102. 死の地へ
すべての準備が整い、デシオール討伐に向けて出立する日が来た。
ロジテアン家の長男チェドウィックが、少数精鋭の部隊を率いてクライン一行に同行することになっていた。
タイフロス戦のときと同様、この戦いは単純に兵の数が多ければ有利になる類のものではない。死の呪いを撒き散らすデシオールの性質上、兵を増やせば増やすほど、かえってマリゼや魔導士たちの負担を重くしてしまうおそれがあった。
出発前、エタンはチェドウィックに厳しい面持ちで言い含めた。
「時期をずらして、私が直接後発隊を率いて向かうことにする。フォルミオサ教団からも、司祭たちと支援戦力を送ってもらえる手はずだ。
あの場所で奴を仕留め損ねれば、ここまで大きな災厄が及ぶ。いかなる犠牲を払ってでも、あの地で奴を止めねばならん」
クラインたちが定められた時間内にデシオールを討ち果たせなかった場合に備え、少しでも弱ったところを逃さず叩くため、後発隊をただちに突入させるつもりなのだ。
ひとしきり語ったあと、エタンは一度言葉を切り、声を整えて続けた。
「武運を祈る。そして……マリゼを頼んだぞ」
父子は固く抱き合い、それから部屋をあとにした。
*** ***
デシオールが身を潜めているのは、グラバンテ北西に広がる山岳地帯の入口付近だった。そこは乾ききった荒れ地に危険な魔獣が出没する場所で、境界線を越えた先には、定住する者など一人もいない不毛の地である。
グラバンテを発って4日目の午後、境界地帯の村へと近づくにつれ、じわじわと不吉な気配が肌にまとわりついてきた。物音ひとつしない不気味な静寂と、理由の知れない冷気が皮膚の下へとしみ込んでくる。
風さえ死んでしまったかのように、淀んだ空気がどっしりと沈み込み、あたりの雰囲気をいっそう陰鬱なものにしていた。
村へ入る前、斥候たちが、得体の知れない影が徘徊しているのを発見して戻ってきた。
「ぐおおおお……」
それは人の形をしてはいたが、もはや人間とは呼べない代物だった。青黒く変色した肌に、真っ黒に濁った目。口からは悲鳴とも、苦しみに満ちたうめき声ともつかぬ、異様な音を漏らしている。
「死の兵どもです。あれはすでに死んだ者であり、人間ではありません!」
神官戦士インボンが大声で仲間たちを鼓舞し、神聖語で浄化の呪文を唱えながら前へ躍り出る。
「村全体がやられたようだな。安全のためにも、一体残らず掃討するしかない!」
ジーフリートが指示を飛ばした。
その合図を皮切りに、村のあちこちから現れる死者たちを討ち払う戦闘が始まった。
人々は、これから対峙する本当の敵――デシオールという存在がどういうものかを、いや応なく思い知らされ、緊張とともに覚悟を固めていった。
死者の中には、村人だけでなく冒険者らしき者たちの姿も混じっていた。痛みを感じることなく怪力を振るうという点だけでも、どれも生身の人間より恐ろしい相手だが、冒険者だった者たちは戦闘技術やスキルまで使ってくるため、なおさら手強い敵となった。
一行は村を回りながら、見つけた死者たちをすべて始末し、村外れにまとめて積み上げて火葬した。
そして、村の外にテントを張って野営の準備を整えた。村の建物の中はどこも血痕と壊れた家具にまみれ、死の気配が濃すぎて、とても宿営できる場所ではなかったのだ。
夕食を終えると、本格的な準備が始まった。
デシオールと直接刃を交える主戦力――クライン、ジーフリト、セイツの三人には、それぞれメイナード、ブラット、マリゼが、死の呪いを転移させる魔法の紋様を刻んでいくことになっていた。
小さな天幕の中でメイナードと向かい合ったクラインは、服をすべて脱ぐよう言われて慌てふためいた。
「ぜ、全部脱ぐんですか?」
「全身に、描き漏れなく紋を刻まにゃならんのだ。デシオールの呪いを、いちばん近くで、いちばん多く浴びるのはお前だ。必要不可欠な処置なんだから、ぐずぐず言わずにさっさと脱げ」
クラインは、メイナードの弟子である薬師ジョアナの方をちらちら気にしながら、落ち着かない様子で身体をもじもじさせた。
「何をもたもたしておる。お前の裸など、誰も気にしちゃおらんわ。とっとと脱げ」
メイナードに急かされ、クラインは観念して服を脱ぎ捨て、メイナードの前にうつ伏せに横たわった。
「あの……前の方だけでも、少し隠してもらえませんか?」
ぱしん、と小気味よい音を立てて、メイナードの指がクラインの額をはたいた。
「まったく、口の減らん奴だ。やかましいわい。気が散るから、これ以上しゃべるな!」
メイナードが呪文を唱えると、二人の周囲に魔法陣が浮かび上がった。
彼が自分の血を、ジョアナが支えている丸い器の中へと垂らすと、ジョアナは器の中の魔法薬と血をていねいに混ぜ合わせる。
メイナードは、血のように赤い魔法の塗料を筆を使って、クラインの額から描きはじめて、次々と身体中に魔法の紋様を書き込んでいった。
別のテントでは、ブラットとマリゼが、それぞれジーフリトとセイツに同じ処置を施している。
大きなテントでは、ルートレクとウォレンが、残りの者たちの額と胸に簡易の魔法紋を描いていた。作業そのものが莫大な魔力を消耗するため、二人は魔力ポーションを何本も飲みながら、休みなく手を動かし続けた。
深夜もかなり更けたころ、ようやくすべての作業が終わった。
へとへとになり、ほとんど這うようにして横になったウォレンに、ルートレクが労いの言葉をかける。
「よく頑張ったな。だが、これさえ身につければ、もうどこへ行っても食いっぱぐれることはないさ。そこらの呪いなら弾き返せるくらい、強力な術だからな」
ウォレンのやつれた顔に、喜びの笑みがふっと浮かんだ。
「僕なんかが、こんなすごい術を教わる機会をもらえるなんて……感謝してもしきれません」




