその瞬間。ユタカは親しげな様子でタランドルの肩を掴み、立ち上がった。彼を抱き寄せるようにしながら、大声で言い放った。


「タランドル、我が友よ。そなたは皇太子の頃から、余と共に数多の歓楽を分かち合ってきたなあ!」

「陛下の海のごとき恩寵のおかげにございます」


「遊び方にかけては、ほとんどそなたから学んだようなものだ。とりわけ女の扱い方に関しては、そなたこそ我が師であった」


 タランドルは卑しげに笑った。

「へへっ、身に余るお言葉にございます」


「それゆえ離宮にまで特別に入ることを許し、共に遊ぶことも少なくなかった」

「まことに恐悦至極にございます」


 ここからが一世一代の芝居どころだ。ユタカは怪しく瞳を光らせ、声を低めた。

「だが近頃のそなたの振る舞い、いささか度を越しているようだな。今日も余の目の届かぬ所で、余の女に勝手に手を出し、挙げ句には鞭打った。余は自分のものに勝手に触れられるのを、何よりも嫌うと知っているだろう?」


 その言葉に、ようやくただならぬ気配を察したタランドルの顔は蒼白になった。

「へ、陛下……。過ちにございました」


 ユタカは左腕に力を込め、肩を抱え込んだまま逃げられぬよう押さえつけ、あえて優しい声で宥めた。

「それほど怯えることもあるまい。ほんの少し懲らしめるだけの話だ……」


 そして、ユタカは右手を伸ばし、背後に控えていた近衛兵の腰の剣を抜き放つや、タランドルの腹へと勢いよく突き立てた。深く刺し込むつもりではあったが、思いがけず刃はその腹を貫き抜けてしまった。


 女たちの悲鳴が、広間に木霊した。

 あまりの事に一瞬、ユタカ自身も凍りついた。だがタランドルと目が合った刹那、恐怖と驚愕に見開かれた瞳に映った自分の姿を見て悟る。ここで怯んではすべてが水泡に帰す。


 ユタカはすっと冷笑を浮かべ、掴んでいた手を放した。

「おや……ほんの軽く戒めるつもりが、力加減を誤ったらしい」


 そう言い、血に濡れた手を隣の妃に差し出した。

「汚れてしまったな。早く拭け」


 震えながら自らの衣で彼の手を拭う妃。その間、ユタカは無造作に倒れたタランドルの死体へ視線を投げ、冷淡に吐き捨てた。

「目障りだ。さっさと片づけろ」


 侍従たちは慌ただしく遺体を運び出していった。

 宴の広間は、息苦しいほどの沈黙に包まれた。宰相と軍務大臣を除けば、誰一人として皇帝を直視する勇気を持てぬ。


「たかが蠅一匹を叩き落としただけだ。何をそこまで驚くのだ? さあ、宴を続けよ」

 ユタカは何事もなかったかのように楽しげに振る舞った。


 人々は恐れに顔を引きつらせ、無理やり笑みを作り、ただただ皇帝の不興を買わぬようにと戦慄していた。


(今の俺はサイコパスな暴君だ……メソッド演技だ、メソッド演技……)

 ユタカは自らに言い聞かせながら、狂気じみた享楽に酔いしれる演技を続けた。


      ***     ***


「うっ……おえぇっ……」

 皇帝の私室に戻り、シェイプスとカティル、3人きりになると、緊張の糸が切れたユタカは、宴で口にしたものをすべて吐き出してしまった。


 殺さねばならぬ相手を、最も効果的な場所で、最も効果的な方法で葬った。後悔はしていない。だが……手に残る鮮烈な感触、タランドルのあの目に移っていた光景が頭から離れない。体の芯に冷えが走り、震えが止まらなかった。


「まことに大胆なお振る舞いでございました。これで今後はより自由に立ち回れるでしょうし、誰ひとり離宮に軽々しく近づくことも叶わぬでしょう」

 シェイプスが称賛の言葉を述べた。


 ユタカは黙って頷いた。必要なことであり、避けられぬことでもあった。

 この夜ばかりは一人になりたかったが、放埓(ほうらつ)なサイコパス皇帝という仮面を保たねばならない。ユタカは足を離宮へと向けた。


 辿り着いたのは、昼間に訪れたランシアの部屋だった。宴での出来事がすでに広まっているのか、彼女の顔は硬くこわばっていた。


「今夜は何もする気はない。そのまま休んでいろ」

 どうせ言っても従うまいと知りつつそう告げ、ユタカは彼女を素通りして鍛錬場へと足を運んだ。


 そこにはすでに四方の壁に大きな鏡が張り巡らされ、2つのサンドバッグが吊るされていた。梁には鉄棒までしっかりと固定されている。


 皇帝の権力とは、大したものだと実感する。しかし、それが何になるというのか。今の自分の頭上には、いつ落ちるとも知れぬ鋭い刃がぶら下がっているのだ。


 宴での光景を思い返した途端、またも手が震えた。動かなければ、この忌まわしい感覚を拭い去ることはできない。


 ユタカは鬱屈(うっくつ)を吐き出すようにサンドバッグを蹴りつけた。「ドンッ!」という音と共に、サンドバッグはあっけなく破裂した。苛立ちがこみ上げて振り返ると、扉口に立つランシアと侍女たちが怯え切って身を縮めていた。


「夜が明けたら、これより頑丈なものを作らせろ」

 そう言い放ち、ユタカは仕方なくシャドーボクシングを始めた。拳が風を切る音が、虚しく空気を裂く。脳裏に絡みつく終わりなき思考。


 ……宴の直前まで、この世界が「現実だ」という感覚は正直、希薄だった。自分にとって、これはどこまでも「ゲーム」の世界。見聞きし、体感しても、すべてが靄のように現実味を欠いていた。


 だが、タランドルを斬り殺したあの一瞬で、すべてが変わった。剣が肉を貫いた確かな感触。掌に溢れた生温い血潮。消え入りながらも続いた最後の呼吸……。


 ここは冷たいデジタルの映像ではない。人々が息をし、生きる、真実の世界だ。そして、死んで消えるのではない限り、この地で、この皇帝として生きていくしかない。


 ふと、鏡に映った自分を見た。まだ見慣れぬ顔、見慣れぬ姿。しかし、もうこれは、自分自身だ。現実の自分は死んだ。帰る場所はない。こここそが、自分の属する世界。


 ユタカは、皇帝の名を心に呼び起こした。

 レオト。

 自分は、これから、皇帝レオトとして生きていかねばならないのだ。


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